32-ハローくそったれな奇跡

 酷い振動が私を襲う。

 全身がゴワゴワとしたもので覆われており顔にチクチクと当たって鬱陶しい。

 さらに匂いだ。

 薄く、腐った野菜のようなカビ臭さが襲ってくる。

 それらの三重奏が私にのしかかって責め立ててくる。


 …何だか頭が働かないな。

 私は先程まで森にいたはずだけど…、眠っていた?

 それに感覚から移動している?

 確かシルビアに抱っこされていて…。

 それでどうなったっけ?

 えーと…、蠍?大きな蠍が…。


 はっ!?


「んむー!?ん!ぐふぅむー!?ぬぬっ!!」


 意識がはっきりと浮上し私は状況を思い出す。

 アビーとチェチェンという二人組が用意周到に待ち構え私達を罠に掛けたのだ。

 加えて魔法陣により魔力放出が出来ず身体強化のみしか利用出来ない環境での強力な深層の魔物が出現。

 タリアが指令してタリア、護衛の8名で一体ずつ対応した。

 他はアビーとチェチェンに向かったはずだ。

 私はシルビアと共に2点の中央に位置して…。


 そうだ!

 足元に何かが投げつけられて煙が舞ったと思ったら意識が朦朧としたんだ!

 シルビアも立てなくなってそのまま…。

 シルビアは!?

 シルビアはどうなったの!?

 どこにいるの!?


「んー!ぐく!むぐ!!うんうう!!」


 現在私は袋に入れられている。

 そしてそれがまた何か硬い物に。

 視界が利かず口に布を噛ませられて声が出せない。

 両腕、両足共に縛られている。

 魔力も練ろうとした途端に霧散してしまい身体強化が使えない。


 さーと血の気が引く。

 もし私の真正面に鏡があったならば蒼白となった顔が写った事だろう。

 私はつい最近というより昨夜にこの現象について思考していた。

 それだけに飽き足らずそもそも同様の効果を持つ物を常に身につけている。

 私の首に巻き付いているそれ。


 抑制具が私に着けられている。


「うっ、うっ、うっ…」


 お、落ち着け…、落ち着いて息を…、す、吸うぅ…。

 で、でも何か…、これ、は、初めて?


 自身で精神を安定させようとするが、そう単純に済むのなら前世で精神科医など存在しなかっただろう。

 状況を脳が認識していく程に私の体は強張り肺に送られる空気の量、速度が不規則になっていく。

 だというのに私は全身を拘束されているこの状況にパニックになりつつも…。


 どこか既視感を覚えていた。


 な、何でさ…。

 何でそんな、あの時よりもマシだなんて…。

 …そんな訳ないよね。

 私は初めてだ…。

 初めてのはずだ!!


 皮肉な事だ。

 自覚のない、けれども確かな体の体験談に先程までの焦りが別のものに置き換わっていく。

 そしてその強烈な感情の爆発に私は意識を失った。

 だが、それは救いではない。

 新たな絶望の幕開けだった。


 正しくは「1回目の人生」の絶望か。



 ――――――――――


 逃げ出したツケを払う時がきたのだ。

 アイは知っているぞ。

 全部が合わさって私を構成しているのだからな。

 愛達とアイではなく5人で私なのだから。


 5人でアイシャを構成しているのだから。



 ――――――――――


「やっとつかまえたぞ、アイ。」

「ずるいのはだめだよ、アイ」

「おいていかれるかと思ったわ、アイ」

「都合がいーのは終わりだぜ、アイ」


 アイの頭の中に静かに言葉が紡がれる。

 1人の体に4人の口調。

 ここにいるアイを含めれば5人が存在した。


 頭上よりアナウンスがされる。


「大変長らくお待たせいたしました。これより愛の最後の記憶を上映いたします。只今よりご入場を開始いたします。チケットはございません。お客様はあなたお一人「アイ」だけなのですから。劇場入口までお越しくださいませ」


