第九話 探偵助手は話されたい
平内さんと昔のシーポートについて話をしていると再度「カラン」と扉から鐘の音が鳴り、誰かがドアを開けた。ふと、音の鳴る方を見てみると、二人の姿があった。長い髪をポニーテールにまとめ上げた私と同世代くらいの制服姿の若い女の子と、背は低いものの、背筋がぴんと伸びた柔和そうな白髪の老女性。すると、若い女の子が私達に気がついて。
「あ、いらっしゃいませ!」
元気な挨拶と一緒に、お辞儀をした。私達は戸惑いながら、どうもと会釈で返した。
「よう、郁美」
戸惑う私達をよそに、平内さんは元気のいい女の子に気軽に挨拶をする。
「あれ、オーナー!退院して大丈夫なんですか!?」
「おう。医者様から許可は貰ってるよ」
「え!え!いつ退院したんですか!」
「今日の午後だ。その足で店の様子を見に来たんだよ」
「わあ。退院おめでとうございます!」
「平内さん。お変わりない様子で」
郁美と呼ばれた元気な女の子の隣で静かに白髪の老女性が続けて言った。
「よお、佳子さん。心配かけたな」
「ええ。もう平気で?」
「まあな」
平内さんの言葉を聞いて、佳子と呼ばれた老女生は安心したように微笑みで返した。
「ああ、お嬢さん。こちら、足利佳子さん。この店のお得意さんだ」
キョトンとしたままの私達を気遣ってか、平内さんは右手を佳子と呼ばれた白髪の老女性に向けて、私達に紹介した。
「どうも、足利佳子と言います」
「亀有芹子です。初めまして」
「走間出雲です」
「走間八雲です」
「これは、ご丁寧にどうも」
佳子さんは小さく会釈をして。
「んで、うるせえ方が足利郁美。この店のバイトだ」
「もうオーナー!うるさいは余計ですよ!」
郁美ちゃんは頬を少し膨らませながら怒っていた。
すると、私達の声に気がついたのか、テーブルの奥にオッちゃんと一緒に座っていた宇治川さんが佳子さんに近づく。
「いらっしゃいませ、佳子さん」
「どうも、宇治川さん。また、手前のテーブル席を一人で使っても?」
「かまいませんよ。あそこは佳子さんと武雄さんの席ですから」
「ありがとう、宇治川さん」
ゆっくりながらも、オッちゃん達とは真反対の窓の近くにある席へ向かう佳子さん。
「郁美君。悪いが、佳子さんと、カウンター席のお客様に飲み物をお出ししてあげて。あと、私の居るテーブルにコーヒーを一杯。ホットでお願い」
「あ、いや、宇治川さん!二杯も頂きましたし、私達はもう……!」
私が手を左右に振り遠慮する意思を示した。依頼を受けてきているとは言え、これ以上タダで頂くのは悪い気もするし、なによりオッちゃんにバレたら怒られそう……。
すると宇治川さんはニコリと笑って。
「六槻さんにも同じ事を言われました。ただ、もう少し六槻さんとの話し合いが長くなりそうなんです。飲み物二杯だけで六槻さんを拘束しているのも、待って頂いてる皆にも悪いので、せめてもう一杯くらいは飲んで言ってください。六槻さんにもそう言って、了解を貰いましたので」
「え、ああ……。それじゃあ、すいません!ごちそうさまです!」
「「ごちそうさまです」」
「はは、こちらこそ。それじゃあ郁美君。私は向こうでお客さんと少し話があるから、その間お店を任せるよ。何かあったら呼んでくれ」
「分かりました!」
笑顔で敬礼をする郁美ちゃんに、「頼んだよ」と笑顔で返事をし、宇治川さんはオッちゃんがいる席へと戻っていった。敬礼を解いて、カウンター席に近づいてきた郁美ちゃん。棚からエプロンを取り出し、制服の上から着けた。カウンターのキッチンに行き、石けんで手を洗い、清潔感を保つ。そして。
「さて、飲み物は何にしますか!」
真っ白なタオルで手を拭きながら、私達に注文を聞いてくる。
「あ、私達は後で良いですよ。先にあちらのお客さんから」
私は窓際のテーブル席に座る佳子さんを指すと、郁美ちゃんは笑顔で「大丈夫です」と一言。
「おばあちゃんは後でも怒りませんから」
「おばあちゃん……?あ、確か『足利』さんって」
「はい!実のおばあちゃんです!」
