ドラゴンの和約

 パン、パン、パン、パン。

 真っ青になっている皇帝を尻目に、国王が嫌味ったらしく手をたたいた。


「はっはっは。……いやいや、感心しました。これもまた名案ですな。いや別に、戦争で散った兵士たちの復讐したいと言っているのではないのです。戦力の均衡は平和のために必要なことだ。それには帝国からも同じ数の兵士を消してしまうのが手っ取り早い」


「黙れ! これは我が国の問題だ。部外者が口を出すことではない。

 ドラゴンの女王よ、他に何か方法はないのですか? ……そうだ。金は? エミリア王国から取った賠償金をそのまま全部、差し上げる。それでどうです」


「ちょっと待て、まだ賠償金の話などしていないぞ」


「これだけ有利な講和を結んでやろうと言っているのだ。賠償金くらいは当然だろう。それに捕虜の身代金もある。それだけは何があっても、キッチリと支払ってもらうぞ」


「グォォォオン」

 ジリオンがまた吠えた。


「私が言っているのはドラゴンとしての誇りの問題です。金銭でどうにかできる話ではありません。もちろん、これから私がお預かりする領地を維持するための費用は双方に負担してもらいますが……。それはまた別の話です」


「皇帝陛下、発言してもよろしいでしょうか?」


 機会をうかがっていたシャーリィが手を上げた。


「お、おう。シャンクスか。頼む……何か代案があるなら言ってくれ」 


「女王陛下、確認させてください。帝国は戦争で殺した分だけ、自国の人間の命でつぐなう必要がある……。陛下のお考えはつまり、そういうことですね」


「はい。その通りです」


「それなら、兵士の代わりに奴隷を提供するというのはどうでしょうか。女王陛下の弟君が治める予定の土地は戦火で荒れ放題です。住民のほとんどは逃げ散っているので、ろくなお世話もできないでしょう。今、帝国には十万人以上の奴隷がいます。もちろん奴隷の価値は熟練の兵士とは比べ物になりませんが、その奴隷を全て差し出せば……」


「おい、待て。おまえは我が帝国の奴隷を、全てドラゴンにくれてやれというのか。

 それが、どれほどの経済的な打撃になるのか理解しているのか。そもそも奴隷の所有者を、どうやって納得させればいいのだ」


「いっそのこと、陛下のお名前で奴隷の解放宣言を出してはいかがでしょうか。陛下は慈悲深い皇帝として歴史に名を残すことができます。

 奴隷の所有者の件ですが……たとえばドラゴンに帝国中の空を飛んでいただいたらどうでしょう。その上で奴隷を生贄に差し出すのだと宣伝すれば、誰も異論を口にできなくなるはずです」


「だが、そんなことをしたら……」


「はっはっは、それはいい。いいですぞ。いや、いや。これは思いつかなかった。さすがは皇帝陛下だ。なんとも慈悲深い」


 国王が大声で笑った。

 反対に皇帝は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。


「何を他人事のように言っている。もちろん、貴殿の王国も奴隷を解放するのだ。和平の保証としてドラゴンに奴隷を捧げるなら、我が国だけとはいくまい」


「なにをおっしゃいます。もともとこれは、我が国の兵士を殺した補償のはずです。エミリア王国には何の関係はありません。……そうでしょう。女王陛下」


「エミリア王国には、奴隷はどれほどいるのですか?」


「えっと、それは……」


「三万人と少しです。陛下」


 ゼノリス侯爵が助け船を出した。


「私は生き物の価値を戦闘能力でしか判断できません。魔法戦士を含む二万人の精鋭部隊と十三万人の奴隷……とても釣り合うとは思えませんが、駐留させる弟の生活のこともあります。二度とこのようなことがないと約束できるのなら、それで手を打ちましょう」


