第五話 図書館長は分からせたい

「なるほど。あたしが来る前に、そんな大事件があったのか。だからあいつは、あんなにヘコんでるのな」

午前十時、今丁度、長い針が時計の三の数字を指したと同時に、箒を持った女の子は首を立てに振りながら納得をした。髪型は短く刈り込むほどのショートに刈り込んでいる。荒っぽい言葉使いと高身長で、それでいてほどよい筋肉質のモデルの様な体型から、不良にしか見えない彼女、文野 悠香に対し、私は「そうなんだよ」と肯定をした。

「やっぱり学校の定食は美味しいと実感したよ」

「いや、そこじゃねえよ」

「分かってるって。定食の値段はやっぱり高いよ」

「まったく分かってねえ。そうじゃなくてだな」

「それは、悠香ちゃんがセレブリティーなだけで、世間一般の大学生から見たら定食は言い値段がするわけであって……」

「定食から離れろ」

はあ、とため息を一つついて、悠香ちゃんは持っていた箒で掃除を再開した。私も掃除を再開した悠香ちゃんを見習い、掃き掃除を再開した。

朝食を食べ終えた私達が図書室へと着いたときには、私達がバイトで行なうべき本日の仕事である掃除はすでに始まっていた。部屋には、同じくバイト仲間の悠香ちゃんと、卯月さんがすでに到着しており、掃除を行なう準備をしていた。集合時間通りに、バイトメンバー五人全てがそろい、先生の指示の元、私達は図書室の掃除をしているところであった。

そうじゃない、と掃除を続けながら、悠香ちゃんは話を続けた。

「あたしが言いたかったのは、定食じゃなくて、あいつのことだよ」

「あいつ?悠香ちゃん誰のこと言ってるの?」

「あれよ、あれ」

作業の手を止めて、悠香ちゃんは右親指で『あれ』称されたある人物を指した。私は指された指先からまっすぐ目線を向けると、生気なく箒をはく永沢君と困った顔をして本を運ぶ八城君がいた。

「ん、永沢君達がどうしたの?」

「あのイケメンが落ち込んでる理由だよ。そんなことがあったなら、そりゃヘコむわな」

「え、なんで永沢君ヘコんでいるの?」

「……………………」

「ん、どうしたの悠香ちゃん?」

苦い顔をした悠香ちゃんは、少し悩んだあと、周りを見渡した。

「ちょっと待ってろ、助けを呼んでくる」

「えっ、助けって?」

私の疑問に対して悠香ちゃんはなにも答えることはなく、大きな声で「卯月ー」と呼んだ。すると、本棚を三つくらい挟んだ先から、ピンク色のカチューシャでとめた長髪を揺らしながら早歩きで近づいてくる一人の女性。身長は女性にしては控えめなものの、かわいらしい見た目と、可憐なワンピースがなんとも女子的な彼女、来栖 卯月の第一声が。

「ちょっと悠香さん!図書室で大きな声はダメですよ!」

注意喚起だった。

「いや、お前も大概大きな声だぞ?」

「あっ、しまった!」

「それに誰もいないんだから、大声で呼んでも良いんじゃねえの?」

「それはいけません!図書室とは元来、静かに勉学をたしなむ場所なのですから!」

「図書室は本を読む場所だろ?別に勉強する場所じゃねえよ」

「いいえ!知識を蓄えるという点では、勉学であっています!」

「さいですか。ま、それは良いとして。卯月、助けてくれ」

「はい?何かあったのですか?」

「ん、耳貸せ」

言われるがままに耳を貸す卯月さんに手をかざしながら内緒話をする悠香ちゃん。話を聞く卯月さんは「うん、うん」と頷き、最後には「えぇ……」と少し引いていた。

「なるほど、事情は分かりました。しかし、私にどうしろと?」

「助けてくれ」

「いえ無理です。私にはどうしようもできませんよ」

「頼むよ、助けてくれって。こんな麗らかな夏休みの始まりが暗いイケメンとセットでくるなんてあたしはヤダぜ」

「ねーねー二人とも。なんで永沢君はヘコんでるのさ?」

「「………………………」」

「な、なに?その冷ややかと言うか、哀れみというか、可哀想な目線を私に向けてるのは?」

「あーもう……」

「お気楽で良いですね、芹子さん……」

「卯月さんヒドっ!」

「妥当だよ。本当に気楽だよ、芹子は」

「悠香ちゃんまで!?」

私達がそう話していると、「こら、そこ」と私達を注意する声。振り向くと、髪をシニヨンにまとめた長身で美人の女性が一人、箒を持ちながら立っていた。悠香ちゃんと同じくらいの身長ではあるが、この方の場合だとモデル、と言うよりも女優と言った方がニュアンスがピッタリ合う。そんな感じの空気をまとう、美しく、気品ある女性が一人。

