第三話 依頼主は探したい
「あれ、芹子は六槻と一緒に宇治川さんの話を聞かないのかい?」
オッちゃんと男性が座るテーブル席にアイスコーヒーを届けて戻ってきた冬志さんは、カウンターの席に座ったままの私にそう声をかける。
「んー?まあね。オッちゃんがゴーサインをくれたら向こうに行くけど、まだ出てないから待機中」
「はあ?なんでさ」
「私が手伝っても大丈夫か、依頼内容を聞いて判断するから。だってさ」
探偵であるオッちゃんには色々な仕事が舞い込んでくる。人間関係の調査や、地域一帯の情報収集、素行の調査などがある。今回のような人捜しもよくある事だ。しかしながら、六槻探偵事務所に来る人捜し以上に多い依頼が、浮気や不倫の調査である。この調査は、勘違いや心配から来るものであれば可愛いものなのだが、中には完全にアウトな男女の関係や、私は目撃したことはないが、本来夫婦関係以外では起こってはいけない、かつ行ってはいけない場面に出くわす事もあるらしい。実際にオッちゃんも何回かある様で、本人曰く「できることなら記憶から消したい」とのことらしい。私はひょんな事で探偵事務所に居候しており、時間があればオッちゃんの探偵業の手伝いをしている。居候の身なので、手伝うことによって発生する賃金のために本来は仕事を全て請け負いたいのだが、オッちゃん自身そう言った苦い経験もある事から仕事は安全でクリーンなのを選んで貰っている。なので、実際に私が仕事を手伝う機会は少ないのだ。
「今回の依頼は『人捜し』だけど、念には念を入れて内容確認はしないとね」
「はーん。あたしが思っているよりも大変なんだな、探偵業って。まあ、宇治川さんが浮気や不倫と言ったものはしねぇけどな」
「冬志さんの知り合いだから大丈夫だと思いますけど、六槻探偵事務所の必要業務と思って勘弁してください」
私が軽く会釈をして「すいません」と言うと、冬志さんは、はいよと右手で二回、空を仰ぐように私に振った。
「そんなことは百も招致さね。まあ勘弁してやる代わりに、これを飲みなさいな」
そう言って冬志さんは、私の目の前に大きなグラスを置いた。グラスは置いた衝撃でカラリと中に入った氷が音を立て、同じくグラスに入った黒い液体と共に並を沈めて落ち着いていった。
「これは、アイスコーヒー?」
「さっき食後に飲ませるって言ったろ?私の練習兼味見専用のアイスコーヒーだから、存分に飲みなさいな」
「……それじゃあ遠慮なく、いただきます!」
「おう、いただいてくれ。宇治川さんやダンナほど上手くはないけど、ま、コーヒーはコーヒーだから」
「宇治川さんってコーヒー入れるの上手なんだ」
「上手いも何も、本業さね。隣町でカフェを開いてるよ」
「あ、冬志さんと同業者なんですね?」
「そうさ。今回の依頼もカフェ仲間繋がりで、ね。ちなみにダンナは宇治川さんのコーヒーを絶賛してたよ。あたしは、まあ、あんまし分からなかったけどね」
「へえ、いつか飲んでみたいなぁ」
「是非、六槻を騙して行ってきなよ。双子も、あたしの入れたので良ければコーヒーはいるかい?」
「「店長、お勧めを」」
「はいよ。お勧めの『アイスコーヒー』です。飲み方のお勧めは何も加えずに飲むこと。いわゆるブラックが、あたしのお勧め」
「店長、ミルク頂戴」
「店長、ガムシロップはどこ?」
「って入れるのかい!」
私の乗り突っ込みも、双子からは「「聞いたのはお勧めだけだから」」とこれまた息ぴったりに素っ気なく返す。
