2-旅立ちの時へ

 痛いのは嫌だな。


 そう思うが仕方がない。

 私が選択した結果でありだからこそ私がここにいる。

 それならば長々と暫定を伸ばす必要もない。

 早くしてくれ。


 この記憶をなんでもいいから消し去ってくれよ。


「ゼリミアナ、嘘を言いません。あなたの見てきたとおりです。私は自分の境遇に絶望し、改善をしようとせず諦めました。罪を償います」


 改めてゼリミアナに頭を下げる。

 後は処刑を待つのみだろう。

 嘘など付きなれている。


 嘘?本当になったはずだろ?


 …本当?

 一体何の事だ?


 私が思考の海沈んでいたところ、突然私の体は暖かく、優しい何かに包まれた。

「何が」と視線を上げればそこには…。


「愛さん。愛さんを地獄になど落としはしません。そんな事はさせません。たとえ他の神が何と言ってこようとも私が許しません。…あなた自身であってもね」


 言葉を重ねる毎に強く、その両腕を締め付ける。


 離せ、離せ。


「そんな事させるものですか!!」


 ゼリミアナがその両目から涙を流し私を抱きしめていた。

 その涙を見、私の思考が混乱する。


 どう見ても本当の涙だったからだ。


 偽物など飽きる程に見てきた。


 どうしてだ?どうしてゼリミアナはこんな行動を?

 私は欠陥品で異常者で罪人だ。

 許される事ではないはずだろう。

 違うそうではない。

 そこは重要ではないだろ。


 暖かい涙だ…。


 私がずっとほしかった…。


 ゼリミアナを疑い、どこか小バカにし計算していたのが嘘のように素直に言葉が出てくる。

 それだけ今の私は混乱していた。


「どうして?どうしてそんなに私に優しくしてくれるの?」


 わからないよ。

 私にはわかりはしないよ。

 奪う人はいても与えてくれる人はもういなくなった。


 人を信用など出来ない!


 裏切られたくなんてない!!


 ゼリミアナは少し体を離し真っ直ぐに私の目を見つめる。


 …止めてくれよ、私を見ないでくれよ。


 そう思うのにその目を見返さずにはいられない。

 今まで自分の中の不完全な部分を見られていると恐怖を感じていた。

 そんな目とはなんだか違った。


 違って見えたんだ。


 まるで遠い記憶の中鮮やかさの失った写真のような。

 それでも大切なあの人のような。


 大好きなままでいたかった、愛したままでいたかった。


 おか―


「言ったでしょう。見てきたからですよ。愛さんの今までを」


 そう言うとゼリミアナは私の頭に片腕を伸ばす。


 …止めて。


 もう期待したくないんだ。

 裏切られたくないんだ。

 奪われたくないんだ。


 大好きだった人を嫌いになんてなりたくないんだ。


「よく頑張りましたね。もう大丈夫ですよ。大丈夫なんです」


 私に笑いかけ撫でてくれる。

 まるで赤子のように。

 まるで遠い記憶の母の笑顔のように。


 まるで忘れてしまった彼女のように。


 暖かかった。

 暖かくて安心出来た。


 ひと撫で毎に心の凝り固まったものが解されていく。

 私の中の酷く黒くてひび割れたそれ。

 取ろうと思っても取れなかった何かが消えていく。


 それが消えると同時に、暖かい何かがそのヒビを埋めていってくれる。



――――――――――


 やめなさいよ。


 あんたには渡さない。


 あいは私のものよ。



――――――――――


 あぁ…。


 知りたくない。

 知れば失う時が怖くなる。

 もう嫌なんだよ。

 どこにも行かないでくれよ。


 それでもゼリミアナはそんな事関係ないと言わんばかしに私に笑いかける。

 私のために涙を流し言葉を紡いでくれる。


 あの人みたいに。


「どこにもいったりしませんよ。私はここにいます。愛さんの前にいます」

「あぁ…」


 涙が溢れた。

 それは今までの冷たくて、冷えた心をさらに冷やす涙とは違っていた。

 傷から滲み出したのではない。

 別の違う何かだった。


 こんなもの知らなかった。

 本当に知らなかった。

 人への信頼を無くしてから流していたものとは違っていたから。


 悲しくて堪らなかった。

 痛くて堪らなかった。

 助けてほしくて堪らなかった。

 救ってほしくて堪らなかった。


 本当に一人きりになったんだ。

 

 一緒にいてほしかったんだ。


「あ…あ…あぁ…」


 止まらない。

 止められない。


 ダランと落としていた両腕を上げる。

 それをゼリミアナに纏わせていく。

 人に抱きついたのはいつ以来だろうか?

