40-特異性

 先程からの事変の原因を掴んだ私は大きくため息を漏らす。

 そして再度肺に満たしていく。

 猫様の「今まで」と「今」の言。

 そう、これはいつもの事だった。

 アイシャに惹かれてしまうのは常であり常であれば受け流せた事だった。


 しかし、今日はそれが強過ぎる。


 さらに波及してか種々に昂ぶりをぶつけてしまう。


「カカッ!リーナは気付いたか!そうじゃろう?余りにもおかしいじゃろう?さらに外野から指摘されねば辿り着けなかったじゃろう?のう?」

「はい、そのとおりです、猫様。しかしなれど自覚したとしてもこれを抑えきれる自信がありません。明らかに昨日までとは異なります。今の決意もアイシャを一目見れば容易に瓦解するでしょう」

「それは仕様がないのう。ヌシらは長期に渡りドップリと浸かっておった。またの、アイシャの魔法の発現と同時により強く発露されるようになってしもうた。妾でさえもこのざまじゃよ」


 そう言い猫様はまた巧みに頬を上向かせた。

 加えて腰をくねらせる。


 猫の腰はそこか…。

 何とも「猫とは一体…?」と思わずにはいられないな。

 いや、その中身は心得ているので納得は出来る。

 だが、あともう一歩猫らしく振舞ってほしいところではある、ぞ…。


 あぁ…、だから思考が安定しない。


 私達の会話でシャナ姉さんもハッ!とする。

 どうやらその意味に行き着いたらしい。

 そして見る間に血の気がさっと引いていく。


 とんでもないやらかしだったからな…。

 私は参加しなくてよかった。


 イーナは頬を赤らめ猫様同様腰をくねくねとくねらせる。

 その上「そんな…、やだ僕。…アー君に侵略されちゃう!」と夢見心地で気味が悪い。

 こいつは隔離した方がいいのではなかろうか?

 ナルフは紅潮し「そんなお館様達までも…」と独りごちている。


 最悪だ。


 私にまでナルフの目線が行った。

 これの仲間だと思われた。

 そしてそれにおいて否定が出来ない。

 …つんだな。


「もうわかったようじゃな。そうじゃ、アイシャは人の身を持つ女を意図せず蠱惑してしまうのじゃな。そこには肉親違わずの…。字面だけ見れば恐ろしい話よ。まあ!あの可愛らしさなら致し方ないのう!!妾も迸って堪らんのじゃ!!今日の夜は「久しぶりに」じゃな!!」


 本当に最悪だよ。



 ――――――――――


 アイシャの「特異性」か。


 特別な子だとは常々思い做していたが、それが異常な事だとは猫様に指摘されるまで疑いもしなかった。

 これはおかしいだろう。

 仮にも私が甥っ子に欲情する変態だとしても…。

 …実際そうだとしてもこれに気づける前例は多大にあった。

 娘達も「婚約者」だといってもあの年のアイシャに庇護欲以上のものを擁するなどと明らかだった。


 折々にして私のアイシャに群がるあのクソビッチ共もいたぞ!!

 本当に汚らわしい!!

 ああ!あの程度の処罰だけではなくもっと…。


 …そんな女性達もいたのだ。

 これを不審に思わない私達という絵が展開されている。


 そこに到達したのは私だけでなくイーナもらしく猫様に質す。


「トゥリエ様さ、最初「魂の波長」って言ってたよね?それで遅れたって。ねぇ、私達とアー君は何か違うの?怖いくらいに可愛いだけじゃないの?」

「カッカッ、イーナ、ヌシも言っておるではないか。…「怖いくらいに」とのう。それは普通感じる事か?単純な容姿だけの評価か?ほれ、どうじゃ?」


 イーナを含め私達はそれに二の句が告げなくなる。


「それだけで狂いそうな程に求めてしまうかや?アイシャの感心を得るために他を歪めてしまうかや?」


 答えははっきりしていた。


「その身に纏う実態のない雰囲気もじゃろが」


 アイシャから薫る耐え難き気配だ。


 私達の反応に猫様は満足そうに「フニャ〜」と一声鳴いた。


 …というのに一向に猫らしくないな。

 逆に不愉快に覚えるくらいだぞ。

 大人しくしていてほしい。


「妾もの、近頃はよく起き出しておったのじゃ。アイシャを愛で…。んん、見守るためにの」


 …何も言うまい。


 そこにツッコんだら返り討ちにあうからな。


「今まではそう思わなんだがの。この結論に至ったのは魔力が強く開放されたからじゃな。…あれは凄かったぞ…」


 猫様は身を震わせる。


「妾はアイシャの状況把握のため深くパスを繋げておった。何ものからも傷付けさせぬためにの。じゃが、それが災いした。通じて流れこんできたしもうたのじゃ」


 猫様は一拍置いて語った。


「…アイシャを手に入れるためにとんでもない事を仕出かしそうじゃったわい。それこそヌシ達を消し飛ばしてでもじゃ…。「呪」を掛けてアレを閉じ込めねば良からぬものを引き寄せておったじゃろうの」


 おぉ…、猫様でさえそのよう…。

 は?猫様は何と?