「こんな時でも双子達は息が合うのがすごいよ」
「いつもは合わないくせに、いざって時には昔から息が合うからね。ここらを見ると、流石双子だと感心するよ」
そう冬志さんは、呆れながら言う私に「いざって時は」と念を押したように繰り返す。
「いざって時。って……?」
私は冬志さんが繰り返していった部分が妙に気になったので、一体どういうことなのか、理由を冬志さんに尋ねた。
「息が合うのはたまにな訳で、いつもは違うのよ」
見てれば分かるさ。と冬志さんは言って、二人にポーションとガムシロップを渡した。私は、右に居る八雲君と左に居る出雲ちゃんを交互に見て見ると、あぁと納得する。八雲君は、冬志さんからポーションだけを受け取り、アイスコーヒーにそれのみを混ぜ甘さのないコーヒーなのに対して、出雲ちゃんはガムシロップのみを八雲君と同じ早さで素早く取り、ミルクは一滴も入れずにガムシロップのみを入れ、ブラック本来の黒さのまま甘いコーヒーとなっていた。
二人とも、私と冬志さんの視線に気がついたのか、「「なに?」」と怪訝そうな表情で私を見た。
「いやね。八雲君と出雲ちゃん、コーヒーの飲み方が違うんだなーと思って」
双子とは言え、味覚までは似るわけではないのだと知り、感心していると。
「それはそうだよ。出雲の甘いコーヒーなんて僕にはとうてい飲めないよ」
「それはそうでしょ。八雲の風味台無しなコーヒーの飲み方はあり得ないわ」
息ぴったりに、二人は意見が食い違った。そこから私を挟んで双子は静かににらみ合う。沈黙の中「だいたいね」としびれを切らし発言したのは、出雲ちゃんだった。
「コーヒーは風味を味わう飲み物よ?ミルクなんて入れたら、そんなの風味をぶちこわしになるとは思わない?香りを妨げず、飲む方法はブラックのまま飲むか、砂糖を加えて甘みをつけて飲む。これ以外に考えられないわ。なのに八雲ったら、そんなことも分からないなんて。かわいそうねぇ。ねえ、芹子」
「え、私!?ええと、どうなのかなー……」
「あーいるよね。ミルクを入れる行為を『コーヒーの風味を損なう飲み方』何て揶揄する人。コーヒーだって飲み物。大事なのは香りだけじゃなく味だと思うんだ。出雲のような本来の味を楽しまずに他から加えた甘みでコーヒーを語るなんて愚の骨頂。味を考えた発言をするならば、コーヒーを素のまま飲むか、ミルクを加えて飲む。これこそ、本物のコーヒーを知る飲み方でしょ。なあ、芹子」
「え、また私!?いやあ、その、あはは……」
私はどっちつかずで気の抜けた返事をすると出雲ちゃんは「ちょっと」と言って私の左腕を掴み、キッ、と八雲君を睨んだ。
「八雲、やめなさいよ。芹子が困ってるじゃない」
「何言ってんだ。出雲がヘンテコなことを言うから芹子が苦笑いをしてるんだろ」
そう言って八雲君は私の右肩を掴んで、出雲ちゃんへと睨み返す。
「おーおー。人気者は困るねぇ」
両脇で双子が兼が勃発数秒前のカウントダウンが始まり、さて、どうしようかと困って居る状況を冬志さんはへらへらと笑いながら楽しそうに見ていた。私は「冬志さーん」と困ったこの状況に助けを求めた。
「ほら二人とも。芹子が困ってるじゃない。やめたげなよ」
「だけど店長、出雲の言い分は悪いと思うよ」
「そんなことはないわ店長。八雲の言い方が悪いのよ」
「と言うことだ。芹子、あたしには説得は不可能さね」
「もう少し頑張って、冬志さん!」
諦めるのが早すぎる!
