更なる進化
ハア、ハア、ハア。
変な汗が出た。俺は呼吸を整えてから透明化を解除した。
「お待たせ。疲れただろう、早く馬車に戻ろう」
「……でも、あれを見てくれ。とても迎えてくれるような雰囲気じゃないぞ」
シルフィはもう、立ち上がっていた。馬車のある方向を指さしている。
隊商の人間はほとんど全員が外に出ていたが、こちらに近づこうとする者はいなかった。ただ呆然と、こっちの方を見ている。
「どうしてなんだ?」
「巨大化してドラゴンと殴り合ったんだ。信じられなくて当然だろう。……私だってまだ、夢を見ているような気持ちだ。もしかしたら、おまえのことを魔族か何かだと思っているのかもしれない」
「魔族だって?」
「勇者が魔王を倒すまでは、人間は魔族と対立していた。今でも、おとぎ話の悪者といえば魔族のことだ。だからすぐに思いつく。
特に魔王は人間に近い姿をしていながら、ドラゴンとも互角に戦ったという伝承がある。アレを見たら、たぶん誰でもそう思うだろう」
傭兵たちは馬車の前にズラリと並んでいた。
その何人かが、剣を抜いたのが見えた。つられるように、残りの男たちも続く。
「お、おい。みんな、見ただろう。アイツは魔族だ! このままだと魂まで喰われちまう。あの魔女と一緒に殺っちまえ」
「そうだ、奴はドラゴンと戦ったせいで消耗している。今ならオレたちにも殺せるはずだ」
俺はぞっとした。
恐怖は簡単に憎悪に変わる。そんな話を聞いたことがある。
大げさなんじゃないか。その時はそう思った。だが、否定しようもない現実が、すぐそこまで迫ってきている。
「おいおい待てよ。ジャックは仲間じゃないか。今だってドラゴンを追い払ってくれたんだぜ。あいつは命の恩人だ。
それにあの魔女のネエちゃんは関係ないだろう。おまえらだって、エロいとか抱きてえとか言ってたじゃないか。おまえらは、あんな美人まで殺そうっていうのか」
なだめようとしてくれているのは、傭兵隊長のガストーだ。
だが、流れは変わりそうにない。
「あいつは、あの魔女を守るために正体をさらしたんだ。仲間に決まってる」
「そうだ。あの綺麗な顔も、皮一枚下は、恐ろしい魔族かもしれないぜ。ガストーさんよ。もしかして、あんたまでアイツらの仲間なんじゃないんですかい。
それなら、オレはこの傭兵団から抜けさせてもらいますぜ。それで、あんたとの付き合いも終わりだ」
みんな、いい奴らだった。
体育会系のノリは苦手だったが、それも悪くはないと思い始めていた。
単純だけれどサッパリしている。年下の俺のことを、まるで兄貴分みたいに扱ってくれた。それが嬉しくなかったと言ったらウソになる。
「シルフィ……シルフィも、俺のことが怖いか?」
彼女は首を振った。
「私が恐れるのは、おまえと離れることだけだ。他の誰がどう思うと関係ない。
そうだ……いっそのこと、二人でこのままどこかに行ってしまおうか。そういうのも悪くない。おまえのいる場所になら、私は世界の果てまでだってついて行く」
ピロン。
その時また、着信音がした。
「ユニークスキルが進化しました。【経歴偽装】が使用できます。このスキルは自分に関する記録や記憶を改ざんすることができます。ただし、他の【偽装スキル】と同様に、ネタバレをした相手には適用できません」
「なんだ、こりゃ。役に立つのか?」
「ハイ、今の状況には最適のスキルだと考えられます。たとえばショウヘイ様がドラゴンを倒したことを、なかったことにすることができます」
「過去を変えられるのか?」
「事実を変えるのではありません。ゴマかすのです。
ただし実態と合わせるためにストーリーの設定が必要になります。今回の場合は馬車が転倒し、森が破壊されていますので、巨大な地震や竜巻などが発生したことにすることが考えられます」
「みんなを、だませるのか……」
「ハイ、ただしこのスキルには制限があります。ショウヘイ様が自分のスキルを告白した人には適用されません。具体的にはソラ様とシルフィ様がその対象になります」
「モンスターはどうなる? せっかく追っ払ったのに、ドラゴンが戻って来たら死人が出るぞ」
「【経歴偽装】の対象に、接触したモンスターは含まれません。【モンスター偽装】のスキルがあれば可能ですが、ショウヘイ様がそれを覚えるまでには2000以上のレベルアップが必要です」
ちょっと待てよ。今のステータスは『【異世界の戦士】レベル39、体力6703、攻撃力5870、魔力8006』か……。
今回の相手ははドラゴンだったから、かなり上がっている。だが、どっちにしてもレベル2000は、当分は関係ない数値だ。
それにしても【経歴偽装】か……名前も名前だが、効果も犯罪じみている。
つまり、自分がやってしまったことを何でもゴマかせるってことだ。悪用すれば、とんでもないことになる。
その時、俺は重大なことに気づいた。
「もしかして、このスキルって過去のことならいつでもいいのか?」
「イイエ、最初のユニークスキルが発現する前のことは偽装できません。ショウヘイ様の場合、使用できるのは召喚された時からです」
「そうだとするとギリギリ、王宮であったこともゴマかせるんじゃないのか?」
「ハイ、それならば可能です。
あの時はショウヘイ様がスキルのことを告白したわけではありません。あそこにいた人間が勝手に【ステータス偽装】に引っかかっただけです」
「よし、それならそっちも偽装しよう」
俺はスマホに入力した。
『佐野翔平は召喚に失敗してあの場所にはいなかった。兵士二人が負傷した事件は、正体不明の侵入者によるテロ行為である』
これでもう、追われることを心配することもない。
委員長の記憶からも消えてしまうのは嫌だったが、忘れるのはこっちへ来てからのことだけだ。俺が覚えていて、後で助けに行けばいい。
『ドラゴンは最初からリーディアの森にはいなかった。馬車が転倒し、森が破壊されたのは偶然に発生した巨大な竜巻のせいだった』
「ミリア、これでいいか」
「ハイ、スキルの発動条件は満たしています。よろしければ、選択画面で『実行』をタップしてください」
ブゥウウン。
『実行』のアイコンに触れた時、どこかで低い音がしたような気がした。
でも、それだけだ。風も……雲の流れさえ変化がない。
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