盲目的な愛

ミカエル達と別れ、中庭に来た。


リオーネが言っていたとおり、誰もいない。


「ニコル。すまないのだけれど、エレオノーラ様に気分がすっきりするような飲み物もらえるかな、何も口にしていないし、少しでも落ち着くといいのだけれど」


レナードが見ていた限り、エレオノーラはほとんど飲食物を口にしていなかった。


エレオノーラにとってはいつもの事なのだが、レナードは気にしていたのだろう。


「わかりました」

ニコルは頭を下げ、場を離れる。

キュリアンもいるし大丈夫だろうと判断したようだ。




「お気遣い、ありがとうございます」

レナードがハンカチを取り出してベンチに敷いた。


「緊張で疲れたのかもしれないですね、気にせず休んでください」


エレオノーラを座らせ、顔色を伺う。


「特に顔色は悪そうには見えないけど、無理は禁物ですよ。何かして欲しいことはありませんか?」


そう言われ、様々な要望が頭の中を駆け巡る。

この場で口にしてはいけないものまで思考に現れたが、何とか邪念を振り払い、今言っても大丈夫そうなものに考えを絞る。

「では隣に座って欲しいです」


言われるがまま、レナードは隣に座った。


そのレナードに寄りかかり、体を預ける。

「エレオノーラ様?」

急な密着にレナードの体ががちがちになる。



エレオノーラはちらっとキュリアンを見た。


何も言わないところを見ると、ここまではしても大丈夫な範囲なのだろう。


キュリアンは音もなく視界から消える。


幻影魔法の使い手の為、主たちを慮って姿を隠したようだ。

見えないだけでいるのだから迂闊なことな出来ない。


「このまま休ませてください、安心しますので」

レナードの温かさと匂いに安心する。

知り合ってそんなに経ってはいないのに、ここまでエレオノーラに安心感を与えてくれる。

レナードは不思議な存在だ。





しばし静かな空気が流れるが、沈黙すら心地よかった。






しかし、レナードは沈黙に耐えかね、何か話題をと、口を開いた。


「今日は僕を支えてくれてありがとうございます。エレオノーラ様がいてくれたので、誰からも笑われずにすみました」


会話の端々でエレオノーラがさり気なく庇ってくれていた。


おかげでさしたる失態も失敗もなく、過ごすことが出来たのだ。


「あなたは本来笑われるような人じゃないわ。そもそも笑っていた者たちがおかしいのよ。わたくしの婚約者だからじゃなく、あなた自身素晴らしい人なのだから」


隣にいて見ていたが、レナードの作法や挨拶におかしいところはなかった。


敢えて言うならば自信のなさが気になるところ。

そこがマイナスとなって侮られてしまう原因となってしまっている。


「素敵なあなたをもっと知ってほしいけど、わたくしだけが知っていたい気持ちもあるわ…」


「何でしょうか?」


ぽつりと呟いたエレオノーラの声はレナードまでは聞こえなかったようだ。





(わたくしだけのあなたで…)





エレオノーラが顔をあげ、レナードを見た。

「名前…わたくしだけの愛称で呼ばせて欲しいです」

「愛称?」

唐突な提案に驚いたが、そのようなものでレナードは呼ばれたことがない。


「そういうのは初めてです。どのようなものがいいでしょうか?」




レナードの初めてと言われて嬉しい。




何と呼ぼうか、エレオノーラは考えた。


「…レイ?」

恥ずかしそうに言われ、レナードも恥ずかしくなる。

エレオノーラの白い頬が紅潮し、潤む瞳は伺うようにこちらを見ていた。


生きた人間だ。




(どこが氷のような女性だ。こんなにも表情豊かで、可愛らしい人じゃないか)

エレオノーラは人形のように冷たく、感情を見せないという話。


昔聞こえてきた噂など、頭の片隅にしか残っていない。


ともすれば抜け落ちる直前だ。





「それがいいです、よろしくお願いします」


レナードがそういうと、エレオノーラがもじもじとし出す。


「どうしましたか?」

「わたくしの事もぜひ愛称で呼んでください」

言われてレナードは知恵を張り巡らせる。


愛称?

女性に?

なんて呼ぶものなの?


女性と付き合った経験のないレナードにとって、ハードルが高い。


「……」

考え込み、レナードは無言になってしまった。


我がままを言いすぎたかとエレオノーラは心配になる。


「嫌ならば、無理には…」

「エリー、でどうですか?」

ずっと考えてくれてたみたいだ。


「考えてみたけれど、いいのが思い浮かばなくて…ダメでしょうか?」

「いいえ、嬉しいです」


エレオノーラは声を弾ませた。


「ぜひ呼んでください、エリーって」


きらきらした目で見つめられる。


「エリー、様」

「様はなしですよ、レイ」


問答無用の圧を感じて、レナードは言い直す。


「エリー」

エレオノーラは嬉しそうに抱き着いた。


「嬉しいです。レイ」

(ふわああぁぁぁぁ!)


心の中で叫び声を上げ、レナードは固まった。


柔らかな感触と花のような良い香りに理性がくらくらする。

(誰かいないの?!)


いつまでも帰ってこないニコルと、いつの間にかどこかに行ったキュリアンを探して視線を彷徨わせてみたが、かけらも気配を感じない。


抱きしめ返す気概もないレナードは両手を上に上げ、天を仰いだ。

思考の放棄を試みる。





「そろそろ止める?」

キュリアンの問いかけに、とっくに戻ってきていたニコルは憮然とした顔だ。


手にはすでに温くなった飲み物を持っている。


キュリアンの魔法で二人の姿はレナードからは見えない。


「エレオノーラ様が幸せならばそれでいい。だが、あれは近すぎないか?」


持っていたグラスを握り壊してしまう。




「…新しい飲み物持ってきたら止めよう、レナード様にも気つけ的なもの持ってくるからさ」




ヤキモチなのか怒りなのか親心なのか…。

良からぬオーラを放つニコルを置いて、キュリアンはとりあえず飲み物を取りに走った。





戻ってきた時に中庭が悲惨なことになってない事を祈りながら。





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