36-真相
軽いノックがする。
「入ってくれ」
今はそれでさえ煩わしい。
「失礼す―」
「いいから早く掛けろ」
「…ふっ、荒れているな、リーナ」
私の態度にシャナ姉さんが苦笑しつつ席に着く。
その素振りが私をさらに苛立たせる。
…どうしてあのようなマネが出来るのだ?この女は。
私はもう我慢ならなかった。
「…おい、リーナ。なんのマネだ」
シャナ姉さんの胸元を掴む。
たとえ妹といえどこの場は領主と代官の立場で設けている。
このような狼藉は決して許されない。
だからどうした。
「シャナ姉さん…、あなたは…」
私の言いたい事がわかっているのだろう。
シャナ姉さんは先程の咎めるような姿勢をなくす。
そして私の罵倒を受け入れる体勢を作った。
受け入れるのが当然と取ったのだ。
だからどうしてあのようなマネが出来る!!
アイシャはもう私の子といえる存在だ!!
それを!それを!!
私は爆発した。
「アイシャを!!エサにしたな!!」
獲物をおびき寄せるための!撒き餌にしたんだ!!
キッドマン家領軍があのような馬鹿げた振る舞いをするはずがない。
あれ程大規模な違法魔道具の持ち込みを許すはずがない。
そんな下手を打つ間抜けがいるならば私が直々に斬り殺してやる。
あり得ない!!
「奴らが門を抜けた際の記録がない。森での兵の配置も当日にずらされていた。おかげで深層の魔物の出現に、下層の魔物の擦付けにも対応出来た。死傷者が「奇跡的」にも出なかった」
全てが細工されていた。
全てがシャナ姉さんの予定どおりだった。
「どうせ双方に常に監視も着けていたのだろう?万が一など絶対に起こり得ないようにな。私にそれが届かないよう暗部まで使ってまでアイシャを…。…私の愛する子を」
事が起きてから収束するまでが早すぎる。
その日の内にアイシャの身は保護されたのだ。
また、奴らは「魔物避けの粉塵」を用いてアイシャを確保後その場を辞した。
たとえ上層といえどもなりふり構わずに魔物がやってくるのだ。
設備自体にも被害がゼロなどありえない。
そんなあり得ない事が起きた!!
「何故だ?せめて計画だけでも何故私に伝えない?」
私の詰問にとうとうシャナ姉さんも白旗を上げる。
だが、それは私の求めた回答ではない。
シャナ姉さんは表情を歪ませて私に話す。
「リーナに言えば止めただろう?」
…何を言っている?
そんな事…。
そんな事は当たり前だろうが!!
私の手に力が入りビリッとシャナ姉さんの胸元の衣服が破ける。
それに対して「おっと…、駄目だぞ、リーナ」などと嘯くのが何と形容すればよいのか。
これがアイシャの生みの母親なのか?
こんな女の元にアイシャは生まれなければならなかったのか?
ふざけるな!!
ならば私の子としてこの腹に…。
「当たり前だろうが!!物事に絶対などはない!!何にでも不測の事態は発生する!!それでも母親―」
「そうだ!!アイの母親だからだ!!」
私の罵倒にそれを上回る勢いでシャナ姉さんが返す。
それはまるで今まで溜め込んでいたものを吐き出すが如く。
シャナ姉さんは止まらない。
「アイの母親だからだ!!絶対に傷付けたくなどない!!部屋に閉じ込めて全ての危険から遠ざけたいさ!!」
ならば…。
ならば!!
