29-点検と解体

「すぅー、はぁー」


 大きく息を吸う。

 次に吐き出す。

 肺に送り込んだ森の空気が血に溶け出し心臓を動力として全身に満ちていく。

 それと連動して私がどんどんと塗り替えられていく。

 今まであったアイシャを追い出す。

 新たなアイシャを作り出す。

 安全で秩序に囲まれた世界から血と泥に塗れた暴力に身を投じさせる。

 冷めた思考に凶暴性を隣接させる。


 これが潜る前の私のルーティンとなる。



 ――――――――――


 ごまかしてもだめだ。

 森は嫌いなんだ。

 大嫌いなんだ。

 今も怖くてたまらない。

 ああ、出てきてしまった。

 ドアが開いてしまった。


 というよりもう私が出てきていたな。



 ――――――――――


 別に本当に変わっている訳ではなく心を切り替えるだけだ。

 ここからは魔物と私との生存競争が、命の削り合いが始まる。

 私の常識には前世の平和な世界の認識がこびりついていて平時のそれでは足元を掬われかねない。

 それはこの世界において大森林ジュマでの活動での死を意味する。

 だからこそこうして意識して入れ替えなければならないのだ。


 とは言っても周りには護衛の兵士の方々にタリアそしてシルビアが付いている。

 危険な目に合うなどありえない布陣だ。

 タリアが「私が立ちふさがる全てを粉砕する」と呟いていた事もあるので安心安全は約束されている。

 その言葉が伊達ではない事の証明は既にされており上層での潜りなど正直ピクニックと変わらない。

 血に濡れた拳で「褒めてほしい!」と駆け寄ってきた時のタリア。

 それらから合算して「タリアって結構危ない?」とよぎったのは頭の片隅に仕舞った。

 私は棚を作ってそっと閉じた。


 人にはいろんな一面があるようだからね。


 という訳で今私がしているマインドセッティングも皆からは微笑ましく見られているのだ。

 シルビアも「ところどころで遊びが必要ですよ」と私の肩の力を抜こうとしてるのかアドバイスを寄越すくらいだ。

 指摘されたとおりガッチガチになっている自覚はあるもののやはりこうしないと上手く適応出来ない。

 暫く森を歩けば適度に均されるので若干呆られつつも付き合ってもらっている。


 そんな私にシルビアにリリー、クララが近づいてくる。

 私のルーティンが終わったのを察したみたいだ。


「心配性なご主人様です。これでは私がいつまでも一緒にいなければなりませんね」

「一緒にいたいのはシルビアの方でしょう?もちろん!わたくしはずーっとアイシャ様のお側におりますわ!!」

「はいはい、あなた達の気持ちはよくわかったわ。それじゃあね、アイシャ。私とリリーは中層に向かうわ。気を付けてね」

「うん。ありがとう、リリー、クララ。そっちも気を付けて」


 リリーとクララを1度ずつ力強く抱き締める。

 そして軽く音がなるだけのキスをして別れる。

 これが私達の間でのルーティンだ。

 ここにルルとナナがいないのにちょっとむず痒さを覚える。


 いつも会ってるのに早く帰りたくなるな。



 ――――――――――


 今のお姉ちゃんはアイを愛してくれるもんね。

 昔のお姉ちゃんは違ったんだよ?

