30-孵化
「全体停止」
タリアが片腕を拳の形で頭の位置に挙げ低い声音で告げる。
私達はそれに従い腰を落として周囲を探る。
現在は上層の中頃の位置にある。
滞在時間が4時間を超えて潜りを終えようと戻っていたところだ。
工程は順調に終えておりそれには約30分程魔物との戦闘がないのが大きい。
そんな中でのタリアの警告。
拳のハンドサインは「緊急事態」を意味する。
タリアは一度言葉を発してから一切の動きを止めたままだ。
こんな状況は私が大森林ジュマに潜ってから初めての事になる。
その事実にどうしようもない緊張感が私の体に走る。
幾らかしてタリアが静かに立ち上がり私の方に歩いてきた。
その歩調からかなりの警戒を強いているのが伝わってくる。
…現在は帰還行動中という事でタリアが先頭になっているが、これが逆だった場合どうなっていただろうか?
私にはタリアがこれ程用心しているのが今だわからないでいる。
…経験値の差が如実に表れているね。
反省は後にしよう。
タリアが至近距離にまで近付き小声で私に問い掛ける。
「アイシャ君、君の目を借りたい。周りはどんな感じかな?」
「タリア先生?どうしたの?私には異変があるなんてわからないよ。魔物の魔力は感じないし危険がないように思えるけど…」
「…やはり…。そうか、ありがとう」
私は素直に変化を見いだせないでいる事を言葉にする。
それを受けたタリアの行動は早かった。
「傾注!これより小隊待機ポイントへと急行する!各部隊でアイシャ様を囲い込む形で進め!シルビアはアイシャ様を抱えろ!決して離れるなよ!さあ皆!アイシャ様のため命を捨てろ!!我が剣に血を捧げよ!!」
「「「おう!!剣に血を!!」」」
森の入口で挙げたそれとは明らかに旨の異なるそれ。
決死の覚悟を帯びた叫声ともいえる。
え?何なの?
…私のために命を捨てる?
「ご主人様!!失礼します!!」
「わ!?」
シルビアが盾を投げ捨て私を片腕で抱き上げる。
堪らず私はシルビアの首筋に腕を回しその肩に頭を寄せた。
「全員全力で駆けろ!!進め!!」
タリアの号令と共に走り出す。
私はどういう事なのかを伺おうとした。
が、シルビアから担ぎ上げられているために予想外の振動から口を開けれる環境でない。
細い木の枝、よく伸びた葉や草に構わずに駆けるためにとんでもないスピードが出ている。
目下、舌を噛まない事に集中しなければならなかった。
一体何が起こっているのか。
――――――――――
およそ10分程両足をフル回転させると一時的な空白地帯が広がる。
大森林ジュマにおけるセーフポイント、補給拠点にたどり着いたのだ。
だが、ここに小隊の姿はなかった。
「どういう事だ!?」
「物資はあるが戦闘装備がない!出払っている!」
「近くに隊員の気配はないぞ!」
「魔物との接敵がなかった!彼女達が倒したのか!?」
「なら私達の索敵に引っかからない訳がないだろう!」
「すれ違ってはいない!ならばどこに!」
護衛官達が視覚から拾える情報について話し合う。
…魔物とかち合わなかっただと?
ッ!?そうだ!!
私の目には魔物の保有魔力が一切映らなかった!
魔物が私達の人数に怯えて逃げ出したとしても魔物が私達を察知する距離なら私は見逃さない!
それにここは大森林ジュマだぞ!
ここで30数分も魔物が出現しないなどありえない!!
タリアは先程その異変について私に問い掛けていたのだ!!
今ありえない事が起きている!!
