第39話 おわりのはじまり



 杏葉は、ランヴァイリーの前でひたすら魔法を唱えていた。傷を治したり、魔獣の目くらましをしたり。エルフの里での訓練がこんなに早く役立った、と思うと同時に、頭の中の前魔王の記憶が、力の使い方を導いてくれていた。

 

 王都まで馬で二日、馬車で五日、徒歩だと十日以上はかかる道のり。徒歩で向かっていた一行は、道の途中で放置されている馬を次々発見し、確保していった。馬の主のことは――騎士か冒険者か分からないが、少なくとも近くには見当たらない――あえて考えずに、ありがたく使わせてもらう。

 

 杏葉は、いつも通りガウルの操る馬の前に相乗りしていたが、魔獣との戦闘が激しくなったため、ランヴァイリーの前に移動した。

 ガウルは常時抜剣し、先頭でその驚異的な武力を振るっている。馬上から剣一本でなぎ倒していく様は、まるでテレビで見た戦国武将のようだな、と杏葉は想う。

 そんなガウルの右側でリリは逐一状況を把握し、指示を飛ばしながら補助をし、背後にはダンとジャスパーを従えている。

 

【グアルルルル!】

 

 銀狼の咆哮でひるむ魔獣の群れ。

 敵が動きを止めた瞬間に、エルフたちの矢が突き刺さり、ジャスパーの攻撃魔法、そしてガウルやダンたちの剣戟けんげきでとどめを刺す流れができあがっていた。


 アクイラ、そしてクロッツとウネグが別行動の今、前衛はガウル、リリ、ダン、ジャスパーそしてネロの五人。非戦闘要員のアンディ、ブランカ、杏葉をランヴァイリーが

【固まらないと危ないネ】

 と庇いつつ仲間を呼び寄せ、エルフの小隊が合流して魔獣の群れを蹴散らしつつ、なんとか皆無事にここまでやってきた。


【まさしく、世界の終わりだな】


 ふう、とガウルが剣を下ろし、馬の足を止める。

 

 ――カカカ、ぶるるるる。


 浴びた返り血を払うように、それぞれの馬首が大きく振られ、道には見るに堪えがたいむくろの数々。

 死臭に鼻が麻痺している。こみ上げてくる吐き気がなくなったのは、恐らく感じることを拒絶したからだ、と杏葉は想う。


 眼前には城壁に囲まれた王都。

 通常ならば、高い尖塔を持つ王城を最奥に築いた、風光明媚な人間の都であるはずが――小高い丘の上から見下ろす杏葉たちの目には、最後の砦のように見える。

 

「門が……」

「そりゃそうだろう。開けさせられるかなあ」

 ジャスパーとダンの声を、咄嗟に杏葉は訳す。

「門が閉まっています! 開けてくれるでしょうか?」


 カカ、と馬を進めたのはアンディだ。

 

「私が、開けさせる!」

「殿下。ですが獣人やエルフが王都に入った前例がございません。慎重に」

「アンディ殿下が開けさせてみると。でも獣人やエルフが入ったことはないので……」

【そうにゃね~。あの辺討伐して、味方だって見せつけるしかないにゃ】


 リリが目を細めて、耳をぴくぴくさせた。


【話し合いじゃ、開けそうにないにゃ】

「リリ……うん、そうかもしれない。みなさん! まずは周辺の魔獣を討伐して、味方だって証明しませんか!?」

【よし。それで行こう】


 ガウルは、空を見上げる。

 アクイラの翼の音は、まだしない。獣人騎士団が来てくれるかどうかは分からない。だが、レーウのことは、信じられる。


 銀狼騎士団長が、チャキッと右手で剣を高く掲げ、声を張り上げた。

 

【掃討するぞ!】

「掃討するぞ!」


 杏葉はあえて、一言一句違わず叫んだ。

 全員が笑って、それから気合を入れた。


「おう!」

【おう!】

『おう!』


 丘を一斉に下っていく馬の蹄音に、そこここで湧いていた魔獣たちが引きつけられる。


「ちっ、数が多いな……」

「ダンさん、俺らも下がらないと」

【にゃっ! 大物が来るにゃ!】

「!?」


 リリの甲高い声と、【危険】のハンドサインを全員が確認。


【でかいぞ!】


 ガウルが叫ぶほどの個体は、馬に乗っているガウルより何倍も大きく見える。

 口の端からだらだらとよだれを垂らすその獣は、牛のような顔をしていてまるで――


「ミノタウロスみたい……」

【アズハ、よく知ってるネ】


 ランヴァイリーの呆れた声は、恐らく緊張からだ。


【その通り。二足歩行で、怪力のバケモノで、魔王の眷属けんぞくさ】


 

 ――ブフォフォフォーン!


 

 その咆哮で、馬の足が恐怖により止まってしまった。

 全員が下馬し、隊列を組んで対応しようという時。



 ――ピーヒョロロロローーーーー



 上空から響き渡る美声が、耳に入った。


【!】

「アクイラ!」

「アクイラだ!」

【ふい~、援軍間に合ったのカナ~?】


 アクイラのワサッワサッという大きな翼の音を合図に、遠方から大量の矢が飛んできて――ミノタウロスの体中に刺さった。


【団長ッ!】


 上空から叫ぶアクイラに、ガウルは剣を掲げて返事をする。


【リリと俺がをやる! 残りは雑魚ざこを掃討!】

【おお!】

「おお!」


 杏葉はすかさず強く祈った。全員が無事であるように、と。そしてその願いは、魔法となって全員を包み込んだ。魔獣の動きは鈍り、仲間の動きは――


【力が!】

【みなぎるにゃねっ】

「くっそー、あじゅめー! やるなぁ!」

「ジャス、無理するな!」

「これが、精霊の子……」

「やっぱ天使っ」

【赤髪野郎、気持ち悪いネー!】

【アズハさんっ、わたくしの後ろにっ】

 