「ダメだろ、話していちゃ。図書館の掃除は午前中に終わらしたいんだ。口よりも手を動かさないと」

「あ、館長さん」

私が館長こと水無 天乃さんにそう言うと、館長は「やあ、芹子君」と笑顔で軽く右手を挙げて挨拶をする。

「卯月君と悠香君も。全く話すなとはいわないけど、それでも賃金の発生している仕事だ。本来の仕事はきちんとこなさないと。さ、手を動かさないと午後までかかるよ。掃除ごときを一日がかりは嫌だろう?」

「だってよ、館長。あのイケメンがさー」

「あのイケメン?ああ、圭介君のことか。何かあったのかい?」

「あー、まあ。館長、耳貸して」

悠香ちゃんは卯月さんにしたように、館長にも内緒話をした。悠香ちゃんが館長に内緒話をしている間に、「ねえねえ、卯月さん」と話しかけた。

「悠香ちゃんからなんの内緒話?」

「ああ。永沢さんが元気のない理由を聞いていました」

「え!悠香ちゃん、永沢君が落ち込んでる理由が分かったの!?ちなみに、どんな理由だった?」

「………………………………」

「ん、どうしたの卯月さん?」

「いえ、何でもありません……。ああ、それと。理由は、悠香さんに直接聞いてください。私じゃ理由を上手く説明できないので」

「んー?まあ、よく分からないけど、分かったよ」

私がそう言うと、卯月さんは「お願いします」と笑顔で言った。

「なるほどね。それは由々しき問題だ。本人が気がついていないというのが、輪をかけてマズい問題に発展している様に感じるよ」

悠香ちゃんの説明が終わり、館長は納得した顔でそう答えると、そのまま話を続けた。

「なので、悠香君と卯月君はこの状況をどうにかしたいと必死になっている最中だと。つまりはそういうことだろう?」

「その通りっす。あたし的には、ここから館長がなんとかしてくれるなら、拍手喝采万歳物なんすけど」

「私は悠香さんに巻き込まれただけなのですが……。まあ、状況が好転することには賛成ですね。だって見てくださいよ、あれ……」

卯月さんはそう言って、永沢君を指さした。丁度その頃、励ます様な勢いの八城君と話している最中だった永沢君の背中は、哀愁漂う悲しさがにじみ出ているようだった。

「あんなに悲しい背中、見ていられませんよ」

「そりゃ、まあ。永沢があんなになったのは、一世一代の告白とまでは行かない物の、本人が勇気を振り絞って誘った食事を、あれだけかっこいいからだの、断るヤツはいないだの言っていたにもかかわらず、無理と一刀両断した阿呆のおかげだろ。良い迷惑だ」

「えっ、永沢君の食事を断った輩がいるの!?誰なの、そのアホは?」

「うん、芹子君は少し黙っておこうか」

ふう、とため息を一つはいて、館長が目を細めた。

「それじゃあこうしよう。圭介君を励ますために、そして図書館のドンヨリとした空気を変えるために、今だけ、私が何とかしよう」

「館長さんが永沢君を励ます?でも館長さん、どうやって……?」

「時に芹子君」

私の発言を遮ぎり、館長は私に問いかけた。

「君は、今日の午後は開いているのかい?」

「え……?い、いえ、開いてませんよ。確かそれは、館長に伝えたはずですが……」

「ああ。そういえば、そうだったね。それじゃあ明日か明後日はどうかな?空いている日はあるかい?」

「あ、えと……。あ、明後日なら空いていると思います……。たぶん……」

「たぶん?」

笑顔で聞く館長さん。ただし、目が笑っていなかったが。

「い、いや!絶対!絶対大丈夫です!」

私は予定帳も開かず、館長の威圧に圧倒され、空いているであろうという希望的観測の元、自分自身の予定を館長へと伝えた。

「よろしい。それではこれを与えよう」

そう言うと、館長さんはポケットから小さな正方形の紙を取り出して、私に渡した。

「えと……。これ、何ですか?」

「ん?クーポン券。この券を近くのお好み焼き屋さんに今週末までに持って行くと、なんと合計金額から二割引をしてくれるって。良かったら、明後日のバイト終わりに皆と行ってきなさい」

