第34話 兄

「セリナ。こちらへいらっしゃい」


 セリナージェはボニージェとメイージェにサロンのソファーに連れられて行かれた。ベルティナがセリナージェに会う以前はどんな様子であったかという説明を受けるのだろう。


「ベルティナ。わたくしたちはあなたを家族だと思ってきたわ。でも、あなたがわたくしたちに気を使ってくれていることも、セリナのようには甘えられないこともわかっています。

それでも、あの家の従属になるより、あなたが幸せになれるはずだと思うのよ。そして、あなたにはその権利があるの。彼らの従属に戻ってはいけないわ」


 ティエポロ侯爵夫人の真剣な眼差しは少しだけ潤んでいた。ベルティナは自分を心配して泣きそうになっていることはわかるので心がほんのり暖かくなる。


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 ベルティナ・タビアーノ。ティエポロ侯爵州タビアーノ男爵領当主の次女である。兄、姉、兄、妹、弟の6人兄弟であった。


 しかし、ベルティナには今は兄は一人しかいない。


 ベルティナが十歳の時、ベルティナのすぐ上の兄ブルーノが十二歳にして、領地の屋敷から家出をしたからだ。



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 そして、ベルティナが十一歳になる頃、運命の日が訪れた。


 ある日、州長であるティエポロ侯爵は州都にあったタビアーノ男爵邸を突然訪ねた。タビアーノ男爵領はティエポロ侯爵州の内の領地の1つであり、その州都においてティエポロ侯爵邸とタビアーノ男爵邸はお隣であった。


 その家にはそこそこ小綺麗にした令嬢二人とタビアーノ男爵夫人と思われる大変ふくよかな女性とその女性に抱かれた赤ん坊がいた。


 州長の前触れもない来訪にタビアーノ男爵夫人は狼狽した。


「あ、あの、おもてなしもできませんが……その……奥へどうぞ」


 男爵家程度では州都の屋敷にはメイド一人をつけるのがやっとで、メイドが買い物も料理も掃除もすべてやる。もっと財産の少ない男爵家ともなれば、メイドはおらず夫人自らが子どもたちの世話をすることも珍しいことではない。なので、急な来客をもてなす準備などできているわけもない。

 ティエポロ侯爵はそれをわかっているので無理にもてなしなど望んでいなかった。


「いや、このまま、ここでいい」


 ティエポロ侯爵は玄関先に立ったまま話を続けた。


「申し訳ございません」


「いやいやかまわんよ。そんなことより。

うちの娘は今年十一歳になるのだが、こちらにうちの娘と同い年の女の子がいると聞いた。うちの娘と友達にならせたいのだがその子はいるかね?」


 威厳のありそうなバリトンボイスでティエポロ侯爵はタビアーノ男爵夫人に尋ねた。今、ティエポロ侯爵の目の前にいる小綺麗にした女の子二人は、一人はどう見ても五歳ほどであるし、もう一人は十四歳で州都の中等学校へ通っていると聞いている。


「申し訳ありません。その子は領地におりまして会わせることがかないません」


 タビアーノ男爵夫人はティエポロ侯爵とは目を合わせないようにして頭を下げた。

 だが、そんな簡単にはティエポロ侯爵は引き下がらなかった。二人の女の子を見た時点で予想通りといえるのだから。


「いや、急ぐ話ではない。来週中に連れてきてもらえれば問題ない。隣の我が屋敷で待っている。必ず、連れて来てくれ。頼んだよ」


 最後の『頼んだよ』はかなり脅しが入っているように思えて、タビアーノ男爵夫人は震えていた。

 挨拶もそこそこにティエポロ侯爵は帰っていった。


 タビアーノ男爵夫人は急いでタビアーノ男爵領に住む夫に手紙を書いた。その少女はすぐに州都の屋敷に送られてきた。

 それから1週間足らず、タビアーノ男爵夫人はその少女に姉のブカブカなワンピースを着せてティエポロ侯爵邸へ連れてくる。


 ティエポロ侯爵はその少女のあまりの痩せ方に驚いた。それにこれでは、本人に合った服は持っていないと宣伝しているようだ。さらに髪はなぜか男の子のように短くて、切りそろえられているわけでもなくまさに散切り状態だ。同じタビアーノ男爵家の娘のはずなのに、先日会った二人との違いにティエポロ侯爵はかなり驚いた。


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 ブルーノとベルティナの幼少期は壮絶なものだった。


 ブルーノとベルティナは両親と上の兄姉から虐待されていたのだ。使用人たちもそれに追随しており時には使用人たちからの暴力もあった。

 二人に手を差し伸べる者は屋敷の中にはいない。二人はまるで使用人にまで使われる奴隷のような扱いであった。


 部屋は屋根裏部屋で薄い毛布を一枚ずつ渡されただけである。ベッドもない部屋で二人で身を寄せ合うようにして眠った。

 朝は誰より早く起きないと1日中なぐられるので誰より早く起きた。その後、二人で水瓶を満たすため、井戸と台所を何度も往復する。起きてきた使用人たちは、まず、挨拶のように木桶を運ぶ二人を転ばせる。なので、二人の服はいつも真っ黒だった。

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