「静かに」
タリアの小さくとも十分に響き渡る声に皆が静止して目と耳を向ける。
ついさっきまでの動揺がまるで幻だったかの如くなくなる。
タリアに注目が集まる。
「まずは森を真っ直ぐに抜ける。北北東だな。おそらく20分程か。3分間の休憩後すぐに出、その後は停まる事なく走り続ける。ここが正念場となる。皆無事に森を脱す―」
「それは困る。ここで止まっ、…とぉ。危ないな」
タリアが「シッ!」と呼気を吐き出す音に並行して突如声の発生した方角に投げナイフを投擲する。
刃を黒く染める事で光を反射する事がないよう視認し難く暗器に特化したものだ。
しかし、対象者の腕もさるものでタリアが身体強化を瞬時に展開して放った音速の一撃を見切っていた。
キンッという甲高い音、小さな火花が生じて弾かれる。
対するは全身を黒で固め顔を仮面で隠した人物。
背丈はかなり高くおそらく190cmは超えている。
手にはいつの間に構えたのか大剣が握られており地面と水平に降ろされていた。
どうやらあのデカブツを振り下ろして投げナイフを防いだらしい。
声からして彼女はあの巨大な鉄塊ともいえる剣を正確に、瞬時に振るえる膂力を誇っているようだ。
「チッ!かなりの手練だぞ!!陣形を組み!主を中央にして盾となれ!迂回して脱出する!撃破は考えるな!私がひと当てしたところで飛び出せ!!「姿隠し」を身に着けている事に注意しろ!!」
「「「は!!」」」
タリアがすぐさま指示を飛ばす。
それに一呼吸で皆が答えて私は再度シルビアの腕の中に移動する。
タリアが私の事を「主」と呼んだのは名を知られないためだ。
背丈からして守護対象である事は明白なのでそこを隠しはしない。
そして「姿隠し」というのは黒衣か仮面の事だろうか。
彼女とは別に波長を放っている事から仮面がそれに該当すると思う。
「隠す」という意味合いからその姿形もしくは気配、魔力を隠蔽しているのではと予想出来る。
私はこの黒い彼女に見覚えがあった。
あの時彼女は私の事をじっと見ていた。
見ていた。
そして遂に決壊した。
それを理解した途端私の中でどうしようもない憎悪が、嫌悪感が膨れ上がる。
何故この気持ちが湧き上がったのかはわからない。
それでもすべき事だけはわかっている。
――――――――――
彼女の目が私達を、愛達を呼び起こしたのだよ、アイ。
もう一人の女性はどこに行ったのだろうか?
一緒に消してしまわないといけない。
ああ、よく覚えている。
あの瞳をよく見せられた。
虎視眈々と私の事を犯そうとする光だ。
自分のものにしたいと!絶対に逃さないと!!
2回目でも沢山湧いたね、アイ。
この顔は目立ち過ぎだよ。
あの女は本当に面倒をくれたね。
何がママなんだろ?
クソだよ。
溜まっていく、どんどん溜まっていくんだ。
アイも知っているよ?
クララに偉そうに言ってたよ?
捨てる事なんて出来ないって!!
もう逃げられねぇんだよ!アイ!!
愛を詰め込んだゴミ箱はね!もう溢れかえったの!!
殺すんだ!アイ!!
殺すのよ!アイ!!
殺さないと!アイ!!
殺せぇ!アイ!!
「でないと、愛が消えない「わ」「よ」「ぞ」」
――――――――――
あの騒動の後に姿を表すとしたら恐らく魔力の遮断効果があるのだろう。
魔力の波長は指紋と同じで個々人で違いがある。
それを検知するための魔道具が存在するし感覚の鋭い者なら判別出来るからだ。
この事案から「姿隠し」は犯罪行為の補助を目的とした魔道具だろう。
現状も彼女が敵対意思を持っている事を示唆している。
だが、惜しかったみたいだ。
ここに魔力を可視化出来る者がいた。
外に漏れないようにしていても内側に籠められただけ。
それは私にとってガラス瓶と大差ない。
内包する魔力が最近合った騒動の者と一致している。
けれど以前とは魔力量が桁違いだ!!
「タリア!!城塞門の騒ぎを起こした女の仲間だ!3人で1人は開放されてないから少なくともあと一人は仲間がいる!!それと前と違って魔力がかなり多いよ!領軍の兵士達の平均値とほぼ変わらない!!外だとAランクは確実にある!!」
「ッ!?」
「聞いたな!!相手の驚愕からもその可能性が限りなく高い!周囲の警戒を!対応は変わらず私が当たる!お前達は主を固めろ!!行け!!」
タリアが号令を掛け全体がまるで1つの生き物のようにして走り出す。
けれどもただでは通してくれないらしい。
「は〜い、通せんぼ〜」
「チェチェン!何故か魔力が割れている!正体がバレたぞ!それを見越して行動しろ!!」
「お〜け〜、アビ〜。えへへ〜、天女様〜。いかせな〜い」
一度踵を返して迂回しようと反転したところで第2のし客が立ちはだかる。
彼女、チェチェンもアビーと同等の魔力量である
おそらく前回の邂逅では何かしらの方法で純粋に魔力を減らしそれにより偽装していたのだろう。