「だって、双子がお互い譲らないんだもの。どっちかを優先してどっちかを否定なんて、あたしにはできないさね。それじゃあどうしようかって、あたしにはどうしようもできないわ」
「過保護が過ぎるよ、冬志さん!?」
もしくはモンスターペアレントだろうか。
こうして親というのは親バカになるのだな。
「ま、双子のコーヒー論争は先延ばしにするとして」
「先延ばしにして良いの!?」
「大丈夫よ、芹子。二人で八雲の間違いを正しましょ。大丈夫、私達ならできるわ」
「私はこの論争に巻き込まれるの、出雲ちゃん!?」
「騙されちゃいけないよ、芹子。僕達こそ、出雲が過ちを犯すのをこの手で食い止めないといけない」
「八雲君も意外に乗気なんだね!?」
私はあまり乗気じゃないんだよなぁ。
そんな私のことを気にもとめず、未だに私を挟んで睨み合う双子。まるでハブとマングースのようだな、と思った。思っただけで口にはしなかった。うっかり口にすると、どっちがハブだどっちがマングースかなど、論点のずれた論争が始まりそうだと簡単に予想ができた。どちらにせよ、面倒なことになりそうなので黙っていたのは確かである。
「はいはい、先延ばしと言ってるだろ?論争は後にしなさいな、双子達。芹子も困ってるから、それは先延ばし。カフェではお客から注文を受けるのを第一にしないと」
「「第一?」」
「そう。ガムシロップとポーション。使うのかとあんた達には聞いたけど、芹子には聞いてないだろう?」
さて、芹子。と冬志さんは続けた。
「お客さん、アイスコーヒーにポーションとガムシロップはいるかい?コーヒーを語るなら、まずは飲んでからじゃないと意味がない。それに、この店の店長としては、アイスコーヒーの氷が溶ける前に飲むことをお勧めするよ」
「あ、なるほど」
冬志さんのフォローを含んだ質問に内心助かったと思いながら、「それじゃあ」と私は冬志さんの問いに答えた。
「冬志さん、ミルクと砂糖、どっちも頂戴!」
そんな私の発言に、私の両隣からは「えぇー」とブーイングが飛んでくる。冬志さんは分かってましたと言わんばかりに、発言後すぐに「はいよ」と言って私の前にガムシロップとポーションが置かれた。私は双子のブーイングを大人の女性の寛大な心でスルーし、自分のアイスコーヒーへと入れた。ストローでアイスコーヒーが溢れないようにゆっくりと丁寧に液体を回す。ブロック状の氷がグラスに、あるいは氷同士がぶつかり、カラカラと音を出す。なんとも涼しげな音色が、夏の暑い日にはとても心地よかった。
「私は、これでいいんだ」
両成敗、とはいかない、なんとも曖昧な答え。
なんとも私らしい答えだ。
でもきっと、このあやふやな答えの境界線が、私はたまらなく好きなのだ。
「私は、砂糖もミルクも入れるこの飲み方が一番だと思うよ。おいしく飲まなきゃね」
そう双子に、あるいは冬志さんに向かって、もしくは私自身にそう言って、それから、アイスコーヒーを口に含んだ。
依頼人が来てから、十分ぐらいたった時だった。喫茶店『リトバ・イリト』の奥に位置するテーブル席から「芹子ちゃーん」とオッちゃんが私を呼んだ。私はカウンターの席からオッちゃんの方に体を向けると、オッちゃんは右手の親指以外の指を動かし、『こっちにおいで』とジェスチャーした。私はカウンター席に居る冬志さん、八雲君、出雲ちゃんに聞こえる程度の静かな声で。
「ゴーサインが出たから、行ってくる」
と言い残し、オッちゃんと依頼人が待つテーブル席へと向かった。
私は、オッちゃん達の待つテーブルにつき、自分が座る前に依頼人に目を合わした。依頼人の老人は、顔に年相応のしわは目立つものの、しかしながら切れ長の鋭い目に私は一瞬、萎縮してしまう。
「宇治川さん。こいつは、うちの事務所でバイトを行っている亀有です」
萎縮した事と急なオッちゃんの紹介に、私は「か、亀有芹子ですっ!」とクイ気味に自己紹介をしてしまった。すると依頼人は、鋭い目を細めて、口元はにこやかに「こんにちは」と穏やかに私に言った。
「私は宇治川 要と申します。隣町のカフェで従業員をしている者です。縁があって、走間さんの紹介で六槻さんに依頼を頼みに来ました」
「なるほど。あー、えと。依頼は確か、人捜しの依頼と聞いたのですが?」