「国王陛下、ご決断ください」


 ゼノリス侯爵は、身を正して主君を見た。


「奴隷くらいなんです。この交渉がなければ、我々の王国は滅亡しているところでした。今いる奴隷どころか、陛下でさえも奴隷にされていたかもしれません。

 帝国も大きな損失を受けるのです。それくらいのことは、最初から陛下も覚悟されていたはずです」


「あ、ああ。そうだったな。欲を言っている場合ではない。……我が方に異存はありません。王国内の全ての奴隷を解放して、女王陛下に捧げます」



 交渉の骨組みはこれで固まった。

 もう、ただの休戦協定ではない。ドラゴンからの安全を保障してほしい両国は、その場で合意内容を和平条約に格上げした。


 ヨッシ。

 和平条約の文書に皇帝と国王が同時に調印した瞬間。俺はテーブルの下で、見えないようにガッツポーズを作った。

 もちろん和平条約に俺の名前は残らない。エランドという人間も、謎の人物のまま歴史から消える。でもそれで構わなかった。


 インチキでも何でもいいじゃないか。

 これで、たくさんの人間が幸せになれる。俺が異世界に来て、かき回してしまった世界の未来を、ほんの少しだけでも正しい方向に修正できる。


 トゥルルルルル。

 突然、スマホが鳴った。


「ショウヘイ様、カティア様が通話を求めています。つないでもよろしいですか? シークレットモードです」


 俺はうなずいた。

 この設定なら音は外に漏れない。いや、漏れても気づかれない。


「ありがとう。これで私の罪も少しはつぐなえた気がします。……そしてごめんなさい。もうショウヘイ殿との約束を果たせなくなりました」


「お、おい。どういうことなんだ」


「まだ人がいます。ショウヘイ殿は、しゃべらないでください。

 少しばかり、長く外に出過ぎました。私の人格をラジョアの中で保つのは、もう限界です。ラジョアのスキル【人格保存】は宿主にも負担をかけるのです。私は本来いるべき場所に去らなければなりません」


 な、なんだそれ。

 そんなこと聞いてない。カティアは一言もいわなかった。


「姫様の結婚式に出たかった。あなたはシルフィ様にふさわしい男性です。それが今回のことでよくわかりました。……私なら、こんなバクチは打てなかった。いや、考えつくこともなかった。ショウヘイ殿は能力のある者の責任を理解しています。

 だから、姫様が愛した人があなたで良かった。

 ショウヘイ殿だけに教えましょう。姫様は自分でも自覚していないユニークスキルを持っています。【アゲマン】という言葉を知っていますか。愛する人の運気を向上させるチート級のスキルです。私が姫様との仲を邪魔していたのも、それが理由です。姫様と結ばれれば【アゲマン】の能力が完全に解放されます。私は怖かったのですよ。女は尽くしすぎると不幸になる。……でも、あなたなら大丈夫」


 俺は、ハッと気づいた。

「もしかして、今回の成功も……」


「さあ、どうでしょう。……残念ですが、もう時間がありません。短い間でしたがショウヘイ殿に出会えて幸せでした。

 姫様を末長くよろしくお願いします。私もきっと、どこかで……」


 言葉がそこで途切れた。


「おいっ、カティア。カティア!」


 俺はスマホに向かって叫んだ。

 周囲の人間が不審がっている。でも構うものか。カティアは俺の恩人だ。カティアがいなければ、俺は何にもできなかった。


 くそっ、カティアはどこだ。

 俺は周囲を見まわした。隠れながら、こちらを監視できる場所。広場に面した建物のどれかにカティアいる。


「ミリア、カティアの位置を教えてくれ」


「イイエ。カティア様の反応はありません」


「バカ、そんなわけあるか。カティアだぞ。もっとよく探せ!」


「……死ねばいい」


 返事の代わりに漏れたのは、呪うような悲しい声だった。

 カティアと同じ声。でも、一瞬で別人だとわかる。ラジョアだ。


「先生の旅立ちを見送れない愚か者は、みんな死ねばいい」


 ラジョアは泣いていた。

 それは大切な人との別れを、何よりも雄弁に物語っていた。





 

 

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