41-新たな歴史の誕生
イーナと猫様が集う前にあった主題。
ナルフをアイシャの警護へと配置換えする事だ。
「では、ナルフ。お前が「アイシャ付き」を望むその真意だ。答えろ」
「はっ!」
輪の外にいたナルフにやっとこさまともな発言権が与えられる。
シャナ姉さんに指された彼女はキッと眉を固めた。
決意を滲ませその場に跪く。
そしてその覚悟を述べる。
「私は憚りながらもアイシャ様を亡くした弟にお重ねいたしました」
「…ナルフを「孤児で親類縁者はいない」と認識していたが?違ったか?」
「いえ、間違いございません、お館様。弟は私がキッドマン領を目指していた際に死にました。ここでその存在を知る者はございません。知る必要もございません。…今まではですが」
「…そうか。あの時にか…。私達の至らなさがナルフに飛び火したのだな。すまない事をした」
「滅相もございません。私はお館様らに救ってもらいました。だからこそこの場に立てています。私は恩を仇で返す恥知らずではありません」
ナルフは力強い光を湛える。
そこには額面通りのものが含まれている。
…それ以外のどす黒いものも。
ナルフは他領からの流民だった。
あの出来事の前後は周辺領から助けを求めてきた平民が多かったのを記憶している。
スパイの侵入を防ぐために身寄りのない子供に限定したが、その内の一人がナルフだった。
その旅路の途中にて弟は力尽きたと…。
ナルフはアイシャに過去の記憶を。
「弟を透かして見た」のだな。
…だが、それだけか?
ナルフはゴクリと大きく鳴らし唾を飲み込む。
恐らくここが彼女の勝負どころか。
再び地を見るように面を下げる。
「合わせてアイシャ様の冷たい瞳にも魅せられました」
「…続けよ」
シャナ姉さんの圧力が上がった。
それは至極当然の事だ。
主君の子に不敬と取れる物言いをしたのだ。
そこに緊張がないなどあり得ない。
…しかし、ナルフは言った。
さすればその気概を我らは見届けねばならないだろう。
ナルフは意を決し口を開いた。
――――――――――
「私達は弱者でした」
ナルフの独白は外では有り触れたものだった。
有り触れた「無情さ」だった。
「私達家族は愚かな権力者に搾り取られるだけの存在でした。幾ら耕せど腹に入れられる量は減っていくばかり。「どうか減税を」と申し出た両親達は私の目の前で切り捨てられました。残ったのは私と弟だけ。…そこに自由はありませんでした」
地方の村人を数として捉える上位者は少なくない。
それが力ない姉弟をどうするか。
「男でまだ幼い弟は価値がないと見なされ代官より村から追い出されたのです」
少しでも金に変えるのだ。
本来ならばそこで奴隷としてナルフの弟は卸される予定だったらしい。
もちろんその二束三文の金は村の代官の懐へゆく。
…だからナルフはその夜に旅支度をした。
弟と連れ立って駆け出したのだ。
彼女らは「裕福だ」と噂のキッドマン領を目指して。
しかし、魔力があるナルフに比べて弟の体は弱すぎた。
「絶望しかありませんでした…。「私が弟を殺したのだ」と」
締め付けられる音がする。
ちらりと下を覗えば赤い点が散っていた。
「たとえ奴隷に落とされようとも生きられたのではないか。弟は優しい主人に会えて幸せになったのではないか。…ふふ、わかってます」
ナルフはゆっくりと頭をもたげる。
その傷は今だ癒えない。
「そんなのは夢物語です」
その身を焼く火の粉は燻り続けている。
「私の弟は死ぬべくして死んだのです」
今尚その両目からは絶え間なく自責の念が流れ落ちている。
大切な人を奪われた苦しみ。
そして自らを責めるどうしようもない怒り。
ナルフは激しい炎を噴いた。
――――――――――
「私は!私はこの力を知った時に復讐を誓いました!!」
ナルフは口角泡を飛ばす。
「この地獄を作り出した者共を皆殺しにしてやる!!弟の死をその骸に刻み込んでやる!!骨すら残しやしない!!」
失意のまま歩き辿り着いたナルフ。
孤児院に保護された後の身体検査で「常人を超えた魔力量を持つ」とこの時初めて知った。
そこからは正義の名の下恨みを晴らすために活動する毎日。
秘めたる祈を絶やさなように。
より一層大きくなるように薪を焚べ続けた。
燃やして燃やして燃やして。
そして最後に燃えカスになった。
ナルフの勢いは萎んでいく。
「ですが。…ですが、いつしか私はそんな日々に疲れを覚え始めました。弟を忘れた事などありません。あの子の事を…。ただ…、それでも…」
ナルフは掠れた声で言う。
「私は…、それだけに生きるしかないの?」
…最初はそれで良かったのだろう。
ナルフは「貴方のために私は心血を注いでいるわ」と言い訳が出来たのだから。
しかし、それは辛い。
辛過ぎる。
全身を切り刻まれているような絶え間ない痛みが襲いかかる。
そんな最中薪にしていたのは何だ?