「そうだ。依頼内容は俺も聞いた。お前も参加しても良さそうな依頼なんだけど、まあ、内容がちと難題そうでな」
ばつの悪そうに、オッちゃんは私に向かってそう言った。
「なるべくなら人手が欲しいと思って、宇治川さんに許可を得てお前を呼んだんだ」
「人手?まあ、私に手伝えるのなら、できることなら何でもするけど」
「よく言った、それでこそ六槻探偵事務所のバイトだ。すみません、宇治川さん。こいつには後で事情を聞かせますんで……」
「いやいや。それならば、私がもう一度、話をしましょうか?その方が話の進みも早いでしょうし、従業員さんも理由が分かった方が良いでしょう」
「え、ま、まあ。その方がこちらとしてはありがたいのですが、同じ事の繰り返しを依頼人にして貰うのは、忍びないというか……」
「かまいませんよ。私としても、依頼を受けてもらえるとは思ってなかったので、できる限り力をご尽力します」
「……ありがとうございます。それじゃあ、芹子ちゃん」
オッちゃんは自分の隣の椅子を指さし「ほれ」と一言。私はそれが『隣に座れ』と言う意味だとわかり、「失礼します」と言って一礼し、静かに席に着いた。
「まず初めに、えーと、亀有さん、でよろしかったかな?」
「はい。亀有芹子です」
「亀有さん、こちらをご覧になってもらえるかな?」
そう言って、宇治川さんは私に一枚の写真を手渡した。渡された写真は白黒で、写真の質からも、年月は相当たっているのが分かった。
写真は、どこかのバーらしき場所のカウンター席に若い男女が二人、カウンターの奥に一人の男性が写っていた。カウンター奥の男性は、三十代ほどの容姿に見え、座る男女の隙間からちょこんと頭が出るぐらいに写っていた。たぶん身長は低いのだろうが。しかしながら、写真に写る優しくも儚そうな表情が、なんとも安心感を感じさせた。若い男女は、十代後半から二十代前半あたりの年齢だろう。カウンター席で隣同士に座りカウンターから振り向くように写っていた。女性の方は、白黒で、しかも昔の写真ではあるが、それでもこの女性が美人であると言うのが簡単に分かった。大きな瞳、背中まで伸びたストレートの長髪。整った顔立ちから見せる笑顔は、同性の私も見とれるほどに美しかった。そして隣に座る男性も白黒写真でも分かるハンサムな顔をしており、とくに写真に向かう鋭く切れ長な視線が、より一層、男性を格好良く写していた。これがもし、拡大写真となって写真下に文字などを振るい、実は一昔前の映画のポスターなんだと紹介されたら、私なら確実に騙されてそうだ。
「ん、あれ?」
写真を見て、私は少し違和感を覚えた。いや、違和感というと聞こえが悪いが、写真に写るハンサムな男性にたいして、どこかで見たような……。という疑問がわいてきたのだ。
「このハンサムな男性って、もしかして宇治川さんですか?」
「おお、正解です。よく分かりましたね」
目を大きく見開いて「驚いた」と宇治川さんは一言。
「いやー、目が似てた様に思えたので」
「それにハンサムとは、なお嬉しい」
「えへへ」
私は右手で頭の後ろ側を撫で、恥ずかしさを嬉しさを混ぜ込んだ様に笑った。そんな私に、宇治川さんは「その通りです」と優しく話を続けた。
「ここに写っている写真は、おそらく私です。証拠に、写真の後ろを見てみてください」
「え、あ、はい」
宇治川さんの言葉に従って、私は持っていた写真をクルリと回した。すると、写真の後ろには、「俺とカナメ、そしてリリー」と薄くはなっているものの、文字自体がしっかりと書かれていた。
「『俺とカナメ』……。あ、『カナメ』って宇治川さんの要のこと!」
「おそらくそうです。そして『俺』というのは、この写真の持ち主であるカフェの主人の平内 源三さんです。真ん中に移っている人です。これは、間違いありません」
「へえ、真ん中の人の写真なんですね。それじゃあ、このキレイな女性が『リリー』さん何ですね」
私が軽い感じに質問をすると、宇治川さんは少しうつむきながら低い声で「ええ」と一言。そして続けて。
「この人が、たぶん『リリー』さんですね」
「ん、たぶん?」
「はい、たぶんです。そしてこれが、今回の依頼なんです」
「ん?」
今回の、依頼?