「なるほど。えと、郁美ちゃん……で良いかな」
「はい!確か、亀有さんと走間さんでしたね。ええと、男の子が出雲君で女の子が八雲ちゃんでしたっけ?」
「「逆です」」
二人の声が今日イチバンのピッタリ具合。
こういうところは、やっぱり双子なんだな。
「男の子が八雲君で女の子が出雲ちゃんだよ。まあそっくりだから、見間違えたのかも」
「「全然違う。まったく似てない」」
「いや、似てるよー。すごく似てる。瓜二つとはまさにこのことって位に似てる」
まったくといって言いほど全然ずれない双子のハモりに、郁美ちゃんもうんうんと納得する。そして睨むように私を見る双子達。
何故、睨むのが私なんだ。
「あはは、ごめんなさい。もう間違えないわ」
郁美ちゃんの言葉に渋々納得する双子達。いつもこれぐらい素直なら良いのに。
「何か言った、芹子?」
「え、なにも言ってないけど……」
「でも何か思ったわね、芹子。正直に私達に話しなさい」
「あー、えと。そうだ注文!私は、アイスコーヒーを一つ貰いたいな!」
睨み付ける目線を目を背け、私は郁美ちゃんに注文を一つ。郁美ちゃんは分かりましたと元気よく言って、続いて。
「八雲君と出雲ちゃんは、何にしますか?」
「僕はアイスココアで」
「私も同じでお願いします」
「かしこまりました!」
しおらしく答える双子に元気よく答える郁美ちゃん。
「じゃあ、ちょっと待っててくださいねー」
そう言うと、郁美ちゃんは今度は佳子さんの方へと注文を伺いに行った。
「いやあ、何というか……。すまんな、お嬢さん」
郁美ちゃんがカウンター席から居なくなってすぐに、平内さんは私達にそう言った。なにが申し訳ないのか分からない私は、首を少しひねり頭にクエスチョンマークを出した。
「本来は注文を頂いたらすぐに作らにゃアカンのに、あの小娘は……」
「あ、そういうこと。いえいえ、大丈夫ですよ。私達は時間もありますし、おごって貰ってる身分ですから。それにあんなに元気だと、なんだかこっちも元気になっちゃいますよ」
「元気すぎるのが玉に瑕なんだがな。まあでも、あの子が元気なことで、俺達は救われるんだが」
「救われる?」
「ん。あ、いや。言葉の綾だ。元気なのは良い事って言いたかったんだ」
右手を顔の近くで軽く振り、何でもない、と平内さん。
「さてと、俺はあちらのマダムのお相手でもしてくっかね」
「マダム……?」
「「足利 佳子さんのことじゃない?」」
「ああ、なるほど」
私が納得していると、佳子さんから注文を受け取った郁美ちゃんがカウンターへと帰ってきた。帰ってきて早々、「注文は取れたか?」と言う平内さんの言葉に。
「はい、バッチリです!」
まぶしいほどの笑顔で答える郁美ちゃん。
「そうか。それじゃあ追加で、佳子さんが頼んだものと同じものを一つ。俺は、佳子さんのところに行くから、佳子さんの分と一緒に持ってきてくれ」
了解を取る前に、平内さんは立ち上がり飲み干したカップを置き去りにして、佳子さんの元へと歩き出した。
「はい、分かりました!」
きっとこの店の中で聞こえない人は居ないだろう私の予想以上の大きな声で、郁美ちゃんは平内さんの背中に向かって返事をする。
「さあて!ちゃっちゃと作りますよー!」
そう意気込むと、郁美ちゃんはコーヒーを入れる準備を始めた。ポットに水を入れ、お湯を沸かしている間に、カウンターの奥の台から小さい缶を取り出した。軽快にふたを開けると、ほのかに芳ばしい香り。
「わ、良いにおい」
「そうでしょう!」
何の意識もせずに、心に思ったことを口にした私に大きな声で同意を求めてくる郁美ちゃん。私は声の大きさに少しのけぞりそうになるのを必死にこらえ、うん、と首を縦に振って同意したことを示した。
「この豆はマスターのブレンドなんです!なんでも、オーナー直伝らしいとか!」
「へえ。ブレンドって、何と何を混ぜたの?」
「どうせ聞いても芹子じゃ分からないでしょ」
「そうよ、どうせ芹子じゃ聞くだけ無駄ね」
「うるさいぞ、双子」
さっきのお返しか?
