帝国のスパイ

 チロン、チロン、チロン。

 その時。緊張感をぶち壊すようにスマホが鳴った。


「シークレットモードでお伝えします。ショウヘイ様の汗から毒薬の成分が検出されました。現状では全く影響はありませんが、常人であれば、かなりの体調不良が発生したと想定されます」


 毒かよ……そうすると、あの握手の時か。

 針でも仕込まれたんだろうか。手のひらに神経を集中すると、なんとなく、かゆいような気がする。


 俺は、あらためて帝国のスパイに向き直った。よし、カマをかけてやる。


「もし、俺が隊長にそのことを言ったらどうする?」


「そんなことをして、何か意味があるのかい。隊長がどう動いても軍隊の方針は変わらない。勇者候補生も護衛部隊も予定どおりに死ぬだけだ。自殺したいなら、他の方法をおすすめするね」


「聞いているのはそんなことじゃない。正直に話してくれ。もし俺が告発したら、どうするつもりなんだ」


 俺は引かなかった。ここはどうしても、シャンクスの意図を確かめておきたい。

 シャンクスは、ふうっと深い息を吐いた。


「そうだね……残念だけど、君には死んでもらうしかないな。おっと、動くんじゃない。僕は今、ナイフを持っている。それと、申し訳ないけど君には保険をかけておいたんだ。そろそろ、効果が出てくる頃じゃないかな」


 チロン、チロン、チロン。

 また警告音が鳴った。


「ショウヘイ様、毒薬が効いてきたフリをしてください。無視すると【経歴偽装】の効果が失われる可能性があります」


 うわっ、このタイミングで身バレはまずい。

 シャンクスは頭が切れる。今までバレなかったのも【経歴偽装】のおかげだ。スキルの効果が切れたら、一瞬で正体を見破られる。


「うっ、ううっ。なんだか急に眠くなってきた」


「眠い?」


 げっ。シャンクスの反応が変だ。

 なんか疑われてる。どうしてだ。やはり演技が臭かったか。


「ショウヘイ様、その毒は神経性です。眠くはなりません。効果が出てくると、全身がしびれてくるはずです」


 おいおい、それを先に言ってくれよ。


「眠い……のかと思ったら、体がしびれてきた。なんだコレ。まさか毒なのか」


 俺は、わざとブルブルと体を震わせた。

 ボロボロの演技なのはわかってる。でも今は、偽装スキルの効果を信じるしかない。


「ふふっ、君は面白いね。でも体は正直だ。……そうだ、僕と取引をしよう。ここに解毒剤がある。僕に協力すると誓えば、これをあげよう。断るなら、ここで死んでもらう。いくら君が強くても、毒の効いた体では満足に戦えないはずだ。

 部屋の鍵を閉めておけば、しばらくの間は死体も発見されない。その間に僕はシオリを暗殺して逃亡する。有能な人材を殺すのは心苦しいけど、ひとりで誘拐するのは難しいからね。つまり君が判断を誤れば、異世界から来た罪のない少女の命が失われるわけだ」


「ううっ、しびれる。しびれる……わ、わかった。仲間になる。だから早く解毒剤を飲ませてくれ」


「契約が先だ。エランド、君の名において僕の協力者になると誓ってくれ。

 大丈夫、約束さえしてくれれば、僕も後で君を裏切ったりはしない。僕の固有スキルは【契約の証文】だ。ここで誓ったことは、お互いに絶対に破ることができない」


 シャンクスはナイフを出すと鋭い切先を自分の指先に当てた。

 葉っぱについた滴のように、血がぷうっと膨らんでいく。


「シャーリィとエランドはここに以下のことを誓う。エランドは、今後はシャーリィの協力者として行動する。また、任務に関係する秘密は絶対に守る。その代わりにシャーリィはエランドの帝国内での身分を保証し、働きに見合った報酬を与える」


「シャーリィ?」


「僕の本名だよ。スパイが本当の名前を使うはずがないだろう。

 シャンクスはこの任務のために使っている偽名さ。契約には自分の本当の名前を使わないと効果がないからね。もちろん、他の人には秘密だよ」


 何もなかったはずの空間に、突然、ぼうっと光る四角い紙のようなものが現れた。

 これがシャンクスのスキルなのだろう。契約の言葉が、輝く文字で書かれている。


「さあ、この証文にサインしてくれ」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 俺は密かにスマホのキーをたたいた。もちろんミリアに伝えるためだ。


『ぎめいだって、ばれないか』


「ハイ。【経歴偽装】のスキルが有効な間は【契約の証文】のスキルに上書きされます。偽名でサインしても、ばれる心配はありません。【経歴偽装】を解除すれば、同時に相手とした契約も無効になります」


 よし、それなら問題ない。スキルなら俺の方が一枚上手だ。

 俺は覚悟を決めた。どうせ途中までは、目的も一致している。シャンクスが協力してくれるなら、むしろ好都合だ。


「わ、わかった。タルカ村のエランドはシャーリィとの誓いに同意する。さ、さあ。これでいいだろう。早くこの、ビリビリするのをどうにかしてくれ」


「よし、これで契約成立だ。君の指も貸してくれ」


 シャンクスは俺の指にも血をつけると、空中に浮かんだ契約書に同時に押した。


 ぶうわぁ。

 スキルで作った契約書が、空中で燃えた。

 たぶん【契約の証文】が発動した合図だろう。これでもう俺は絶対に裏切れない……と、シャンクスは思っている。


「さあ、解毒剤だ。苦いけど効果は保証する。一気に飲んでくれ」


 俺はコクリとうなずくと、一気に薬を飲み干した。


 うげぇ、不味い。

 俺は咳きこみながら、それでも吐き出さずに、なんとかその場を耐えた。


 

 

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