「依頼って、それって、えーと……」
私は「どういうことですか?」と言葉に出したかったのだが、宇治川さんの先ほどの表情から察するに、何か訳ありなのは確かなのは分かった。なので私は、しどろもどろになりながらもこの質問に対して慎重に言葉を選んでいた。すると、困った私を察してくれたのか、「順を追って説明しますね」と宇治川さんは私に言ってくれた。
「ここに写っている写真は数十年ほど前に撮られた写真なんです」
「へえ、そんなにも前の写真なんですか」
「はい。実はこの写真、最近になって見つかりまして。ここに写っている私と平内さんは存命で、特に何の問題もないのですが」
「彼女です」と、宇治川さんは『リリー』と呼ぶ写真の女性を指さした。
「この女性を探して欲しいのです」
「この人を?」
「はい」
「はあ……。えと、この女性、『リリー』さんの本名は?」
「分かりません」
「…………ん?分からない?」
私は頭の上に疑問符を浮かべながら、宇治川さんの「分かりません」と言う言葉の意味を考えたのだが、やはり疑問符は疑問符のままで、私は首をひねった。
「え、でも。ここに写っているの、宇治川さんですよね?」
ほらここ、と私は写真のハンサムな男性を指さした。すると宇治川さんは「ええ、まあ……」と、なんともばつの悪そうな顔をして、言葉を濁した。
「それじゃあ、なんで……」
「「そんなことよりさ、おじさん」」
いきなり後ろから聞こえてきた双子の声が、私の言葉を遮った。そして双子は、カウンター席を立ち、私達の座るテーブルへと近づく。
「私、聞いてて一つ疑問に思ったんだけど」
「僕も、一つ気になったところがあるなぁ」
「ちょ、ちょっと二人とも!邪魔しに来ちゃダメだって!すいません、宇治川さん。ほら。八雲君も出雲ちゃんも、冬志さんのところに戻って」
「「でも芹子、疑問は解消するべきだよ?」」
「いやいやいやいや!時と場合に応じてそうかもしれないけれど、今はダメだから!私とオッちゃん、とっても仕事中だから!」
私が現れた双子に戸惑っていると、カウンターの方から「こら双子ー」と冬志さんの声が聞こえた。
「六槻と芹子の邪魔をしちゃダメよ」
「「でもさ、店長」」と双子は声を合わせて抗議をするが、冬志さんは「お黙り」といつもより一段低くなった声で一掃した。
「口答えは受け付けないさ」
「「はーい……」」
「まったく……。すいませんね宇治川さん。うちのガキんちょ達が間に割っちゃって」
「いやいや。しかし冬志さんのお子さんですか。姉弟……いや双子かな」
「そうです。男の子の方が八雲。女の子の方が出雲です。二人とも、挨拶を」
「走間八雲です」
「走間出雲です」
「「こんにちは」」と二人は声を合わせてお辞儀をする。そんな二人に宇治川さんは「こんにちは」と笑顔で返す。
「ところで、八雲君と出雲ちゃん、でよかったかな?私に聞きたいことがあるとか言ってたけど」
「はい」
「そうなんです」
ちょっと待って、と私は二人の発言を止めようとしたところ、私より早く宇治川さんは双子に笑顔で優しく「なんだい?」と返した。私は、二人を止めるタイミングを逃してしまい、仕方なく宇治川さんが発言するのを待った。
「私が答えられる範囲なら、答えるよ」
「それじゃあ私から質問さてください」
「なんだい、出雲ちゃん?」
「何でおじさんは、芹子から写真に写っている男性がおじさんなのかと質問されたときに、おじさんは『おそらく』とか『たぶん』とか、曖昧に返すのですか?自分自身なら、もっと自信を持っても良いはずなのに」
「…………!?」
笑顔から一点、宇治川さんは驚いた表情を出雲ちゃんに向けた。そして少しばかり、挙動不審にも見える宇治川さんの戸惑いに、何事だろうかと私は首をひねる。
「あと、僕から聞きたいのですが」
戸惑う宇治川さんに八雲君は間髪入れずに質問をする。
「何で急に『リリー』さんを探そうと思ったのですか?五十年前の写真だって言ってたし、探し出すのは難しいと思うのですが、探そうとすれば探せます。しかし、なんで今なんですか?」
八雲君の発言を聞き、出雲ちゃんに向けた表情を、同じく八雲君へと向けた。そして困ったように軽くうつむいて数秒ほど固まった後、「うん」と軽く頷いた宇治川さんは何かを決意したようで、鋭い目線を冬志さんに向けた。
「冬志さん。あなたのお子様達は優秀かもしれない。お世辞や嫌味とかではなく、本当に頭の良い子供達だ。今の会話でここまで考えるとは。いやはや、舌を巻くよ」
