第37話 夢

 ティエポロ侯爵はその教師をすぐさま州都の初等学校の教師に任命し引き抜いた。


 ティエポロ侯爵の心配は的中していた。

 その教師がブルーノとベルティナを助けていたことが、ベルティナがタビアーノ男爵領を出てから半年以上もしてから発覚し、その教師は大幅減俸された上、小屋のような住まいにさせられていた。ティエポロ侯爵がベルティナを指名したことはその教師が原因だと思われていたのだ。


 一年ぶりに教師と再会したベルティナは痩せ細った教師に何度も謝りながら泣いた。教師はベルティナの元気な様子にとても喜んでいた。 



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 こうして、ベルティナは今でもティエポロ侯爵家に住み、タビアーノ男爵家の者とはすでに七年も何の連絡もとりあっていない。

 それは、すべてティエポロ侯爵が望み、そう行動してくれてくれていたからであった。

 とはいえ、タビアーノ男爵からもベルティナを心配するような手紙は一度も来ていない。


 州都で侯爵家の隣にあるタビアーノ男爵家の屋敷はとうに売られおり、違う男爵家がすでに住んでいた。それからはタビアーノ男爵が州都に屋敷を持ったという話は聞かない。余裕がないのか、必要がないのか、そこまではわからない。



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 ベルティナはティエポロ侯爵に養子縁組の話をされ、自分がタビアーノ家のことをすっかり忘れていたことに今更気がついた。

 それだけ、以前と今では差が大きすぎて、ベルティナの精神上、普段は忘れていなければ正常でいられないような体験であったということだろう。


「妹と弟はどうしているかご存知ですか?」


 思い出したくはないあの家の風景が頭に浮かび、ベルティナの声は震えた。確かに妹も弟も虐待には関知していない。だが、虐待をする母の腕や、ベルティナを蹴るメイドの背中にはいつも彼らがいた。それでも、聞かずにはいられなかった。 


「ああ、時々、ジノベルトが見に行ってくれているんだ」


 ジノベルト―セリナージェの兄―がベルティナを見て頷いた。


「ベルティナの妹も弟も元気だよ。虐待はされていない。

ベルティナには実は兄が二人いたそうだね。下の兄は行方不明だそうじゃないか。

実質、子供が二人いなくなったわけだから、タビアーノ家も楽になったのではないかな。または、君のことが父さんにバレて虐待ができなくなったか。

妹は中等学校には来てないけど初等学校では中ぐらいの成績だったそうだよ。弟は今初等学校で頑張っているよ」


 ベルティナはポロポロと泣き出した。自分が逃げたことで妹や弟に虐待や暴力が向かなくて本当によかったと思えた。


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 ベルティナは泣きながらお礼を言い続けた。ふと後ろからギュッと抱きしめられた。


「今まで何も知らなくてごめんね。

ベルティナ。私のお姉様になって。お願いよ」


 セリナージェも泣いている。ジノベルト夫妻が、双子の姉たちが、お義父様が、お義母様が、抱き合うベルティナとセリナージェを笑顔で見つめていた。壁際には、執事長、メイド長はじめ、すべての使用人たちが並び、涙を流してくれていた。


『この暖かい家族が本物の家族になることができるなんてもう何もいらないわ』


 ベルティナは心から思った。涙を拭き、書類を汚さないように注意を払い、しっかりと自分の名前を書いた。


『ベルティナ・タビアーノ。この名前を使うのはこれが最後だわ』


 ベルティナは執事に下げられた書類を振り返ることなく、新しい家族に笑顔を向けた。セリナージェが首に抱きついた。


「ベルティナお姉様!」


「セリナったらくすぐったいわ。うふふ」


「我が家には双子ちゃんが二組ね」


 夫人に優しい言葉に家族も使用人も笑顔になった。


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 その日の夜、ベルティナはセリナージェのベッドにいた。


「セリナ。私、もう一つあなたに内緒にしていたことがあるの」


 ベルティナは隣にいるセリナージェの方へと体を向けた。

 セリナージェはガバリと、起き上がる


「え! 何? いなくなるって話じゃないわよね?」


 不安そうな瞳でベルティナを見下ろした。


「ふふ、違うわ。あのね、私の夢の話なのだけど」


「うん」


 セリナージェは再び横になり、ベルティナの方へと体を向けた。


「本当の私の夢は王城の文官になることではないのよ。

セリナの専属侍女になることが夢だったの。あなたがどこに嫁ごうとも、付いていくつもりだったのよ。あなたの姉になっても侍女にはなれるのかしら?」


「あ、あの、ベルティナ? それって、もし、私がピッツォーネ王国に嫁ぐことになっても、一緒に来てくれるってことかしら?」


 セリナージェは目元まで布団を被り真っ赤になってチラチラとベルティナを見ている。


「ふふふ。セリナはそんなにレムのことが好きなのね。そうだわ! 私はレムの秘書になるわ。それならセリナの姉でも、セリナの家にいることに不思議はなくなるわよね?」


「ベルティナ。大好きよ!」


 セリナージェはベッドの中でベルティナに抱きついた。

 

 ベルティナは侯爵令嬢になるのだから、エリオの爵位が何であれ問題はなくなったということに気がついていなかった。


 今日は幸せなことが多すぎて、考えることができなくなるくらいであったのだ。

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