「え、貰っちゃって良いんですか?しかも食べ放題で一席グループ人数分まで良い奴じゃないですか!ほ、本当に貰っちゃいますよ?」

「どうぞどうぞ。あ、でも。行くのなら、バイトのメンバー全員で行くべきだよ?ここは公平にかつ平等に、権利を行使するべきだからね。独り占めは、よろしくない」

「分かってますよ!悠香ちゃんと卯月さん、あ、あと永沢君や八城君も誘おう!ねえねえ、二人とも良いかな?」

「へ?あ、ああ……。あたしは良いけども……。卯月は?」

「わ、私も、予定は、空いてますけども……。ええ、大丈夫です……」

あっけにとられながら答える二人に、私は元気よくオッケーと答える。

「それじゃあ、私、永沢君と八城君にも聞いてくるよ!」

私は一方的にそう言って、二人の元へと向かおうとする。

と、その瞬間。

館長さんが、一言。

起きた事実を漠然と受け入れていた悠香ちゃんと卯月さんに、呟くように言った。

「はい、どうにかしたよ」



「よし、本の整頓終わりと。卯月、芹子。そっちはどう?」

「掃き掃除と拭き掃除、共に終りました。残っている仕事は、ゴミ出しだけですね」

「ゴミ出しなあ。めんどいなあ。集める場所ってたしか、図書館から一番と追いところじゃなかったっけ?悠香ちゃん、一緒にいこ?」

「断る。あんたの仕事だろ」

「むう。ねえ、卯月さん、一緒に……」

「お断りします」

「こっちもか。それじゃあ、ジャンケンで決めるのは……?」

「ジャンケンで決めたから、芹子さんの担当になったのでしょう?」

「ほう、言うようになったねぇ卯月さん……。しかし発言は私と三本勝負のジャンケンを勝手からにして……」

「つべこべ言ってないで行ってこいって。こんな暑い中であの長い距離を歩くのは、あたしも卯月もヤだよ。犠牲は一人で十分だ。だいたいあんたが『持って行く人はジャンケンで決めよ!』って言ったんだろ」

「確かにそうだけど……」

午前十一時三十分を過ぎたところ。

私達は、館長が予定していた時刻よりも早く掃除が終りそうだった。残る作業は、掃除をするに当たって出た二つのゴミ袋を、大学が指定している収集場所まで持って行くことだけであった。

「分かったよ……。むう、めんどいなー」

私はぼそりと、そう呟いた。

と言うのも、この『大学が指定している収集場所』というのは、敷地内の角に当たる場所なのである。ゴミの収集の関係や、場所の確保などの関係で収集場所はどうしても角でなければならなかったらしく、そしてなんと、正門近くに建てられた図書館からゴミ収集名所までの距離はとてつもなく遠いのである。夏の炎天下や重いゴミ袋二つを抱えていくというのは、拷問以外の何物でもない。

「よし、仕方ない!ここでウダウダしていてもなにも始まらないし、ここは一つ、覚悟を決めて行ってくるか!」

そう、何とか覚悟を決めた私の後ろから「亀有」と私の名を呼ぶ声。誰だろうと思い振り返ると、永沢君の姿が。先程、私が貰ったお好み焼き屋さんの割引券を使い、バイトのメンバーで食事に行こうと誘ったところ、二人からは二つ返事で行く事を了承してくれた。掃除の始まった時とは別人のように明るく、そして負のオーラなど微塵も感じさせず、いつもの落ち着きを取り戻していた。

きっと、館長さんから貰った割引券のおかげなのだろう。そんなにお好み焼きが好きなのかな?