「ならば何故だ!?死んでいたかもしれないのだぞ!!」
「死の危険性など何にでもある!!それこそ潜りなど!!」
「ふざけるな!!それは当たり前だろうが!!私が言いたいのはむざむざとやられるような事態を手招きした事だ!!」
「ではどうしろと!?それこそ常に私かお前が張り付いているか!!どうだ!?我が子の夜伽にもついて回るのか!?ここに入れるのだと教えるのか!?こう腰を振れとな!!ああ!!」
「何をでまかせを!!そん…」
扉の外に気配が近づく。
流石にこの声量では漏れてしまうだろう。
「入っていいぞ」
「ここは私の―」
「答えを知りたいのだろう?リーナ」
シャナ姉さんが今しがたまでの空気を霧散させた。
…従うしかないだろうな。
この件の理由を把握したいのが私の本懐だ。
ここで苛立ちをぶつけるのが目的ではない。
ならば私はシャナ姉さんから手を放すしかない。
「…わかった。おい、入れ」
「失礼します」
館の主である私の言葉を待っていた人物に許可を出す。
扉を開き恭しく頭を下げると彼女は顔を上げた。
彼女は命を捨てる顔をしていた。
ああ…、お前がその覚悟をする必要などないというのに…。
すまない、本当にすまない。
この地位にいながらこのような失態をお前に演じさせてしまった。
彼女は私達の前に来ると再び頭を下げた。
シャナ姉さんが口を開く。
私も呼び出された都合上シャナ姉さんがこの空間での主人だ。
私に主導権はない。
だからこそ歯噛みする。
「よく来てくれたな」
そう言いシャナ姉さんは視線を飛ばす。
じっくりと上から下までを。
この時この女…、シャナ姉さんが私には悪魔に見えた。
「ナタリア」
アイシャの護衛官のトップ。
ナタリアは終を決心していた。
「はい、お館様」
ナタリアの弁は続く。
「我が剣に血を捧げます」
そして罪人の言葉を告げた。
――――――――――
「お前がそれを言葉にする必要はない!!私が把握していなければならなかったのだ!!ナタリア!!」
「いえ、確かに謀が合ったのは事実でしょう。ですが、現場においてアイシャ様を攫われたのは私の落ち度です。それこそまさに「事実」となります」
「そんな作為された事実など!!わた―」
「黙れ!!カタリナ!!」
「ッ!?何を偉そうに!!おや―」
「そうだ!!お館様だ!!お前は今どの立場でそれを吐いている!!」
それを言われてしまえば私には発言権がなくなる。
これではナタリアの擁護を出来なくなってしまう。
だというのにナタリアは薄く笑みを浮かべて首を振った。
…本当に腹立たしい限りだ。
しかし、しかし…。
主人に対する誓の言葉「我が剣に血を捧げる」には二通りの意味がある。
1つは単純に士気高揚のために。
だが、もう一つにはそのような正のイメージを持たない。
問題を起こした領軍兵士が主人の前で頭を垂れて行うそれ。
そこには負の感情しか持ちい得ない。
それは最も重い言葉となるからだ。
刑罰によりその首を落とす時に誓うのだ。
シャナ姉さんがナタリアに命令する。
ナタリアはそれに片膝を着いて応じた。
まるで「いつでも首を落とせるように」と。
「ナタリア、事実のみを述べよ。あの瞬間何が起きた」
「はっ!お答えいたします!」
この時間は必要ではない。
既に私達の手にはみっちりと書かれたレポートが届いている。
それこそ現場を脳裏に思い浮かべる事が可能な程だ。
それと照らし合わせてナタリアの報告には一点の嘘偽りもなかった。
それは自身の保険に関してもだ。
そんな彼女を私達はコケにしたのだ。
「それが全てか、ナタリア」
「はい!全てであります!」
であれば下される沙汰は一つだけだ。
シャナ姉さんは懐刀を取り出す。
そしてナタリアの方へ歩き出した。
「お館様!!これは余りにも不当な判決です!!こんな事が―」
「カタリナ。私は何と言った。黙れ」
シャナ姉さんの静かな声に私は口をつぐんだ。
そしてそれを見つめるだけ。
…というのも明らかに厳罰に処す雰囲気ではなかったからだ。
実際判決を待っているナタリアも目を白黒とさせている。
…どういう事だ?
