第15話
「…んぅ」
差し込むような日の光がまぶしくてヨイチは目を覚ました。
「ここは…」
ベットから体を起こして光が差した方を向くとこの町の観光名所「千厘の花畑」が遠巻きに目に飛び込んできた。春の光を浴びた黄色の絨毯は風に吹かれて気持ちよさそうになびいている。
ベットの横には棚とその上に花瓶の中で一輪のナバナがヨイチを見上げるようにして飾られていた。その側に回収したポーチが置かれている。
「ようやく起きたか」
声のする左を向くとララナットが腕を組んであきれたような顔して扉によりかかっていた。
その様子を見るにヨイチをここまで運び込み治療を施してくれたのも彼女のおかげだと察することができた。
同時にヨイチは思い出す。
「アンは…!」
「心配するな。彼女は無事だ。怪我もしているが命に別条はない。今、隊のものがお前が目覚めたと報告に行っているはずだ。もうじきここに来るだろう」
それを聞いてヨイチはほっと胸をなでおろす。
だが礼を言おうと再びララナットへ向き合ったヨイチは驚いた。先ほどまでのあきれながらも心配した顔のララナットが今は真剣な顔つきでヨイチを見ていたからだ。
その様子からヨイチはララナットがこの後に何を言うのか、大体の予想ができた。
「一つ聞こう。アンは何者だ?」
ヨイチは視線を外し下を向く。その様子は自分は何か知っているといっているようなものだ。
「なぜ、グレイシャー帝国の大罪人がここにいる?」
追撃するようなララナットの質問にヨイチは答えることができない。
ヨイチとてアンとは三日前に知り合ったばかりだ。全ての事情を知っているわけではない。だが販売物を警護施設の許可を取らないといった時のアンの顔でその背後にある暗い部分を察することはできていた。
ララナットは大きくため息を一つ吐いた。
「まぁ、今回は見逃してやる」
「え?」
その言葉を聞いてヨイチは再び驚いてララナットの顔を見上げる。
「なぜ、ですか?」
ヨイチの疑問は最もだ。
陽光の騎士団団長ララナット・リリベルがグレイシャー帝国の大罪人を見逃すとなるとバレれば彼女の厳罰も免れないだろう。
「今回の一件でラティモスを潰すことができた。これはアンの助け無くしてはあり得なかったことだ。私は恩を仇で返すようなことはしたくないのでな」
そう言ってララナットは苦笑する。
「実際アンのような子が大罪を犯したとも思えん」
彼女は本心からそう思ったのだろう。ララナットの言葉に噓は見えなかった。
「ありがとう…、ございます」
ヨイチは頭を下げる。
「アン自身にも話はしてある。なに警護隊と犯罪集団のつながりがあったのだ。陽光の騎士団団長と大罪人にもつながりがあってもおかしくはないだろう」
「バレたら仕事無くなりますよ」
「構わん。それなら今回のことを洗いざらいぶちまけてやるまでだ」
微笑みを浮かべてララナットはそう言う。初めて見るララナットの笑顔は凛々しさの中にも無邪気さを含んでいた。
「これからどうするつもりだ?」
「予定は未定です。もとより旅人は気の向くままに旅をするものですからね。明日にでも出発するつもりです」
ヨイチの旅の信念は変わらない。行きたい場所へ行き、見たいものを見る。その町の情景、文化、人の温かさに触れてまた次の場所へ向かう。
世界は広い。それはもうとてつもないほどに。ヨイチはその世界のたくさんのものを生きている限り目に焼き付けておきたいのだ。この街でいつまでも寝ているわけにはいかない。
――これからは食べたいものを食べるが加わりそうだが…、それもまぁ楽しみだ。
「そうか。では早めに出発できるようこちらも手配しよう。ヨイチにも何かお礼をしたいのだが」
「いえ、特には…」
そう断ろうとしたがヨイチだったが頭にあるものが思い浮かんだ。
「それなら…」
それを聞いたララナットは心得たというように頷き了承した。
「分かった。出発までには用意をしておこう」
「ありがとうございます」
「なに大丈夫だ。っと来たみたいだな。ではヨイチ。私はここで」
そう言ってララナットは扉から離れていく。
かわりに騒がしい足音を立てて病室に入ってきたのはここ数日ですっかり見慣れた泣き顔をしたアンだった。
息を切らして入ってきたアンはヨイチに促されてベットの横にある椅子へ腰かけた。
久しぶりに見たアンの様子はだいぶ様変わりしていた。両腕は包帯で巻かれている。おそらくはあの少女との死闘による傷だろう。右腕の損傷がひどいのか首からつるされている。
そしてヨイチが最も驚いたのはアンの透き通るような白髪がヨイチと同じように真っ黒に染まっていたことだった。