「どうしたの、永沢君?」

私は、永沢君に声をかけられた理由を聞くと。

「あ、いや、えと。お前もゴミ出しに行くんだろ?」

「ん?ああ、そうだよ。今から行ってくる」

面倒くさいけどねー。と私は笑いながら右手をひらひらとさせて、少し戯けながら答えた。

「えと、そのゴミ出しなんだけど、俺が行ってくるよ」

「ええっ!?いやいや、流石にそれは悪いよー。これ位は誰にも力を借りずにやらないとさ」

「ああ、いや、そうじゃないんだ。言い方が悪かった。すまん」

永沢君の言葉に私は「へ?」と首をかしげた。

「俺達の方も、結構な量のゴミが出たんだ。確か量は、五袋。俺と八城の二人がかりなら二往復で終るが、流石に遠すぎるし、外も暑い。それで館長が台車を貸してくれるらしく、俺達は一回でゴミを全部持って行くつもりだったんだ。そしたら、亀有も持って行く様だったから、それなら俺達が亀有の持って行く分も合わせて一気に持って行こうと思ってさ」

なるほど、と相づちを打つ私に、そういうことだ、と永沢君。

「だから、俺に任せてくれ」

「うん。それじゃあ、お願いしても?」

「もちろん。それじゃあ、行ってくる」

そう言って、永沢君は私からゴミ袋を奪い取り、そのまま玄関から出て行った。

「ずいぶんと甘やかされてるねぇ、芹子君」

永沢君を見送る私の後ろから、いきなり聞こえた館長さんの声。私は体をビクッとさせて驚いた。

「ちょ、館長さん。いるならいるって言ってくださいよ」

「いや、結構前からいたけど……。芹子君のゴミ出しジャンケンの下りからここにずっといたよ」

「えっ!気がつかなかった……」

「ああ、気にしなくていいよ。私の存在なんて、幻獣よりも幻に近いから。町で見かけたときは、一日幸運になれる位レアな生物だから」

「そうなんですか?」

確かに、学校外で館長さんを見かけたことは、記憶の中では一回もなかったり。

「そうなんだよ。幻も幻、レアすぎていつUMA事典に載るか分かったものじゃない」

「それはないでしょ」

その事典に載ったが最後、あなたは人間じゃなくなる。

「それにしても。さっきも言ったように、圭介君は甘いねえ。芹子君にも甘いし、自分自身にも甘い。見ているだけで甘ったるいチョコレートが食べたくなってきたよ」

「甘い、ですか?」

そう。と笑いながら近くの席へと座る館長さん。私も館長さんの向かい合わせになるように、椅子に腰をかけた。

「青春のように甘酸っぱく、されど優しさと甘えを間違えてる点で考えが甘く、何より彼自身の踏み込みの弱さに、詰めが甘いとしか言いようがないねぇ。見ていてヤキモキする」

「なんか、甘いって言葉がゲシュタルト崩壊してきました……」

ふふふ、と目を細めて、館長さんは笑う。

「甘いと言えば、先輩も、芹子君には甘そうだね」

「先輩?ああ、オッちゃんの事か。あれ、確か、館長さんとオッちゃんて……」

「高校と大学が同じ、先輩後輩の中だよ」

館長さんの言葉に、ああ、そうだ。と私は思い出す。

以前、館長さんから聞いたことがあった。館長こと水無天乃はオッちゃん、六槻 限の一歳下にあたり、館長曰く、よくお世話して貰った、とのことである。私としてはオッちゃんがお世話をしたと言うことが半信半疑、むしろ全くのでたらめじゃないかと思われるこの話なのだが、以前オッちゃん本人に館長さんの話を聞いてみたところ、すごく渋い顔をしながら。

「いたな、そんなヤツ……」

と一言だけ言っただけで、その後なにを聞いても「覚えてない」の一点張りだったので、真相は分からなかった。

「そうですか?」と私は館長の言葉に反論した。

「オッちゃんが私を甘やかしているとは、どうにも考えられないのですが……」

「いやぁ、あれは完全に甘やかしてるよ。親戚のおじさんが姪っ子に会ったときくらい甘やかしてるね」

「そうですか?」

「そうともさ。芹子君は思い当たる節はない?」

「うーん……」

まあ確かに、オッちゃんが暇があるときにはコーヒーは入れて貰っている。寝床もオッちゃんの家に居候させて貰っているし、仕事もたまに回してくれる。オッちゃんありきで私が存在していると言っても過言ではないだろう。