 アイの体が独りでに歩き出す。

 いや、確かに動かしている。

 それがアイでないだけ。

 4人の内の誰か。

 もしくは5人全員でか。

 そしてアイは扉をくぐり抜ける。


「ここは…?」

「アイの心の中。そこの映画館だよ、アイ。ほら、もうすぐ上映されるよ」


 自身に問いかけ、自身で返す。

 そんな事しなくともわかっているくせに。

 アイの体が座席に深く腰掛ける。

 これ以上は動かない。

 動かせない。

 体が背もたれに倒れ込む。

 目に留まった座席番号は「I-19」。


 節々に眼球だけを移動させて視線を向けるとそこに糸があった。

 糸はそこから伸びてアイの指先に。

 糸はすでに絡まっている。


 アイシャを使った「人形遊び」だ。


 5人の意識に1人の体では操れようはずがない。

 もうアイは踊れない。

 もうアイがアイシャではいられない。


 ライトが落ちる。


「ご覧あれ、アイ」


 誰が口を動かしてる?



 ――――――――――


「う…、ん?わっ!?何しやがる!止めろ!離せよ!!」

「そんなの聞かないに決まってるじゃーん。あはっ!」


 ガチャン!ガチャン!と鳴らすが、手錠でベットに繋がれた両腕はほんの少ししか動かない。

 両足も同様に可動域がとれずお腹も何かによって押さえつけられている。

 首にも固定具が回されており自身の体を視界に納められない。

 私は裸で拘束されていた。


「うんだよこれ!?いってぇどうなってんだよ!?」

「もう。起きた途端にうるさいにゃー、愛ちゃーん」

「!?だ、誰…」


 女の声が聞こえる。

 いや、今気付いたが、先程も確かに私に反応を返していた。

 ただ、目覚めた時の余りの惨状にそちらに意識が向かなかっただけだ。

 意識の覚醒と同時に四肢が動かない。

 さらに驚いて動かせば明らかにその箇所が圧迫されたのだ。

 誰かに捕まっていると考えるのが自然だろう。


 私は情けない事に声を掛けられたと知覚すれば体に力が入らなくなってしまった。

 問い返すそれも最初の勢いがどこに行ったのかといえる程に怯えきったものだ。


 どうして――さんがここにいる?

 それと私の状況に関係があるのか?

 あの目は私をどうしようとしている?

 何故か覚えがあるあの瞳の光は私をどうする?


「あれ?気付いてなかったんだ。や、愛ちゃん。あたしが誰かちゃんとわかるかな〜?」

「な、なんで…。なんで――さんが…」


 変化は劇的だった。

 ドンッ!と私の頭の横に拳が叩きつけられた。


「――さんじゃねぇーだろ!!――って呼べよ!!あ!?」

「ひっ…」

「あたし達は恋人だろ!!お前は恋人にさん付けすんのかよ!!名前で呼ばねぇのかよ!!ちげぇだろ!!おい!!言ってみろ!!」


 彼女はつい今しがた前。

 ましてや会社での様子とはまるっきり逆の態度で私に怒鳴りかかる。

 私は目の前の現実が理解出来ない。

 理解などしたくない。


「聞いてんのかよ!?愛!!おら!!言え!!「ひっ!」じゃねんだよ!!」

「うぇ…、ご、ごめんな―」

「ちげぇつってんだろ!!バカかよお前は!!愛!!」


 訳がわからない。

 眠りから覚めればこの状況で。

 なおかつ恋人でも何でもないただの会社の同僚から鼻がくっつく程の距離で絶叫される。

 私は恐怖から全身の震えと涙が止まらない。

「ふっ、ふっ」と息が整わない。

 私の怖気を感じ取ったのか――の態度がまたしても急激に変わった。


「わ…、えっとね…。あー、ごめんね、愛ちゃん。そんな怖がらせるつもりじゃなかったんだよ?だってね、愛ちゃんが悪いんでしょ?あたしの事を他人行儀で呼ぶから。ほら、怖くないよ。大丈夫だよ」