シャナ姉さんはナタリアの前で止まる。
そして刃を抜かずにそれをナタリアへ差し出した。
「ナタリア・ロンド」
「は、はっ!」
「主家の子であるアイシャを攫われた罪は重い」
「はっ!」
「よってお前に与えた地位、全てを剥奪する」
「…はい。ありがとうござい―」
「だが!」
シャナ姉さんはナタリアの返答に被せるようにして続ける。
それは失態を詰めるものではなく…。
「だが!これからは護衛官の任を解きアイシャの側仕えとする!!活躍を期待しているぞ!!受け取れ!!」
主君が剣を与える。
それはその下にいる者にとって最も栄誉ある行為だ。
それを拒否するなどそれこそ懲罰ものとなる。
まあ、もちろんナタリアはこれを受理するが。
これは…。
「は、はい!!ありがたく頂戴いたします!!」
「ああ、これからもアイシャを頼んだぞ。今後は常に張り付いてくれ」
「はい!!寝食を共にいたします!!」
それはどうだろうか?
少し違うのではないか?
私の疑問を解決してくれる者はおらずシャナ姉さんの「もう行っていいぞ。アイの傍にいてくれ」にナタリアは元気よく返事をして出ていった。
それをおかしそうに見つめている私の目の前の人物。
なる程、シャナ姉さんにとっては大層都合がいいのだろう。
…これは出来レースだ。
キッドマン家領軍において最大の個人戦力をアイシャの私的な護衛に出来た。
つまり、ここまでが仕組まれていた事だった。
ナタリアはそれ単体で大森林ジュマの深層を踏破出来る存在だ。
戦闘行為全般に長けている訳ではない。
が、万全の体勢のナタリアを害せられるそれなどこの世界で私達ぐらいしかいないのではないだろうか?
それを領主とはいえ私的に流用などは出来ない。
ましてや24時間拘束すれば確実に反発が起きる。
それは命を賭けている職場において手を奪うのに等しいからだ。
…いや、起きるか?
アイシャの側に付きっきりならば私だって喜び勇んで手を挙げるが…。
「だったら自分も!」という者で溢れるのでは?
皆当然の采配だと納得するのでは…。
それこそ逆に反発が…。
ええい、それは今関係ない!
とにかく最強戦力を手に入れたんだ!!
アイシャの身の回りをほぼ完璧に出来た訳だ!!
…何だかなぁ…。
「図ったな、シャナ姉さん」
「ふっ。これが領主というやつだ。いつもアイに言っている「清濁併せ呑む」だな。アイにはリスクもあったが、遥かにリターンが大きかった。ナタリアだけではなく、な」
「だろうね。はぁ…、何だか先程までの怒りが白けてしまった」
「…落ち着いたか。私もすまなかった」
シャナ姉さんがやっと冷静さを持った私に頭を下げた。
確かにこれを予知してなければ私には何を言っても無駄だったな。
「私に伝える際に誰が聞き耳を立てているかなどわからないか。リスクを最小限にし敵が「勘違い」してくれるのを待つ。味方を騙す事で奴らが「かかった」とな。勝算の高い「賭け」だった。ほぼ勝ちだった」
「そうだ。確かに「賭け」だったさ。だからといって赤子のように抱きしめたままではいられない。私達の周りは止まらない。先を見据えていなければならない。…アイが1人で立っていなければならない」
子供はいつか巣立っていく。
それを親が拒むのはおかしい事か。
そのための試練ならば。
…優しい試練ならば。
この先に待っている「地獄」を切り抜けるためならばこの程度は致し方ない、か。
「苦肉の策だったが、上手く嵌ったぞ。情報を掴め、大義名分を寄越してくれた」
「そうだな。これで心置きなく出来るわけだ」
シャナ姉さんに私はキッドマン領の長年の悩みであったそれを返す。
そうだ、これで整った訳だ。
ずっと待っていたそれをやっと私達は手に入れた訳だ。
「まだまだ水面下だが、これで下準備を始められる」
「あぁ、アイシャが狙われたならばこちらは手を出さざるを得なくなる」
シャナ姉さんが私に顔を合わせる。
そこには堪え切れようもない憤怒が滲んでいた。
それはそうだろう。
その身を犠牲にしてでも構わない愛する子を使ったのだから。
「シャナ姉さん、私は…」
「いい。リーナのそれは当然だ。私も私を許せない。だが、決断したのだ」
ぎぎっと拳を握りしめる音がした。
そしてシャナ姉さんは静かに発する。
しかし、それはやけに大きく響いた。
「始めるぞ、戦争を」
キッドマンに集る蝿を、蛆を蹴散らす。
我が子達の未来のために。
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