第2話 届いた荷物

 週明けの仕事中、良太の頭の中は棚田のことで一杯だった。何をしていても、棚田の風景と男性と交わした会話が脳裏に浮かぶのだ。調べたところ、一反というのは田んぼの広さの単位で1,000㎡のことだった。短辺20m×長辺50mである。1,000㎡と言われると広く感じるものの、長辺ですら小学生の徒競走の距離と思えばたいしたこと無い広さにも思える。とはいえ、自分が住んでいる部屋の広さが20㎡だからその50倍の広さなのだ。良太は苦笑した。米の収穫量は、一般的な米農家なら1反当り570㎏から600㎏位収穫するのが普通らしい。確かにあの棚田で収穫される300㎏は少ないと言える。ただし、獲り過ぎないことも米の味には大事だということも知った。肥料をどんどん入れれば量は獲れるものの、米の味は落ちる傾向にあるらしいのだ。こんな事を考えながらの一週間が過ぎ、また週末が来た。その土曜日は棚田のある駅を越えて終点まで電車に乗り、そこで半日ぶらぶらと歩き回った。本当はお米のことが気になって仕方がなく、先週の駅で降りて棚田に行きたい気持ちが湧いていた。しかし、物欲しげに見られるのもしゃくだと思い、敢えて通り過ぎたのだった。降車した駅の周辺は、かすかにくすんだ緑の葉をつける木々が線路脇に広がっていた。やはり紅葉にはまだ早い。それでも秋の乾いた空気を感じて、良太は少し嬉しくなった。来週は米が届くに違いないと、電車の中で良太はほくそ笑んだ。しかし、翌週も米は届かなかった。良太は知らなかったのだが、米は収穫してすぐ食べられるわけではなかった。最初に収穫時22~25%程度ある水分を乾燥機で乾かし、15%程度まで減らす必要がある。それが済んだら籾摺り(もみすり)をして玄米にする。水分率の高いまま籾摺りをすると米の表面に傷ができてしまう。そうならないためにも乾燥はとても大事な工程なのだ。乾燥、籾摺りが終わると、出来上がった玄米を30㎏毎に米袋に詰めて倉庫に保管する。ここで一段落。世間で食べる白米にするには、残り二つの工程を必要とする。玄米の表面は茶色い。これを糠(ヌカ)層というのだが、これを削る精米という作業により白米となり、最後に白米を袋詰めしてようやくお店に並べられる状態になるわけなのだ。米農家から直送してもらう場合、この工程全てを一農家でやらなければならない。掛かる苦労は一塩である。そして、今回良太に届くはずのお米も、全工程をあの時出会った年配の男性達がやっていることになる。当然の事、簡単に届くわけがなかったのだ。しかも、収穫後の稲を稲架(はさ)に掛けていたということは、天日で乾燥していることになる。機械乾燥と違って天日干しには時間がかかる。良太が棚田の駅を通り過ぎたちょうどその頃、現地では男性達が一所懸命稲束をひっくり返して、日に当たる場所を変えていたのだった。立ち寄れば作業を手伝うことになっていたのはほぼ確実だった。もちろん良太は喜んで手伝っただろう。色々経験するチャンスを逃したことに気が付いて、良太は少し残念な気分だった。

 手元にお米が届いたのは更に数週間後、棚田やお米の事が良太の中ですっかり記憶の底に埋もれた頃だった。紅葉を見るための小旅行を終えて帰宅したその夜、見知らぬ段ボールが届いて、良太はお米のことを思い出した。逸る気持ちを抑えて段ボールを開けてみる。そこにはビニール袋に入った白くつやつやと輝くお米が入っていた。袋にはミルキークイーンとマジックで書かれていた。苗から育てたわけではないものの、自分が稲刈りした米だ。良太は宝石を手にした気分だった。それを取り出すと、その下には更にこしひかりと書かれた袋も入っていた。遊びで色々植えてみたと男性が言っていたのを思い出した。

「これは慎重に炊き上げて、最上のご飯にしなくては」

むかし母親が読んでいた婦人雑誌に、米を炊く時には最低一時間冷水につけた方が良いと書かれていた。良太はその記事を信じていて、今も必ず水につけたお米を冷蔵庫で一時間冷やすことにしていた。今日は週末恒例小旅行から帰って来たばかり。今から米を洗い、冷蔵庫で水に1時間浸し、そこから炊き上がりまで数十分。それを待つのはきつい。

「来週末のお楽しみだな」

良太はつぶやいて、届いたお米を冷蔵庫にしまった。低温保存が米の品質維持にとって重要。なにかの記事で見かけて必ず実行しているいつもの儀式だった。お米を送ってくれたその後、男性にお礼の電話をしたりしているうちに夜も更けていき、良太は心地よい眠りについた。

 翌週は仕事をしながら水探しに明け暮れた。そのお米が育った環境の水が一番合うと考えたからだった。高級料理を食べに行ったりすることはないものの、良太はそれなりにこだわりをもって食事をすることが多かった。料理の大部分が実は水分であることを考えれば、水の味が料理の味を左右するのは間違いない。ご飯のようなほんのりとした甘みを楽しむ食べ物で、カルキ臭のする水を使うのはできれば避けたいと良太は考えた。最近は地場の天然水などが手に入りやすい。探したところ、棚田の有る町にも天然水があることを見つけて、土曜日に出かけて行った。全てはせっかくのお米を美味しく食べるための施策だ。夜食べることになるご飯の味を想像して、電車に乗りながらついにやついてしまう良太だった。

 待ちに待った夕食時、炊飯器の蓋を開けると真っ白な湯気が立ち昇った。その香りを嗅いだだけで、このご飯が美味しいことを良太は確信した。つやつやした飯粒をつぶさないように、優しく茶碗によそうと手を合わせた。

「いただきます」

一口分のご飯を箸で口に運ぶ。

「う、旨い」

雑味が無く、もちもち感が口の中をくすぐった。ほんのり甘い。

「こんな美味しいお米があるのか」

良太は唸った。

 その夜、布団に入った後も良太はなかなか眠ることができなかった。

「困ったな」

良太は米作りをしたくて仕方が無くなってしまったのだった。

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