 気持ち悪かったんだ。

 でも、私は逆らったらいけなかったから。

 嫌な顔をしたらいられなくなっちゃっうから。

 …我慢しないと。

 それに残らないように消してくれたから。

 辛いのはその時だけだったからね。

 だから1回目の私はいらないんだ。


 消えてよ、もう2回目なんだ。



 ――――――――――


「アイシャ君、出発前に再度の身体検査、装備の点検を。特にポーチの医療物資を検めるんだ。今なら引き返せる事を忘れないように」

「うん。わかったよ、タリア先生」


 タリアの出発前最後の警告に私は自身の全身を見渡す。


 まず、私のメインウェポンである短槍。

 これは大森林ジュマに配属されたばかりの新兵の物を流用している。

 全長1.5mで穂は肉厚な両刃剣で50cm、柄は粘さを併せ持った金属で直径5cmと太い。

 全体としてかなり重いが、これは棒術としての併用も考えられているためだ。


 身体強化を発動していればまた別だが、鎧等で固めていても関節部を狙えばいい人間相手とは違い魔物に柔い部分は少ない。

 殆どの面を硬い毛皮に全身が覆われており魔力活性時の生命活動停止前は常に鋼以上。

 なおかつ靭性と柔軟性を持つ不思議存在となる。

 本人の技量、武器の性能も関連するが、斬るや突くよりも面で叩く方が有効な箇所が多い。

 木製やただ硬いだけのそれでは一発でおじゃんだ。


 次に戦闘服。

 別にパラリラと道路を暴走するアレではない。

 いつもどおりの軍服チックな上下。

 しかし、平時のそれとはまるきり違う。

 平服はただの布製のそれだが、これには私が今まで倒してきた魔物の素材が使われているのだ。

 魔物の体毛を縒り合わせて糸とし布地を作成。

 致命傷を負いかねない部位に魔物の皮を重ねて厚くした物を縫い合わせている。

 全体として軽くそれでいて前世のフルプレートメイルよりも強固な護りを持つ。


 素材のメインとして用いられているのは「クイーングリズリー」と呼ばれる全長2mちょいの二足歩行の熊だ。

 クイーングリズリーは大森林ジュマ上層で出現する魔物の最強種となる。

 強靭で素早い。

 トップスピードは100km/hを超え遮蔽物のある森の中であっても多少落ちる程度しか変らない。

 その姿はただ人の目には止まらない。

 ただ、これだけならなんとかなる。

 訓練された兵士ならば同等以上の速度を出せるからだ。

 しかし、これだけならなんとかなるのだが、クイーングリズリーには一番厄介な点がある。


 クイーングリズリーは別名「ハイドベア」と呼称されている。


 狩人としての本能があり決して漠然と目の前には立たないのだ。

 獲物の匂いを嗅いだら風下に先回りして身を隠す。

 息を殺してそれが脇を通りがかった瞬間に鋭い爪を繰り出して襲いかかる。

 それの体の中で最も威力を誇る牙は最後の最後でしか振るわない。

 顔面を打たれて猟の継続が不可能となる事を避けるためだ。

 これらの特長からクイーングリズリーは新兵の最初の壁と言われておりこれを単独撃破出来なければ中層には進めない。

 キッドマン領領軍の試金石としての役割もある魔物だ。


 それを使用した戦闘衣を纏っているのは…。

 まあ、そういう事だ。

 私にとっては楽チンの魔物だった。

 というのも魔力を捉えられる瞳を所持する私には隠密など意味をなさなかった。

 隠れている木ごと心臓部を貫いて終わった。

 居合わせたルルとナナは「ズルーイ!」「熊かいわそ」と言いつつ私を抱き締めてキスをしてくれた。


 その装備の上に同素材のフード付きマントを。

 これは各所をベルトで体に巻き付けている形状で動きやすい。

 最後に軍の標準支給品である編み上げ靴で完了だ。

 武器と防具に問題はない。


 腰のベルトと腿で固定したポーチには魔法役が詰められている。

 品質管理のためにガラス瓶の底に刻印された魔法陣に欠けや歪みがない事を一つずつ確かめる。

 後は同じくベルトにさした解体用の鉈に後腰にある投げナイフの本数と研ぎを見れば最後となる。


「完璧かな。あとは魔法袋だけど」

「全品揃っています、ご主人様。点検終了です」


 魔法袋の中身を確認する際は手を袋の口に突っ込めばいい。

 そうすればその内容が頭に浮かんでくる。

 リストの精査は一瞬で完了だ。

 私は最初この感覚がとても気持ち悪かった。

 脳裏にノートが勝手に開かれる。

 そして一覧を眺めてもいないのに内包物が流れ込んでくる。

 …なんとも名状しがたいものだった。


 今は慣れたけどね。


 シルビアはタンク兼任としての装いで上半身を隠せる大きさの盾と長剣だ。

 衣服は私のそれと大きく変わらない。

 しいて言えば胸部が若干盛り上がっているくらいか。

 平時の盛り上がりを潰して動きやすいように押し込んでいる。

 いつも見ているアレがソレだけになるのはとても不思議だ。


 …痛くないのかな?