「その髪はどうしたの?」
何から話そうか迷ったヨイチはまずその部分から触れるように会話を始めた。
「あぁ、これは実は…、」
そう言ってアンは前髪の部分を少しだけ持ち上げる。その黒髪の下には本来のアンの白髪があった。
「ララナットさんから頂いたものです。私を運ばせた時からすでカツラをつけさせて正体をわからないようにしてくれたみたいで…」
本来の白髪と違和感があるのかアンはその黒髪をなでる。
「ララナットは最初からアンの正体に気づいてたわけだ」
「そうみたいですね」
苦笑交じりにアンはそう言ってうつむいたが思い出したかのように顔を上げる。
「それで、落し物は見つかりましたか?」
「うん、見つかったよ」
ヨイチはナバナが入っている花瓶の横にあるポーチを指をさす。
それを見たアンは安堵したようでほっと息を吐いた。
「アンのおかげだよ。ありがとう」
「いえいえ、私はそんな。途中で倒れてしまいましたし…」
頭を下げるヨイチにアンは手を振って否定する。
「実際、用心棒としての役割は果たせませんでした。ヨイチさんも怪我をされてますし、ヨイチさんの落し物を使って敵を出し抜いたことも許されることではありません」
この数日でよく見た暗い顔のアンはいっそう悲壮感がました表情をしていた。
「結局、私は強くあることができないのです…」
それはヨイチに向けられた言葉ではなかった。もっと別の誰かに向けられたような。
「私は最悪な人間なのです」
ヨイチは深くため息をする。
この罪悪感はどうしたって自分を貶めなければならないらしい。全く難儀な性格をしているなとヨイチは思った。
「ならそういうことにしよう」
「はい、すいません」
アンはうつむき暗くなる。その顔は悲痛そのものだった。水色の服の裾を強く握った手が震えている。
「だから次からはちゃんと俺にも相談してね」
「え?」
アンはきょとんとした顔でヨイチの顔を見上げた。
何かしらの罰を受けるはずだろうと思っていた彼女は虚を突かれたようで言葉を発することができていない。
その様子を見てヨイチは穏やかな笑みを浮かべる。
「これから一緒に旅をするんだよ?報連相はしっかりしてもらわなきゃね」
「で、でも私は…」
ヨイチの手は自然とアンの方へと向かいその頭をなでる。
「あっっ、」
「アンの罪悪感の根幹はきっと今回の件よりも深く暗いんだよね。それをずっと一人で抱えてきた」
「私は、最低な、最低な人間で…」
わずかに震えるアンを壊さないようにヨイチは頭をなでつづける。
ガラスを傷つけないように、卵を温めるようにそっと。
「大丈夫。これからは俺も背負うよ。アンの罪悪感が少しでも軽くなるように、アンが抱えている苦しみが少しでも楽になるようにね」
「でも!私は…、私は!」
アンの震えは大きくなりやがて瞳からは涙がこぼれ始める。
「今はまだ話さなくてもいい。アンが力を貸してほしい時に言ってくれればいいから…」
「ヨイチ、さん…」
アンの瞳からこぼれる涙を拭ってヨイチは笑顔を見せる。
「だから、一緒に旅を始めよう」
アンの抱える闇はヨイチにだって分からない。だがどう考えても暗く黒いことは想像できる。
その闇を取り払うのは時間をかければいつかはできるだろう。あるいはアンの心情に劇的な変化があれば可能かもしれない。
だがそれはアン自身が乗り越える問題でありヨイチにはその手助けしかできない。
どの決断をするにしても最終的に決めるのはアンだ。そこにヨイチが入り込めるスキは微塵もないし、そもそも関わろうと、助けようとしていること自体がいらないお節介だ。
力不足の自分を助けてくれたアンはまた罪悪感が増していくだろう。
でもヨイチは目の前で涙を流す少女をどうしても助けたいと思った。
アンは前を向いて生きているのだ。その罪悪感を背負って旅を続けている。足を止めることなく一歩一歩。
「俺がアンを守るよ」
「うぅぅぅ、あぁっぁ…」
その果てが、アンの旅の終わりがどのようなものかは分からない。
だがヨイチ自身、本当は分かっていた。
アンが自分と同じ人間なのだということが…。
「さて、お腹もすいたしご飯でも食べに行こうか」
パンと手を打って話を切り上げアンに返事を促す。
目をゴシゴシと包帯で拭ったアンは、
「はいっ!」
大きな返事と泣き笑い顔で答えた。
窓から吹く穏やかな風と差し込む光に照らされたその笑顔は今まで見てきたどの景色よりも美しかった。
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