第47話 喜び、悲しみ、燃え尽きる



 ふと、クロッツの鼻先をかすめたのは、独特のお香の香りだった。ウネグも嗅ぎ取ったようだ。動揺している。


「え、この匂い……やっぱり、辿り着いてた……?」

「ウネグ。しっ」

「っ」


 勝利に酔いしれ、また疲労で倒れ込む人々の喧騒の中、クロッツは耳と鼻に神経を集中させる。


「あっちか!」


 走り出したクロッツに、ウネグはすぐさまついていく。

 粉々に崩れている外門の脇にある、奇跡的に残った詰め所の裏から、かすかに泣き声が聞こえた。

 

「っ……! セル……」

「え、え?」


 怪我をして泣いている人間の少年に覆いかぶさるように、セル・ノアが倒れていた。

 黒い炎が背中を焼いたのか、黒焦げの状態だ。クロッツがゆっくりと近づくと、少年はセル・ノアを庇うように必死に抱きしめ首をイヤイヤと振る。


「大丈夫。何もしないよ。ちょっと見せてね」


 クロッツは優しく声を掛けて、地面に膝を突いて様子を見る。手首に触れると――まだ温かい。だいぶ弱いが脈が取れた。


「っ! っっ……!」


 少年は声が出ないようだが、助けを求めているのは明白だ。

 クロッツは、セル・ノアが人間の少年を庇ったことに対する驚きを隠したまま、なるべく冷静な声で告げる。


「ウネグ。セル・ノアはまだ生きてるよ。どうする?」

「え……どうする、て」

「ロドリグが死んだのは、ノア親子のせいだからね。罰したいなら、それもいいと思って」

「っ!」


 ウネグは、思わず息を止めた。

 彼を見上げるクロッツの目は、あくまでも静かで、何も映していないかのようだ。

 

「ウネグが復讐のために頑張ったの、知ってるからさ。ボクはウネグに任せたいなって思う」

 

 唐突にクロッツに突き付けられた現実は、ウネグの思考を一瞬でぐちゃぐちゃにした。


「え……え……」

「もし助けたいんなら――あんまり時間はないかなぁ」

「っ、助けます!」

「いいの? 後悔しない?」

「助けてから、後悔します」


 クロッツは、ウネグを振り返らないで立ち上がり、空を見上げる。

 黒い雲が徐々に晴れてきて、ソピアにとって何日ぶりなのか分からないぐらい、久しぶりの日差しが地面に降り注ぎ始めている。


「まいったね。狐のくせに、善人なんだよなあ。ロドリグもウネグも」


 その眩しい光で、クロッツは顔を歪ませた。

 

「クロッツ様は、犬なのに悪人ですよね」

「はは! そだねえ。……あおおおおおおおん!」


 

 ――あおおおおおおん!



「!? クロッツが呼んでいる。怪我人のようだ。ワビー、すまないが」

「はい、ガウルさん。一緒に行きましょう」

「頼む……アズハ?」


 杏葉が繋いでいる手を離さないことに、ガウルは気づいた。

 

「あ。えっと……」

「……むごい状態かもしれない。それでも一緒に行くか?」

「はい。ごめんなさい、足でまと……いっ!?」


 ガウルは有無を言わさず杏葉を背負った。


「急がねばならない。いくぞ」

「あの遠吠えの方向ですね。走りますよー!」

 