失礼、過言だった。

しかし、まあ。

これらのことを含めて考えてみると、これは甘えているのだろうか?そう言われると、そんな気がしなくもない、気がしてきた。

「もしかしたら、そうなのかなぁ?」

「ふふふ」

悩む私を見て、館長さんはまたも目を細めて笑った。そして小さく「ねえ」と私に聞く。

「先輩は、元気?」

「オッちゃんですか?元気も元気、毎日うるさいぐらいですよ」

「そっか。それは、良かった。それにしても、うるさい位って」

「いえいえ、実際そうなんですよ。すごく口うるさいし。昨日も、ちょっとしたことで怒られちゃって」

「それなら、学生時代となにも変わってないね。ふふ、懐かしいな」

「学生時代からですか!」

はあ、と私はため息を一つついた。

そしてなにも考えず、次の一言。

「だから未だに、いい人が見つからないんだよなぁ」

「えっ……。先輩、まだ独身なの?」

「そうですよ。かといって、彼女とかもいる気はいないし。いれば彼女や自分にお金をかけるじゃないですか。だけど、本人の使い道はコーヒー一択だし。いや、あれはもうコーヒーが彼女ですね……。豆といつか結婚でも……、あれ、館長さん?」

昨日、鍵をかけ忘れて怒られたことを少しばかり愚痴をこぼしながら話そうかと思った矢先、チラと館長さんの表情を伺ったところ、館長さんは目を大きく開き驚いた表情をしていた。

「どうしたんですか、驚いた顔をして?」

「え、あ、いや。先輩がまだ独り身だったとはね……。すこし、いや、結構驚いた」

「えー、そうですか?」

私の言葉に、「本当だよ」と笑顔で言う館長さん。

「昔は、それこそ大学生の時なんかは、すごくモテてたんだよ」

「嘘ですね。それは、百人中百人が分かる嘘ですよ」

「いや、嘘じゃないって。本当だよ。先輩は、頭も切れるし、性格も優しい。何より見た目も格好良かった。先輩が所属する学科以外でも、人気だったぐらいだよ」

「ええー」と私は半信半疑、もしかしたら一割も信じていないその発言に対し、残った一割の信じる心から、オッちゃんの大学生姿を思い浮かべる。

今より三割増しの、イケメン大学生であるオッちゃん……。

「…………………………………………」

「うん?芹子君。急に目なんか瞑ってどうしたんだい?口元も、なんだかへの字口になっているけれども?」

「あの、館長さん」

「なんだい?」

「やっぱりオッちゃんの格好いいところなんか想像できません!」

「ん、なに、急に?あ、さっきの話のことか。なんだ、心配して損したよ。急に目を瞑るから、私との会話で芹子君が寝てしまったのかと思った。私との会話は、人に睡眠作用でも催すのか、とか。私の声の波長に、睡眠へと誘う何かがあるんじゃないか、とか」

「私が言うのもあれですが、そんな人間はいない」

今まで話していた人が急に眠るのは、ホラーか何かだ。人間業じゃない。

「まあまあ。今のは冗談にしても、先輩がイケメンだったのは本当だよ?なんなら、本人に聞いてみると言い。今日は、先輩とは会わないのかい?」

「いえ、午後から会いますよ」

「へえ、どこで会うんだい?」

「隣町ですね。私はそこに直接行くので、場所を決めて待ち合わせます」

「ちなみに、何の用事で行くんだい?」

「…………買い物ですね!」

「ほほう、先輩の仕事の手伝いをしに行くんだね?」

「何でばれた!?」

驚く私に、はあ、とため息をつく館長さん。

「ばれるもなにも、君と先輩が買い物に行くって言う時点で、嘘だってばれてるから」

「え、なんでですか?」

私の問いに、館長さんは笑顔で右手の指を三本立て、そして、説明を始めた

理由は三つ。

一つ目は、バイト終わりにわざわざ隣町まで買い物に行くのか。別日に一日かけて買い物をした方が、時間に取られなくて良いでしょ。でも、なんでわざわざバイト終わりに行くのか。そこがまず怪しい。二つ目は、先輩が芹子君の買い物に本当に付き合うのか。二人とも、各々、買い物しそうじゃない?それに、服を買いに行こう物なら、大学時代から先輩の性格変わっていなければ、まず嫌がるね。行こうともしない。

「それなら、三つ目は?」

私のさらなる問いかけも、館長さんはクスっと笑って、淡々と説明をした。

「さっきも言ったろ?先輩は君に甘いって。仮に前二つの条件を全て満たしていたとして買い物に行くのなら、芹子君が自宅に帰ってから先輩と二人で行くはずだ。待ち合わせなんて、そこにつくまでの過程で何があるか心配でたまった物じゃないだろう。先輩なら、絶対そんなことはさせないよ」

でも、今回は致し方のない事情で、この三つの条件を先輩が折れる形でまとまった。

それは何故か?