「そっか。ありがとう、シルビア。タリア先生、出発出来るよ」

「わかった。では出ようか。お前達も行くぞ!「我が剣に血を捧げよ!!」」

「「「剣に血を!!」」」


 …赤面しそうになる気迫がこもった掛け声をタリアが挙げる。

 それに護衛の皆が元気いっぱいに応じる様は見てられない。

 これはキッドマン家一族の前でしか許されず非常に名誉な事らしい。

 だからこそ皆やる気に満ちその瞳には闘志の炎が灯ってメラメラと燃えている。


 これが普通だからさ。

 だから我慢してよ、私の表情筋。


 満足そうな顔のタリア達と私の様子に訝しげにするシルビアがそこにはいた。



 ――――――――――


「おじいちゃん、どこにいくの?」

「今日は愛が生まれたところにある山に登ろうかね」


 大好きな祖父に手を引かれて電車から降りる。

 私はこのしわがれた、歴史の深い手が好きだった。

 祖父と繋いだ腕をプラプラとしながら歩いていく。


「ほら、ここがそうじゃな。そんなに勾配もキツくないから愛でも大丈夫さね」

「でも…、初めてだし…」

「疲れたらじいちゃんがおぶったる。行けるところまで頑張らんかえ?」


 祖父が私の視線に合わせてしゃがみ込み優しい笑顔で問いかけてくる。

 私は迷い俯きながらもそれに答えた。


「…わかった。登る」

「よし。じいちゃんの後ろに付いてくるんじゃよ」


 私の頭をひと撫ですると祖父は立ち上がり前を向いた。


「うん!」


 私は元気よく返事をすると顔をあげ―。


「いい子よ、愛。ほら、――の手を握って」


 祖父なんて最初からいない。


 ここにいたのは―と私だ。



 ――――――――――


 都合のいい夢の時間は終わりね。

 本物の過去がやって来るわ。

 忘れた?

 消し去った?

 なら何故思い出すの?

 どこかに捨てたの?

 出来るわけがないわ。

 例え頭の中から、心の中から取り除いてもね。


 この体が覚えているの。 



 ――――――――――


「――?危ないわよ?落ちちゃわない?」

「大丈夫よ。一瞬だけ。すぐに何も感じなくなるわ」


 ―は柵を越え私を抱き上げてそちら側に下ろす。

 私達は手を繋ぎ下を覗く。


「ごめんね、愛。――は疲れちゃったの。ゆっくり眠りましょ」

「そうなの?わかったわ。私も――と一緒に眠るわ」

「ありがとう、愛。愛がいるなら――は寂しくないわ」


 ―は私を抱きしめた。

 私も力いっぱい抱きしめ返す。

 優しい時の―は大好きだ。


 違う。


 これが私の―なのだ。

 あんなのは違う。

 お化けだ。

 お化けが―に悪い事をしてる。

 ―はいつも優しい。

 叩いたり、引っ張ったり、叫んだりしない。

 あれはお化けだから。


 だから顔なんてない。


 見えなくていい。

 怖いものなんて隠れてしまえ。

 ―かお化けかは声で判別出来る。

 私に痛い事をしたりしない。

 全部、全員靄を掛けるんだ。


 顔なんてわからくていい。


「…そういえば愛は男の子だったわね」

「ん?そんなの当たり前でしょ?――。私は男よ」

「うふふ。ううん、そういう事じゃないの。そうね。まだ知らないわよね」


 ―は私の体を見、そして。


「最後に――が教えてあげるわ」


 最後じゃない。


 これが始まりだ。



 ――――――――――


 嫌よ!!思い出さないで!!

 消して!早く消して!!

 仮初でいいの!!

 蓋をしただけでもいいの!!

 上から塗り潰しただけでいいの!!

 いつもしてるでしょ!?

 どうして!?2回目でしょ!?

 なら1回目を無くしてよ!!


 私を見ないで!!



 ――――――――――


 私の記憶にある山の光景に大森林ジュマの浅瀬と上層はそっくりだ。

 だからだろうか?

 余り見ていて楽しいものではない。

 私は意識して風景を心に残さないようにする。

 付近の魔物は私の魔力量並びに練度の前では相手にならない。

 隠れているそれも簡単に発見出来るので散歩の延長線でしかない。

 なんとも血なまぐさい散歩ではあるが。


「…アイシャ君。何度も言っている事だが、解体なんぞ私達に任せてくれてもいいんだぞ?それに魔法袋があるからそれにそのまま突っ込んでしまえばいい。君がバラす必要性は後にも先にも起こりえないよ」

