ラジョアとカティア

 タンタンタン。

 階段を駆け登って来る音が聞こえる。


「ショウヘイ、大丈夫か」


 シルフィは息をはずませていた。

 胸にはりついたチュニックが、悩ましげに揺れている。

 あの下は裸なんだよな……まずいまずい。妄想なんかしてたら、また鼻血が出る。


「大丈夫だ。もう止まった」


「はあ、はあ、はあ。良かった」


 シルフィ安心したように言った。ちょっと後ろめたいような気になる。

 その後ろから、ラジョアが入って来た。だが、どうしてだろう。着ている物は同じだが、まるで雰囲気が違う。

 そうだ。よく考えたら、俺はまだラジョアの顔をまともに見たことがない。

 いつも帽子を深くかぶり、人を寄せつけない。『死ねばいい』あの声だけが、強烈に印象に残っている。


「良かった……どうやら、未遂だったようですね」

 彼女は、ホッとしたように息をついた。


「ショウヘイ、この人はカティアだ。医術の心得もある。子どもの頃、私の家庭教師をしていた。信頼のできる女性だ」


「どうも、初めまして。あなたがシルフィ様の恋人ですね。今後とも、姫様をよろしくお願いします」

 ラジョアの服を着た女性は帽子を取って、ていねいにお辞儀をした。 


 身長は……ラジョアと間違えるくらいだから、140センチもないだろう。

 年齢はよくわからない。外見は少女のようだが、ずっと年上のような気もする。

 特徴的なのは瞳だ。右目が赤で、左目が緑。ファンタジー小説によく出てくる『オッドアイ』というヤツだ。


「本当にラジョアとは別人なんですか?」


「彼女は私の弟子です。色々と失礼なことを言ったと思いますが、お許しください。昔から、あの子は人づきあいが苦手なのです。悪気はありません」


「それは、なんとなくわかってます」


「あなたは正面な人ですね」

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「安心しました。姫様の目は確かだったようですね。どんな男にだまされたのかと思ったら、世界を変えるほどの強大な魔力を持っているんですから……。私も驚きました」


「えっ、でも今は……」

 俺は鼻血を止めたら、すぐに【大賢者】からモブキャラに変更した。

 今の魔力はヒトケタのはずだ。


「私に【ステータス偽装】は通用しません。ユニークスキル【真実の目】がありますから。私のスキルは、あらゆるウソを見抜きます。……ここだけの話ですが。心の中を、コッソリとのぞくこともできるのですよ」


 ヤバい。だとすると、鼻血の理由もバレている。

 俺はあわてて話題を変えた。

「そんなことより、シルフィがお姫様って、どういうことですか?」


「ウワサは、あなたもご存知だったんでしょう。……そのままの意味ですよ。シルフィ様は、東にあった小国の第一王女でした。国がダルシスタン帝国に滅ぼされた時、私がお逃ししたのです。

 ただ、その時に私は自分の肉体を失ってしまいました。この体は、弟子のひとりだったラジョアのものです。魔力も失い、私に残された物はこの瞳と【真実の目】のスキルだけです。【賢者】と呼ばれた力は、もうありません」


「ラジョアは、そのことを知っているんですか」


「もちろんです。私の命の火が消えかけた時、肉体の提供を申し出てくれたのは彼女でした。……ラジョアには、申し訳ないことをしたと思っています。彼女の成長は、その時から止まってしまいました。十二才の時から、もう十年になります。私は女として、彼女の一番美しい季節を奪ってしまいました」


「俺の、その……【大賢者】の魔法で治療できませんか?」


 カティアは、さびしそうに微笑した。

「これはラジョアのスキルの効果なので、治療はできません。

 ただし、この問題を解決するのは簡単です。魔法など使わなくても、私を消滅させてしまえばいいのです。でも、ラジョアはそれを拒否しています。彼女の意志に抵抗する力は、私にはありません」


「……すいません。出過ぎたことを言いました」


 ちょっといい気になりすぎていた。

 力があるからって、全てが解決できるわけじゃない。

 それも転生で手に入れた、降ってわいたような能力だ。経験も知識も、圧倒的に不足している。


「素直な男性は好きですよ。姫様が選んだのが、ショウヘイ殿で良かったと思っています。そのあなたを見こんで、お願いしてもいいでしょうか」


「はい、なんでしょうか」


「軽はずみなことは、まだ、しないでいただきたいのです。もちろん、ずっとというわけではありません。

 シルフィ様は少し前に17才になりました。昔から王家の人間は、18才で結婚をするのが慣習になっています。その時、私とラジョアの前でだけでも結婚式を挙げてくれないでしょうか。失われた亡国の民もそれを望んでいます」


「カティア、待ってくれ。……それは私だって、正式な妻になれれば嬉しい。でも、そんなことを望んでショウヘイが私のことを嫌いになったらどうする」


「シルフィ様はご自分の美貌を過小評価されています。姫様は男性にとって、雲の上のような存在なんですよ。生まれて初めての恋に戸惑っているのはわかりますが、娼婦のように自分を安売りする必要はありません」


「でも、私にはショウヘイだけだ。他の男に好かれても嬉しくはない」


 カティアはため息をついた。

「美貌は魔力よりもずっと強力な女の武器なのですよ。もっと自分を高く売ることを知っていれば、またどこかの王妃にでも昇りつめることができたでしょうに……。

 でもまあ、そんな愚痴を言っても始まりませんね。ショウヘイ殿、どうしますか。姫様の純情を利用して欲望を満たすか、お互いに尊敬するパートナーとなるか。どちらか好きな方を選んでください」


 そう言われたら答えは決まっている。

 俺の下半身はまだ動揺していたが、正常な判断ができないほどじゃない。

「……シルフィ、俺の気持ちは一年やそこら待ったくらいじゃ変わらない。時間をかけて、もっとシルフィのことを好きになりたい」


「上出来です。今のセリフは、なかなか良かったですよ」


 カティアはそう言うと目を閉じた。

 そしてもう一度、目を開けた時には、赤かった右の瞳は左の瞳と同じ緑色に戻っている。


「ふん、先生に面倒をかけさせて……死ねばいい」

 ラジョアが俺に、いつもの毒舌を浴びせた。だが、表情はゆるんでいる。


「ショウヘイ、ショウヘイ、ショウヘイ」

 シルフィが抱きついてきた。

 薄着だし、下着もつけてない。俺の頭の中では裸と同じだ。


 俺は呼吸を整えてから、シルフィの背中に手を回した。

 大丈夫、ガマンできる。抱きしめるだけだ。それだけで満足できる。


 そんな葛藤にもかかわらず、シルフィは胸をグイグイ押しつけてくる。


 うっ、うわっ。もう、たまらん。

 俺の理性との戦いはまだ、始まったばかりだった。

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