「答えは一つ。急ぎであり、今日じゃなければ、もしくは早い日に済ませなければいけない用事があった。芹子君にも関係のあるもので、それは何かと考えれば、答えは自然と、仕事関係だって見えるよ」

「おおー!」

私は驚きと納得の狭間で、館長さんへパチパチと拍手を送った。

「すごい、すごいですよ館長さん!オッちゃんなんかより、よっぽど名探偵でした!」

「はいはい、ありがとう。ところで、その仕事は大丈夫なのかい?」

「大丈夫とは?」

「危険な物じゃないかと言うことさ。君の安心のため、できれば午後に行なう仕事の内容を教えて貰いたいのだけど。なに、詳しくじゃなくて言い。ざっくりと、教えて貰いたい」

「……あまり仕事のことは部外者には話すなとオッちゃん、じゃなくて探偵さんから言われておりまして。守秘義務厳守とのことで内容は言えません」

私の言葉を聞き、目を細める館長さん。

「それ、本当に大丈夫な仕事かい?」

「それはもう、安心してください!本当に、万全の、完璧すぎるほど、大丈夫なくらい大丈夫なアルバイトです!」

「よし分かった。先輩に聞いてみるから連絡先を教えるかケータイを貸しなさい。本人から直接聞き出してあげる」

「私への信用がなさ過ぎる!」

何故、信じてもらえないのだろうか?

「いや、まあ。電話は冗談だとしても、あの言い方だと信じてはもらえないだろう。かえって怪しすぎる」

「そうですか?」

「そうだよ。さて、話を戻そうか。そのバイトの内容は?アルバイト内容の場合によっちゃ、先輩をはっ倒す羽目になるからね」

「はっ倒すって……」

「吹っ飛ばすのもありだよ?」

「………………………」

私は、仕事内容の一切を言わずに自分での説明を試みようと少しだけ考えてみて、そして、館長相手には無駄なあがきだと気がつき、すぐさま諦めた。この間、館長の発言終了から二秒ほどでの判断。我ながら、すばやい英断であると思う。

私は、ケータイを取り出し、とある写真を館長へと見せた。宇治川さんの許可を得てケータイで取った、宇治川さんと店長である平内さん、そして名も知らぬリリーさんが写っている写真。どうぞ、私はケータイごと館長さんへと渡し、そして。

「その写真に写っているキレイな女性を探して欲しいと依頼がありました。依頼主は女性の横に座っているハンサムな男性です」

「これまた、古い写真だね。私や先輩が生まれるよりももっと前だ。三十年、じゃきかないのかな?」

「さすがに何年かまでは分かりませんが、館長さんの言うとおり、かなり古い写真だと思います。昨日、依頼が来たんです。写真に写っている女性、名前がリリーさんとしか分からないのですが、探して欲しいということで。日がたたないうちに隣町にいる依頼主に会って詳しく話を聞くことになったんです」

「それで早速実行、本日の午後に先輩と待ち合わせて、その依頼主の元へと行こうというわけだ」

「その通りです」

私は頷いた。なるほどね、と館長さんは納得し、ケータイを私に返しながら「ちなみに何だけど」と館長さんは話し始めた。

「写真を見る限り撮られたのはかなり前だけど、リリーさんとやらには何か情報がないのかい?」

「え、情報ですか?」

「そう、情報。見たところ外国人ではなく東洋人だと思うけど。なんせ名前がリリーだからね。何でも良いから知ってることを聞きたいんだ」

と言うのもだ、と館長さんはあっさりとした言葉でさりげなく。

「私、このリリーさんって人、どこかで見たことあると思ってさ」

超重要な驚きの発言を、さも当たり前のように出した。

「え、ど、どこでですか!」

「ちょ、芹子君!声が大きいって!ここは図書室だよ?誰も使っていないからって、大きな声を出して良いものじゃない」

「ああ、すいません……。じゃなくて!」

私は図書室での発現可能な声量をめい一杯出して突っ込みをして、そして。

「ど、どこで見たのですか?」

もしかしたら真相に近づくかもしれない情報を、机を前のめりになりながら、自分が保てる平静を最大限まで高めて、館長さんへと問い詰める。

「いや、それが思い出せないから、何か情報はないかと聞いたんだ。確かにこの顔、見たことはあるんだ。自身はまずまずある。ただそれが『どこで』なのか、『なにで』なのかが思い出せないんだ。名前はリリーさんではなかった気がするから、あくまで似た顔の可能性もぬぐいきれないけど」