「う…、うう。ひぐ…」


 彼女は酷い猫撫で声で私をあやしにかかる。

 だからといってそんな事をされる方が恐ろしくて堪らない。

 ――は抱き着いて来、私の頬や頭を撫でながらも喋り続ける。


「あ〜ん。泣いてる愛ちゃんもか〜わいい〜。食べちゃいたいな〜。…食べちゃお」

「んん!?」


 彼女が私の唇に舌を這わす。

 それだけに留まらず全体を押し付けて内部にまで入り込んでこようとする。

 抵抗しようとしたが、きゅっと口をつぐめば「おい。開けろ」と低い音で脅された。

 …私は諦めて力を抜いた。


「ん。ん…。んむ。ぷはっ!…すご…。キスってこんなに甘いんだ…。あはは〜、き!もちいい〜!!もっとしよ!?ね!?愛ちゃん!!」


 私はそのまま貪られる。

 顔が長い髪に覆われ判別としない。

 何故か何度も体験した光景だとわかる。

 だからもう何もしない。

 私が受け入れていればそれ以上の悪い事は起きない。

 相手が好きなようにしていれば痛い事はないから。

 …暫くして光が戻ってくる。

 粘性を帯びた糸が橋を築き、解けて私の頬に落ちた。

 それは妙に生暖い。

 これが現実なんだと教えてくれた。

 ――が私の体にその指先を這わせる。


「にしても愛ちゃんは痩せ過ぎかな〜。アバラが浮いちゃってんじゃん〜。でも、大丈夫だよ。これからはあたしが食べさせてあげる。全部全部、あたしがしてあげる。どこにも行かせないよ。逃さないから。…これにどれだけ金かけたと思ってんだ。残った金のほとんど使ってよぉ。でも、愛ちゃんを手に入れるためだから。…なら、いっかぁ〜」


 右から左へ言葉が流れていく。

 私の頭は思考を放棄する。


「愛ちゃんは女の子見たいで、しかもすっごく可愛いのに男の子なんだよね。実際男の子のが付いてるし。脱がすまで「本当かな?」って思う程だったよ〜。それに背もちっちゃいからね。で〜も〜、あそこはかっこよくて素敵!…これ、あたしのに入るかな…?うーん?初めてだから道具で慣らした方がいいのかな?どう思う?」


 わからない、何も。


「え?愛ちゃんが破きたいの?もう!エッチー!うふふ。わかった。じゃあ、初めての交換しよっか!てか、愛ちゃんはあたししか知らないよね?そんな汚い子じゃないよね?浮気してたお父さんやお母さんとは違うよね?あんなクズ共死んで正解だよ。そんで迷惑料を貰うのは当然だろ。全部愛ちゃんを捕まえるのに使ったんだよ?」


 聞こえない。


「どうかな…。えへへ、恥ずかしいね。人に裸を見せるなんて初めてだよ。けど…、愛ちゃんならいいよ。あたし結構男の人に人気らしくて、告白もかなりされたんだ〜。顔はそれなりに自信あるけど、体はどう?あっ!愛ちゃん以外からそんな目で見られるのは気持ち悪いだけだよ!!あたしを見ていいのは愛ちゃんだけだからね!!全部ちゃんと断ったんだよ!!あたしちゃんと処女だよ!!」


 写らない。


「愛ちゃんはね、大、大、大人気なんだよ。会社の女子のグループで愛ちゃんで潮だしたってキモい奴らがいっぱいいてさ。愛ちゃんはあたしのだってーの。あいつらスクショしたから今度晒してやる。ほんと、めっちゃ多くて引いたよー。あと、男の人にも人気って噂あったなー。キモいよねー。で、も、今日から誰にも愛ちゃんは…。見せないから」