似てることがそんなに嫌だったのか?
「すいません!私も分からないんです!コーヒーを入れるのは得意なんですが、味は点でダメで……」
「あ、分かる。コーヒーって全部味が同じで……」
「私の舌じゃ、細かいコーヒーの判別が出来ないんです。味や深煎り浅煎りとかは分かるのですが、それが何のコーヒーの種類かまでは判別できなくて……」
「そっちか!」
「え?」
「あ、いや、そ、そうだね!うん!コーヒーの深さ?とか、味の……深さ?」
「深さ二回言ってるよ、芹子」
「本人が言ってることは浅いわね」
「あと、酸っぱい?とか苦い?とかもあるしね」
「酸味のことを言いたいのだろうけど、言う前に語尾にクエスチョンマークつけて僕達に確認取りながら話すのもどうなの?」
「自信がないなら言わなきゃ良いのに」
「うんうん!コーヒーの細かい味なんて分からないよね!」
「「細かいどころか、さっき『コーヒーの味は全部同じ』って言ってなかった?」」
「ところで郁美ちゃん!郁美ちゃんの来てる制服なんだけど!」
必殺、急な話の方向転換。
双子の意見などには耳を貸さぬ。
たぶんあのまま会話を続けてたら、私のボロが出てたと思う。というか、すでにボロボロ溢れ出てた。
ボロだけに、ボロボロ、と。
いや、失敬。
「あ、すいません……。いつもはちゃんと制服に着替えてくるのですが、急ぎだったもので制服のままエプロン着けちゃってます」
「コーヒーの注文がいっぱい入ったからね。仕方ないよ」
「後でちゃんと着替えてきますから、今は勘弁してください」
「いえいえ。それよりさ、郁美ちゃん。郁美ちゃんって、綱校の生徒でしょ」
「え、そうですけど。なんで分かったんですか?」
驚いた様子で聞く郁美ちゃんに、私はどや顔になりながら。
「ふふふ。実は私、あそこの卒業生なんだ」
「え、先輩なんですか!」
「うん。田代先生が担任だったよ」
「あ、現国の田代先生ですか!」
「そう。眼鏡のちょっと理屈っぽい先生」
「私の現国の担任ですよ!」
「そうなんだ!」
「ねえ芹子。綱校って綱橋高校のこと?」
「そうだよ。正確には私立宗月大学付属綱橋宗月高校って言うんだけど」
私が噛まずにそう言い切ると「「長いね」」と双子は正直な感想を漏らした。
「長いでしょ。だからそこに通う生徒は、綱橋宗月高校とか、最初と最後の漢字を取って綱校って呼んでるの」
「なるほど、だから綱校なんだ」
「自分の母校だから、芹子は郁美さんも綱校の生徒って分かったのね」
「そういうこと!」
「なるほど、それじゃあヤバいね」
「自分が所属する高校の卒業生に、芹子がいたんじゃねぇ」
「どういうこと!?」
聞き捨てならない言葉が聞こえてきたが、双子は「「冗談」」と声を合わせて私をあしらう。腑に落ちないながらも、頬をふくらます私を見て、双子は静かに笑った。
「いつご卒業されたんですか?」
「今年、って言うか前年度に卒業したてでね。そのまま持ち上がりで、宗月大学に通ってる大学一年生」
「え、それじゃあ、一つ聞きたいんですが!」
「うん、なに?先輩が何でも答えるよ!」
「うわ、何でもとか言ったよ、芹子」
「許して上げなさいよ、八雲。高校時代は敬われる事がなかったんだから、これぐらいは良いじゃない」
「出雲がお優しいのは結構だけど。でもさ、質問には答えられる範囲で受け入れる方が良いと思わない?」
「その時は、墓穴を掘る芹子を見て楽しみましょう」
「それもそうか。身から出た錆と言うこともあるし、それは芹子に任せ……」
「訂正します!答えられる範囲で答えるよ、郁美ちゃん!」
「「うわ、言い直した」」
双子からブーイングが来たが、私はそれをキレイに受け流した。というより、聞かなかったことにした。
「亀有さんって、永沢先輩ってご存じですか?」
「永沢……誰さん?」
