吸って吐いてそれから

南まりな

1 吸って

沈黙の部屋に、音が鳴り響いた。重くて高い音。脳内でもその音は響き、暴れる。

その音を合図に上着に手を伸ばす。毛玉だらけのよれた上着は、いつもに増してくすんでいた。カーテンの隙間から入ってくる夕日は、薄暗い部屋をオレンジ色に染め上げている。何も考えず、いつものように玄関のドアノブに手をかける。ひんやりとしていた。左手に持った箱がかさっと音を鳴らす。

「もうそんな季節か」

声を漏らしながらドアを開ける。外の風が勢いよく部屋に侵入してくる。なびく髪は肩まで伸びきっていた。あまりの眩しさに目を閉じる。慣れを期待してゆっくりと開けた目には、今日も数人の高校生が映った。


玄関前の曇った空間と目の前の晴れた空間は、確実に何かが異なっていた。人数?年齢?性別?服装?いいや、どれも違う。二つの空間の違いは、未来を生きようと思っているかどうかだ。俺は死ぬために今日も、たばこを吸う。

最初は苦しかった煙も、今や心地良さを与えるものになった。日を重ねる毎に本数は増えていく。ニコチン依存の影響もあるだろう。だが、死にたい願望の影響もある、と俺は思う。いつしか吸殻は一日二十になった。


いつもの場所、いつもの時間、いつもの高校生。家の真隣にある高校は、毎日同じ時間にチャイムを鳴らす。同じ時間、同じ回数。その学校の最後のチャイム──下校のチャイムを聞くと、何故か急にたばこが欲しくなる。今日もそうだった。

三人組の女子高校生と目が合う。さっと視線を三人の中に戻した彼女たちは、何かを話している様子で歩いていった。このたばこが羨ましいのだろうか。高校生ぐらいになるとたばこに興味を持つ頃じゃないだろうか。吸ってみたいとか吸ってたらかっこいいとか、そんな興味や憧れを持つ。少なくとも、俺みたいに「死にたいから」なんて理由で吸い始める人は、いないだろう。

過ぎていく高校生たちをぼーっと見ながら、手は二本目のたばこへと伸びていた。ライターを手に取り火をつける。冷たい風のせいでなかなか火がつかない。やっとのことでついた火は、どこか寂しかった。一息吸ってしばらくしてから煙を吐き出す。吐き出した白い煙は、ライターの火を邪魔した風と共に、今度は仲良く流れて行った。その煙たちを目で追いながら再びたばこに口をつける。ふと手が止まった。追った目線の先に、いつも見ない顔がいた。


校門から出てくる姿にはつやつやとした黒い髪と耳元で光るピアス。マスクをしているため、目元しか見えない。すらりとした高身長の男子高校生。ピアスなんて学校では禁止されているはずだ。それを無視して飾る彼は、俺にはなんだか特別に見えた。

思わず見とれていると、一度見れば忘れられないくらいの細くも力のあるその目と目が合った。男子高校生は何か思った様に立ち止まり、前に進めていた足をこちらへと向けた。来る、と瞬間的に思った。何故?考えるも分からない。知っている人?そんなはずがない。何をされる?わからない、こわい。誰?知らない。そんなふうに混乱している間も彼は近づく。はっと気がついた時には目の前まで来ていた。少し身体がこわばる。何ですか、と言いたいが声が出ない。そんな俺より先に彼が声をかけてきた。

「あの、そのたばこ」

「へ?」

強くも滑らかな声に対して間の抜けた声。自分でも恥ずかしくなる声だった。

「そのたばこ、皆から嫌がられてますよ」

そんな俺を気にする様子はなく、男子高校生は続ける。話の内容が少し遅れて脳に入ってくる。

「嫌がれてる……?」

「あなたのたばこに対して迷惑だって言ってる人を何人か見かけましたよ。服や髪にたばこの匂いが付くとか、副流煙で身体が悪くなるとか、理由は色々ですけど。僕も今日保健の授業で習いましたけど、やっぱり喫煙者側の主流煙より周りの人側の副流煙の方が身体への影響が大きいって言いますし、皆が気になるのは仕方ないと思います」

相変わらず脳に届くのは遅かった。こちらからの反応が毎度遅れる。ふと思い出した女子高校生三人組。目が合ったのは、迷惑だという事を知らせる目だったのだろうか。話しながら歩いていく様子に隠された話題は、迷惑だと批判することだったのだろうか。視界がぐらっと揺らいだ。

「……大丈夫ですか?まぁ、とりあえず、ここ学校の真横なので。たばこはここでは止めた方がいいと思いますよ」

「え、あぁ、はい……」

真っ白になった脳内で情報の整理などできるはずもなかったが、とりあえずの一言として声が出る。半ば反射で答えた。

「じゃぁ、僕はここで」

男子高校生は会釈すると、自然な足取りで帰路に就いた。言われた事を脳内で反芻はんすうする。迷惑。人の迷惑。正直自分のことでいっぱいだった俺には衝撃が強かった。


ずっと、誰にも迷惑をかけずにゆっくりと死にゆく方法だと思っていたのに。

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