「いやいや、そんなことはないですよ。口の利き方と空気の読み方が完璧なら、自慢の子供達と声高らかに言いふらしたところです。ウチの双子が失礼を言ってすいません」
「いやいや。十分に、立派だよ」
まだ驚きを隠せない宇治川さんに、冬志さんは苦笑いをしながら返した。そして、しばしの沈黙。私は宇治川さんが話を切り出すのを待ち、オッちゃんも私と同様に静かに宇治川さんの反応を待った。そして、分かりました、と言って宇治川さんは私達をまっすぐ見つめた。
「子供達からの質問の答えも合せて、今から説明をします。この写真のこと。『リリー』さんのこと。そして、私のこと。なぜ会いたいのか、なぜ今になってか。全てを話します。六槻さんと亀有さん。そして走間さんに双子の子供達にも」
なぜ宇治川さんが、リリーさんを探しているのか。
なぜ宇治川さんが、平内さんの写真を持っているのか。
そして、宇治川さんは、話し始めた。
名も知らぬリリーさんを探し出して欲しいと、なぜ私達に依頼したのかを。
まずは、そうですね。なぜ私がこの写真を手にしたかを話します。
あれは、一ヶ月前のことでした。
この写真の元の持ち主である平内さんが、緊急入院をしたことから始まりました。夜の九時ぐらいに私が平内さんの家を訪れたら、平内さんが倒れていまして。そして、救急車を呼んで緊急入院することとなったのです。原因は持病らしいのですが、今は病状も安定しまして。一般病棟に入院中ですが、あと二日か三日で退院できるそうです。
この写真を見つけたときは、平内さんの意識が回復して、入院している最中でした。
平内さんは一人暮らしで、お子さんや伴侶もいなく、私が代わりに入院の準備をするべく平内さんのお宅にお邪魔しました。そして入院準備をしているときに、この写真を見つけました。
最初見たときは、驚きましたよ。
写真に写っている右の男は、私にそっくりでしたから。
……はい。
私にはその写真を撮ったという記憶がないのです。
なので私は、写真の持ち主である平内さん本人に聞いてみたのです。
この写真はどうしたのかと。
平内さんは「偶然、部屋の掃除をしていたら見つけた」と教えてくれました。そして続けて「これを見て、何か思い出しそうか?」とも言われました。
実は私。
この写真に写っていた記憶がないんです。
正確には、ある時代よりも前の記憶が全て消えているんです。
ええ、そうです。
私は、記憶喪失でした。
一番古い記憶で思い出せるのは、自分が何者かも分からない状態で病院のベットに寝ていたことだけです。なんでも、海に打ち上げられていた私を、平内さんが発見して病院に連絡をしてくれたとのことでした。
自分の名前も、年齢さえも分からない私に親切にしてくれたのが、平内さんでした。見ず知らずの私に、平内さんは色々と優しくしてくれました。入院の時から今にかけて、色々と。それはもう、返せないほどの恩を、私はいただいたのです。私の『宇治川 要』と言う名前をつけてくれたのも、平内さんなのです。
残念なことに、写真を目にしても記憶は何一つ戻りませんでした。当たり前と言えば当たり前なのですが。何せ五十年ほど前の写真ですから。平内さんにも知っていることはないかと尋ねたのですが、色々なお客が来るカフェで撮られた写真の一枚を貰ったに過ぎないとのことで、私が何時、何のために来たのか、そしてどんな人物だったのかなどは数多くのお客の一人でしかなかった様で、覚えていませんでした。
……なんでしょうか?
………………………。
いいえ、違いますよ。
今更、過去と向き合おうとは思っていません。
過去を懐かしむ性分でもありませんし。私は、過去よりも今の方が大事であると考えていますよ。
………………………。
実は、平内さんのことでして。
はい。
あまり長くはないそうなんです。
余命宣告などはされませんでしたが、お医者様から釘は刺されました。「だいぶ先のことですが……」と念は押されましたが、あまり明るい話ではなかった。
私は平内さんが生きているうちに、リリーさんに会って記憶を戻したいのです。
そして『自分は記憶が戻りました、大丈夫です』と平内さんを安心さして上げたいのです。
きっと、この写真を見つけたのも偶然じゃないし、それが、私が平内さん達から受けた恩を返す方法だと思っていますから。
お願いします、六槻さん。
どうか。
どうか、名も知らぬリリーさんに、会わせていただけないでしょうか?
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