「でも、魔法袋は貴重だよ。いつもあるとは限らないしその時にタリア達が近くにいるかわかんないよ。だったら出来る事は自分でやらないとね」

「私はいつもお側におりますよ、ご主人様」


 現在は倒した魔物を大雑把に部位ごとにする作業をしている。

 ここまでにそれなりの数を屠っておりなかなか終わりが見えない。

 それは私一人で行っているためもある。

 というのも先に述べたとおり魔物の狩りには既に歯ごたえがない。

 ここ上層では戦闘面で既に私には学びがないのだ。

 かといって中層に進む認可を私はまだ与えられない。

「じゃあどうするか?」という訳で魔物の体内構造並びに素材の剥ぎ取りを学んでいるのだ。

 もちろん先のタリアとの会話の内容が大元の理由だ。


 部位毎の選別は森に駐在している領軍には必須のスキルとなる。

 狩りの成果の輸送部隊もあるが、大半は各部隊での運搬を義務付けられる。

 その際小隊毎に魔法袋など到底配られない。

 ならば駐屯地に持ち帰るためにも持ち運びしやすいよう各部位に別ける必要性が出てくる。

 さらに彼女らは勤務に関する固定給をもらっているが、ここでの狩りで得た魔物に関しては各人の取り分ともなっている。

 どうせなら無駄なく全身を金に変えたいのが人の性だろう。


「それに私達も倣うべき」というのがキッドマン家でも言われている。

 楽をする上司を見て部下は育たない。

 下の苦労を知らない指導者にはその運用は出来やしない。

 要するに「現場を経験してから口を出せ」という事だ。

 以前ルルに教わっていたのもこれがあったからだ。


 このような事情があっての行動でもある。

 なのにタリア達は「そんな事させられない!」とでも言いたげに手を出したがる。

 彼女達も何故私が自身でやっているかの理由は存じているはずだが…?


「ありがとう、シルビア。いつも頼りにしてるよ。タリア先生もどうして私がしてるかわかってるでしょ?気持ちは嬉しいけど私に任せてね」

「はい!頼りにされますね!ご主人様!!」

「むぅ、承知したよ。…私の天使に汚れるような仕事はさせたくないのだがな…」


 何かがシルビアの琴線に触れたようで元気な調子が返ってくる。

 そしてタリアは不満顔だけれども引いてくれたようだ。

 しかし、後半に何か言っていたようだが…。

 離れてしまったので私には聞き取れなかった。

 何か諫言があるなら気にしないでほしいのだけれど…。


「よし、こんなもんかな。シルビア、袋に詰めようか」

「はい。それと消臭玉の効果が切れる頃合いなので新しいのを使いましょう」

「…あれ?もうそんなに経ったんだね…。えっと…、うん。わかったよ…。タリア先生達もね」

「こちらは既に使っているよ。教えてくれてありがとう」


 消臭玉はその名が示すとおり「匂いを消す」道具だ。

 獣は鼻がいい。

 人間の体臭など森の中でも正確に嗅ぎ分けてくる。

 これを絶たなければ急な接敵が連続してやってくる羽目になる。

 それを回避するために消臭玉がある。

 これは固形石鹸のような見た目と質感で服の上から体に擦り付けて使用する。

 これ自体は無臭である。

 効果としては匂いで誤魔化すのではなく匂いを吸着して消臭する。

 その効果から結構なところで手に取られてもいる。

 効果時間は約3時間であり延長する時は再度同様にすればいい。

 首と耳の後ろ、脇、局部、足元に重点的に行う。


 だからだろうか。


「シルビア!?そこは自分でするから!!」

「いけません!ご主人様!!私にはご主人様がしっかりとぬれているのか確かめる義務がありますので!!必要措置です!!」


 シルビアはこの時間が大好きらしい。

 私には消臭玉を渡さない。

「タリア達もこんな場でそのような事をされて困るでしょ」と目を向ければ頬を染めてチラ見していた。


 …盗み見るくらいなら堂々とされた方がいいかな。



 ――――――――――


 シルビアだけにしてくれよ、そーゆー目はよぉ。

 シルビアは1人で全部してくれたんだぞ?

 ちゃんと報酬出さねぇと。

 お前らは何かしたか?

 結局お前らは私の顔と体がほしいだけだろ?

 私の事なんて何も知らねぇくせにさ。

 あー、出てくるな出てくるな。

 なんで…、消したはずなのによぉ…。

 消えろよ、ちゃんと消えろ。

 1回目の私はいらねぇ。


 今は2回目なんだよ。

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