モラトリアム・ブルース
「特例で、可能な限りの願いは叶えてやろうと思うんだけど、どう? なんかある?」
徐ろに連れてこられたよく分からない明るい場所で、よく分からない三十行かないぐらいの男にそう言われた。彼は自分を神だと名乗った。日本には八百万いると言うし、こういう妙に人間くさい神がいても違和感はないだろう。そう思ったので、特に疑いもしなかった。現にさっき死んだはずなのにこうして意識を持っているので、信じざるを得ないという面もあるにはあるが。
「願いですか」
僕は考える。考えたが、叶えたいものなんて思いつかなかった。あったとして、今願うようなことではない。
「というか、特例なんですか」僕は訊ねる。
「いやまあ、ちょっと、……可哀想でしょ、アレは」神は肩を竦める。
「それはそうかもですね」と僕は返した。確かに、車に撥ねられて、対向車に吹っ飛ばされて、それでもなお死なずに苦しみの限りを尽くして四時間後に亡くなるとは、なるほど相当運が無い。せめてすっぱり死んでしまえば楽だったろうなと我ながら思っている。
願いについて悩んでいたら、神と名乗る割に髭も威厳もない男が僕の肩を叩いて、「まあしばらく悩んだらいいよ。下界の時間で三日ぐらいならなんとかなる」と言った。何がなんとかなるのかは分からないが、ともかく僕はその言葉に甘えることにした。
三日は待つと言われたが、神と名乗る割に俗世の人間と同じような普通の生活をしている男が二日目の晩(にあたる時間)あたりでじわじわ面倒くさそうな雰囲気を醸し出し始めたので、そろそろお暇するか、と思った。
「いろいろ考えたんですけど」僕は言う。
「うん」神と名乗る割にそばよりうどん派な男がこちらを見る。
「……蘇らせてくれたりとかって、できます?」
「図々しいね」男は表情を変えずにそう言う。
「そうですか」「そうだと思うよ」「神様的にもですか」「神様だって人間みたいなもんだしね」「なんか卵溶いてますもんね今」「まあね」「なんの卵なんすか」「ガルダ」「ガ?」「あ、実質鶏卵」「あ、そうなんすね」 雑談が一頻り流れたあと沈黙が訪れて、その沈黙を、神と名乗る割に妙に馴れた手つきで卵焼きを作れる男が破った。
「さすがに無理だね、それは」叶えたいのは山々だけど、と続ける。「規則は規則だし」
だろうな、と思っていたので、「まあ、でしょうね」とだけ答えた。
なんかこう、もっと他ないの、俺でも叶えられそうなやつ、と言われたので、結局追加で二日悩んだ。神と名乗る割に毎朝ちゃんと髭を電動シェーバーで剃っていた男は、結局最後まですごく嫌な顔をしていてあんまり神っぽくなかった。
下界で(僕が死んでから)六日が経ったあと、とある女のもとに手紙が届いた。僕はその反応を見ていない。まあ、……見なくても分かるし、問題はない。
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