第二話 探偵助手は残さない

二階に事務所へと上がる階段横に、カフェ『リトバイリト』への入り口はある。開店時間は朝の八時から夜の六時までとなっており、普段はガラガラだけど、昼のランチ時にはカフェの周辺で働く人で満席になるほどに人気はある。お勧めは店長曰くコーヒーとのことだが、私はランチのナポリタンの方が人気があると思っているし、実際にランチ時風景とそれ以外の時間帯を見比べてみると、コーヒーを飲みに来るよりもご飯を食べることの方を目的としているお客が多い程だ。

「こんにちはー」

カランと乾いた金属音が扉を開けると同時に店内に響き渡った。

事務所にいた私達は、双子達に言われたとおり一階のカフェへとやってきた。扉を開けて、店の中へと入る。店内は大きなガラス窓からはいる太陽光で明るく、なんともシックな感じ。お店には九席のカウンターと四人のテーブル席が三つ置かれている。ランチにはお客がいっぱい来るのだから、もっと店を大きくすれば良いのに、と思ったこともあるのだが、何でも一階の半分のスペースを自宅用にしているため、お店の広さはこれが限界なんだとか。店長自身も「これ以上店を広げたら店が回らない」とも言っており、今後店を広げることはないらしい。

「はいよ、いらっしゃい」

店の奥にあるキッチンスペースからハスキーな声と共に姿を現した五十代ほどの一人の女性。すらっとした長身に黒のワイシャツにジーパンと腰から下に巻いたエプロン姿はなんともスタイリッシュであり、癖のある長髪をポニーテールにまとめ上げた様子が、女性のクールさを際立たせていた。

「おや、芹子。いらっしゃい」

「こんにちは、冬志さん」

カフェ『リトバイリト』の店長、そしてあの双子の母親である、走間 冬志が、かっこいい笑顔で私を迎えてくれた。

「悪いね、来て貰っちゃって」

「まあ、来ないと怒られますから……」

「あたしは別に怒りはしないけど」

「本当に?」

「もちろん。来ないなら問答無用に絞めるだけ」

「それを世間一般で『怒る』と言いますが」

まず何を絞めるのだろうかはあえて聞かずに、私は続けて。

「あ、オッちゃんは少し遅れてきます。鍵閉めたりとか、片付けとかしてから来るって」

「あ、そう。すぐ来る?」

「それは、まあ。来ると思いますよ、たぶん……」

「ま、いいか。来なきゃ絞めるだけだし」

「あはは……」

座りなよ、と冬志さんは右手で目の前のカウンター席に案内してくれた。私は冬志さんの目の前の席に座った。

「そういえば、あの双子はどこだい?」

「オッちゃんと一緒に来るって言ってました。何でも逃げださないように言われたからとの事でして」

「はっ!ざまぁないねえ、六槻のヤツ。双子に捕まるとは、あたしのところに連行決定のようなものさ」

「二人ともしっかりしてますからね。小学生とは思えないぐらいです」

「ま、あたしの育て方が良いからだね」

「それだけ聞くと、すごく親ばかに聞こえますね」

私は笑顔でそう言うと、冬志さんは「そりゃあねぇ」と神妙な様子となった。

「ただでさえ血が繋がってないんだから、せめて愛情は人一倍かけたいじゃない」

私は『しまった』と自分の発言をすぐに悔いると同時に、「すいません」と申し訳なく謝った。冬志さんは「気にしないで」とあっけらかんに笑った。

走間八雲と走間出雲は、法律上では走間冬志の子供となっているが、実際は養子として引き取られている。このことは私もオッちゃんも、そしてあの双子も知っている。双子が自分自身をどこまで知っているかは分からないけど、私が双子のことで知るのはこれだけである。『知る』と言うのが正しいのか、『聞かなかった』と言い訳するのが正解か。しかしながら、私にとってあの双子がいつ、どこで、誰となぜどのような経緯で冬志さんの養子になったかなど、たいした事実じゃないし、たいして興味もない。むしろ私には、双子もそれについては何も不平不満はなく、そして平凡平和に今まで暮らしている。この方がよっぽど重要であり、何よりも優先すべき事例である。

「あの双子も『自分たちは養子だ』って分かってるらしいし。あたしにとっては、重要なことだけど大して大事じゃないわ。あの子達が元気で笑っている。それが一番だし、それ以外は正直どうでも良いのよ」