 抱きつかれた事はあっても私は久しくしていなかった。


 あの人がいなくなったから。


「大丈夫ですよ。いなくなったりしませんよ。愛さんの傷がなくなって幸せになるまでずっーと、ずっーと一緒にいますよ」

「あぅ…、あ…、ああぁぁーー!!」


 下手くそな鳴き声を挙げる。

 しょうがないだろう。

 こんな気持ち初めてなのだから。


 こんな安心感は彼女がいなくなってから初めてなのだから。


 ゼリミアナは私が泣き止むまでずっとそうしてくれた。

 ずっとそうしてほしかった。

 ずっとそうされたかった。


 どのくらいそうしていただろうか。

 私は泣き止み、涙を拭いて彼女の顔を見た。


 とても美しかった。


 もう靄は晴れていた。



 ――――――――――


「…すみません。その、えっと、…ありがとうございました」


 顔から火が出る程恥ずかしいとはこの事だろうか。

 26の男が美女に抱きつき泣き叫ぶ絵面を想像して欲しい。

 ひどいとしか言いようがない。


 ゼリミアナは優しげに笑うと「まだいいですよ」と両手をこちらに広げ差し伸ばしてくれる。


 …勘弁してくれよ。


「いえ。流石にもう…。恥ずかしすぎますから…」

「ふふ。わかりました」


 コホンと一つ咳をつき改めてゼリミアナを見る。


 美しかった。

 こんなに美しい人を初めて見た。

 いや、忘れてしまったような…。


 輝く銀糸の髪は腰まで届き、緩やかにウェーブを作っている。

 瞳は黄金色の輝きを放ちまるで朝焼けのようだ。

 まつ毛は長く、くっきりとした二重に大きな涙袋。

 それが今は優しげに細められている。

 肌は抜けるように白く、それでいて頬の色味が暖かさを伝えている。

 すっと通った鼻梁に小さくぷっくらとした唇、細い顎。

 首は細く、古代ギリシャのキトンの衣服より鎖骨が覗く。

 スッと視線を反らせば大きな胸に細い腰で女性としての魅力が伺える。


 それを意識するとますます先程の自分が恥ずかしくなった。


 なんて事をしてしまったんだ!

 失礼すぎるだろうが!


 なんだかよくわからないモヤモヤと格闘しているとゼリミアナが話しかけてくる。


「落ち着いたようですね。これで本来のお話が出来ますね」

「…は、はい。えっと、本来?ですか?」

「ええ、愛さんをここに呼んだ理由です」


 ゼリミアナは私に審判を下しに来たのではないと言う。


 では一体何を?


 そう、疑問の顔を私はゼリミアナに向ける。

 ゼリミアナはそれを予想していたようにコクリと頷き私に返答してくれた。


「愛さん。どうか私の管理する世界に転生して頂けませんか?」


 …何だか雲行きが怪しくないか?


 転生?



 ――――――――――


「ええっと。私は死んだのですから、地獄ではないとすれば現世に再び生まれ変わるという訳ですよね?」

「はい。その認識で合っています。そしてそれを地球ではなく別の世界で行って欲しいのです」

「はぁ、その…、はい。わかりました」

「様々な不安もあると思います。しかしながら、それには私が全力を持って対処し…。って!いいんですか!?」


 どうやら私がすぐさま了承した事に気づいてなかったらしい。

 ゼリミアナは暫く話した後驚いたようにこちらを見つめてきた。

 ついでに距離も近くなったのでその美貌にドギマギしてしまう。


 少し離れてほしいな。

 だけれど嫌な感じはしない。

 それが不思議?だ。


「いいもなにも私は死んでしまったのですから。それしか選択肢はないのでは?推測するにゼリミアナでなければ私は他の神により地獄行きだと。話の流れから思ったのですが」


 そうなのだ。

 ゼリミアナは「他の神にそんなことはさせません」と言っている。

 つまりゼリミアナ以外の神に私が渡されれば地獄行き確定だ。


 せっかくゼリミアナに救ってもらったのにそれは流石に嫌だよね。


 私は確かに救ってもらった。

 私は希望を見てしまった。

 私は欲望を深めてしまった。


 次がほしい。


 本当に?

 終わらせなくていいの?