その手元をしっかりと見ていたか?
薪はお前自身だったのだろう?ナルフ。
ナルフは震える両手で顔を抑え俯く。
息を吸うとナルフは再び調子を取り戻す。
「私は気付けば「この人生の目的とは何か?」をばかり考えるようになりました。終わらない自問自答の日々を繰り返しました」
逃れたいのに捨てる事の出来ないそれ。
ナルフ壊れかけていた。
「ついにはどこに進んでいるのかも知れなくなりました。任務中でさえ「私は誰だ?」と。「今は誰に扮しているのか?」と。それは知ってるのに知らない私が混ざるような感覚で…」
ナルフはその特異性を用いて様々な役を演じる。
昨日とは違った自分を自分でさえ違和感がなくなるように。
それが彼女の十八番でありここで求められていたもの。
煮え滾る渦があった時はそれに耐えられた。
だが、ふと疑問が湧いた時。
自らに「どうして?」と思索した時。
ナルフは境界線がわからなくなった。
一言で呟く。
「終わった」
簡潔に当時のナルフを。
「そう思いましたし実際に細かいミスを冒すようになりました。このままでは遠からず命を落とすのは明確。…でも、それでもいいかもしれない。疲れてすり減って…。足は進んでも心が置き去りでしたから」
だが、そこに一縷の光が指した。
「ですが、そんな揺れ動いていた私に写ったのです。…いえ、そんな私だからこそ焼き付いた」
アイシャがアビーとチェチェンに無慈悲を働くそれが。
「アイシャ様が情け容赦なく裁きを下す絵。…死んだ弟の姿がチラつきました。チラつき、私に微笑んで…」
ナルフ…、お前は…。
お前はアイシャに失った弟を見て「この力が弟にあれば」とでも夢想したのか?
そして「弟は消えてない。生まれ変わりアイシャになった」とでも?
…それは自分勝手だぞ、ナルフ。
いずれアイシャが弟ではないと気付く。
その未来で泣くのは己だ…、と…。
…クク、そうか、ナルフ。
どうやら私こそが夢想していたらしい。
この女は悲劇の主人公などではない。
この女はそんな繊細な玉ではない。
この女は狙いを付けた獲物を貪欲に刈り取る。
手の覆いをずらして覗かせたナルフ。
「カカ!そうじゃな!!その場にヌシもいたのじゃからそれは当たり前よ!!」
沈黙していた猫様が「堪らない!!」と嘲る。
「アイシャの暴力的な魔力の発露を受けて飲まれない訳がないわいの!!」
なおも猫様は嗤う。
「ナルフ!ヌシも女なのじゃからな!!」
ナルフの顔は醜い愉悦に歪んでいた。
――――――――――
「あぁ…、アイシャ様はなんて素敵な方なのでしょうか。腐った奴らにその鉄槌を。あのお可愛らしいお姿で背筋が凍る残虐行為を。…魅力的なご尊顔でそれを楽しんでおられました」
ナルフは「うふふ」と上品に囀った。
だというのにその纏う空気は淀んでいる。
「原始的な暴力を。そう、アイシャ様は振るうのです。私達の事を「矮小」などと勘違いしたクズを捻り潰すのです。あれは…、美しかった…」
が、急展開が起きる。
そのタイミングでどうしてかは誰にもわからない。
けれども起こってしまったのだ。
両手で身体を抱いて一度だけブルッと。
ナルフが「はふぅ…」と身悶えたのだ。
それはさながら「達してしまった」とでも示すかの如く…。
え、どこにその要素があった…。
こ、こんな展開は予想していないぞ!