ふふ、と笑う冬志さん。私もつられてうっすらと笑った。

「あーもう。やめやめ、こんな話題。恥ずかしいったらありゃしない。気を取り直して、芹子。なんか飲むかい?」

「え、いや。遠慮しときます。お金ないし……」

「気にするなって、おごってやる。と言う名目で飲ませてやるから」

「え、名目ってどういう意味ですか?」

「実はさ、コーヒーを新しく買ってきたんだ。それでさ、味見を頼むよ。あたしは美味しいと思うんだけど、双子からは『値段相応の味』って言われてさ。あんたも飲んで味を確かめて欲しいんだ」

「良いんですか、私で?」

「六槻に頼んだらまたうるさく言われそうだからね。こないだも『お湯の入れ方がなってない』だの言われたよ。確かにあたしはいい加減な性格だからコーヒーの入れ方も雑だけど。だけど六槻のヤツ、旦那の料理にもコーヒーにも文句の一つも言ったことが無いのに、あたしになるとすぐに噛み付くんさね?」

冬志さんの旦那さん、名前は走間師草といって、リトバイリトのキッチン担当をしている。師草さんの作る料理は絶品で、リトバイリトのランチにここが盛況するのも、皆、師草さんの料理が目当てだったりする。

「確かに、師草さんの料理は絶品ですからね」

「いや芹子、まずはあたしを慰めろよ」

あいつを褒めるのはその後だ、と右手で中を仰ぎながら呆れ笑う冬志さん。私もつられて、あははと笑い。

「あれ、そういえば師草さんはどこに?キッチンですか?」

店内に師草さんの姿がないことに気がついた。

「いま買い出しに行ってるよ。で、こっちには帰らずにそのまま寮に行って飯を作ってくるってさ」

なるほど、と私は思い出したように納得した。

師草さんはカフェのキッチン以外にも学生寮の食事も作っている。と言うのも、学生寮の寮長さんと冬志さんが友人だそうで、その繋がりと寮長さんの頼みもあって師草さんに夜の食事だけ任しているそうだ。月曜から土曜までの週六回、祝日は休みなのだが、カフェのキッチンと平行して仕事を行っているので、大変だとは思う。

ちなみに学生寮とは私の通う宗月大学の学生寮であり、師草さんが夜の料理を担当するようになってから寮生が増えたとか何とか。

「寮の食事ですかー。でも良いですよね、寮生。毎日、師草さんの料理が食べられるんだから」

「芹子も寮に入れば良いじゃない。そしたら、あの人の手料理を食い放題よ?」

「寮だとお金がかかるんですー。それに、家から大学も近いし、家にいても不自由ないし。何て言うか、寮に入るメリットが少ないんですよねー」

「確かに、言われればそうね。大学と家が近いならメリットがないさね。大学までどのくらいの時間で行ってたんだっけ?」

「自転車で三十分」

「これまた微妙な距離……」

「今日も汗だくで行ってきましたー。往復一時間!レポート提出と図書室のバイトのために、私はあの暑い中、風を切って登校しましたよ。おかげで、腕や顔が焼けました。鉄板の上で焼かれる牛肉の気持ちが分かった気がします」

「ご苦労さん。学生はつらいねぇ」

「まったくです。おかげで昼も食べてませんから、お腹がすいてしょうがない」

「なに、あんた昼もまだなの?」

「レポート作成の疲労のせいで、お昼どころか朝も食べてません。昼頃に事務所には帰って来たんですが、疲れちゃってて。今の今まで爆睡を決め込んでいました」

「何て言うか、本当にご苦労さん……。学生は大変な職業さね」

「まあでも、せっかく大学に行かして貰ってるから、私も頑張らなきゃ」

私が立っていられるのは。

皆が支えてくれるから。

「折れるまで、立ち尽くすって事?」

「もちろん!私はそのために、大学に通ってるから」

私の言葉を聞いて、冬志さんはふうんと少し笑いながらも納得をした様子であった。

「あ、そうだ。旦那から芹子に伝言あったんだっけ。忘れてた」

「伝言?師草さんが私にですか?」

私がそう聞き返すと、冬志さんは「ちょっと待ってて」と言ってキッチンの方へと入っていき、大皿を持ってすぐにカウンターへと戻ってきた。

「はい、これ」

そう言って、私の前に大盛りのパスタの大皿を置いた。

「旦那から『食べちゃってくれ』ってさ」

「ええっ!お金ないですって!」

「あまりもんで作ったから金はいらないってさ。旦那曰く『どうせ捨てる食材だから、食べてくれる人がいれば、その方が良いに決まってるから』だと。あと、『感想もよろしく』ってさ。パスタは昼の残りだけど、パスタソースは新作らしいよ。あたしもさっき食ったけど、すげえ美味かったね。ああ、そうだ。せっかくだから、コーヒーはご飯を食べ終わったら入れて上げるさね。食後の方が、コーヒーも美味しく感じるかもしれないし」

