第9話 前進

「余所者には貸さねえよ」

親方の口から発せられたのは、いきなりの拒否だった。

「お父さん!」

陽子が横から声を上げた。

「どうせすぐ東京に帰るに違いないってお父さん言っていたけど、良太さん今もここにいて頑張っているんだよ。話くらい聞いてあげても良いんじゃないの?」

「米作りしてねーからいられるんだよ。そうでなければ尻尾巻いてすぐに帰っているさ」

「そんな人じゃないって。お父さんも一緒に作業したから知っているでしょう?よく良太さんのこと褒めてたじゃないよ」

親方と陽子の言い合いは続いた。すっかり親子喧嘩になっていて、良太は口を挟むこともできずにただ聞いているしかなかった。

「良太さん、あなたも何か言いなさいよ!」

陽子が厳しい顔をこちらに向けて言い放った。突然矛先が自分に向かったことに気が付いて、良太はどぎまぎしながら居住まいを正した。

「親方、棚田を僕に貸してください」

良太は単刀直入に言って、親方に頭を下げた。親方は一瞬驚いたような顔をしたものの、返ってきたのは最初と同じ言葉だった。

「余所者に貸す田はねえ」

「棚田を見させていただきました。正直言わせていただいて荒れ放題です。例え余所者だったとしても、私が米作りをした方が田んぼにとって良いのではないでしょうか?」

「親父が死んでから手つかずだからな。補助金と税金対策として残しているだけで、使うつもりはねえんだよ」

親方は余所見をしながら言った。少しだけ声が弱気になっているのが良太にもわかった。こんな時は押すだけではだめだ。良太は昔話に切り替えた。

「そもそもなぜ棚田があるんですか?平地が多い土地柄だから棚田なんて必要ないですよね?」

「親父が造ったんだよ、俺が子供の頃にな。まだ田んぼを増やす制限のない時代だった。周りが農薬を頻繁に使うようになってな。そしたら突然、薬がかからん所で米を作ってみたいと山に行き始めたんだ」

「へー」

良太は相槌を打った。

「家族に食わすのが心配になったのかもな。皆が収量を増やすことばかり考えている時に、米の味がどうとか、一人だけ違うこと言っている変わり者だったのさ」

「なるほど」

「おかげで親父と遊んだ憶え、ねーものな。あんなことやるもんでねえ。だいたい、違うやり方で米作りなんかしたら、米を混ぜられないから後が大変だもの。農協でも引き受けてくれないから、乾燥も籾摺りも全部自分でやらねばなんねえ。そりゃあ大変だったさ。親父が生きている間ずっとそうだったな」

「ああ、それで…」

良太は、庭にある大きな建物を思い出した。あの中に乾燥機や籾摺り機が入っているのだと合点がいった。親方は一息入れて、奥さんが持ってきたお茶を一口すすった。

「僕は普段は工場で働くので、米作りは休みの日に棚田でするだけです。大丈夫です」

良太は笑顔で言ったものの、返ってきた言葉は厳しいものだった。

「何が大丈夫なんだよ?おめーの心配なんかしてねーよ。そもそも余所者には貸さねえと言ったべ」

結局そこに行きつくのか。良太は心中でため息をついた。その時だった。

「私が使う。それで良太さんに手伝ってもらう。それなら文句ないでしょう?」

突然、横から陽子が口を挟んだ。

「良太さん、それで良い?」

陽子は真剣な目をしてこちらの顔を見ている。

「あ、ああ、棚田で米作りさせてもらえるなら、条件はなんでも良いよ」

陽子の剣幕に気押されながらも、良太は上手くいくような気がしてきて嬉しくなった。

「私憶えているもの。お祖父ちゃんが作ったお米、今よりずっと美味しかった。あんなお米をまた食べたいの」

陽子の言葉に親方は顔を背けて言った。

「余所者を立ち入らせるのはごめんだね。適当にやられて逃げだされたら、たまったもんじゃねーからな」

親方の頑固もたいしたものだと、良太が内心舌を巻いた時だった。

「じゃあ、良太さんは私の婚約者ってことで。それなら文句ないでしょう?」

陽子が言い放った強烈な一撃に、親方はもちろん、良太も仰け反った。

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