イカれた発想にイカれた性癖を醸している!!
横目でシャナ姉さんを探ればこちらも私と似た顔を。
イーナは…、何故か猫様とはしゃいでいる。
これはまずい。
「終わった後も凄かったのですよ?間を入れずにそれを引っ込めたのです。私にはわかります。あれは芝居ではありません。確かにその一面もアイシャ様なのです。あのお姿もアイシャ様なのです」
「あー、もういいぞ、ナ―」
「いえ!お館様!!ここからが良いところ!!是非ともお伝えさせてください!!」
風向きが変わった事に談話を止めようとするシャナ姉さん。
だが、それを食い気味に遮る当初とは別人のナルフ。
…そう、別人だ。
つい今しがたまでの黒さなど微塵も感じさせない清涼なそれに変容する雰囲気。
だけれども絶対に触れたくない鳥肌が立つそれ。
これは「聖母」なのかはたまた「性母」なのか…。
「あの怯えて潤んだ瞳…。アイシャ様は母に助けを求める赤子です。そして縋り付き「離さないで!」と叫ぶ哀しみの産声を響かせたのです!!あれを聞いて拒める女などいません!!…うぅん…、ふぅ…。私も飛び出してしまいこの温もりを分け与えたかった…」
ナルフはトリップした人前で出してはいけない顔でそう語った。
あっ、これは「性」の方だな。
じゃない!!
おえ!他人のイキ顔なぞ見たくもないわ!!
もしやこれが本性なのか!?
…私にはもうナルフがわからないよ…。
何よりも向かい側で「うんうん」と同意するイーナが目障りだ。
どうしてお前はそんな納得顔…。
イーナは猫様とこちらにやって来た。
そういえば先刻猫様は「ナルフがアイシャに飲まれている」という旨を発言していた。
つまりナルフのはまだ解除していないという事だろうか?
この明らかな後悔となる有り様は作為されたのか?
私が疑いの視線を向ければ嫌に艶っぽくウインクする猫様。
如何にして猫の姿形でそれが可能なのかはもう知ったこっちゃない。
そして私がそんなどうでもいい事に逃げていると動きがあった。
どうやらこれでこの惨劇は終わりらしくナルフが懇願するスタイルを取った。
やっと終わりが訪れたらしい。
…この短い時間で私は随分と老けた気がするぞ。
そしてある種息を吹き返した後にナルフはどうなるのか?
…もうどうでもいいか。
「どうかお願い申し上げます!お館様!!私にアイシャ様のお付きになる許可を!!誠心誠意お仕えします!!姉になります!!」
綺麗な土下座を決めてナルフは微動だにしない。
だが、そこには邪なものしか感じ得ない。
しかも「姉になる」と欲望を漏らした後のこれだ。
既にナルフの信用は地に落ちている。
しかし、これは使えるな。
表のナタリア、裏のナルフ。
アイシャの兵隊としてピッタリだ。
「お館様、嵌ります」
「うむ、カタリナ。…これは合格だな」
シャナ姉さんと小声で意思疎通する。
どうやら結論は一致しているみたいだ。
シャナ姉さんはゴホンと咳払いしてナルフににじり寄った。
私は決して近寄りたくないのでここで待機する。
ナルフはその身を強張らせるが、安心してほしい。
ちゃんと双方に利益のある取引だ。
まあ、どちらかといえば私達にマージンは多いかな?