「いや、でも……」

矢継ぎ早に話される冬志さんの言葉と食事の誘惑に私が戸惑っていると、「いーんじゃないの?」と笑顔で私に言ってくれて、そして。

「食っちゃいなって。あんたが食わなきゃ捨てるだけだし。それに味の感想を伝えられれば、旦那も参考になるだろうしね」

「そうですか……。それじゃあ、お言葉に甘えて!」

「おう!だけど無理はするなよ?あの人は料理の腕はピカイチだが、どこか抜けてるところがあるから。現に芹子に出したパスタの量、頭がおかしいってぐらい盛ってあるでしょ?」

言われてみれば確かに。目の前に出されたパスタは、二人前、もしかしたら三人前の量を盛られていた。

「これは……すごい……」

「だろ?まったく、あの人と来たら……。いくら芹子に女っ気がないにしろ、これは乙女に出す量じゃないよ。どこかの大食いファイターに挑戦させるんじゃないんだから。だから芹子も、無理だと思ったら残し……」

「食べ放題だぁ!いただきます!」

「え、ちょっ……。芹子、そんな勢いで食べたらお腹壊すよ!?」

「いただきます」の挨拶を最後にパスタと面を向かい合わせた私は、冬志さんに返事を返すことなく食事という名の戦いに身を投じていった。



「むひゅー。ごちそうさま!いやぁ、美味しかった!」

「いや、マジで全部食うとは……」

おおよそ三人前のパスタが目の前から消え、キレイに空になったお皿を前に冬志さんは呆れていて、もしかすると少し引いてもいた。

「うわぁ……」

「これは、ちょっと……」

右から八雲君が、左から出雲ちゃんが、まるで私のことを大食いの化け物を見るような眼差しで見ながら、おのおの感想を漏らす。

「あれ?ていうか二人とも、いつの間にか私の隣に陣取っていたの?」

「さっきから居たよ」

「芹子が食べ始めた時に丁度来たのよ」

「へー。なんだ、声をかけてくれれば良いのに」

「「かけたよ、何度も」」

「え、マジで?」

「「マジで」」

普段は声の合わない二人がコンマのずれもなく同じ台詞を言った。私は確認のため冬志さんの方を向くと、冬志さんはばつが悪そうにしながら首を縦に振った。

「え、あ、いやぁ……。ゴメン!お腹が空いてたもんだから夢中になっちゃって!ほ、ほら!私って今日の朝から何も食べてなかったからそれで……」

「と被疑者は申しておりますが、どう思われますか?解説の出雲さん?」

「八雲さんも見ており分かると思いますが、状況から見て非常に苦しい言い訳だと思われます。まあ百歩譲って気がつかなかったのはシェフの料理に夢中であったためという言葉を信じますが、それでもあの食べる様子は乙女からはかけ離れた存在でしたね」

「そうですね、まるでB級映画の人食い怪獣がごとく全てを食らう勢いでしたね」

「人食い怪獣!?そんなに酷かったの!?」

「「そんなに酷かった」」

これまたコンマのずれもなく首を縦に振る双子達。もう一度確認のために冬志さんの方を向くと。

「いや、まあ、結構すごかったよ……」

目をそらしながら申し訳なさそうに感想を漏らした。そんな冬志さんの発言後に間髪も入れず、私の後ろから男の豪快な笑い声が聞こえてきた。声を聞いてもしや、とは思い後ろを振り返ると、腹を抱えて笑うオッちゃんの姿があった。

「え、オッちゃん?いつの間に……」

「お前が食べ始めるときに双子と一緒に来たんだよ。いやー。それにしても、いつも通り良い食いっぷりだったぜ」

「いやいや、それほどでもないってー」

「微塵もほめてねぇよ」

呆れながら言うオッちゃんに、私は目線をそらしながら少しだけ体を小さくして、相手に聞こえるか聞こえないか分からないほどのか細い声で「はい」と申し訳なく言った。

「まあまあ、六槻。良いじゃないの。これだけ食べられるって事は健康の証さ」

「でも店長、芹子は明らかに食べ過ぎだと思うよ?」

「そうよ店長。あの量を食べきった芹子は明らかにおかしいわ」

「待ちな双子。今あたしがない知恵絞って頑張って言ったフォローを無駄にするようなことを言うんじゃ無い。まったく。こう口が悪いのは誰に似たんだか……」

「「親である店長に似た」」

「よーし、よく言った子供たち。その減らず口に免じて今日の晩飯はピーマンとタマネギのみの野菜炒めにしてやる」

怖い笑顔で双子に言う冬志さんに、「それは酷いわ!」「横暴だ!」と無表情で怒りながら二人は声を上げる。大人びている双子も、万国共通、子供が苦手なものは、やはり苦手なのだ。