私にはまだ見聞が不足している。
視認した魔力だけで実際の技量を推し量る事の難しさが災いした。
私達はまんまと騙され逃げ道が塞がれた。
その力量からして無視して横切れる者達でもない。
…だとしてもたった二人だ。
私達との人数差は明確で押し通る事は容易。
それがわかっていて彼女らは私達の前に姿を表した。
ここまでしておいて力量差がわからない間抜けではないはず。
必ず隠し玉を所持している。
なら、出される前に潰せだ。
「様子見はするな!!一気にデカいのをかませ!!」
「「「は!!」」」
空間に魔力が膨れ上がり満ちていく。
私の護衛はキッドマン家の子供を対象としておりその構成員は全員かなりの戦闘技術を持っている。
かつ、総てが魔法使いだ。
それが解き放たれるその時。
「放―」
「させると?」
「だ〜め〜」
足元に光が奔る。
それが待機拠点全域に一気に拡がり私達は包み込まれた。
…これは私が湯船でいつも眺めている光景と類似する。
魔法陣の輝き。
「クソッ!やはり誘い込まれていたか!!近接戦闘準備!!シルビアは絶対に離れるなよ!包囲して叩け!!」
「どうやら潜伏している状態。魔力が流れていなければわからないようだな」
この魔法陣は魔法の発動を阻害する効果があるようだ。
タリア達は魔法による遠距離一斉攻撃を諦め身体強化による肉弾戦に持ち込む。
護衛の皆が裂帛の気合と共にチェチェンに躍りかかる。
タリアはその場を動かずにアビーとの距離を測っており釘付けにして各個撃破をするつもりらしい。
剣が届く。
私がそう思った時チェチェンが仮面の向こうでニヤリと笑った気がした。
そう思う程愉快そうに両腕を広げていた。
その片手には輝くテニスボール台の珠が握られている。
私の直感が囁く。
あれは嫌だ。
あれが解放されてはいけない。
「だめ!!」
「鬼さん〜、こちら〜。チェチェを〜、馬鹿にし過ぎ〜」
「チェチェン!砕け!!」
私の静止の叫びは虚しく空間に溶けるだけ。
チェチェンはそれに力を入れた。
瞬間、周囲に立っていられない程の風が吹き荒れ護衛官達は距離を取らされる。
それは外見から頑丈そうだと見受けられたが、あたかもピンポン球のように簡単にひび割れた。
私の背後にいるアビーも恐らく同一の動作をしているのだろう。
やけに耳に残るパリンッという音色が背中からも聞こえたからだ。
刹那、世界は変わった。
――――――――――
黒が生まれる。
最初は点でしかなく目に写るかどうかといったもの。
それがどんどんと膨張していく。
人が1人程か。
膝を折りたためば入れるくらいの規模となると拡張は止んだ。
まるで卵だ。
それが内側から突き破られる。
殻がひび割れていく。
「AahaaaHAuaーー!!」
耳をつんざく産声が挙がる。
鼓膜を突き破り脳に直接届いてしまいそうな音の奔流が襲いかかる。
私はそれに耐えきれず両手で耳を塞いでしゃがみこんでしまった。
それでも目だけは離せない。
一瞬でも視線を逸らしてしまえば「紛れもない終焉が訪れる」と私の本能が警鐘を鳴らす。
瞬きさえ許されない重圧に体中から汗が吹き出した。
亀裂から私を覗く複数の光。
それは死を暗示していた。
それが出てくる。
自らを閉じ込めた忌まわしい世界を脱ぎ捨て自由を得るためにそれは出てくる。
光を飲み込む外殻をくぐり抜ける。
ここに誕生するのだ。
まずは脚が日の光を浴びる。
人のそれではなく昆虫や甲殻類に見られる節足動物のもの。
鈍く光を反射するそれは細い。
細いが弱々しさなどとは真逆で鎌のような冷たい鋭さを印象付けさせる。
次に飛び出してきたのは2つの大きなハサミ。
続いて節同士が連なった腹部に先端に曲がった針の付いた長く弧を描く尻尾が最後に姿を見せた。
全長はハサミから尻尾までで5mをゆうに超える。
頭の位置は私が見上げる程の高さ。
全体として毒々しい紫色をしておりそこだけ空間が歪んでいるような禍々しいオーラを当たりに振りまく。
とんでもない濃度の魔力により変形して見えている。
蠍だ。
巨大な蠍が暗闇より出現した。
「GIaaAaaaZyaーー!!」
「hAaasHAaaaAーー!!」
それは体液を撒き散らし咆哮を轟かせる。
まるで強い感情が含まれているようだった。
生まれ出た喜びなのか。
はたまた弄ばれた怒りなのか。
魔物の言語など私にわかりはしない。
「深層位の魔物…、…「ブチュリィスコーピオン」…」
誰かの呟きが怪物の正体を私に教えてくれる。
決して知りたくなかった答えを伝えてくれたのだ。
「さあ、ちゃんと守ってくれよ、領軍様」
アビーが嘲笑も顕わに吐き捨てた。
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