「永沢圭一さんです!文武両道で超優秀、所属するバスケ部では惜しくも県大会で敗退しましたが、それをキャプテンとして導く姿なんて格好良くて!その上優しい性格だったんですよ!前年度に卒業したので、亀有さんとは同級生なはずなんですけど……」
「え、あ、うーん……。私のいたクラスには、永沢なんていなかったかな」
「別のクラスだった、とかですかね。ああでも、同じクラスだった人がうらやましい……。私達は一年しか一緒にいられなかったのですが、それでも永沢さんロスが激しいんですよ」
「ロスって……。でも、へえ。卒業した今でも人気があるんだ」
「それはもう!私達のクラスにも熱狂的なファンもいて……!」
「郁美ちゃんもその一人?」
「もちろんです!」
鼻息荒く答えた郁美ちゃんに圧倒され、八雲君と出雲ちゃん、そして私は抵抗する間もなく体をのけぞらせた。
「はあ、そんなすごい人が私の同級生だったんだ……。実感わかないや」
「ちなみに大学は宗月大学に持ち上がりで行ったそうなんですが、亀有先輩、校内で永沢様と会ったりしませんか?」
「永沢様って……。ん、でも、永沢……?」
格好いい……。つまりはイケメン。
超優秀……。つまりは頭が良い。
んで、優しい……。
それはつまるところ、ノートを見せてくれるぐらい優しいと言うこと。
まさか……。
「何かご存じなんですか!?」
「ちょっと待って!?近い!近いよ、郁美ちゃん!」
目を大きく見開き、キスをするんじゃないかと言うくらいに顔を近づけてくる郁美ちゃん。のけぞった私の上半身が、もっとのけぞる形に追い込まれる。これ以上は背中の構造上、骨が折れる角度に達してしまう。
「し、知っているというか、何というか。人違いかもしれないし、そうじゃないかもしれないし……。名字は同じだけど……と、とりあえずバック。郁美ちゃん、今の状態から二歩か三歩下がって。私の背中が折れちゃう」
「あ!ご、ごめんなさい!」
私の言葉に気がついて、あわてて二歩、軽快に下がる郁美ちゃん。私は背骨を身体のあるべき状態へ戻し、ふう、と一息落ち着くと。
「私の知り合いにも永沢って人がいただけでさ。イケメンだしその人かなーなんて思ったんだけどさ」
「「たぶん人違いじゃない?」」
「私に対する遠慮のなさで有名な双子さんよ、その心は?」
「高校も大学も、成績が高度ギリギリの低空飛行な芹子が、文武両道で優秀なイケメンと知り合いとは思えないのが僕の考え」
「もし顔見知りになっても、芹子と接点を持つことは永沢さんにとってデメリットしかないと思うのが、私の意見」
「なるほど、二人が私をどんな風に思ってるのかが良く分かった」
これは、冬志さんに『タマネギとピーマンがたっぷり入った野菜炒め』を一週間作ってもらわなきゃならない。早急に。
この双子に敬いの心を持たせなければ。
などと私が悪い?事を考えていると、会話を続けた双子が「「あと」」と声を合わせる。
「これは私と八雲、共通の意見なんだろうけど」
「ほいほい、聞きましょう」
「永沢さんが日本にどれぐらい居ると思う?」
「え、さあ知らない。何人ぐらいなの?」
「私も詳しくは知らない。でも、十人二十人の話ではないと思うわ。地域のコミュニティにだって同じ名字は沢山あるし、高校ならなおさら多いでしょ?そんな中で、芹子の知り合いの永沢さんが、郁美さんが言う永沢様とイコールになるとは限らないわ」
「偶然の同姓同名人違いの可能性もあるしね」
「なるほど、そっか。んじゃ、たぶん人違いだ。私は私の記憶を疑おう」
私の知っている永沢君とその永沢様ってのは、たぶん別人だ。と双子の意見を大尊重、と言うか、真に受けた私はそう結論づけた。
「ゴメンね、郁美ちゃん。永沢って人の情報、何一つ持ってないや」
「そうですか……。やはり同級生でも、中々お近づきになれないんですね……」
「うん、たぶんそうなんだよー」