「私は、今となってはタマネギもピーマンも別に美味しいと思うけどね。オッちゃんはどう?タマネギとかは嫌い?」

「今も昔も、食べ物で嫌いはものは特にねえな。あ、でも、昔食った『くさや』は苦手だわ。臭いがどうも合わねえ。いや、俺の好き嫌いはどうでも良いんだけどよ」

それよりも、とオッちゃんは椅子の背もたれに自信の体重を預けながら言う。

「走間家の晩ご飯の心配よりも、何のために俺達は呼ばれたのかが心配だぜ。このばあさんの事だ。どうせろくでもない事だろ?良い予感がまるでしない」

「おや、結構な言われようだねぇ」

少し不機嫌そうなオッちゃんに、悪巧みを考えているような微笑みで返す冬志さん。

「でもま、あんたはこの依頼を受けるしかない」

「やっぱり依頼か。てか、何でだよ。俺にも依頼を選ぶ権利があるんだぜ、ばあさん」

「おだまりよ、六槻。権利があろうがなかろうが、あんたは依頼を受けるのさ。それに、ばあさんじゃなく店長と呼びな」

「「店長」」

「いや、双子。あんた達には強制しないよ……。もっとフランクに読んでも良いって言ってるだろ?」

「どうしてオッちゃんは依頼を絶対に受けると言い切れるの、冬志さん?」

「良い質問をするね、芹子。ほら、これをごらん」

そう言って、冬志さんはカウンターの下に身をかがめた。数秒たった後、冬志さんは左手に持った小さな青い袋と一緒に立ち上がった。青い袋には小さくシールが張られており、商品名は英語だったのだがご丁寧に英語表記の上にカタカナで『ブループラネット』と書かれていたので、これが商品名の読み方だろうか。

「ほらこれ」

「何これ?あ、良いにおい」

カウンターの上に置かれた青い袋を、私はまじまじと見た。顔を近づけると、封はされているが、それでも香るこうばしいにおい。

しかしながら私は、この臭いを知っている。どこかで嗅いだことのある臭い、しかもごく最近に嗅いだ香りだった。

「冬志さんは、これって」

「コーヒーだよ」

「なるほど」

嗅いだことのある香りとは、さっき事務所で嗅いだ香りだった。だけど事務所で嗅いだものよりも良い香りな気がした。私はコーヒーに詳しいわけじゃないけど、この青い袋はオッちゃんの買ったヤツよりも良いものな気がする。

「おい、これ……!もしかして『青い宝石』か?」

後ろからオッちゃんの驚いた声がしたので振り返ってみると、私のすぐ後ろまで近づいており、自身の右手で私の左肩に乗せて私をどかすようにしてカウンターにあるコーヒーへと顔を近づけた。

「え、オッちゃん。『青い宝石』って何?コーヒーのこと?」

「そうだよ、知らねえのか?」

まったくもって知らない。

そもそも初めて聞いた。

「有名なコーヒーなんだ。何でも厳選された豆を独自の方法で焙煎した一品だ。だけど焙煎方法などは企業秘密らしく、知ってても他社じゃまねできないらしい。この辺でも買えることは買えるんだが、入手してもすぐに売り切れちまう。中々手に入らない一品なんだぜ。商品名の『ブループラネットジェム』って名前から、ファンの間では『青の宝石』って呼ばれてる」