 ワビーは身軽にしゅたた、と時に飛び跳ねながら走っていく。

 がれきや遺体を避けながら、ガウルも走る。

 杏葉はとても地面を見ることはできず、空だけを見ていた。


「クロッツ! それは……」

「あ、団長! まだ生きてまして」


 すかさずワビーも地面に膝を突いて、回復魔法を唱える。


「……黒い炎の影響は、回復魔法でもどうかな……」 


 青い顔で、それでも何度も唱えるワビー。それを不安そうに見つめる人間の少年の目には、涙が溜まっている。


「あなたも、怪我をしているのね」

 だが少年はふるふると頭を振って、セル・ノアを指さす。

「大丈夫。あなたにも回復魔法、唱えさせてね」


 そのやり取りを見守っていた杏葉は、ガウルの背から降り、意を決した様子でウネグに話しかける。

「ウネグさん……あの……」

「はい」

「お兄さんのこと……その……」


 前魔王の記憶と力を受け継ぎ、精霊たちが見てきた真実を得た杏葉は、マードックとセル・ノアの所業を全て把握していた。

 求められれば、それを告げようと思っているからこその発言であったが、ウネグは意外にも首を振った。


「生きて、償わせたいです」

「っ」


 ぼたぼたと、杏葉の頬を涙が伝う。

 苦しいほどのウネグの気持ちが分かったからだ。兄への後悔と、自分がしてきたことへの懺悔。

 正解はどこにもなく、今は自分の信じるがまま振る舞うしかないのだ。


「なら。一緒に願ってください」


 杏葉は、ウネグの手を取る。茶色くて固い毛に埋もれた、鋭い爪。両手で優しく包んで、目をじっと見つめた。


「助かって欲しい、と。願いこそが力だって、言ってたから」

「わかり、ました」


 クロッツとワビーがセル・ノアから離れ、代わりに杏葉とウネグが傍らに膝を突いた。


「助かって」

「生きろ、セル」


 ふたりが結んだ手から、白い光が溢れた。


 

 

 ◇ ◇ ◇


 


 数日後、獣人王国リュコスの王城に戻ったレーウは、そこで多くの獣人たちに迎えられ、致し方なしに執務室に入った。

 建物はなんとか残っているものの、もちろん中は激しい戦闘の痕跡を残したままだ。復興には多大な労力と時間を要するであろうことは、間違いない。

 

「んだあーから、俺は国王辞めたって言ったろーガオッ」

「し、しかし、こうもぐしゃぐしゃとあっては、誰かが」

「ガアアアアアアオンッ」


 びくっと震える虎獣人。

 かつて愛用していた自身の椅子に座ったまま、これでもかと睨みつけるレーウは、不本意だろうがやはり金獅子王である。

 

「勝手ばっか言いやがって。おめーが好きにすりゃいいだろが。強いやつが正義なんだろ? ああん? 腕っぷしで一国まとめあげてみろや。俺は知らん」

「わー。結構根に持つ性格だぁ……」

「なんか言ったかクロッツ」

「根に持つ性格って言いましたぁ。こいつには無理って分かってるくせにー」

「いい度胸だなゴラ」

「アズアズが悲しみますよ」

「あ?」


 クロッツは大きく息を吸って、うるうるした瞳でレーウにお願いポーズをする。

 

「獣人さんたち、大変ですよね。リュコス、なくなっちゃったんですか!?」

「うぐ」

「ソピアとリュコス、これからは仲良くできたら嬉しいです!!」

「ぐぐぐぐぐ」

「ね?」

「気色悪い裏声ヤメロ。似てねえ!」

「えへへ~」

「はああ~俺もアズハには弱いんだよなあ~~~~」

 

 たてがみの中に、嬉しそうにうずまる杏葉は、可愛いのだ。

 もふもふ~! とキャッキャされると、まんざらでもないから困っている。


「しゃあねえ。建て直すかあ。その代わりクロッツ。おめえがしばらく宰相代理やれ」

「うっげええええええ!」

「セルが復帰するまでだ。犬で我慢してやる」

「上から目線!」

「わし、じゃなかった余は国王であるからな。フハハハハ」

 

 

 ――あおおおおおおん!



 金獅子王、再び玉座に! は、大変明るいニュースとしてリュコスを駆け巡り、復興が破竹の勢いで進んでいくことになる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇




 アンディとネロ、ダンとジャスパーは人間王国ソピアの王都に留まり、杏葉はガウルたちと共にフォーサイス伯爵領へ向かうことになった。

 魔王と相対した『白き魔王』の存在は、人間の騎士たちの目に明らか。影響を鑑みて、しばらく人間の国からは離れていた方が、というアンディの判断だった。


「世界を救ってくれた存在に、大変申し訳ないが」


 アンディ自ら平身低頭、心を尽くして話してくれたことだけで杏葉は満足だったが

「アンディ。排除だけではまた誤解や軋轢を生む。どうしていくか、時間をかけてでも考えていこう」

 とガウルが代わりに訴えてくれた。

「もちろんだ。私は、ミラルバ手記やこの事実を後世へ正しく伝えたい。そのための記録の編纂へんさんを、共にできたらと考えている」

「それは是非協力したいですわ、殿下。でもまずは復興を、ですわね……たくさんの命が、失われてしまった……」

「ブランカ嬢。その通りだ」

 

 

 少しずつ、元通りにすべく動き始めた人たち。

 皆が懸命に動いている中、杏葉は――



「杏葉様、本日もお食事、お召し上がりになれませんか? 皆が心配していますよ」

「オウィスさん……せっかく……ごめんなさい……」

「それは構わないのですが」

 

 

 フォーサイス伯爵邸で、ベッドから起き上がれなくなっていた。

 


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 お読み頂き、ありがとうございました。

 残り二話となりました。最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。宜しくお願い致します。

 

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