第33話 セオドア・ラウマンになった日・その3

「タンスとかならな。俺も中古でも使えるものがあって安ければそのほうがいい。

 だが恋人や配偶者からの贈り物は、俺も自分だけの新品がいいと思うよ。」


「そんなものか。分からないな。

 たかが物だぞ?」

 驚いたように兄さんが言う。


「まあ、価値観の違いだから、そこを兄さんに理解して貰おうとは俺も思っていないが、物を大切にする人もいるってことだ。」

「そんなものだろうか……。」


「昔俺が、代々受け継いできた花瓶を割ってしまったことがあっただろう?その時に兄さんと母さまが言ったことを覚えてるか?」


「……覚えてはいないが、もしも俺と母さまがその場にいたら、お前に怪我がなくて良かった、たかが物が壊れただけのことだ、気にするな、と言ったことだろうな。」


「まんま、その通りのことを言われたよ。」

 と俺は笑う。

「当たり前だ。生きている人間よりも大切な物なんて、あってたまるものか。」


「まあ、兄さんと母さまはそうだよな。」

 真顔でそう言う兄さんに、しょうがないなあ、という風に俺は苦笑する。単に物に執着がないだけなんだよな、この人は。


 だから物に執着する人間の気持ちが、わからない人なんだ。

 大切なものを大切に思う気持ちが、わからないわけじゃあない。


「昔母さまが、父さまがプレゼントしたものを、アッサリ教会に寄付しちまって、父さまが目を丸くしてたのを思い出すよ。」


「寄付を求められて、身に付けていたものを渡すのは、当たり前のことだろう?」

 兄さんは不思議そうに俺に尋ねる。


「父さまと、俺と、アレックスは、物にも思い入れがあるのさ。

 自分が愛用していた物。

 大切な人から貰った物。

 大切な人が使っていた物。とかな。

 だから渡すにしても、配偶者から贈られたものは、最後の最後に手放すのさ。」


「……分からないな。」

「まあ、それが価値観の違いってやつさ。

 エロイーズさんが、オリビアの遺品ばかり欲しがる意図は分からんが……。」


 それは兄さんが言うような、古い物を大切にする、謙虚な心からじゃないだろう。俺も昔会ったことのある、オリビアに燃えるような嫉妬の目を向けていた彼女を思い出す。


「父さまやアレックスは、それを渡すのが嫌だっただろうな。相手を大切に想うほど、その人の持ち物も、その人を思い出させる大切なものなのさ。」


「アレックスがオリビアに似て、変わっているからだとばかり思っていたよ。」

「変わってる?そうか?」


「……正直俺は、自分の息子がよくわからない。あいつはオリビアに似て、人の悪意というものがわからないんだ。」

「まあ確かに、そういうところがあるな。」


「悪意というものが、アレックス自身の中にも存在しない。そこがとてもよく似ている。

 どこか人間離れしていて、オリビアを思い出させるんだ。」


「当たり前だ。親子なんだから。」

 オリビアは女神のような人だった。

 どこかいつまでも少女のようで、悪意というものを持ち合わせていないから、他人の悪意にうといし、そもそも関心がない。


「見た目も似ているから余計なんだ。ある部分ではとても優秀で、後継者として相応しい能力があると感じるが、自分に攻撃する意思のある人間の気持ちが想像出来ないんだ。」


「貴族の中で生きるのには、向いていないかも知れないな。平民もなかなか大変だが、それでも貴族の大変さは、また種類が違う。」

「大変だったのか?お前も。」


「人前で財布を出しただけで、狙われるというのは、貴族にはないからな。目先の金と命を狙われるのが平民、領地や仕事や、家柄そのものを狙われるのが貴族って感じだ。」


「……ああ。そうだな。アレックスにはそれがわからないから、どこか抜けているように見られがちなんだ。なんの加護がついているのか、それで危険なことにまではならないが、いつまでもそういられるとは思えない。」


「まあ確かに。キャベンディッシュ侯爵家の後継者になるのなら、そこは変わっていかなくてはならないところだろうな。だがまだ幼いんだ。いずれわかるようにもなるさ。」


「そうだろうか……。私はアレックスが、オリビアのように、ずっとこのままのような気もしているんだ。」

「それは……なんとも言えないな。」


 生涯、悪意とは無縁で生き、死んだ、アレックスの母親、オリビア。彼女によく似た息子が、そうならないとは限らない。兄さんはまた別の年の護衛を依頼された際、


「弟のリアムはとてもわかりやすく優秀なんだ。いっそのこと、リアムを当主にして、アレックスをその補佐に据えれば……とも、考えることがあるよ。こと対人面においては、リアムのほうが強かで、貴族に向いている。」


 と話していた。無邪気なオリビアの笑顔を思い出す。アレックスは、平民になったほうがまだ生きやすいかも知れないなあ……。


 人間、結局は経験がものを言う。表面を誤魔化して取り繕って、遠回しな言い方を好む貴族の世界では、素直なアレックスは、対人スキルが成長しにくいかも知れないな。


 こうなると、避暑旅行がなくなってしまったことがより残念に思えた。

 あれからまた大きくなったであろう甥っ子と、色々と話しをしてみたいと強く思った。


 アレックスに最適な環境を用意してやりたい。俺も平民になったばかりの頃は、付け入ってこようとする奴らに振り回されて、失敗ばかりだった。


 俺ならもっと、兄さんよりも、アレックスを上手に育ててやれるかも知れない。

 どうにかして、またあの子と関わる方法はないだろうか?失敗も経験だ。


 あの子に失敗も含めて、色々とやらせてやりたい。オリビアの生き写しのようなあの子が、放っておけないと感じていた俺は、長年ずっとその方法を模索していたが、まさかの甥っ子の方から、俺を尋ねてくることになるとは、まるで思っていなかった。


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