「「芹子が近づけないのは絶対に違う理由だとと思うけど」」
「だまらっしゃい双子」
私の突っ込みに、郁美ちゃんは声を出して笑い、同時にヤカンからお湯が分けたと合図が鳴り出した。
「ちょいと良いかい、お嬢さん?」
私の分、八雲君と出雲ちゃんの分。そして佳子さん達の分を入れ終え、ついさっき出来上がった宇治川さんとオッちゃんの分のコーヒーを持って郁美ちゃんがカウンターを離れた丁度の時、私の背後から聞こえた男の声。おそらくは平内さんであろう声に呼ばれて振り返ると、案の定私の後ろに、佳子さんの席に行ったはずの平内さんの姿があった。
「どうしたんです、平内さん?」
「向こうで、あちらのマダムと話してみないか?」
「え?」
右親指を立てて、佳子さんの方を指す平内さん。その平内さんの急な提案に、理解が追いつかず、私は首をひねる。
私が、佳子さんと、話……?一体何を話すことがあったろう?
「実は佳子さん、あちらの探偵についてききたいことがあるらしいんだが、生憎、今はお取り込み中だろ?それで、助手であるお嬢さんに話を伺いたいんだと」
「えっと、一体何の話ですか?」
「んー何だっけかかな?あの探偵がほんとに信用できるか、とかだっけかな?」
「あはは、それは……どうでしょう?」
引き笑いしてる私に、聞き耳を立てていた双子は鼻で笑った。それを聞いて、私は再度、あははと引き笑いをしてしまう。
「ま、そういうことで。佳子さんにお前さんの方からいっちょ説明を頼むよ。あ、コーヒーは自分で持ってけよ。高校の後輩だからって、顎で使って言い訳じゃないんだからな」
「聞いてたんですか……。分かってますよ。私はそんなことさせる人じゃありません」
「「どうだか」」
「双子めー。聞こえてるよー」
私は目の前のカップのみを持ち、下に敷いていたお皿はそのまま置き去りにして席を立つ。それを見て、双子も同じように立ち上がろうとすると「おっと」と双子の肩を押さえて、立ち上がるのを制止させる。
「坊主に嬢ちゃん。悪いがお嬢さん一人で行かしてやってくれ」
「「なんで?」」
「真面目に話しを聞きたいらしい。本当に信用できるのか知りたいんだと」
「……それって、結構真剣な話になるって事ですよね」
「らしいな。なんだお嬢さん、明らかに嫌そうな顔をして」
「私、真剣な話とか重い話は苦手でして……」
「ま、何の話か分からんがお嬢さん一人で佳子さんのところに行ってくれ。向こうのご要望でな。それからの話は、向こうで頼むよ」
平内さんはそう言うと、カウンターで元々座っていたオッちゃんの席に、再度座り直す。
「「いってらっしゃい、芹子」」
「まあ、いってきます……」
重い話になるのだろうか。もしそうなら聞くのは嫌だなぁ。
何て事を考えつつ、足取りは重く、されど暗い表情は出さないよう最大限の努力をして、私は佳子さんの待つテーブルへと向かった。
「あのう、失礼します……」
テーブルに近づいた私が恐る恐る佳子さんへ挨拶をすると、佳子さんは最初にあったときと同じ柔和な表情で。
「あら、いらっしゃい。どうぞ座って」
「すいません、失礼します……」
カップを置き、佳子さんと対面するように座った私は、「あのぅ……」と小さくか細い声で尋ねてみた。
「佳子さん、私に話って……」
「そうなんです。探偵さんが来ていると平内さんから聞いたもので、是非お話を伺いたいと思いまして。私、探偵という人を初めて見たものですから」
「え、あ、はい……。はい?」
真剣な話だと平内さんから聞いていた内容が、いざふたを開ければなんだ簡単な話だったと拍子抜けした私に、どうしましたと言う表情を浮かべる佳子さん。
「あ、いや。平内さんから『真剣な話』と聞いていたもので……。難しい話かなって、少し緊張していたんですが……」
「まあ、平内さんたら。私はただ、『探偵さん達とお話ししたい』と言っただけなのに」
「ああ、そういう……」
私は、はあ。と一息ついて、安堵で胸を下ろした。
「平内さんから色々聞いたわ。何でも、宇治川さんの過去について調べているんですって?」
「過去というよりは、過去にあった人捜しみたいなものですね。リリーさんって方でして。あ、名前はリリーですが、写真の見た目は日本人です」
本当は操作内容は口外しちゃいけないのだが、まあ宇治川さんのお得意様なら大丈夫だろ。という甘い判断をした私は、そう佳子さんの質問に答えた。この判断が、後でオッちゃんに怒られなきゃ良いけど……。
しかしながら、答えた後で少し心配になった私は佳子さんに「あのう……」と弱々しい声で聞く。
「宇治川さんの件なんですが、あまり他の方には話さないで頂きたいのですが……。バレたらオッちゃんに何て怒られるか……」
「あらあら。大丈夫よ。私は口が堅い方。秘密事は他言無用を突き通すわ。平内さんにも他の人にはしゃべらないでと、そう言っておいたから」
「それは助かります。あ、それともう一つだけお願いがありまして」
「何かしら?」
「もし、写真で知っていることがあったら、宇治川さんに協力してあげてください」
「あらあら……」
少し困った様子になった佳子さん。そしてしばしの沈黙。沈黙してから十秒程たった後。
「そうして上げたいのは山々なのだけど」
困った理由を話し始める佳子さん。
「私、生まれも育ちもこの町なの。私が宇治川さんのことで知っているのは、『記憶をなくした宇治川さんがこの町で暮らし始めた』ところからしかないわ。それ以上前の事柄には、申し訳ないけど力になれないわね。昔にカフェがあった町のことも、私には何も分からないし、行ったこともないの」
「そうだったんですか。確か行きで三時間かかるって言ってました」
「昔はもっとかかったと聞いたわ」
「らしいですね。確か、一日かかったとか」
「今じゃ三時間でいけるんですもの。便利になったわ。いつか行って見るのも悪くないかもしれないわ」
「でも、三時間かけていくのは……。それでも遠いですね」
「そうね、すごく遠いわ」
「でも意外ですね。佳子さんはこの町の出身なのに、シーポートがこの町に来る前に、海の町にあったことをご存じだったとは」
「え、ええ……。知り合いが一人いて、その方に色々教えて貰ったのよ。町のことも、移動が大変なことも全部。シーポートの事は、平内さんから聞いたわ」
「へえ、そうなんですか」
私は納得すると、アイスコーヒーを飲もうと手を伸ばそうとしたとき、そうだと思い付き、その手を引っ込めて佳子さんに聞いてみた。
「佳子さん、その方って今どこにいますか!?」
「あら、どうして?」
「その方が持ちの出身者もしかしたら、海の町について何か知ってるかもしれないと思いまして……。もしかしたら、その方は宇治川さんのお知り合いで、リリーさんについて知っているかも。どうにかお会いして、お話を聞きたいのですが……」
「あらあら、そう……。だけどごめんなさい、それは無理なの」
目を閉じ小さく首を横に振る佳子さんに、理由が分からなかった私は何故ですか、と聞いてみると。
「その方はね、とうの昔に亡くなっているのよ」
「あ……。それは、その……。すいません……」
私は座ったまま、テーブルにおでこが着くギリギリまで頭を下げ、そう言った。佳子さんは「気にしないで」と微笑みながら言ってくれた。
「これも昔の話だから。平内さんと同じ、気の遠くなるような程に遠い昔。いっそ忘れた方が良いくらい、昔の出来事だっただけ。ただそれだけのことよ」
とても悲しそうに。
そして儚そうに。
されど愛しく。
佳子さんは、確かめた思い出を懐かしみ、そして冷たく、そう言った。
「気の遠くなるほど、遠い昔、ですか……」
「ええ、そう」
私の言葉に佳子さんは笑顔で肯定した。そして、話を続ける。