「なぁんだ……」

「何だとはヒドいな……。まあ、安全なバイトだって分かった以上、止めはしないよ。その代わり、何か分かったら私にも教えられる範囲でいいから教えてくれ。もしかしたら思い出すかもしれないし、芹子君や先輩の力になれるかもしれない。なによりも、このまま思い出せないことに対して、体がムズムズしてしょうがない」

私は分かりましたと返事をして、ケータイを片づけようとした瞬間、思い出したように。

「そう言えば館長さん」

「ん、なんだい?」

いつものにこにこと優しい笑顔にも戻った館長さんに対して聞いた。

「オッちゃんに電話はしないんですか?」

「へっ!?」

変な声を上げ、一瞬固まった館長さん。そして、少し焦った様子で。

「い、いや、大丈夫かな!?バイトの安全性も、依頼内容の透明性も、すべて芹子君から聞けたし。わざわざ先輩に電話する必要はないよ」

「え、いいんですか?もし私が嘘でもついていたら、とかあるじゃないですか?」

「自分から『今の話は嘘です』とばらす人は、嘘つきじゃないよ。それに、芹子君はそんな高度な嘘をつけるほど、裏表のある人じゃない」

「はあ……。なんか馬鹿にされてるのか褒められているのか分からないような……」

「ははは。まあ、そう言うことで、先輩に連絡はしなくても大丈夫だよ」

「そう、ですか。確認だけでも、とは思ったのですが。まあ館長さんが言うのなら大丈夫ですよね」

そう言って、私はケータイを片付けた。

「そうだよ。けっして、大学生ぶりに話すから緊張して話せないと言うことではなく、あくまで芹子君の心配をしてのことだと言うことを、あしからず」

「分かってますって、大丈夫ですよ」

「そう、これはむしろ、芹子君を信用してのことだよ。私と君との信頼関係の中で、二重の確認は不要なはずだ。決して、私が今、何の準備もしていない段階で先輩と電話したら、緊張で頭が回らなくなりそうなんて何一つ思ってもいないし、嬉し恥ずかしな気持ちを押さえられないなんて、これっぽっちもないことを知ってて欲しい」

「もちろんですよ。館長さんがまさか、あるはずがない」

「ましてや、先輩が独り身である事に対して私が浮かれた気分であった事など、先輩の名誉と私のプライドを傷つけるようなことは考えていたはずもない。ああもう、あるはずもない。決して、チャンスがあるかも、とか。もしかしたら、とか。淡い期待をもっている、とかなど、抱いたりする理由もなければ、考える必要性も見つからない訳だ」

「そうでしょうそうでしょう」

「大丈夫かい?本当に、分かっているのかい?」

「なにがそんなに、館長さんを心配させているのですか……?大丈夫ですって!」

「いや、何か……。自分が語るに落ちている気がしてならなくてさ……。杞憂かな?」

「そうですよ、杞憂ですよ。ところで、杞憂ってどういう意味ですか?」

「君の発言を聞いて、さっきよりも心配になってきた……」

「……?」

先程の依頼の話とは打って変わって、少し慌てふためいてるように感じる館長さんに、私は任してくださいと言って、うんと大きく頷いた。しかしそれでも、館長さんは不安そうな顔をしており。

「今なら、圭介君の気持ちが痛いほど分かる気がするよ」

「ん?何で急に永沢君が出てきたのですか?」

「……はあ」

「……何でため息をつくんですか?」

至極失礼な気がしてならなかった私に、頭を抱えた館長さんが私に同情や哀れみめいた目線を向けた。

「芹子君」

「ん、何ですか?」

「悠香君と卯月君の言葉を思い出したよ」

「はあ。ちなみに、どんな言葉ですか?褒められる言葉なら、嬉しいんですけど」

はは、と呆れた笑いの後、館長さんは私に一言。

「君はお気楽で良いねえ」

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