 …責任はアイがとれよ。


 誰かの声が響いた気がした。


「えーと…確かにそうなのですが。そのー…、無理矢理せまっているようでですね…」

「そんな事はないでしょう。ゼリミアナが私の事を思って提案してくださっているのはわかりますから」


「安心してください」とゼリミアナに告げれば「ありがとうございます」とほころんで返してくれた。


「では話を進めましょう」


 進むらしいな。

 ははは。

 遠のいたぞ。

 責任はお前が取れよ、アイ。


 誰かが笑った。



 ――――――――――


 ゼリミアナの管理する世界は「ウラタトリスク」という。

 その世界には科学技術は発展しておらず魔力を用いた魔法があるらしい。


「まるでゲームみたいですね」と言えば「それに近いものかもしれません」と返ってきた。


 時代背景でいえば中世後期が近いらしくまだ発展途上との事。

 しかし、魔力を得て変化した動物、魔物がいるらしく人類圏の拡大はなかなか進んでいないらしい。

 人々は魔物の領域を切り開き生活しているとの事。

 その素材を得、生活の糧としているらしい。

 生き残るためにリーダーを必要としそれが貴族制となっている。

 その事から封建制度の国が多くを締めているみたいだ。


「それは生まれと能力が生き残る鍵となりそうですね」

「はい。もちろんそこは調整させて頂きます。余りにも世界の秩序を破壊するものは無理です。ですが、愛さんが健やかに生きていけるだけの土台は用意しますよ」


「それは安心だ」と私は胸をなでおろす。

 想像するに地球より命の軽い世界だ。

 生まれた瞬間に死亡エンドもありえた。


 それでは目的が果たせない。


「愛さんには記憶を持ったまま魔力をちょっと多くして。得意な魔法を与えて素晴らしい家族の元に転生させる予定です」

「…えーと、何から何までありがとうございます。ですが、よろしいのでしょうか?その…、特別扱いでは?」


 不安になって聞いてみるとゼリミアナは私を安心させるように笑みを浮かべる。


「信じたい」と思える笑みだ。


 私は絆されたのか?

 それでもゼリミアナならば…。


 思考が安定しない。

 私は一度目をきつく閉じて開く。


「大丈夫です。愛さんは今まで苦労したのですから。これくらいいいのです」


 そう言うとゼリミアナは唇に人差し指をあて。


「ナイショですよ♪」


 素敵な笑顔を私に向けてくれた。


 素敵だと思えた。



 ――――――――――


 愛さんを見つけたのは「必然」だったのだろう。


 私が地球の管理者への用があり訪問した際、審判待ちの人物が記された記憶が見えた。


 衝撃的だった。


 こんなに苦しむ事があっていいのかと思った。

 いや、違う。

 このような悲劇は私の世界でも起きている。

 魔物がおらず文明的にも成熟している分、肉体的にはまだましかもしねない。

 それでも私は目にしてしまった。


 管理者は手が出せない。

 世界の秩序を著しく乱す事、それ以外への介入が出来ない。

 下手に手を出せばそれこそ世界を壊してしまう。

 だからだろうか。


 地球の管理者が処理すべき事がそれなりの時間を経て、たまたま訪れた私の前にそれとなく覗いてしまうように置かれていたのは。


 自分の世界では手が出せない。

 出してはいけない。


 だが、他の世界の神なら?


 決断は早かった。

 用事を済ませると愛さんの魂と記憶を抱いて私の世界へと急いで帰る。


 救いたい。

 …いや、本当の愛さんを抱きしめたかった。


 それは救いになるのだろうか?


 それでも愛さんに会いたかった。


「よろしくお願いします」とどこかから聞こえたが、聞こえないふりをした。


 愛さんをあの神に渡したくなかったから。

 もう、私の愛さんだから。


 この気持ちはなんだろうか?

 初めて抱く気持ちだ。

 影響を受けた?

 …それでもいいか。

 すでに私の手のひらの上だ。

 独占する気はない。

 仲良く分け合えば彼女も許してくれる、たぶん。

 

 だからだろうか。

 転生の際、力を与える時に少し多く渡してしまった。


「ふふふ。ナイショですよ♪…誰にもね」


 あとはちょっと見た目を私に似せよう。

 だって私の子供のようなものだから。


 いってらっしゃい。

 あなたの人生に今度こその幸せを願って。

 

 それだけは本当ですよ。


 頑張ってね、私の愛さん。

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