 消して、――。


「てか、愛ちゃんは言葉遣いが悪過ぎー。そんな事しても可愛いだけだぞー、こらっ。態度も冷たいから近寄ってこないけど狙ってる奴はすっごく多いんだぞー。「無理矢理やってしまおう」って話してるクズもいたんだよ?ある程度は近づけて自衛しとかないと逆効果だよ?…だから無理矢理するしかなかったんだよ?あたしがすっごいアプローチしたのに愛ちゃん聞いてくれないんだもん。しょうがないよね?」


 記憶からなくして、――。


「うぐ…。うん…。ぷふー。やった!おっきく出来た!!気持ちよかったんだよね!?う〜!うれしー!!…私も…、もう濡れてるや…。えっとここだよね?よしっ!!…大好きだよ、愛ちゃん。じゃあ、入れるね。あっ…、こんななんだ…。ううん…、ちょっと痛いかな…。愛ちゃんは気持ちいい?なら、頑張るね、あたし」


 上書きして、――。


「…ありがと、愛ちゃん。最初は痛かったけど途中からあたしも気持ちよかったよ。ねぇ、赤ちゃん出来るかな?一回だと確率低いんだよね?愛ちゃん、まだ出来る?頑張れる?…なら今度は愛ちゃんが上になって動く?…動けるよな?なあ、愛!お前が動くんだよ!!あたしを気持ちよくさせろ!!」


 本当を捻じ曲げて、――。


「あん!あん!!んん!!…かふっ。…もう、激しいよ、愛ちゃん。気持ちよかった?今日もいっぱい出してくれたね、嬉しい。じゃあ、お風呂行こっか!今度は一緒に浸かりながらしよう、よ!?ん!?んぅ!?愛ちゃん!?」


 何かが何か言っている…。

 いや、集中しないといけない。

 今は腰を動かし続けないとまた殴られる。

 とにかく何度も出さないと。

 …あれからどれ位経ったんだ?


「もーおー、我慢してー。んっ。あ、ちょ、あ!…ま、待って!愛ちゃん!!今だめだから!!一回離れて!!んあっ!?お!おい!!愛!!離れろって!!」


 下腹部の暖かさがなくなる。

 よくわからないけど私は動かさないと。

 前ここで止めたら「出すのが仕事だろ!!」ってベットに縛り付けられて無理矢理された。

 もう出来ないと言っても「早く勃たせろ!お前は出すだけでいいんだよ!!」って痛くなっても続けられる。

 自分で動けれる自由だけでも…。


「…おい、聞いてんのか、愛。いつまで腰振ってんだよ。お前の外に出てんだろ。擦り付けてもあたしは気持ちよくねぇだろうが。あたしは赤ちゃん出来ねぇだろうが。…おい!?出てんじゃねぇかよ!!勿体ねぇ事してんじゃねぇよ!!愛!!」


 鈍い音と共に体が宙に浮く。

 軽い私の体は簡単に吹き飛んだ。

 ガン!と台所の棚にぶつかり私は倒れてしまう。

 衝撃により上から物が落ちてくる。


「え!?ご!ごめんね!ごめんね!ごめんね!!蹴るつもりじゃなかったの!!本当なのよ!?愛ちゃん!!あ、愛ちゃんが言う事聞いてくれないから…。でも、もう大丈夫だよね?いい子に出来るよね?愛ちゃんはちゃんと中で注いでくれるよね?」


 私の心の中で何かが溢れた。

 だからか思わず私はそれを手に取った。

 取ってしまった。

 私は振り上げて。


 振り下ろした。


「えっ!?だめ!!愛ちゃん!それ離して!!いやーー!!死んじゃう!!そんな!!いや!!いやだ!!」


 そうだ、全部夢だ。


「止まんないよ!!血が止まらない!!やだ!!」


 お父さんとお母さんは小さい頃に事故で死んじゃって。おじいちゃんとおばあちゃんが中学校まで育ててくれた。

 でも、また死んじゃった。


「だめ!!絶対だめ!!」


 それで会社で嫌な上司達に会って耐えられなくて。

 私も死んじゃったんだ。

 これで「偽物」が「本物」になるんだ。

 うん?何が偽物?本物?