 猫様自ら「呪」の魔法を掛けた?

 


 ――――――――――


 アイシャが現下危ない状況なのか!!

 こうしてはおれんわ!!

 今すぐに!!


「なっ!?猫様!!アイに何かが!?アイは大丈夫なのですか!?」

「ぬお!?シャナ!!揺らすでないわ!!」

「クソッ!!今すぐにアイシャの元へと!!」

「ちょちょ!姉達ストップストップ!!もう僕達が会ってきたってば!!トゥリエ様が様子を見たから問題なしだよ!!だから止まれーー!!」


 猫様の前述よりシャナ姉さんと私はパニックに陥ってしまう。

 私はなりふり構わず出口へと向かいアイシャの元へと駆けようとした。

 が、それをイーナが邪魔をする。


 ええい!離さんかこのおバカイーナ!!

 いくら私がお前に甘いとは言っても限度があるぞ!!

 こうなれば爆裂―。


「ええ加減にせんか!!この早とちり姉妹!!こうなったらこうじゃ!!」

「「ぐえっ」」


 猫様のお力によりシャナ姉さんと私はうなじ側の襟がつまみ上げられた。

 それこそまるで子猫のように見事に私は吊り上げられてしまった。

 首が締まった私達は醜い濁音を上げる。


「…うわー…」


 加えてそれ見てしまったかナルフの引いた調子が耳に届く。

 冷静になった私はそれを理解し…。


 …終わった…。


 私は理解したくない現実を飲み込むしかなかった。

 自業自得とはいえ今日は本当に厄日だ。


 …あの、沈静したのでそろそろ降ろしてください。

 部下からの視線が痛くて吐きそうです。


 私達が正気を取り戻したところで内容に戻る。

 猫様によればアイシャの纏う魔力波長はすこぶる心地よいらしい。

 それは女を誰彼構わず招き寄せてしまう規模である程に。

 以前私はこれを「さながら誘蛾灯のようだ」と茶化した事があった。

 が、まさかそのとおりだったとは…。


「まあ、妾がこれからはアイシャに付きっきりでいてやろう。これでその体質も少しは堰き止められるじゃろう」

「…トゥリエ様が一緒にいたいだけじゃないのかな?」

「それもあるのじゃな!!…本当に呪を掛ける必要はあるのじゃよ?」


 …猫様の事情はともかくこれでアイシャに近づく女共を減らせる訳だ。

 ならば歓迎すべき事柄だろう。

 若干癪に障るのは受け止めよう。


「アイシャの体質。それにその解決方法もわかりました。猫様の助力が必須である事も。…では、そろそろアイシャが連れ去られた時の詳細を話しましょう、お館様」

「…うむ、そうだな。また追々詰めよう。ここで焦る必要性はないな。よし、イーナ、頼めるか?…もう戯れるなよ」

「オッケ!シャナ姉との「約束」もあるし僕もちゃんとお仕事しないとね。ナルフからの尊敬も消えちゃうからね」


 イーナ、それは既に消し炭だぞ。



 ――――――――――


 イーナからの報告は予期せぬものだった。


「…イーナ」

「なーに?シャナ姉。どっか不足してた?」


 イーナは小首を傾げる。

 どうやらシャナ姉さんが問い質したい事に本気で当てがないらしい。

 正しく思考の埒外であるみたいだ。

 そのため私はシャナ姉さんの肩を掴んで抑える。


 この距離でなければ気付けない程であったが、確かに魔力が練られていたからだ。


「お館様、ここは私が聞く」

「…すまない、カタリナ。頭が沸騰しそうでな…。頼んだ」


 私の意を理解してシャナ姉さんは委ねる。

 しかし、返答の際はこちらに一瞥もくれない。

 くれずに射殺さんばかりの眼光を湛えてイーナを映していた。

 後数秒遅れていたら危なかった。

 その迫力にはイーナもたじろぐ。


「な、なんなの姉達…。僕きっちりこなしたよ?全部丸く収めたでしょ?アー君が魔法に目覚めた後暴走して自傷しないように見守ってたよ?完璧だよね?…そうだな?ナルフ」

「…え、ええ。私も同時に着いてましたが、抜かりはなかったかと。総括は見事な手際でした。僭越ながら私も感心いたした程です」


 ナルフの補助を受けたイーナは「ほらね」といわんばかりの得意顔をこちらに向ける。

 そこには悪びれた様子など露程もない。

 イーナもナルフも確実に仕事を達成したと言い張る。


 シルビアが死にかけたにも関わらず。


 アイシャが回復魔法を掛けていなければ正しくそうだった。

 つまり彼女らにとってシルビアはその程度のものだった。


 この対応ナルフはまだわかる。

 シルビアのデータなど書面でしか得ていない。

 そこには「アイシャの側仕え」としてしか記載されておらずまだ婚約者としての公表はしていない。

