休戦交渉【その2】
※ ※ ※
ドラゴンって生物はタフだ。
場合によっては一日でも二日でも、不眠不休で飛び続けることができる。
ただし人間はそうじゃない。特に国王は軟弱だった。途中で何度か休憩を入れながら、帝国の領内に入ったのは翌日の未明のことだった。
豊かな農地の間を蛇行する川。山あいから、太陽が顔を出し始めている。
「ダーリン見て見て。朝日がキレイよ」
「ああ、そうだな。本当だ」
俺は目を細めて真っ赤に染まっていく空を見た。
不覚にも、ちょっと胸が熱くなった。元の世界にいた時に見た朝日と同じだ。どの世界にいても、美しいものは美しい。
「休戦交渉は正午からだぞ。間に合いそうか」
「ふふん、そんなの余裕よ。私に任せておいて」
グイッと、体が引っぱられるような感覚があった。
同時に頬に当たる風が強くなった。スピードアップしてる。
「うわああ、ああ。ああああぁぁああ」
首からぶら下げた馬車から悲鳴が聞こえた。国王だ。
リーリアは巨大な舌でチッと音を出した。
「ちょっと揺れたくらいで大げさなのよ。あのビビリ人間。見苦しいったらありゃしない。ダーリン。交渉が終わったら、あいつを殺してもいい?」
「ダメだ。絶対にダメ!」
「ハイハイ、わかりました。従うわ。ダーリンの命令だもんね」
ダルシスタン帝国の首都に着いたのは、交渉が始まる三十分前だった。
広場のまわりを取り囲む軍隊と、建物から顔を出して眺める群衆。王都で見た光景と全く同じパターンだ。ただしずっと規模が大きい。広場の大きさも、たぶん面積で四倍くらいはあるだろう。
ガタン。
馬のいない裸の馬車を広場に降ろすのを確認してから、俺はリーリアの背中から飛び降りた。腹ばいになってくれたが、それでも高さは7、8メートルはある。今はどうってことないが、昔の俺なら大ケガだ。
広場に着地するとすぐに、待ち構えていたシャーリィが駆け寄ってきた。
彼女はシャンクスとして、ずっと帝国で交渉の下準備をしていた。もちろん今日も凛々しい男装だ。女性だとわかっていると、それが妙に色っぽい。
「悪い。待たせたかな」
「いいや、時間通りだ。先生たちもスタンバイしてる。エランド、そっちはうまく行ったのかい」
「ああ、みんな素直だったよ。国王も馬車の中にいる。馬車酔いしてるだろうから、交渉の前に魔法で回復させとかないとな」
「馬はついてないから、ドラゴン酔い……だろう?」
彼女は面白そうに笑った。
馬車の中の状態は、だいたい想像がつく。さっきは、ゲロを吐いている音もした。背中に乗っていた俺は快適だったが、リーリアは俺以外の男を自分の上に乗せたりはしない。
ダララララッア。
国王と随行員たちが馬車の外に出て来るのと同時に、歓迎の太鼓が鳴った。
フラフラしていたが、それでも手を振っているのは国王としての意地だろう。
ダルシスタン帝国の皇帝は、一行をにこやかに出迎えた。五十三歳だという話だが、向こうの世界に慣れた目にはもっと老人に見える。
皇帝は、国王より先に俺に手を指しのべた。
「シャンクスから聞いております。あなたが、ドラゴンの代理人をされているエランド殿ですな」
「いやいや。たまたま【ドラゴン言語】のスキル持ちだったんで、ドラゴンの通訳やお手伝いをしているだけです。帝国にも同じスキルを持った人間がいるんでしょう」
「ああ。その者なら、我々側の通訳としてそこにいる。このようなスキルが役に立つ時代が来るとは……世の中はわからぬものですな」
「私もドラゴンに出会わなかったら、一生、使わなかったでしょうね。
そうだ、先にご紹介しましょう。こちらがエミリア王国のシャルナルク二世陛下です。交渉のために王都から直接、来てもらいました」
皇帝は初めて気づいたように国王を見た。
序列をつけたつもりなんだろう。交渉はもう始まっている。
「これはこれは国王陛下。お目にかかったのは、王妃様とのご婚礼の日以来でしたかな。お顔の色が少し悪いようですが、どこかお加減でも崩されましたか」
「いやいや、なんの。なんの。生まれて初めてドラゴンというモノに乗って、少しはしゃぎ過ぎてしまっただけです。あれは実に快適ですな。後で皇帝陛下も乗せていただくといい。きっとお気に召すでしょう」
「それは、ぜひとも試したいものです。ただし胃の中を空にした上で……」
皇帝は指で鼻をさわった。臭いますよ、ということだ。
「そうだ。ドラゴンの女王がお二人にご挨拶をしたいそうです」
俺はさっさと話題を変えた。こういう駆け引きに付き合うのは、俺にはちょっと荷が重い。
「挨拶ですと?」
「交渉にも同席されるそうです。……そうですね、女王陛下?」
俺はリーリアに合図をした。
グウォォォン。俺に応えるように、彼女はわざとドラゴンの声で吠えた。
それから急速に縮み始める。最初に翼が消え、尻尾が短くなる。ガサガサだったウロコが、なめらかな模様のようになっていく。
「な、なんだ。これは。ドラゴンが、小さくなっていくぞ……」
「皇帝陛下の方はもう、ご存知でしょう。彼女は人間の姿になれるのです。今回の休戦交渉にもドラゴンとしての立場で参加します。よろしいですね」
二人の権力者は目を見開いたまま、うなずいた。
国王や皇帝だけではない。広場を取り囲む軍隊、官僚も。呼吸をすることさえ忘れて、ただこの驚くべき光景を見つめている。
リーリアが人間の女性の姿になると、人々の驚きと興奮は頂点に達した。
もちろんリーリアは全裸だった。パサッ。そのしなやかで美しい体に、シャーリィが用意していた赤いドレスを着せる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます