第48話 道筋を照らすのは
フォーサイス伯爵マルセロは、半郷からやってきた虎獣人と人間の子、ティルと、蛇獣人と人間の子、バスクの尽力により命を取り留め、休養をしていた。
ダイニングでようやく普通の食事ができるほど回復し、久しぶりにブランカも交えてのディナーとなったわけだが
「まさか親父が半郷を支援していたとはな」
「お前は家を継がんと言っただろう。なら、話すわけにはいかない」
「……」
「……」
相変わらずの親子仲の様子に、サリタは苦笑を漏らす。
「あらあら。せっかく久しぶりの水入らずですのに。それより杏葉さん、心配ですわね」
マルセロが大きく息を吐いてから、
「……そうだな。ランヴァイリーが、里の様子が落ち着き次第こちらに来ると言っていた」
と言うと、ブランカも
「エルフなら、精霊のことにもお詳しいですし、何か分かると良いですわね」
と慰めるようなことを言う。
だが、ガウルはフォークを持ち上げたまま、微動だにしない。
「ガウル?」
「ブランカ。ミラの手記には何も……その、情報はないのか」
「残念ながら」
「そうか……」
握りしめたフォークの柄がひしゃげてしまったので、オウィスが脇からそっと新しいものを差し出すが、ガウルは受け取らなかった。
◇ ◇ ◇
セル・ノアは、エルフの里に収容された。
獣人王国リュコスの状況が不安定なため、中立的な立場であるエルフが受け入れを表明し、アンディもレーウもそれに頷いた。
「……なん……だ、ここは……」
ゲストハウスに整えられた寝室は、清潔で居心地が良い。
収監される覚悟をしていたセル・ノアは、目を覚ました後でただひたすら戸惑っていた。
「やぁセル。エルフの里へようこそー。だいぶ良くなってきタネ」
軽口をたたきながら、ランヴァイリーがトレイに朝食を乗せてやってきた。
ベッドの上に身を起こして、ぼんやりと窓の外を眺めていたセル・ノアは、それを振り返らずに独り言を吐き出す。
「なぜ……生かした……」
美麗なエルフの大使は、そのトレイをテーブルの上に乗せながら答える。
「ウネグが助けろって言ったからって聞いたケド」
「っ」
セル・ノアは膝の上のブランケットをぎりぎりと握りしめた。
「どこまでも……甘い……」
「セルもじゃン」
「なにがだ」
「だってほら。助けたでしょ」
ひょこり、とランヴァイリーの背後から顔を出したのは、確かにセル・ノアが黒い炎から助けたあの少年だ。
はくはく、と何かを言いたそうに口を動かすものの未だ声は出ず、しょぼんと頭を下げる。
そばかすの目立つあどけない顔。赤茶色の髪の毛は癖でふわふわしていて、瞳は青い。十歳ぐらいの少年は、ランヴァイリーの腰の辺りの服を横からぎゅっと握ったまま俯いて、立ち去る気配はない。そのことが、セル・ノアの胸をざわつかせる。
「知らん」
「ま、しばらくゆっくりしなヨ。回復してからリュコスに引き渡すカラ。ネ?」
ランヴァイリーが少年の頭を撫でると、彼は頷いてからテーブルのトレイを持ち上げる。それから、セル・ノアのベッドの脇に置いてあるスツールに、膝の上にトレイを乗せながら腰かけた。木のスプーンでボウルのスープをすくい、ふうふうと冷ます動作をする。
「おいお前……まさか私の面倒を見る気か……」
セル・ノアの問いにニコ! と笑う少年。
絶句する黒豹に
「まさか拒絶しないヨネ? そんなこと言える立場じゃないモンネ」
と言い捨て、エルフは無情に去っていく。
「……」
こうして始まったセル・ノアと少年の暮らしが、この先ずっと続いていくとは、セル・ノア自身も思っていなかった。
◇ ◇ ◇
「アンディ。余はとっくに王位を譲ったはずだぞ」
「陛下。私が忙しい間だけですから」
「めんどくさい……」
「王位継承の儀式もしないとです。でしょう?」
「はあ」
人間の王国ソピア、宮殿。
王の間の後方で、このやり取りをじっと聞いていることが苦痛で仕方がないダンは、イライラとつま先で床を打っていた。
「ああはなりたくないって強く思ったおかげで、アンディ殿下がご立派になったと思えばいい」
ネロが、聞こえるか聞こえないかの声量で毒を吐き、周辺の騎士が笑いをこらえている。
「だけどよ~俺は殺されかけたんだぜ?」
それに対して、ダンが声を落とさずに答えて、しかも
「そっすねえ。獣人王国に放り出されましたもんね」
ジャスパーもそれに乗ったので、周囲はぎょっとなった。以前なら、即縛り首案件である。
「はあ。そうよな」
だが意外にも、国王は玉座のひじ掛けに肘をつき、天井をぼんやり眺めている。
「ソピアは人口に対して資源も食料も不足し、限界であった。貴族は、自分の財産にしか興味がないしな。そんなところに、強大な戦力を誇る獣人が攻めてくるというんだ。騎士は動かせんから、冒険者を動かすしかないだろ」
「にしても、言い方がありましょう」
「王に逆らった人間に温情を与えて、何か良いことあったか?」
「ぐ……いえ」
たぬき親父め、というダンの呟きは、聞こえなかったフリをしてくれたらしい。
「ダンが旅立ってすぐに、冒険者ギルドは空中分解してしまった。やはりマスターがおらんとな」
「引退させてくださいよ」
「……復帰せよ! わしも復帰しとる!」
「げ!」
「これは、王命であるぞ!」
「くっそ。ってことは、ジャスパーもだな」
「うええええ!?」
「ならば陛下。復帰にあたって条件があります」
「言うてみよ」
「全ては銀狼が、我らの護衛をしてくれたおかげなのです。報酬を支払わないといけません」
きょとんとした後で、ハリスは
「金庫から好きなだけ持っていけ」
と言った。
「ちょ、陛下!?」
慌てるアンディに
「減った分は、アンディがまた増やすじゃろ。わしは疲れた。後のことは勝手にせい。
と言い捨てて、さっさと引っ込んでしまった。
やれやれ、と肩を落としつつ、アンディが問う。
「ダン、その……報酬はいくらなんだ?」
「あー。決めてませんでした」
「そうか……あ! ならばその、直接フォーサイスに行って、協議すべきだな!」
ジャスパーが、ぴんときた顔をする。
「あー。ブランカ嬢も呼んで、ね」
たちまちかかっと赤くなるアンディを見て、ネロが目をまん丸くした。
「で、殿下……? ま、まさか……」
「うん。そうと決まれば、すぐに手紙を書こう。手土産は何が良いかな」
「ちょちょちょ、殿下!」
「ネロ、うるさい」
呆然とするネロは
「次期王妃様が、狼……? 」
と呟き、周りの騎士たち貴族たちは――新たな時代の幕開けを、実感したのだった。
◇ ◇ ◇
フォーサイスのゲストルーム。
夜は更け、窓の外で風に揺れる木々の葉が、ザワザワとこすれる音だけがする。
「私は、どこに行けばいいのかな」
数日眠り続けて、ようやく立てるようになったものの、心は立ち上がれていない。
杏葉はベッドから降りると、一人窓際に立って、月を見上げてみた。
「どうしたらいいのかな……」
気づいたら、異世界に来ていた。
偶然出会ったダンとジャスパーの任務を手伝う名目で、獣人の言葉が分かるからと、通訳として強引についてきた。
様々な出会い、この世界の終わり、そして魔王。
大きな問題に必死に対応していくうちに、精霊の子であると言われ、前魔王であると言われ。
すべてが終わった今、杏葉のアイデンティティは粉々になってしまった。平和は、嬉しい。が――
「私は、誰なんだろう……」
手のひらを見つめると、かすかに震えている。
目をつぶると、辛い記憶がよみがえってしまうから、夜は眠れない。
膨大な知識と魔力が、脳みそを圧迫している気分だ。
親指につけたままの、シュナにもらった指輪を眺める。
「どうして……私は滅ばなかったんだろう……」
いっそのこと。
魔王と一緒にバラバラになってしまえればよかった、などと考えていると――
コンコン。
「アズハ?」
ガウルの声がした。だがどこか、現実でないような気がしている。
足元が、ふわふわ浮いているかのようだ。
「入るぞ」
扉を開けたガウルは、杏葉を見つけて目を見開いた。
彼女の体が、白く淡く光っていたからだ。
「アズハ、体調はどうだ」
だが、あえて触れない。
一歩一歩、ゆっくりと、窓際の杏葉に近づいていく。
「ガウルさん」
「どこか、痛いところや辛いところは」
ふるふる、と頭を振る杏葉の目からは、涙がこぼれおちる。
「眠れないか?」
「……大丈夫です。迷惑をかけてしまってすみません」
迷惑ではない、と言っても杏葉の心に響かないことは、ガウルは分かっている。
「いいや。少し話をしてもいいだろうか」
わずかに頷いたので、ガウルは杏葉の手を引いて、近くのソファに促して座らせた。
「起きられて良かった。とても心配していた」
「すみません」
座らせた杏葉の膝に手を置いて、ガウルは床に
顔を伏せたままの杏葉とは、目が合わない。
「アズハ。なんでもいいから、聞かせてくれないか」
「なにを、ですか」
「今、思っていることだ」
「っ……」
「苦しいこと、嫌なこと、不安なこと。なんでもいい」
しばらく待ってみるものの、アズハの口は、開かない。
代わりに、ボタボタと涙だけが、落ちてくる。
はあ、とガウルが深い溜息をつくと、杏葉の肩がびくりと揺れた。
「……俺は、頼りないのだろうな……情けないことこの上ない」
意外な言葉に、杏葉が驚きでようやく顔を上げると、ガウルは大きくグルルルと喉を鳴らした。
「どうしたら、安心して頼ってくれるのだろうか。甘えてくれるのだろうか。自分の無力さに腹が立って仕方がないんだ」
「ガウルさ……」
「一緒に世界を知ろうと、約束したのに」
「!」
「アズハ。魔王が滅んだからといって、終わりではない。まだまだ知らなければならないことが、たくさんある。人間やエルフとの関係も、これからだ」
「っでも!」
「なにが、アズハのもふもふだ。こんな時にこそ、癒すことができなければ、なんの意味もない。俺は、役立たずだ!」
床を、ドン! と拳で殴りつけて、ガウルは――涙を落とした。
「情けない。情けなくて……くそ……」
「ガウルさん……」
杏葉も床に膝をついて、ガウルに寄り添った。
「どうしたら良い? どうしたら信じてくれるのだ」
「信じる……」
「アズハが、大切なんだ。守りたい、共にありたい。笑って欲しい!」
「わたしにっ……、そんな価値はないんです!」
今度は、ガウルが驚く番だ。
息を呑む銀狼に向かって、杏葉が叫ぶ。
「魔王の記憶なんか、本当は訳が分からない! 難しくて、とても説明できないんです! 言葉の制約だって、なくなりました! もう、通訳なんて、いらない! だから! この世界に! わたしは、いらないんです!」
ガウルは、目を見開いた。その両肩を、杏葉はドカドカ拳で叩きながら、訴える。
「通訳じゃ、なくなったら! どう役に立てば、良いんですか! どうしたら、必要!? わたしは! どこに行けばいいのーっ! あああ! あああああ!」
泣き崩れる杏葉を、ガウルはぎゅうっと抱き寄せた。
心ゆくまで、泣かせる。慟哭が収まるまで、優しく背を撫で続けた。
「……そうか……ここはアズハにとって違う世界だ。だから、誰かに必要とされたい。役目が欲しい。じゃないと……孤独だな。ああ、そうか。ようやく分かった……言ってくれて、ありがとう」
抱き締めた杏葉の頭を撫でて、銀狼は言う。
「なあ、アズハ。俺は騎士団長を辞めたかったと、以前話したな」
杏葉は身体を離して、手の甲で涙を拭きながら、ガウルに向き直った。透き通った青が、自分をまっすぐ見ている。曇りのないガラス玉のような輝きに、吸い込まれそうになる。
「はい……」
「実は今、考えていることがある。それには、アズハの協力が必要だ。また過酷な旅になるかもしれないが、一緒に来てくれないか。俺は、アズハとそれをやっていきたい」
「私が、必要ですか?」
ガウルが、笑う。
「アズハじゃないと、できないことだ」
さあ、と月光が窓から射し込んで、銀毛がキラキラと光った。
「っ、やります! なんでもがんばります! やりたいです!」
迷いなく答えた杏葉の目に、光が灯ったのを見て、ガウルはようやく安心する。白く光って薄らぼんやりしていた身体も、しっかりと目の前にある。
「ああ。ところで……とりあえず、もふもふしないか?」
と、ガウルが笑って誘うと、杏葉は
「ガウルさんっ! ……んもう、だいすきいぃぃぃぃっ……!」
と叫びながら抱き着き、いつものようにもふもふしているうちにくたりと力が抜け――ガウルに横抱きでベッドに運ばれた。
どうやっても、ガウルの首に回した杏葉の腕がはずれなかったので、朝まで添い寝するはめになったガウルが――翌朝、見舞いに来たブランカに小一時間説教されたのは、のちの笑い話になった。
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お読み頂き、ありがとうございました。
明日、最終回です!
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