第6話
「忘れ物、ですか?」
退室手続きから戻ってきたアンはヨイチと夕食を終えたあと、ヨイチの部屋に今後の予定と対策、資金の使い道を相談のために集まっていた。
アンは先に入浴を済ませていたらしく昼間に身に着けていた水色の服から全体が色でフードのついた寝巻に着替えていた。
入浴後ということもあってか、白い肌はほんのり赤みがかり、爽やかなシトラスの香りがアンが動くたびにふわりと漂っている。
旅の方針で今後の資金の問題が出てきたヨイチが現在の総所持金を確認しようとしたところポーチがないことに気が付いたのだ。
幸い、財布は支払いの時にポーチから出していたので手元にあった。
「アン、ひょっとして」
「ち、違いますよ!そんな恩知らずのようなことはしません!」
冗談で言ったヨイチだったがアンは頬を少しふくらませて怒った。
「ごめんごめん、たぶん昼間の食事処だと思うよ。明日また行ってみる」
「ヨイチさんはひどいです」
問答無用に凍りづけしようとして、首を切ろうとしたアンには言われたくないと心底ヨイチは思った。
そんなことを忘れたようにアンは唇を尖らせてツーンとしている。その仕草を見ているととても二十一歳には見えない。
もっと下の子供を相手にしているような感覚だった。
「でも、あるといいですね」
「あぁ、大丈夫大丈夫。滞在した街での一回は忘れ物するけど見つからなかったことないから。心配しないで」
「ヨイチさんって、不用心なんですね…」
「道に荷物を置きっぱなしにして店で買い物をする人には言われたくないな」
ヨイチは笑っていうがアンはまたも不機嫌な顔でムスッとしてしまう。
「あー、この宿の食堂のシューアイスがおいしんだけど食べに行く?」
「シューアイス!」
先ほどの態度はどこえやら。アンは目を輝かせてテンションが上がっていた。
「行きましょう。すぐ行きましょう。早く行きましょう」
そういいながらヨイチをおいて部屋を走って出ていく。
昼の焼き飯の大盛りを食べた時から思っていたがアンはとてもよく食べる。それはもうとてつもないくらいに。
夕食もバイキング形式だったのだが全品3周はしていて途中で料理長が泣き始めたのでヨイチが止めたのだった。
あの勢いからしてシューアアイスを何個食べるつもりなのか。
いや、何個と予想ている時点で一個では済まされないことが分かっている。
ヨイチは覚悟してベットから立ちあがった。
「もしかして、食費がこれからすごいかかるんじゃ…」
深くため息をついてヨイチはアンの後を追った。
次の日、ヨイチは昨日、昼食を取った食事処を訪れていた。
アンはといえば数日前にこの町に来たばかりでということで、行きたい所があるらしくヨイチからのお小遣いを片手にスカジと観光に出かけている。
「ポーチ、ねぇ」
「はい。緑色で中には小物が入っていたんですけど、ありませんか?」
この店の強面の店主は少し考える素振りを見せたがすぐに首を横に振った。
「すまねぇが見てねぇな。閉店の掃除の時点で兄ちゃんの座っていたっていう席にはなかったな」
「そうですか…。」
今まで色々な物を旅先で無くしてきたヨイチだがポーチをなくしたのはこれが初めてだった。あの中にはヨイチの貴重品が一通り入っているので見つからないのは問題だ。
「また何かあったら教えてください」
そう言ってヨイチは食事処を後にした。ここにしかないと思い込んでいたので正直他のアテが見つからない。
「しかたない、警護施設に行くか…」
警護施設は街の中心部に位置しているため、食事処からはそう遠くない。
歩きながらヨイチはこれからのことを考えていた。
二人で旅をする問題は資金だけではない。
根本的に男女二人で旅をすることが少しイレギュラーだ。
夫婦や交際している男女での旅人は長い旅の期間では見てきたが今回のようなお互いの利益のためとはいえ異性同士が旅をしてるのをヨイチは見たことがなかった。
何というか勝手がわからないのだ。
ヨイチは多少風呂に入らずともやっていけるがアンは違うだろう。何せあの透き通るような白い肌と綺麗な白髪だ。丁寧に維持している違いない。
衣服も何日も着替えずにいれるが女性のアンではそうもいかないだろう。
それにトイレだってどうしたらいいのか…。
他にも男性なら出来ることが女性のアンには少し厳しいものもある。ヨイチは知らず知らずのうちに頭を抱えていた。
――ここは考え物だな。できるだけアンに不自由にならないようにしなくては。
それに付随して出てくる問題が移動手段だ。
ヨイチは今まで歩いて旅をすることを基本としてきた。
しかし、アンにそれを強いるのは少し酷だ。街と街までの距離が長いことが多いためかなり体力を消耗する。加えてアンには用心棒という役割がある。
あの真面目で責任感が強い性格だ。きっと四六時中張りつめて行動するだろう。
いくらスカジがあるとはいえ疲れて体を壊してしまっては本来の仕事を果たせず本末転倒だ。そうなるのは極力避けたいし、せっかくの旅なのだからアンにも普通に楽しんでもらいたいというのがヨイチの願いだった。
