第3話 それが、任務



 ジャスパーは、夕食の準備をしていたらしい。


「ま、食えば元気になんじゃね?」

 杏葉の手を取って、降りるのを手伝ってくれた――気になってちろりと後ろを見ると、自分が寝ていたのは馬車の荷台だったと分かった。白い天井は、ほろだったのだ。

 近くに大きな木が立っていて、馬が繋いであり、桶に顔を突っ込んで水を飲んでいる。



 ――異世界だ、とまた杏葉は実感してしまった。

 馬や馬車など、見る機会は滅多になかったのだから。



「あじゅ、どしたー?」

「あー、ジャス、アズハはな」

「アズハ?」

「はい、アズハです。異世界人です」

「へえ。……へ!?」


 お手本みたいな、綺麗な二度見だ。

 

「あーうん。それなんだが、ジャスはまだいいが、他の人間には言わない方がいい」

 ダンが渋い顔をする。

「……そっすね。あじゅ、言ったらダメだぞー」

 ジャスパーが同意した。呼び方は変えないようだし、扱いがなんだか……と杏葉が思っていると

「ジャス、アズハは十九だぞ」

 ダンが言ってくれた。

「へえ。……へ!?」


 二度見二回目。


「まーじかあー」

「ダメですか?」

「……あーいや、そのー」

 ジャスパーが言い淀むと

「アズハ。この世界は危険が多い。異世界人ということと、その、十九ということは、黙っておこう」

 ダンがキッパリ言った。

「誰に何を聞かれても、しばらくは俺の娘で通す。いいな」

「ういっす」

「分かりました」

「あじゅー、娘ってことは、喋り方」

「……うん、分かった」

「おお、賢い」

 ジャスパーにも頭を撫でられた。


 まるで子供扱いだな、と思って二人をよく見たら、二人とも身体が大きい。

 この世界では、自分は小柄なのだろうか。胸も……そんなにないしな、と杏葉は元彼に『色気がない』と言われたことをまた思い出してしまった。今はもうまるで遠い昔のようだ。


「ま、とりあえず食おうぜえ」

 

 ジャスパーがずいっと目の前に差し出してくれたのは、スープと肉の串。

 

「……口に合うかは、わかんねーけど!」

「ありがとう。いただきます」

「いただきます?」

「あ、食べる時の挨拶なの」

 興味津々だったので、説明した杏葉に対して

「へー! いただきます!」

 すぐにマネしてみせるジャスパー。

「ふふ」


 明るくて良い人だな、と杏葉は安心した。

 スープは温かく、野菜をよく煮込んだ味がして、美味しかった。


「あれだな、あじゅは、平和なとっから来たんだなー。それは、分かった」

 

 ジャスパーが、杏葉の食べっぷりを見ながら言う。


「初対面の人間からもらった食いもん、ためらいなく食うんだもんな。なんか入ってたらどうするよ」

「ひっ」

「ジャス……脅すな」

「だってさあ」

「はあ。まあ、気をつけるに越したことはない、てことだな」

「……分かった」


 しばらく無言で、口を動かす。

 杏葉の気持ちは、どこかずっと、フワフワしている。

 寝て起きたら、夢だったらいいのに、などと思っている。


「あの、ダンさん」

「ん?」

「なんて呼べば? お父さん?」


 んぐ! んげほごほ!

 と、一通りむせた後に。


「あーいや、そのままでいいぞ」

「ダンさん、で良いの?」

「おお」

「そっか」

「慣れてからお父さんにすればいーんじゃん」

 ジャスパーが、横からフォローしてくれる。

「……うん」


 じわり、とまた涙がにじんでしまう。


「無理しなくていい」

「うん、大丈夫。あの、任務って何か、聞いてもい?」


 涙を誤魔化したくて、杏葉は聞いてみる。

 肉の串はボリュームがあって(何の肉かは、怖くて聞けない)、すぐにお腹いっぱいになった。


「ああ、そうだったな」

 ダンは、肉の串に残った最後の欠片を噛みちぎると、串を焚き火の中に放りいれた。

「ここは、獣人の国リュコスだって話したな」

「うん」

「さっきの、川の向こうが人間の国ソピア」

「うん」

「今、その二つの国で、戦争が起きようとしている」

「ほえっ!?」

「お、戦争って言葉は、知ってるのなー」

 ジャスパーがのほほんと言って、スープを飲み干すその横で、ダンが渋い顔をする。

「この世界では、人間と獣人は、仲が悪い。というか、言葉が通じないから、全く交流ができなくてな。それでも別々の国として、無関係に成り立ってきたんだが……」


 ジャスパーが、二の句を継げないダンの代わりに告げたのは、

「ある日国境で、人間が死んだ。多分、獣人に殺された」

 という衝撃の事実だった。

 

「ころ……され?」

「……ジャスパー」

「十九は、大人だぜ?」

「あー……とにかくそれで終わらず、今度はキツネの獣人が死んで、人間、ウサギ……と続いてな。どちらからともなく川を挟んで、お互いの騎士団が睨み合う状況になってしまった」

「まー、獣人の国には、鉱石が豊富に取れる山があるらしくてさ。ぶっちゃけると王様は、そこが欲しいってわけ」

 ジャスパーが、焚き火に木を足しながら、言う。

 

 気づくと日が暮れてきていた。風が冷たく頬を撫でる。

 幸い着ていた服はそのままだったので、パーカーの前をぐいと引っ張って、風が入らないように身体を丸めた。

 

「王様、って?」

「人間の国で一番偉いやつだな」

 

 ダンが、懐から取り出した葉巻の端を口で嚙みちぎってブッと草むらに吐いてから、焚火に屈んで器用に火をつけた。

 ぷかぷかと何度か吸って吐いてを繰り返すと、大量の煙で表情が見えなくなった。

 

「獣人にも、いる?」

「行ってみにゃわからん」

 

 ふうー、と大きく吐いた煙が、暗くなっていく空気を白く染めている。

 

「俺らはさ、戦争なんてしたくねーのよん。で、やめろ! って王様に逆らった結果がさ」

 ジャスパーが、軽い口調で言うと

「獣人を説得してこい、だと。言葉が通じないんだが」

 と、ダンもそれに合わせた。

「王様、が?」

「「王様が」」

「二人だけで?」

「「二人だけで」」

「酷い!」

 杏葉が憤って叫ぶと

「っくく」

「ははは!」

 二人が笑う。

「何がおかしいの!」

「あーわりい、やっぱあじゅ、異世界人だわ!」

 ジャスパーが、杏葉の頭をくしゃくしゃ撫でる。

「おう、俺も確信した」

 ダンがまた、ふいー、と煙を吐く。


「王様の命令は絶対だし、逆らったらすぐに、さ」

 

 ジャスパーがウインクする。――それだけで、杏葉には分かった。

 

「だからアズハ、もしもソピアに帰れたら」

 ダンが、短くなった葉巻を焚き火に放り入れる。

「……絶対に王に逆らうようなことは、言うな」

「わ、わかった……」

「ま、最悪あじゅだけでも帰せるように頑張るから、安心しなよ」

 


 もしかしたら、この二人は……


 

 杏葉は二人の瞳の中に、覚悟が見えた気がした。

 ならば。



「じゃ、獣人の言葉が分かる異世界人の私が、通訳して戦争回避! それが、私の任務ね!」

 

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