「誰も気がつかず、忘れて、そのまま埋もれてしまえば良い思い出だってある。思い出さなくても良いことだってあると思うの。知らないことを知らないままでいることは、不幸なことかしら?私は、このまま誰かが傷つく可能性のない『現状』のまま、未来を迎えたいわ」
平内さんと同じ考え方である佳子さん。
「……それは、宇治川さんのことを言っているのですか?」
恐る恐る、私は聞いてみた。すると、思ってもみない返答が。
「はいでもあり、いいえでもある。この言葉は私自身のことでもあるのよ」
「佳子さん自身のことですか?」
「そう。年を取る事は、色々な事を経験するという事よ。私も平内さんも、宇治川さんそう。甘い思い出もあれば切ない思いでもあるし、苦い思い出だってある。そして思い出は時として、人を苦しめることだってある。自分だけじゃなく、他人も、思い出の中の愛しい人までもを傷つかせる」
「………………………」
「もし宇治川さんが知りたいリリーさんの思い出が、宇治川さんを傷つけることになったら。宇治川さん以外の人が傷つくことになったら。正直な話、宇治川さんは自分の過去を知りたがっているけど、私はどうしても暗いことしか考えられなくて。いやね、年を取るって」
佳子さんは笑顔で、そう私に微笑みかけた。
「ごめんなさいね、こんな話をしてしまって。けれども、探偵さん達に私の考えも分かっていて欲しくて、ついこんなお節介をいってしまって」
「い、いえ。そんなことは……」
私は両手を細かく振って、そして。
「むしろ今、話を聞いて『なるほど』と思いました。もし、宇治川さんが知りたい過去が、本当は宇治川さんが忘れたい過去だったら。もし思い出して、宇治川さんが悲しむことがあったら」
その時、私は。
暴いた過去にどう向き合えば良いだろうか?
暴かれた事実をどう突きつければ良いのか?
私自身は宇治川さんとちゃんと向き合える?
私に、そんな覚悟はあろうか?
「ああ、人の過去を調べる事って、難しいんだなって」
私は、ふとオッちゃんに目線を向けた。宇治川さんと真剣な表情で話し合い、かと思ったら笑顔になるときもある。時折、笑い声が聞こえてくるほどに。愛用の手帳に、聞いた情報を真剣な表情で書き込んでいく。
「でも、きっと。オッちゃん、あの探偵なら大丈夫だと思います」
私は、静かに、そう言った。
「あの人は、大事なことを分かってる人ですから。もし宇治川さんの過去が、佳子さんが心配する様なことだったら」
「どうするの?」
「痛くない腹を隠すと思いますよ」
「それって嘘をつくと言うことかしら?」
「はい。ですが、あの人の場合は意味のある嘘をつきます。人が人であるための、他人を傷つけることのない嘘です。探偵は、それが例え嘘であっても秘密を突き通すものです。あの人ならたぶん『相手の知りたいことは所々で教えて、されど余計なことは言わず、そして嘘と曖昧は会話の良いスパイスにする』みたいなことを言いますよ」
「あらまあ、そうなの。面白そうな人ね」
したり顔で話す私に、右手で口元を書くし、ふふっ、と笑みをこぼす佳子さん。
「あの探偵は、依頼人を不幸にはしません。もちろん、時と場合に寄りますが。それでもきっとオッちゃんは、宇治川さんの過去がどうであろうとも、宇治川さんを不幸にする結果にはしません。甘いって言う人もいますけど、でも、オッちゃんの甘さは優しさなんです」
「甘いということも、必要な事よ。こんな世の中じゃ特にね」
そんな、佳子さんの言葉に。
「きっとあの探偵は、結果がとてつもなく悲惨であっても、誰も傷つかない道を選びますよ。絶対に。だからリリーさんを見つけるなんて難しい案件も、笑顔で引き受けたんですから」
私は自慢げに笑顔で答えたのだった。
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