第38話 世界のおわり



【よくやった、アクイラ】


 リュコス国王の金獅子ことレーウは、謁見の間で、汗みどろの黒鷲を自ら称えた。

 

 全力で飛んだ。距離のあるエルフの里へ先に届け、次にエルフの里長の書状も一緒に、リュコス国王のもとへと飛んだ。

 ククルータヴァイリシュナの書状は薄い緑色の紙に、つたで封がしてある。

 相変わらずいかにもエルフらしい様式だ、とレーウはその中身に目を通し――ぎゅっと目を閉じた。


【状況は把握した。リュコスとして正式にソピアへ援軍を出す】

【!】


 騎士団の幹部たちが驚きでどよめいた。


【人間を、助けるのですか!】

 叫ぶように声を上げるのは、虎の獣人だ。

【ああ。余、自ら率いる。悲劇は繰り返させない】

【陛下……自ら……】


 呆然とする騎士団員たちを置き去りに、頷いているのはエルフの里を訪れた数名と、アクイラだけだ。

 

【全軍、北西のフォーサイス領に進軍。ガウルを追いかける。民衆はなるべく東へ避難させろ。アクイラ】

【っは!】

【先に飛んで、ガウルたちに知らせろ。後から必ず行くと】

【はっ!】

【ちょ、お言葉ですが陛下! 人間を、助けるのですか!?】


 泡を食った様子で玉座に数歩近づいてくる虎に、レーウは冷たい目線を投げる。

 

【なんだ。異議か?】

【人間が滅ぼうと、我らには関係ありません】


 押し黙る騎士団の少なくとも半分以上は、この虎と同意見か、と国王は見当をつけた。――先日からはっきりとセル・ノアの肩を持つ彼の名前は知らないし、もはや覚える気すらない。


【ほほう。そう言い切るからには、魔王が川を渡らん確証があるのだな】

【っ】

【申してみよ】

【宰相閣下が、断言されたのです! 魔王が滅ぼしたいのは、人間だけだと】

【セル・ノアは、マルセロ・フォーサイスへ危害を加えたために、その権限をはく奪されたぞ】

【!!】


 謁見の間の空気が、どよめいた。

 

【マルセロは我が旧友であり、このリュコス王国を長年その経済力で支え続けてきた。そのような伯爵家当主の命を奪う所業をしたのは明白。その宰相を信じると言うのだな?】

【何かの間違いです! まさか……フォーサイスめ、やはりこの王国を潰そうと!】

【そうだ!】

【騙されてはいけません!】

 

 ワナワナと肩を震わせるのは、アクイラだ。


【何を言っているんですか! 自分はこの目で見てきました! フォーサイス伯は本当にっ】

【貴様もガウルの一派だろうが! ブーイをエルフに渡した分際でっ……この、裏切り者が!】



 ――グアーッハッハッハッハ!



 突如として、レーウが高笑いをした。

 全員がその異常な光景に息を呑む。

 

 のしり、のしりと玉座から降りて来た金獅子は、虎の眼前で面白そうに目を細める。


【獣人だけの世界が欲しいか】

【っ】

【ならば脱げ。衣服など身に着けるな、ケモノどもよ。貴様のその剣も鎧も、フォーサイスを通じて人間がもたらしたものだぞ】

【な……】


 レーウが鎧を引きちぎろうとすると、周辺の騎士たちが後ろからそれを必死で止めた。

 

【グアハハハハ!! おかしいなあ。ケモノのくせに、裸に恥じらいがあるとでも言うのか? 滑稽だ】

【我らは、ケモノではない! 獣人だっ】

【王が、狂ったぞ!】

【ハッハ! 狂ったのなら、貴様ら全員、とっくに噛みちぎっとるわ】

 

 はああ、とレーウは深い溜息をついた。


【よし。リュコスは、終わりだ】

【え】

【王なんか、やめだ、やめ。あーめんどくさい】

【陛下!?】

【リュコスを潰すだと? その通りだ。お望み通り、全員好きにしろ。ガウルを助けに行きたい奴は、ついてこい!】


 レーウは、身に着けていたマントを引きちぎって床に捨て、王冠を放り投げた。


【我は誇り高き金獅子! 仲間を、救いに行くぞ!】


 あ然と獅子の背中を見送る虎やその一派は、あまりの唐突な出来事に動けないでいた。

 