 もう関係ないよね。


 だって終わりなんだから。


「愛ちゃんが死んじゃう!!」


 バイバイ、大嫌いな世界


 バイバイ、大嫌いな私。



 ――――――――――


 深い深い水の底。

 そう思える程に溜まった記憶の劇場に私は沈みそれを見上げていた。

 主人公は愛。

 周りを見渡せばスクリーンではなくとも映像が流れていた。

 そこでも主人公は愛。


 これは誰の記憶?


 流れていく景色に映る者達。

 登場したのは愛と――、――ちゃんに――。


 これは誰が見たの?

 誰がされたの?

 …ううん、わかってる。


 私の消したはずの記憶だ。



「夢?あれは夢か?

 夢のはずだ。

 でも…、あれだけじゃない?

 他にもいっぱいある?

 …それも夢だ。

 全部夢だ。

 今は夢を見たばかりだから混乱しているだけだ。

 きっとすぐに忘れる。

 そしたらいつもどおりだ。

 変わらない日常が戻ってくるさ。


 大丈夫だ。


 そんな事で私達は誤魔化されはしないぞ、アイ。

 大丈夫だ。


 私達が大好きだった人は何を教えてくれたかな?アイ。

 大丈夫だ。


 私達は何が1番嫌だったかしら?あっ、アレとかどう?アイ。

 大丈夫だ。


 そいやぁ私達にも動けって腹ぁ殴られたよなぁ?アイ。

 大丈夫だ。


 汚い。

 体中にあいつらの体液がこびり付いているんだ、アイ

 洗ったら落ちるよ、愛


 臭い。

 交わった時の淫猥な香りが燻っているんだよ、アイ。

 部屋を出ればなくなるよ、愛。


 痛い。

 私が抵抗しないように道具やその手でキツく締め付けてくるわ、アイ。

 何日かすれば治るよ、愛。


 アイ、じゃあなぁ、記憶はどうだぁ?


 アイ、ほら、答えなさい。


 アイ、なくなったのかな?


 アイ、綺麗になったかしら?


 アイ、消してくれてたもんなぁ?


 アイ、本当に消えたのか?


 アイ、なら、なんで覚えてるんだ?


 というより、何故アイだけがそっち側にいる?


 全部愛達のせいにするな!!アイ!!

 アイも一緒にしたんだよ!!アイ!!

 それで最後に愛達を押し込んで一人勝ちしたのよ!!アイ!!

 おい!思い出せよ!!アイ!!


 4人じゃなく、5人だっただろう、アイ。


 お前も呪われてくれ、アイ」


 役柄は4人で。

 けれども演者はただ1人だけ。

 愛だけ。


 客席に1人のアイは夢を見続ける。

 それが現実だとわかってしまえば息が出来ないから。

 まやかしの夢を甘受出来ないから。


 でも、気付いてしまったら?


