私にいったい何用だ
井塚百合枝と別れた私は、邸宅に戻った。
この時代の父上と母上と共に暮らす住宅。
木造ではないため保温性も高く、壁のボタンひとつで煌々と照明が灯り、火を用意する必要も無い。
寺子屋に通うカバンを放り投げると、私はベッドに倒れ込んだ。
「ぬぅっ! ずるいぞ、百合枝よ! 私だって殿方とイチャコラして惚れた腫れたで一喜一憂したり、ラブラブしたいのに、まさか百合枝は先に色恋に走っていた挙句に失恋しただと!? 忍びの者を抜け駆けするとは大した脚力ではないかっ!」
演劇部などという芝居一座に所属し、奇妙な漫画や映像ばかりを好む百合枝は殿方との恋愛は遠い同士であると信じていたのに、あやつの方が何枚も上手だった。
優れたくノ一は、おなごであることを武器にする者もいるが、私は隠密稼業が中心だ。おまけに胸も小さいし尻も小さい。
いったいなんだというのだ。
あぁ、いたた……脚気が心の臓まで響くようだ。
私は倦怠感に呻きながらも枕に顔を埋めて、ただひたすらに時を待つ。
早くビタミンサプリとやらが効いてくれれば良いのだが。
「世のおなごは同じ悩みを共有しているのだろうか。対する私はこのような労苦ばかりで、なんのためにこの時代にやって来たのやら……やれやれ」
この時代の連中が皆、肌身離さず持ち歩いているマストアイテム、スマートフォンを手にすると、私の易断を見てみる。今日の運勢は十二星座で最下位。今月の運勢も今年の運勢も確認済で、恋愛運は絶好調とあるが本当だろうか?
「私は星にも見放されたということか。ふふっ」
もはや笑うしかない。
今宵はせめてマシモトキヨツという
いつか私だって、誰かと色恋してやるんだもんね!
翌朝。
学校での百合枝はまだどこか元気が無い。
それはそうだ。恋の病がたちどころに治ったら医者は要らぬ。
「あっ、はるみ。昨日はありがとね、さっそくバスパウダー使ったよ」
それでも気丈に笑顔を作る百合枝。
あまり無理をするでない。
でも私の心にも小さな嫉妬の炎が灯る。と同時に、恋に破れ同士に戻った百合枝にもわずかな親近感を覚える。
まったく心身とも鍛錬不足の情けないおなごだ、私は。
放課後になっても百合枝は演劇部に向かわず、ノートと睨み合う。
次こそ男を堕とすための色恋の虎の巻を作っているのであろう。
あれくらい勤勉にならねば、私も殿方とお近づきにもなれないというのか?
「なんだ、百合枝。帰らぬのか? 昨日は悪い事をしたから、今日は共にマシキヨに行くか?」
だが、百合枝は首を横に振る。
「演劇部でもっと面白い話を考えて、なんとか文化祭であたしのプロットをお芝居にできないか考えてるんだよね?」
「ほう、芝居か。面白そうだな。それに付き合おう」
私は前の席の椅子を引いて百合枝に向き合う。
「それで、演劇部はどんな芝居をするのだ?」
「ある女の子が過去から飛ばされて未来にきたら、全然恋愛とかわからないで機械に頼る時代になってて、でもその子は星占いが好きで、いつも自分の運勢を……」
私は息を呑んだ。
こやつは私の全てを知っている。
現代に輪廻転生した私自身の秘密を。
そして昨晩の私の愚かな痴態までもを。
よもや百合枝は忍びの者であったか……それも私よりも
伊賀の者か、甲賀の者か。
その忍びの技は、おなごを武器にするばかりか、未来の家屋すら悠然と入り込み、私に気配を知られる事無く、私の活動を覗き見るとは――。
いずれにせよ、私と同じくこの未来にやってきたが、彼女は未だ隠密を続けているのであろう。
「あーあ、あたしの考えたお芝居だったら、もっと楽しそうなのに」
「そうか、百合枝。芝居ということは……そなた
「おにわばん?」
「どの藩の役の者だったと聞いているのだ」
「班は無いけど役なら……あたしはそりゃ三年生で部長だからね。当然いい役だよ」
「いい役……だと?」
「少なくとも王子様と会えるような」
「
「秘めた恋を伝えて胸キュンしたりとか肩を抱かれたり」
「ご、ご寵愛を賜るだなんて!」
「でも戦争が近くてなかなか会えなかったりして」
「いずこかの旗本に謀反の疑いがあったのか!」
「それでも叶わない恋は無いんだって、最後に恋愛が成就するの」
なんということか……。
確かに隠密は徒党を組まぬ。まれに数人で密命を成し遂げることはあるが。
よもや将軍様やそのご子息に拝謁し、挙句に寵愛を受けるとは。
こやつは私とはくらべものにならぬ真のくノ一。
一気に大奥のスターダムに昇り詰めるヒロイン中のヒロインではないか。
私は江戸患いが再発したかのように椅子から崩れ落ちた。
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