第52話 侯爵夫人

 新年パーティーから四日後、王都にあるティエポロ侯爵邸は重い空気に包まれていた。


「まったく! 娘二人を同時に嫁に出すことになるとは、聞いておらん!」


 応接室にはティエポロ侯爵家の面々とエリオとクレメンティとイルミネがいた。

 ソファー席には二人掛けにエリオとベルティナ、向かい側にクレメンティとセリナージェが座っている。その間に一人掛けを並べてティエポロ侯爵とティエポロ侯爵夫人がそれぞれ座っていた。少し離れたテーブル席にはティエポロ家の兄姉たちとイルミネが見守っている。


「それも、二人とも隣国へだと!」


 ティエポロ侯爵は怒り顔ではなく泣き顔だ。


「あなた……」


「わ、わかっているっ! だがな、何も一度に二人ともいなくなることはあるまいっ!」


 さらに目尻を下げて本当に泣きそうな顔でティエポロ侯爵夫人に縋った。


「そんなの、ボニージェとメイージェで慣れているでしょう?」


 お姉様たち二人は合同結婚式だった。


「何度やっても慣れるものではないっ!」


 ボニージェとメイージェがティエポロ侯爵の両隣に来て慰め始めた。


「はぁ、情けない……。この人を待っていても話は進まないわ。反対しているわけじゃなくて寂しがっているだけだから気にしないでね」


 エリオとクレメンティは苦笑いで頷いた。


「それで、これからどうする予定なの?」


 ティエポロ侯爵夫人はお茶を手に取り優雅に飲み始めた。


「卒業式の時期にクレメンティの親と私の兄がこちらの国へ参ります。その時に婚約の手続きをお願いしたいのです。手続きや作法はこちらのやり方で構いません」


 『エリオの兄』は王位継承者一位のお方だ。その名前が出ても動揺しないティエポロ侯爵夫人はさすがと言える。


「二人はそれでいいのね?」


 ベルティナとセリナージェは目を合わせた。侯爵夫人へ向き直り返事をする。


「はい、お母様。わたくしは、クレメンティ様とともに歩みたいと存じます」


 セリナージェは侯爵令嬢らしい言葉を選んだ。クレメンティがセリナージェに笑顔を見せる。


「お義母様。わたくしもエリージオ王子殿下のお側でお支えしたいと思っております」


 エリオがベルティナの手を握った。


「私たちの結婚式よりも兄の王太子即位式が先になりますので、ベルティナ嬢を王子妃ではなく公爵夫人として迎えることになります」


「そう。それはベルティナさえ幸せならどちらでも構わないわ。お二人ともお仕事は公爵の他に高官をなさるということでよろしかったかしら?」


 ティエポロ侯爵夫人は微笑のまま次々に確認していく。


「「はい」」


「セリナとベルティナは言葉はどうなの?」


「夏休みからベルティナと一緒に勉強しております。大陸共通語でしたら問題ありません。ピッツ語も日常会話でしたら履修しております」


 セリナージェがベルティナに『ねっ!』というように小首を傾げてベルティナも笑顔で頷いた。


「セリナージェ嬢はご謙遜なさっておりますが、お二人共、ピッツ語の読み書きもほぼ問題ありません」


 エリオに率直に褒められてセリナージェは喜んでクレメンティと目を合わせて微笑んだ。クレメンティとともに頑張ってきたのだ。クレメンティの言葉はほとんど愛の囁きであったが。


「そう、それはよかったわ。

あなた、二人はそれほど本気ですよ。いつまでも拗ねていたら娘たちに嫌われますよ」


「なっ!!」


 ボニージェとメイージェに寄り添われて俯いていたティエポロ侯爵が目を見開いて立ち上がった。


「ふふふ、大丈夫よ、お父様。お父様を嫌いになるなんてありえないわ」


 セリナージェが小さく首を振りながらいつもの口調で可愛らしく言った。ベルティナも愛されている喜びで笑顔であった。


「そうですよ、お義父様。心配なさらないで。クスクス」


 ティエポロ侯爵は崩れるようにドカリとソファーへ落ちた。


「そ、そうか。そうだな。二人とも嫁いでも私の娘たちであることは変わらないのだ。

嫌な事があったらいつでも帰って来なさい。娘の四人くらいっ! 孫の十人くらいっ! 俺が養う!」


 まさかボニージェとメイージェも帰ってくる話になっている。あまりの大きな話にみな一瞬呆れたが、ジノベルトが笑い出したことでみなも笑い出した。


「それって僕も手伝うんだよね? なんか大変そうだから二人が帰りたくならないように大切にしてやってくれ」


 ジノベルトがお茶目に親指を立ててエリオとクレメンティに合図を送った。


「「はい! 任せてください!」」


 ジノベルトの冗談に二人が真面目に返事をしたことがまた可笑しくてみんなは笑い通しだった。

 ティエポロ侯爵だけは『本気なのに!』と訝しんだ目でみんなを見ていた。それもまたみんなを笑いに誘っていた。

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