 混戦にあっても冴え渡り、無事レーウたちとの合流が叶った。


【いよぉガウルー、なんだありゃあ、大物だなぁ】

【陛下っ】


 金獅子が、愉快そうに巨大なミノタウロスを見上げる。


【あ、国王辞めたから。ただのレーウだぜ】

【は!?】

【……本当です! セル・ノアの思想が浸透していて、陛下の身動きならず……辞めてしまわれたのです】

 肯定しながら降り立ったアクイラを二度見するガウルは、ぷるぷると頭を振った。

【後で詳しく聞かせて頂きたい。今は】

【おー。あれ、余……じゃなかった、わしに譲れや】

【は!?】

【体、なまってっから】


 肩を押さえて、ぐるぐると右腕を回すや否や、レーウが腹の底から咆哮した。


【ガオオオオオオオオオン!】


 途端に動きを止めた周辺の魔獣を、後から合流してきた獣人騎士団が、鮮やかに殲滅していく。

 その間金獅子は、ミノタウロスの横顔をあっという間に

【おーらよ!】

 と盛大に殴り、首元に噛みついて地面にねじ伏せ、背中に乗り上げるや背後から首をひねり――倒した。

【ああん? なあんだ、見た目だけかよ。手ごたえねえな。準備運動にもなりゃしねえ】


 これには、全員ポカンである。


【あーのー、団長が陛下を絶対怒らせるなって言ったのって】

 アクイラが恐る恐る聞くと

【ああ。まさしく地上最強だろうな】

 ガウルがニヤリと笑う。

 

【いよーし、あと何すんだ? ついてくぜ?】

「ふわわわわ! ライオンさん!」

【ん? なんだ、人間のかわいこちゃん。あ、分かった、精霊の子ってやつだろ?】

「はい! あの、あの!」


 そして、全員一瞬にして嫌な予感がする。


「たてがみ! 触ってもいいですか!」

「あー、あじゅ?」

「ブレねーな!」

【はは! いいぜ?】

「!! ありがとうございますっ……わあああ、思ってたよりやわらか……しゅごい……うずまりたい……」

【わはは。じゃ、うずめてやっから。進もうぜ】

「きゃっ!」


 レーウはさっさと杏葉を横抱きにして、門へ向かってのしのし歩いていく。

 杏葉は目の前に揺れるたてがみを、それはそれはもう、これでもかと触っている。


【ぐるるる】

【お? あ、この子ガウルの番か】

「あ、あう」

【……ですが】

【ほーん。じゃ、いいじゃねーか】

【……グルルルル】

 

「金獅子対銀狼……やべぇ」

【ジャス、わくわくしてるにゃね】

「やべぇな」

【ダンもわくわくしてるにゃね】

「あああ、天使がライオンに取られた!」

【赤髪は、だいぶ気持ち悪いにゃね】

【同意ダネ】

【同意するわ】

 

 アンディはひとり、

「はは、こんな極限状況にあっても笑えるとは……なんて、なんて心強いことだ!」

 と感激していた。希望は失われていない。そしてこの希望を王都の人々に届けなければと、


「ソピア王国王太子、アンディ・ソピアの帰国である! 開門せよ!」


 力の限り、叫んだ。


 黒鉄で打ち付けられた、大きな木の門のそこかしこに、いくつもの爪痕がついている。

 入ることができず力尽きた者たち。そして、侵入を試みてあきらめた魔獣どもの、痕跡だ。

 それらをしっかりと目に焼き付けて、アンディは再び叫ぶ。


「獣人も、エルフも! 助けに来てくれた! この周辺の魔獣は掃討してきたぞ! さあ、入れてくれ!」


 反応がない。どうするか、と皆が迷い始めたころ――ギイィ、と巨大な門の脇に設置してある、小さな鉄の扉が開いた。


「!」


 アンディは、躊躇いなくそこを通ろうとしたが、ダンが咄嗟に二の腕を掴んで止めた。


「殿下。まずは私どもが」

「そ、そうか……」

 

 ダンが振り返ると、ジャスパーとネロが頷いて追従した。三人で扉へ向かう。


「冒険者ギルド、ギルドマスターのダンだ。入るぞ」

 

 呼びかけてから、体を差し入れると――気配を探るも殺気を感じなかったので、そのまま遠慮なく中に入ってみる。


「なんということだ……」

「どうした!」


 アンディが、ガウルたちの体を押しのけて来て、ネロに背中で止められる。

 

 門から入ってすぐの場所は、大きな広場になっていた。

 普段はここで馬車の荷下ろしや、王都に入る人々の身元確認などを行っているのだろう。小さな詰め所や、馬車止めなどがある。


 ダンたちの後から続々と扉をくぐってくる獣人やエルフたちも、キョロキョロと周りを見回すが、人の気配のないことに驚いている。


【ここがソピアの王都……】

【誰も……いないにゃ?】

「援軍を! 連れてきたんだ!」


 アンディは、ひたすら叫ぶ。


「誰か! いないか!」


 すると、ひんやりとした声を発しながら、こちらに歩いてくる一人の人間がいる。

「……おやおや。ようこそおかえりなさいませ」

 黒髪黒目で、黒いローブ身に着けているその男を見るや、アンディは

「! マードックッ!」

 と激高し、また強くネロに動きを止められた。


「マードック……!」

 ダンがその姿を目に入れるや、ぎりぎりと歯を食いしばる。

「ダンさん?」

「アズハ。あれがソピアの宰相マードック・ノアだ」

「マードック・ノア。あの人が……!」


 杏葉は、目を見開いた。



 人間の形をした魔王が、そこにいる。それが、分かったからだ。――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る