第5話 田植え

 「苗半分」という言葉がある。つまり、苗を上手く育てることは、米作における収穫までの道程、その半分を終わったようなものだということだ。そのくらい、田植えの前に育てる苗は稲作にとって重要なのだ。昔は田んぼの一部を苗代として区切って苗を育てていたが、現在ではダシと呼ばれるうすい長四角の箱に種を蒔いて、ビニールハウスの中で育てられる。苗を育てる上では温度管理が重要だ。寒ければ田植えまでに苗が育たない。暑過ぎれば苗の上部が焼けてしまい、田んぼに植えてからの生育に影響が出る。晴れたと言えば急いでハウスに風を通し、寒いとなればすぐさま窓を閉じる、田植えまでの一時期は米農家にとって気の休まらない日が続く。

 苗作りの前半は東京にいたが、後半は作業にどっぷりつかっていた良太だった。田んぼを耕した後は水を入れ、水漏れがないように管理する必要となる。そして、稲の水の浸かり具合を一定にするために、予め田んぼ内の地面の高さを一定にする代掻きという作業もある。水を入れた田んぼの中をトラクターで進み、土を均す作業には慣れが必要だ。なんでもすぐにやらせる社長ですらも良太に任せることはなかった。その分、ビニールハウスの温度管理、田んぼの水管理の多くは良太の担当となった。水路に土砂が流れ込めば取り除かなければならないし、何より田んぼの場所を憶えるだけでてんてこ舞いの良太だった。

 のんびりしている暇もなく十日が過ぎた。苗をハウスから出す日に寒くなるとその後の生育に悪影響が出る。天気が安定する期間を狙って天気予報とにらめっこが続く。そうして、風の無い晴れた日、田植えが始まった。朝、苗に水をかける。土が水を含んで重くなったダシを軽トラックに積んだラックに載せる。田植え予定の田んぼまで軽トラックで運搬。あとから田植え機でやってくる親方を待ちながら、水路からポンプで水を汲み、ダシにかける。苗の根っこが乾かないようにするためだ。到着した田植え機にダシを載せると、親方は即座に田植えを始める。田植え機が田んぼを行ったり来たりする間だけが、良太にとって気の休まる時間だった。しかし、田植え機が戻ればすぐさまカラになった物と次のダシとを交換しなければならない。作業が遅ければ「のろま!」との声がかかる。いやはや、大変な仕事を選んでしまったものだと良太は考えた。とは言え、身体を動かすことは好きだし、何より給料をもらいながら米作りが学べることは良太にとってありがたいことであった。寒い土地故に、五月中旬にも関わらずなんと粉雪がちらついて驚いたりもしたが、六月に入る前に田植えは終了した。

 その週末、田植え作業終了の慰労会が開かれた。早苗饗(さなぶり)というらしい。余所者の良太は、農業法人に米作りを依頼してきた周辺住人に初めて挨拶した。年配の人達は方言がきつく、言葉が通じない時もあって苦笑した。

「あんたみたいな真面目な人が来てくれてえがった(良かった)」

多くの人が口を揃えたように、そう良太に声をかけてくれた。作業をねぎらってくれる人々の態度から、米の産地にとって田植えが命を育む一大行事であり、その慰労となる早苗饗が地域の絆を維持する上で大切な会合なのだと肌で感じた良太だった。

 田植えが済むと米農家の仕事の多くは除草作業となる。初夏に入って最初に伸びるのは畦の雑草だ。雑草が伸びれば草を食べに虫がやってきて、虫がやってくれば成長を始めたばかりの柔らかい稲の葉も大好物として食べられてしまう。良太は慣れない刈り払い機を抱えて毎日畦の除草に精を出した。他に肥料散布の仕事もあったが、均等に撒くのはコツがあるとのことで良太は作業から外された。親方の言い分はもっともで、良太にしても自分のせいで稲の生育が悪いとなるとばつが悪い。そもそも自分が米を育てるようになったなら、化成肥料を使わない農法でやりたいと考えていたこともあり、良太は自ら望んで除草作業に勤しむのだった。

 季節は梅雨に入り、田んぼの中の雑草が目立つようになってきた。現代の一般的な農法であれば除草剤を使うものであろうが、良太が務める会社では、有機認証を受けた田んぼと無農薬米として販売する田んぼを抱えていた。それらの田んぼでは当然除草剤は使えない。田んぼを走らせる除草機があるにはあるのだが、完璧に除草できるとは言い難く、結局、人力での除草に頼ることになるらしい。会社としては、毎日一町(約1ヘクタール)の除草を目標とすものの、それには、ただでさえ歩き辛い田んぼ内を数十回繰り返し行ったり来たりする必要がある。当然一人で出来るものではない。自ずとこの時期だけのアルバイトを雇い、除草してもらうことになる。そして、当たり前のことながら、アルバイトの送り迎えと作業の管理は良太に任されたのだった。任されたと言っても指示だけ出せば良いわけではない。水を張った田んぼの中に入るのさえ初めての良太だったが、アルバイトに来た十人程度の人々と一緒になって草取りをすることになったのだった。

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