第23話 消えない恐怖

 昼食を済ませて少し休憩した後、五人は再び水辺にむかった。

 クレメンティがセリナージェの手を引き腰の高さあたりまで進む。イルミネもそれに付き合った。


 エリオはベルティナの手を引いているが明らかにベルティナは進む足が遅い。エリオはあえて急かしたりはしなかった。


 ゆっくりゆっくりと進むがベルティナの目線は不安そうにずっと水面を見つめていた。エリオは何度も引き返すことを提案するが、エリオがそれでは楽しくないのではないかと考えたベルティナは大丈夫だと言っていた。


 エリオたちよりだいぶ沖の方ではクレメンティがセリナージェの手を持ちセリナージェがバシャバシャと足を動かしていた。顔はあげたままのセリナージェの状態にイルミネが笑っていてそのイルミネにセリナージェが怒っていた。それでも三人は楽しそうだ。

 しかし、ベルティナにはその様子を見るような余裕もなさそうだった。


 エリオとベルティナが膝の上を越える深さまでくるとベルティナは全く動けなくなった。ベルティナの頑張りもここまでのようだ。


「エリオ。私、岸へ戻るわ。貴方もみんなと遊んできて」


 ベルティナは明らかに顔色が悪い。それでもエリオに気を使う。


「僕はベルティナと一緒で大丈夫だよ。もう少し岸の方へ戻ろう」


 エリオはエリオでベルティナを気遣い岸の方へ戻ろうとした。

 ベルティナはエリオの言葉に甘えることにして二人でゆっくりと反対方向に向きを変えた。


 そして数歩進んだときベルティナが何かに躓いて転んだ。ベルティナは両手を湖の底についてしまった。その際顔を水に一瞬浸けてしまったのだ。その瞬間、ベルティナはパニックを起こした。まるでその場で溺れているようだ。

 エリオがベルティナを即座に抱き上げた。ベルティナを横抱きにして水から離して水にはベルティナの足もつけさせずに岸へと急ぐ。ベルティナは首を振って何かを怖がっているようだ。消えない恐怖を振り払うかのように首を振っている。腕はエリオの首にギュッと絡ませ体は震えていた。


 後ろからイルミネも駆けつけた。セリナージェとクレメンティも岸へと向かっている。


「ベルティナ! 大丈夫だよ。僕がいる! 大丈夫だ、ベルティナ! エリオだよ。わかるかい? ベルティナ!」


 そこにいるのは自分であると証明し続けるようにエリオは岸につくまでずっとベルティナに話しかけた。

 岸に上がった時にはベルティナはパニックは解消していたがエリオの首に手を回したまま離そうとしなかったし震えも続いていた。エリオはそのまま岸のシートにベルティナを下ろし自分は隣に座りベルティナの背を擦った。


 そこにセリナージェが駆けつけてベルティナを抱いたのでベルティナの腕もエリオからセリナージェに移した。いくら緊急事態とはいえ恋人でもない男女はできるたけ早く離れるという教育をこの五人は受けている。エリオは不安だし心配であるがここはセリナージェに託すしかなかった。

 メイドたちもベルティナに何枚ものタオルをかけたり片付けを急いだりしている。


 五人は着替えもせずに屋敷に戻ることになった。馬車が屋敷に到着するとそこからは執事がベルティナを横抱きで部屋へと運ぶ。セリナージェもそれについていった。


 メイドたちに促されて三人は着替えのために自分に用意されている部屋へと戻った。


 エリオはお湯のはられた湯船の中で先程のベルティナの姿が頭にこびりつき、何度も何度もお湯を叩き、何度も何度も顔を擦り、頭を掻きむしった。

 湯から上がってもエリオの顔色は冴えず目も虚ろだった。


〰️ 〰️ 〰️


 その日の夕食にもベルティナは現れなかった。夕食は誰も口をきかず厳かな雰囲気でみなほとんど食べずに終わってしまった。それでもテーブルにつくことを当然にする四人はキチンとした教育を受けている証拠であった。


 夕食の後にセリナージェは三人をサロンに誘った。四人が丸テーブルに座ると冷たい果実水が給仕された。


「心配かけてごめんね……」


 セリナージェは悲しげな顔でテーブルの縁を見つめていた。


「いや、セリナのせいじゃないよ。僕の不注意でこんなことになってしまって」


 エリオは顔色も悪くずっと項垂れたままだった。


「それは気にしないでほしいわ、エリオ。ベルティナも『エリオに迷惑をかけてしまった』ってことばかり気にしていたから」


 セリナージェは顔をあげてエリオに答えた。エリオは自虐的な笑顔だがそれ以上ここで顔を作ることはできなかった。


「今、ベルティナは?」


 クレメンティも顔は険しい。


「お医者様がよく眠れるお薬をくれたの。軽くスープを飲んでお薬を飲んだからすぐに寝たわ」


 セリナージェも三人を安心させようと無理に笑うが目は悲しさを隠しきれていない。


「エリオのせいではないと思うよ。おそらく本人もここまで水が苦手だと自覚してなかったんだと思う。脛下の深さまでなら楽しんでいたんだから」


 イルミネは遠くからエリオとベルティナを観察していたので状況を冷静に分析した。そう言いながらもイルミネもどこか悔しそうにしている。


「そうなのよ。確かに小さい頃からそのくらいの深さしか行ってなかったの。だけど、お兄様やお姉様たちが小さい私たちをご心配なさってお止めになるからだって思っていたわ」


 セリナージェは右手を頬に手をあて昔を思い出していた。


「僕が無理をさせたんじゃないのか? 本当は岸から離れなくなかったんじゃないのか?」


 エリオは肘をテーブルについて頭をかかえた。


「違うわっ! ベルティナは楽しかったんですって。だから大丈夫だって思ってしまったのって。エリオにはとっても感謝していたわ」


「そうか……でも、怖がらせてしまったことは事実だ。ベルティナに謝りたい」


 必死に言い募るセリナージェの言葉にエリオは少しだけ納得したが気持ちはおさまらなかった。


「それはだめよ! エリオ! そんなことしたらベルティナは二度とあなたと楽しめなくなるわ。ベルティナはそういうことにも罪悪感を感じてしまう優しい子なのっ! エリオはツラいかもしれないけど。お願い! わかって」


 セリナージェは最後にはエリオに頭を下げた。


「わかった……、わかったよ。セリナ。頭なんて下げないでよ……」


 エリオこそ泣いてしまいそうな顔をしていた。

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