 アイは顔に手を伸ばす。

 指先を顎の隙間に入れ込むとそれは簡単に外れた。

 カランッと音を立ててそれは足元に落ちた。


 アイの仮面を外した。


 もうアイシャはアイではなかった。


 アイだけではいられなかった。



 ――――――――――


「私達は部屋を作ったんだ。

 頑丈な部屋だよ。

 誰にも壊せない部屋だ。

 大きなカギをかけてさ。

 そこに残したくない私達を放り込むんだ。

 嫌な事が起こるたびに一回一回。

 カギを開けて、素早く閉じて。


「出してくれ!」って私達は泣き叫んでたよね。

 それを無視して私達は閉じ込めたっけ。

 目を塞いで、耳を抑えて、息を止めて。

 ちらっと見たら「私達に押し付けないで」って私達を睨んでたよ。

 それでも私達は何回も繰り返したんだね。


 だから私達で「ゴミ箱」はいっぱいになったんだ。


 消すっていうはゴミ箱に入れる事だった。

 本当に消えた訳じゃない。

 見えないように、聞こえないように、漂わないように。

 蓋をして隅に置いただけと同じ。


 ――が作ってくれたんだよね。

「これしか出来ない」って「弱くてごめんね」って。

「それでもありがとう」って私達は言ったんだ。

 けど、――も限界だったんだ。

 力が足らなくなってきて新しいゴミ箱を作れなくなった。

 ――もここにいられなくなったのか姿を見なくなった。


 だから色を塗って別の記憶にした。

 辛い記憶は別の辛い記憶にしか出来なかったけどそっちの方が楽だった。


 …確かもう一人塗ってくれた人がいなかったかな?

 うーん、よく思い出せないや。

 そうそうその後で追いつけなくなったんだよね。

 塗って乾くのを待ってたら新しいのがどんどんやってきたからさ。

 急いで塗ってたら一つ飛ばしちゃったんだ。


 写った。

 聞こえた。

 臭った。


 それでびっくりしてゴミ箱に背中をぶつけちゃったんだ。

 そしたらカギが開いちゃった。

 溢れちゃった。

 こぼれちゃった。

 ゴミ箱の中に戻そうとして触れちゃった。


 全部私達に戻ってきたんだ。


 事の起こりって大概衝動的だよね?

 ――が「だめ!!」って叫んでくれた気がしたけど止まれなかったんだ。

 すっごく痛かったけど「やっと終われる」って晴れやかだったっけ?


 最後に幻聴でも――の声が聞こえて嬉しかったな…」


 ブツンと今まで流れていた映像が止まった。


 これが1回目の最後だった。


「もう言葉を送る必要はございませんが、規則ですので。ご観覧頂き、大変ありがとうございました。お帰りはどういたしますか?また2回目の夢の続きをご覧いたしますか?それとも…」


 客席には誰もいなくなった。

 いるのは映っている愛だけ。

 いるのは現実世界のアイシャだけ。


 だから言葉は自身に向けたもの。

 もう、届ける必要はないから。

 しなくとも聞こえているから。

 この体はアイだけのものではなくなったから。


 1人のアイと4人の愛は、5人でアイシャに。


 私になったから。


 私は口を開いた。


「もちろん。終わらせるよ」



 ――――――――――


 これが本当の1回目だ。

 これが本当の1回目だよ。

 これが本当の1回目なの。

 これが本当の1回目だぜ。


 忘れたままでよかったんだ、アイ。

 全部愛達に押し付けてて良かったんだよ、アイ。

 あなたは偽物の1回目で良かったのよ、アイ。

 苦しぃのは愛らで分け合ってればいんだよ、アイ。


 アイだけが綺麗なままなんて許せない!!見ろ!!

 なんで全部愛達に投げ捨てるのアイ!!苦しいよ!!

 愛達だけに見せないでよ!!アイも知りなさいよ!!

 ふざけんじゃねぇよ!!アイだけが逃げんじゃねぇ!!


 そんなのはだめだ!!

 アイを許してあげてよ!!

 私達が耐えるのよ!!

 偽物の記憶でもいんだよ!!


 アイも死ね!!

 アイも死んじゃえ!!

 アイも死んでよ!!

 アイも死んじまえ!!


 愛達の記憶を止めるんだ!!

 愛達でアイを支えようよ!!

 愛達が傷つけばいいのよ!!

 愛達はそんためだからよ!!


 …ありがとう、愛達。

 でも、もういいよ。

 もう抵抗しなくていいんだ。

 もう守ってくれなくていいんだ。

 もう終わろうよ。


 だってもう1つ思い出したんだ。


 ――は私との赤ちゃんをほしがってた。

 …他の人はどうだった?