その楽しさをご当地の食ベ物に全振りされては困るが…。
「やっぱり馬車か…」
ヨイチもこのプランを独りで旅をしていたときから検討していた。資金の余裕もあったのでそろそろと思っていたのだが、アンの費用を肩代わりをしたことで一番安い馬車でも今のヨイチの手持ちの資金では足りない。
悩みに悩んでいたヨイチに突然目の前から人の影が映った。
「いつっ、」
思考の沼につかっていたのか下を向いて考え事をしていたヨイチは躱せるはずもなく人とぶつかって尻餅をついてしまっていた。
正面を向けばいつの間にか警護施設についていてその場所を背景に一人の女性が手を差し伸べていた。
「すまない。まさか倒れてしまうと思わなくてね」
「ありがとうございます」
手を取ったヨイチを軽々しく引き上げて女性はにこやかに笑った。
改めて正面から見た女性は凛々しい顔つきをしていて高い位置で括った赤色の髪が左右に踊っているのが印象的だ。
よく見るとこの街がある都市の黒色の軍服を着ている。腰には赤色と黄色の剣が下げてあった。
「しかし、下を向いて歩いているのは危ないぞ。次回からは気を付けるように」
「すいません…」
「ぶつかるまで気づかないところをみるに余程悩んでいたようだが…、何か考え事でもあるのか?」
「そんなたいしたことではないですよ」
さっきまでいろいろ考えていたのは事実だったがヨイチは口にしなかった。笑みを作り視線を逸らす。
「そうか。ならいいのだが」
女性は少し訝しげにヨイチを見ながら言う。何もないと思ったのか一度ため息をついて真面目な顔になった。
「最近この辺りにラティモスが出てきているらしい。考え事をするのは構わんが前を向いて歩くように心がけろよ。大事なものがとられてしまうぞ」
「ラティモス、ですか…」
ラティモスは、この都市の一帯を支配している犯罪組織だ。強盗や薬、犯罪などその種類は多岐にわたる。
最初こそ小さなグループだったのだが勢力を拡大し今や都市の裏を支配する存在となっている。
なかには都市の貴族と絡んでいる者もいるらしく事件を起こしても有耶無耶になるケースもあるらしい。
「そうだ。つい昨日、裏市が行われていたところを警護隊が抑えたのだが半数が逃げてしまってな。今はその調査に出ているわけだ」
裏市とは盗んだ物をオークション形式で売るラティモス特有のやり方だ。つけられる値段も破格でものによってはアンの借金もすぐに終わってしまうくらいの値がつくものもあるらしい。
最も、貴族もここに参加しているためつけられる値段も上がるだけでなく、警護隊に見つからない場所を提供することもできる。
「だから、都市の騎士隊が来てるんですね」
「本来ならば昨日の突入で終わらせる予定ではあったんだがな。逃がしてしまったために我々が借り出されたということだ。都市としてもここで叩いておきたいんだろう。ほとんどの戦力を捜査につぎ込んでいるんだ」
女性は突然ハッとして顔をしかめた。
「しまった、これは機密情報だったか。ベラベラと喋ってしまった。すまない」
「大丈夫ですよ。内緒にしときます」
「そうしてもらえると助かる」
女性は顔を傾けながらヨイチにたずねた。
「もしかして警護施設に何か用か?」
ヨイチは先ほどは言わなかったがここで相談してもいいだろうと思った。見たところさっき警護施設から出て来たようだし、ヨイチの落し物の情報も心当たりがあるかも知れない。
ヨイチは食事処の店長に説明したように女性に説明していく。
説明し終えた後、女性は少し考えたあと首を横に振った。
「すまないな。今の所その落し物の情報は届いてない」
「そうですよね。わかりました。ありがとうございます」
「何かあったら報告する。今は宿にいるのか?」
「そうですね。クランプ宿屋にいます。」
「名前は?」
「ヨイチと言います」
「ではヨイチ。落し物の情報が入り次第、君に伝えよう。私はララナット・リリベル。ララナットと呼んでくれ」
そう言ってララナットは右手を差し出す。握手を交わそうとヨイチも右手を差し出したがそのままララナットが勢い良く自分の胸元へ引っ張り込んでヨイチに耳打ちする。
「絶対に内緒にしておけよ?」
脅しともとれる声が聞こえたとたん体から解放され目の前には最初と同様、凛々しさを含んだにこやかな顔をしたララナットがいた。
「それではこれで…」
ララナットは呟きながらヨイチの横を通り抜けていく。
振り向いてララナットの背中を見つめるヨイチはアンと出会った時とは違う悪寒を
感じていた。
いや、本当は名前を聞いた時から気づくべきだった。
彼女は帝国自由都市モンステラ、陽光の騎士団騎士団長。
五大結剣である陽結剣アポロ、光結剣ヘイムダルを持つ二刀流剣士。
先ほど会話をした女性、ララナット・リリベルは現在の人類最強の剣士だった――。
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