 一方で、迷わず金獅子についていく部隊は半分未満だが、皆精鋭で士気が高い。

 その証拠にレーウの背後で 

【団長を、助けるぞ!】

【ありったけの武器を】

【食糧もだ】

【薬草も!】

 と頼もしい声がする。


【ククク。感謝するぞセル・ノア】


 レーウは独りごちる。


【望み通り獣人王国は終わりだ。だが、獅子は解き放たれた。さあ。どうする?】


 それを聞いたアクイラは、身震いが止まらなかった。

 ガウルが「レーウだけは怒らせるな」と言っていたことを、思い出したからだ。


 

 

 ◇ ◇ ◇

 



「これ以上は無理です!」

「門を閉めたのに、どこから入ってくるんだっ」

「食料が足りなくなる……」

「民を見捨てるのか!?」


 ソピア王国、王城にある謁見の間には、貴族や役人が溢れかえっていた。

 王都はなぜか無事に残っているものの、その城壁の外には魔獣が大量に発生している。戦う術のない一般人はもちろんのこと、騎士や冒険者さえ力尽き、倒されていた。

 命からがら生き残った人々は当然王都へ雪崩込み、収容人数はとうに超え、仕方なしに門を閉めた。門の外には「助けてくれ!」と泣き叫ぶ声や、「見捨てるのか!」といった怨嗟がとぐろを巻いている。

 

 なんとか状況を上向かせようと議論するものの、全てが手遅れだ。

 その事実から目をそらし、ひたすら慌てふためく上流階級の者たちを、高い玉座から退屈そうに見下ろす国王。


「陛下! 郊外には魔獣が溢れかえっております! どうか騎士団の派遣を!」

「……」

「もう食料が持ちません! 備蓄の開放を」

「……」


 何をどう問いかけても、国王からは何の反応もない。

 冷えた目に光はなく、肘置きに肘を突き、その拳に顎を乗せた姿勢のまま、見下ろすだけだ。

 

「陛下……?」

「……どうせ滅びる。好きにしろ」


 決してそれは大きな声ではなかった。

 むしろ低くか細い一言だった。だが、曲がりなりにも国王だ。その言の影響は――大きい。

 


 ――滅びる……

 ――王が、国を見捨てると!

 ――アンディ殿下の帰国はまだかっ、間に合わないのか!

 ――どうする……逃げ場所など、どこにも……

 ――くそ、今のうちにありったけ持ち出すぞ!

 ――せめて、殿下を! 殿下を探しにっ!


 

 動揺しつつ、謁見の間から人々が次々と出て行き、やがて国王一人になった。


「貴様の望み通りか? マードック」

 

 宙へ向かって、問いかける。

 もちろん、答えはなかった。




 ◇ ◇ ◇




 王城の最も高い尖塔の屋根に、マードックは居た。


「げっげっげ。虫けらどもが最期のあがきか」


 その頭頂には歪んだ黒い角が二本。黒い爪は長く生え、口角からは牙がはみ出ている。

 白目は黒く染まり、黒目は赤く染まった、伝承通りの姿――魔王。

 配下の魔獣どもが吸い取った命が、次々と体に還ってくる。湧き上がる力、恨み、魔力を愉悦ゆえつの表情で噛みしめている。


「さあ、もうすぐだ。もうすぐ、滅ぼそう」


 人という人が、王都に集中しきるこの時が、マードックの待つ機会だった。

 

「この炎で世界を焼き尽くすのは容易い。我が目の前で人が絶えるのを見たいのだ」


 フクククク、と魔王は独り、楽しそうに笑う。

 

「早く来い、アンディ。人間の最後の希望よ」

 

 両腕を広げ、手のひらを上に向けると、黒い炎が生まれた。

 

「人の希望が潰える瞬間が、楽しみだ」



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