「へー、そうなんだ。とりあえず、すごい豆だって事は分かった」

興味のなさそうな私をかまわずに、オッちゃんは冬志さんに会話を戻す。

「ところで冬志。これ、どうやって手に入れたんだ?俺が知ってる店でもすぐに売り切れちまうのに」

「知らん。旦那が持って帰ってきた」

「マジかよ。流石は師草さんだぜ……!」

オッちゃんはそう言って『青の宝石』が入った袋を手に取ろうとした瞬間、冬志さんが「おおっと」とオッちゃんよりも先に袋を手に取った。

「ダメですよ、お客さん。勝手に店の商品に手を出しちゃ」

「冬志、少し見せてくれって。香りも気になるし、できる事なら飲んでみたい」

「そんなに飲みたきゃ、あたしが入れてやるよ」

「ふざけんな!お前、俺よりコーヒー入れるの下手だろうが!風味が損なわれたらどうすんだ!それに『青の宝石』はお前んじゃなくて師草さんのだろうが!」

「そんなこと知らないさね。それにこれは、旦那があたしにくれたんだから」

「師草さん、あんたなんで豚に真珠を渡しちまうんだ……!」

「その例えだと、コーヒーが真珠でとあたしが豚になるんだが、例えが間違ったのか?今現在、置かれている生死の立場と今後の人生プランをよく考えて答えな」

「そんなもん、コーヒーが真珠で正解に決まってるだろ?」

「よろしい。おい双子、この失礼なダメ探偵を今すぐ潰せ」

冬志さんの意見に賛同したからか、どうどう、と双子はオッちゃんを左右からなだめた。

「ま、飲ますってのは冗談だ。これを見せたのが、今回の報酬だからだよ」

ピクッ、と体の動きを止めるオッちゃん。私も冬志さんの意見に小さくビクつき、そのまま、オッちゃんか冬志さんが話し始めるのを待った。

「そう身構えなさんなって」

話し始めたのは冬志さんの方であった。そして、右手で壁に掛かっている時計を指した。

「六槻、そして芹子。あんた達二人を呼んだのは他でもない。探偵としての依頼さね」

冬志さんは私とオッちゃんの顔を見て、ニヤリと笑う。

「今が十四時五十五分。依頼者が十五時あたりにこの店に来る。依頼内容は、あたしは詳しくは知らないけど、たしか『人捜し』らしい。もちろん、依頼者から金としての報酬も払うし、内容を聞いて受けるも蹴るもあんたの自由さ。このコーヒーは、依頼が成功した時のあたしからの餞別だよ」

「……それを聞いたからと言って、俺が探偵として依頼を受けるとは限らねえぞ?」

「いいや、受けるさ。あんたならね。あたしには分かるのさ」

この世に神様が、もしくは悪魔だろうか。仮にこの世にいるとしたならば、きっとこのタイミングを考えられていたのだと思う。

偶然のような必然なのか、それとも必然に仕組まれた偶然なのかは分からない

ただ一つだけ。

信頼と言うには不安があって。

信用と言うには足らない何か。

去れども。

ただ一つの揺るがない信念だけが、冬志さんの声を強める。

カラン、と乾いた音が鳴った。

リトバイリトの扉に付けられた小さな鐘が動いた扉に反応し鳴ったのだろう。私は開いた扉の方を見る。そこには青いチェックの長袖シャツにクリーム色の綿パンをはいた長身で、七十歳前後の初老の男性が立っていた。

「こんにちは」と少し弱々しく挨拶をする老人に、冬志さんはいつも通り、来店するお客に笑顔でいらっしゃい、と声をかけた。

別段、挨拶をしたわけでもない。が分かってしまった。


ああ、この人が。

今回の依頼主だと。


「どうも、宇治川さん!暑い中大変だったでしょう?」

「いやいや。私の方から頼んだことだから、これぐらいはなんともないよ」

「テーブル席にかけてくださいな。今、冷たいもの持って行きますから」

「ああ、お構いなく」

冬志さんと男性はそんなやりとりをする中、私は「ねえオッちゃん」と恐る恐る二人に聞こえないように小さな声で聞いてみた。

「オッちゃんは、どうするの?」

「どうって……。まあそりゃあ……」

少しだけ首をかしげ、すぐさま大きくため息をつくオッちゃん。そして、諦めた様に笑いながら、私に返答する。

「冬志にも『嫌なら断れ』的なこと言われてんだ。ま、相手方から依頼内容を聞くだけ聞いて判断するよ」

そんなオッちゃんの答えに私は「いひひ」と少し変な笑い方をする。

「あ、なに笑ってんだ?てか今のは笑ったのか?」

「いやー。オッちゃんのことだから話は聞くんだろうなと思ってたんだけど、やっぱり受けるんだと思って」

「受けるとは言ってねえよ。話を聞くだけだ」

「やさしーねー、オッちゃん」

「うるせ」

そう言って、私の頭をコツンと叩いたオッちゃんは、男性の座る席へと向かう。私は再度、ふふっと笑って、オッちゃんが向かう姿を見送った。

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