「面をあげよ、ナルフ」
「はっ!」
その後の流れはナタリアの再生映像。
違いといえばナルフが了承し次に猫様が近付き何かした事。
そしてナルフが赤に青に変わってまた地に伏せたぐらいか。
ナルフだけ仲間外れはいかんからな。
これは善意だ。
だから先程の私の事は内密にな。
――――――――――
ナルフは求められなければ口を噤んでいた。
何しろ感情の浮き沈みの波がコントロール不能だったからだ。
そんな中身の大暴走の中でトップから会話を持ちかけられる。
志願した手前「今はちょっと…」とはナルフは断れない立場。
残された回答は「イエス」しかないのだ。
そのため奥深くに秘めていた弟の事。
近頃心身のバランスが上手く保てなかった事。
そしてトドメに非礼にも「姉になります」などと諸々ぶち撒けてしまったらしい。
理性を復したナルフはそれこそしゃくりあげて私達に侘びた。
30前半の最も多感な時期の女が羞恥心の限界を縦横無尽に暴れ回られた災難の結晶がコレだ。
…嵌められた事には気付いていような。
まあ、その前に私達も僅かにも…。
…かなりの本心を見せたのだからどっこいどっこいだ。
むしろ失望の度合いはこちらの方が確実に上だよ。
だから絶対に黙っとけ、ナルフ。
「すまなかったな、ナルフ。私も後から知ったとはいえ止めるべきではあった。…が、これが一番わかり易い」
「…アイシャ様のためですから。やむを得ないのはわかっています、お館様。私が生き恥を晒した結果お側に居られるのなら甘んじて受け入れます」
…これにてナルフはある意味最強になった訳だ。
以降表からも裏からもアイシャのサポートをしてくれるだろうな。
皆が皆笑顔の成果を勝ち取ったのだな。
うむ、そういう事にしておけばいい。
それでは通達事項を告げてこの「ナルフ」とはお別れだ。
次からは完全に赤の他人となる。
その任命をシャナ姉さんが行う。
「これからはナルフではなく「フレデリカ」を表で名乗れ。顔は…、特に化粧をせずそのままでいいだろう。今のままがアイシャには受けがいい。役職も適切なものを用意しておく。荷物を纏めろ。屋敷に部屋を与える。が、基本はアイシャの部屋の中か外だ。いいな?」
「それは本当ですか!?…はっ!拝命いたします!」
「よし。下がれ、フレデリカ」
「失礼いたします!」
ナルフが…。
いや、フレデリカが上機嫌でこの場を去って行く。
その余りの機嫌の良さに「ふんふ〜ん」と鼻歌を口ずさんでいる程。
まあ、アイシャの傍程居心地のいいポジションはない。
それを獲得すればさもありなんといったところ。
彼女の現状はまさしく「この世の春」か
――――――――――
症状の根本的な原因を聞知した。
しかし、それは私の中で今だ腰を据えている。
アイシャを欲しったままでいる。
…恐らく一生そのままであろう。
何よりアイシャが恣意的に仕組んだ事ではないし私がこの繋がりを望んでいるからだ。
そこに気味悪さなど些かも持ち得ない。
「シャナ姉さんはどうだ?」
「ふっ、バカにするな、リーナ。私はアイの母親だぞ?却って「責任は私にはない」と知れて小躍りしたいくらいだよ。…息子に「女」を出してしまうのをな」
「クク、シャナ姉さんもか。…私も安心したよ。クリスに顔向け出来なかったからな。そんな風にクリスに詫びて、自身に侘びて「慰めていた」のがなお辛かった」
私は狡い女だ。
自覚してなお貫こうとしている小狡い女だ。
一頻り自虐の笑みを浮かべたところでシャナ姉さんの表情が落ちる。
そしてゆっくりと唇を動かした。
「アイシャは「心の壁」を取り払いたいのだろうな」
シャナ姉さんが何もない空間を見つめる。
そして核心の一言を。
「あの子は嘘を恐がっているのかもな」
…要所要所で垣間見えるアイシャの怯えた瞳。
にっこりとしたそれの薄皮一枚下には疑念の塊。
私達が本当に「愛」しているのか覗っている。
「…シャナ姉さん、だからといってこの事はアイシャにも教えねばならないぞ」
アイシャは優しい。
臆していながらも寄り添おうとしてくれる。
不安がりながらも包容を受け入れてくれる。
では、それを解したアイシャがどうなるか?
私達のために距離を置こうとするやもしれぬ…。
「そして「愛」していると教えてやらねば」
だから何だ。
私が逃さなければいい。
こんなにも「愛」していると伝えればいいだけだ。
「はは、わかっている。そして「今までと何も変わらない」と痛い程に抱きしめてやらねば、な」
わかっていたが、シャナ姉さんも等しかった。
ならば何も悩みはない。
故にか私は気を抜いてしまった。
「ククク、私はオマケにアイシャにおっぱいでも…、あ。あ、いや、これは違う意味の「あ」であってだな…」
抵抗はした。
だが、敵わなかった。
私はシャナ姉さんに首をキリキリと絞められる。
アイシャとの秘密がバレてしまった。
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