 シルビアに「最終的な死」の危険がなければアイシャの身の安全の確保を優先するのが自然だ。

 彼女らなら対象が束縛され抑制下にあってもそこの線引は計れる。


 しかし、イーナだ。


「イーナはしばしばアイシャの影にいただろう。であるならシルビアの重要性を理解していたはずだ。…そうだな?」

「んん?あの子の事?…あー、そうだねー、わかってるよー。あの子を「アー君が大切にしてる」ってね。で?ちゃんと生きてるでしょ?じゃー、異常なーし。…でしょ?」


 私の問いかけにイーナは肩をすくめて答えた。


 …なる程な。

 お前のゲスな訳は汲み取れたよ。


 お前わざとシルビアに一時的な重症を負わせたか!!


 シャナ姉さんがギリッと歯を食いしばった。

 それを聞き私は隣に吸い寄せられそうになった心胸を己の内に閉じ込めて制御する。

 ここで私までも激高しては本格的に進まなくなってしまう。

 私は内に壁を築いてこれに対処する。


「何故だ?どうして一歩間違えれば「見殺しになる」ような事をした?」

「だ、か、ら。あの子ちゃんと生きてるでしょ、リーナ姉。それにアー君の盾になるのがあの子の仕事。それをさせてあげたの。死なない具合ならこっちもちゃんと調整してるよ。はぁー、現場にいた私がそう言ってるの。椅子に座って踏ん反り返ってた人が口を挟まないでよ」


 というのに私の砦はあっという間に瓦解してしまった。


 私は素早く魔力を形作り円環を生み出す。

 イーナも予想していたようで迎撃体制となる。

 どうやらその程度で私を止める気であるらしい。


「意識の外からならともかく正面での撃ち合いで私に勝てるとでも?」

「ハンッ!やってやろうじゃん!!目に物見せてやる!!」


 チッ!この小娘が!!

 お前など恥さらし以外の何物でもないわ!!

 もう我慢などならん!!


 私が遂には手を出そうとしたその時。


「カカ、早速飲まれとるではないか。リーナもイーナも醒めよ。それこそ人死が出る事態に派生するぞ?」

「…へ?猫様?」

「あれ?僕」


 猫様が私の肩に乗り尻尾でペシペシと頭を叩き、そうとぼけた。

 ややもすれば赤に染まったそれが薄らいでいく。

 私は自身を俯瞰的に捉える事が出来るようになった。

 つまり私は妹であるイーナに…。


 理解した途端私は一気に顔色が真っ青になる。

 同時に寸瞬前の自分に吐き気をもよおす。

 それは向かいのイーナもだ。


「やっ、やっちゃったよ。ぼ、僕、僕、シルビアに。アー君にも拷問なんてさせ…、あああぁ!!ぼ!!ぶっ」

「ヌシもじゃ、イーナ。うるさいわ」


 が、私達の恐慌はほんの数秒だけだった。

 声を挙げようとしたイーナに猫様が頭突きして強制的に黙らせる。

 その余りの間抜けさに私は呆けてしまった。

 イーナも痛みに意識が逸れた事で我に返る。

 これが正常なのか。

 思い起こせば今日の私達は普段よりも気持ちの整理が付かない。

 これは想像以上に大変な局面ではないのか…。


 それこそ猫様が嘯いた「人死が出る」事態だ。


「猫様…、これが呪をしなければならないその本質ですね?」

「ほう?シャナは自力で解いたか…。そうじゃ。アイシャへの色欲に独占欲。それに付随する事象への攻撃性が高まるのじゃな。…覚えがあったかの?」

「はい、恥ずかしながら。私も一度シルビアを排除しようとしました。…アイシャに悟らされましたよ」

「…そうか。まだ弱い内より耐性が付いたようじゃな。さあ、皆よ。事の深刻さはわかったかの?心して掛かれよ」


 私はここに来る前にアイシャへの見舞いで一度会っただけ。

 それもアイシャは疲労から眠っており会話も何もない。

 それだけでここまで溺れる。

 先程は猫様が何やら対抗措置をしてくれたと聞き納得したが、結局はこの無様である。

 アイシャとその周りにいる娘達は今どうなっているのか。


「不安気じゃの、イーナ」

「…すみません、猫様。信用していない訳ではないのですが…。と」

「はは、やむないさ、カタリナ」

「お館様…」


 シャナ姉さんは朗らかに一笑すると私の背を撫でた。


「あの子達の元へと駆け付けたいのは私も同じだよ。しかればそのために早いところ終わらせてしまおうか」


 …そのとおりだな。

 母親が不安になっては子にもそれは伝播してしまう。

 ならば私はふてぶてしい程にどっしりと構えるべきだ。


 よし、とっととアイシャの元へと行こう。


 では、最後の題目だ。

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