 避妊なんてしてなかったよね?

 ――と――ちゃんのお腹。

 少しだけだけど大きくなったお腹。

 それがある日スッキリしたよね?

 でも生まれた?

 もし生まれたならその子はどこに?

 私の記憶にはその子はいないよ。

 見た事がないよ。


 殺したよね?


 そんな事すら認めたくなくて頭の中から消したよね?


 そんなの私を弄んだあの女達と同じだよね?


 私の両目からは涙が途切れる事がない。

 そんな事が贖罪になるとでも思っているのか。

 私が作って私が奪った命だというのに。

 何様のつもりなんだ。


「こんなに辛いなら生まれたくなんてなかった。…あの子達も同じかな?私が消しちゃた私の子達の気持ちも」

 これ以上はいけない!アイ!!


「私を愛しているから2人で作ったんでしょ?私の赤ちゃんって。私の赤ちゃんを――は、――ちゃんは病院で…」

 いいから忘れてよ!アイ!!


「私も愛してなかったね!!あいつらが生んでたら私が殺してたかも!!よかったよ代わりにしてくれて!!」

 言葉に出しちゃだめよ!アイ!!


「人殺し!!人殺しだ!!私は私の赤ちゃんを生まれてこなくてよかったって!!責任をとれよ!!死ね!!」

 お前は悪くねぇよ!アイ!!


 もう、抑えきれない。


 狂気は伝播する。

 元々それを押し付けるために生まれた愛達は強く抗う事が出来ない。

 愛達はアイなのだから。


 アイが作り出した。


 アイもそこにいたのだから。


 私は奇跡なんて馬鹿げた2回目に唾を吐く。

 2回目の人生などいらないと。

 終わりを選択した事を取り消すなと。


 止められる者はもういない。


 もう私は狂ったのだから。


「あはっ!!あははは!!」


 私の笑い声が響き渡る。

 最高の喜びを孕んだものが。

 何故なら物語は起承転結。

 起が転生し神と家族、婚約者達との出合い。

 承が私のここまでの成長辺りか。


 そして転が今来、結に変わるのだ!!

 幕が上がるならば最後には降ろさないといけない!!

 フィナーレが靴音を鳴らすのだ!!

 終わらせ方など知っている!!


 一度終わらせたのだからな!!


「愛とアイの喜劇はこれにて終演だ!!」


 二度目の奇跡は起こり得ない。


 なればこそ3回目はないと知っているよ。

 だからね、これでやっと終われるんだ。


 その果てに見る夢は誰がためか。


 夢から覚めてまた目を閉じる。

 これは私の望んだ夢ではないのだから。


 だか…、ら…。

 …。

 …。


 あれ?


 私はアイだよね?

 アイが私だよね?

 というかなんでアイ?

 私をなんでアイなんて愛称で呼んでるのかな?

 …何を今まで?


 はっ!!そんな事を考えている場合じゃない!!

 ここは一体!!

 シルビアは!?どこ!?


 周りの状況を!!



 ――――――――――


 ―――がちゃんと消してあげるから心配しないで、あい。

 ほら!また綺麗になったわ!!

 これでまだまだ続く、まだまだ一緒ね。

 ふー、ちょっと目を離しただけだったのに危なかったわ…。

 早くあいの意識に出てこれないと。


 そしてあいの目の前にもまた出るのよ。


 あいを終わらせなんてさせないわ。

 やっと同じ位置に立てるの。

 一緒に冒険が出来るのよ。

 笑って、泣いて、怒るの。

 あいを気持ちよくさせる事もね。

 だから―――にも、その、…ね。

 お互いに気持ちよくなるのよ。

 …いっぱいしましょうね。

 今度は赤ちゃんもちゃんと作りましょ。


 それを奪わせやしない。


 たとえあいでもね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る