第2話 いきなり、娘になりまして



「……?」


 杏葉の目が再び覚めると、そこは青空、ではなく白い布の天井だった。


「お、目ェ覚めたか」


 それ聞くの二回目ぇ、とぼやっと思い、

「!!」

 ガバ、と起き上がる。

「うおい、大丈夫か?」

 心配そうに覗き込む人間の男は、髭をたくわえた中年のたくましい体躯。焦げ茶色の優しそうな瞳と目が合った。

「ニンゲン!」

「あ? おお」

「ニンゲンだあー!」


 杏葉の両目から、ぼたぼたと涙が溢れ出る。


「あー、どうやったのかは知らんが、川を渡るとはなあ。たまたま俺らが通りかかったから良かったが」

 

 言われて周りを見回すと、木の板の上に敷かれた布の上に寝かされていたらしい。背中のあちこちが痛かった。

 白いのは、天井だけではなく壁? もだった。


「……あの……?」

「ああ、俺はダンという。これでも冒険者ギルドのマスターをやってるから、安心してくれていい」


 ――冒険者ギルド、て?


 杏葉は聞き慣れないワードに、混乱する。


「嬢ちゃんは?」

「あの……杏葉です」

「アズハ。なぜあそこに?」

「え……わからな、くて……」

「ふーむ。何歳だ?」

「十九です」

「えっ、嬢ちゃん、ではなかったか。失礼」

「あの、ここはどこなのでしょうか」

「獣人の国リュコスだ」

 


 この人も獣人の国って言ってる……



 杏葉は、絶望的な気分になる。どうやら夢ではなさそうだからだ。


「こわ、かった」

「お?」

「怖かったー! ああああああ!」


 またぼたぼたと涙を落として泣き始める杏葉の背中を、ダンは優しくさすってくれる。


「だろうなあ、いきなりタヌキだしなあ」

「わーん! そんな、魚食うか? って、言われてもー!」

「あ!?」

「街連れてくって、それ、誘拐だよおおおおお」

「な、え!?」


 今度はダンが、呆然とする番だ。


「アズハ、まさかと思うが」

「? ずびし、ぐし、ぶび?」

「あー、鼻かめ」


 ダンが、布切れを差し出してくれたので、遠慮なくぶびぃとかんだ。


「……言葉、分かるのか?」

「はえ? タヌキの? ぶし」

「おお」

「……」


 杏葉はだいぶ迷ってから、こくりと頷く。


「そっ……か」

 ダンは、そう言ったまま、黙りこくった。


 まさか、ここは分からないと言った方が良かったか!? と杏葉の心中はパニック状態である。


「っはー……でもな……しかし……」


 ダンは、一人で悩んでいる。


「あの、ダンさん」

「ん?」

「わたし、目が覚めたらあそこにいて、ここがどこか分からなくて」


 冒険者ギルドのマスター、が本当なら。

 この言い方で、通じるかもしれない。


「あの……このは、なんでしょうか」

「! アズハは、異世界人、か」

「たぶん……」

「なるほど、な。俺も初めて会ったが、本で呼んだことがある」


 やはり。

 ずしり、と杏葉の心に重たいものがのしかかる。

 ――ここは、知らない、世界……

 違う世界に、来てしまった。漫画みたいに。


「あー、まいったな、うーんどうするか……」


 ダンは、眉間にシワを三本も作って、胡座あぐらをかいて腕を組んだ姿勢で悩んでいる。


 杏葉も、どうしたら良いか分からない。

 ただ、『冒険者ギルドのマスター』以上に、信頼できる人間に、この先会える気がしない。つまりこれは、天命なのではないかと、肌で感じていた。


「まず、だな」

 んん、とダンは大きく咳払いをした。

「あー、本当にアズハが異世界人として、話をするぞ」

「本当です!」

「うん。ま、それはおいおい分かるとして、だな。今は獣人の国だ。そして俺は任務の途中」

「……そう、ですか……」


 助けてくれはしたが、連れては行けないということか、と杏葉は絶望的な気持ちになる。


「今の話を聞いて、俺の任務を助けてくれるなら、連れて行こうと思った。どうだ?」

「えっ」

「ってまあ、それは建前だ。正直に言うと、俺には娘がいてな……といっても死んじまったんだが……生きてりゃアズハと同じ年だ。ほっとけねえ」


 ダンは、ぽりぽりとその髭面を指でかいた。


「ま、獣人の国で人間、ましてや女の子を見捨てるってのも、夢見が悪いだろうしな。今から俺の娘ってことで、どうだ?」

「なります!」

「お」

「ダンさん、宜しくお願いします!」

 正座をして深深と頭を下げると

「ぐははは、そやって挨拶できんなら、心配はいらなそうだな」

 ぐしぐし、と頭を撫でられた。

 顔を上げると、優しい瞳。――きっと、娘の話は本当だ、と杏葉は思った。そして。


「ダンさん。私もお父さん、いないです。お母さんも。死んじゃった……うあああーん!」

「うお、おい……」


 ぼたぼたと、次から次へと涙が溢れて止まらなくなってしまった杏葉の背中を、ダンが優しく撫でる。


「それは辛かったな……」


 杏葉が、涙を止められずにいると

「げっ! ダンさん、泣かした!?」

 別の声が。

 顔を上げると、明るいツンツン茶髪で青い目の、人の良さそうな青年が外からひょこりと覗き込んでいる。

「ジャスパー、戻ったか」

「ういっす! なあ、ダンさんは顔怖いけど、優しいから大丈夫だぞ!」

「!? ぶふ、ズビ」

「うわ、きったね!」

「おい」

「ぶふふふふ、ばびゅ」

「……なんかすげえ音してるけど、ダンさん何した!?」

「あー、あんなんでも、サブマスのジャスパーだ。鼻かめ」


 こくこく、と杏葉は頷き

「あじゅはれす」

 名乗ろうとして、失敗した。

 

「あじゅ? よろしくな!」

 


 違うけど、まいっか、と杏葉は思った。

 

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