エピローグ

エピローグ

 ハルヒトはいつものようにトレーニングルームにいた。


 しかしNoahとの仮想戦闘を行っているわけではなく、軽量性に加えてその強度にも優れたチタン合金と神経系の埋め込まれた人工筋肉から作り上げられたハルヒトの失われた右腕の代わりを担う義手の操作テストだった。


 まずはぐー、次にぱー。握っては開いてを繰り返しながらいくつかの本来の自分の腕との齟齬を見つけ出し、やはり神経の伝達速度が遅くなっていてハルヒトは納得のできるまでぐーぱーを繰り返してから腕をぶんぶんと振り回してみる。


 少しだけマシになったように思う。


 次は腕立て伏せでもしてみようかと思い立つ。


 いくら腕立て伏せを繰り返そうが、義手は人体ではないのだから鍛えられることはない——というわけでもなくて、義手の根幹を担っている人工筋肉はむしろ鍛えることによりその強度を増していくし、今のままの状態ではよっぽど元の右腕のほうが力で勝る。重量だけに関わらず、そういった力量の差の違いが右の腕と左の腕に生じてしまい、なんとも言えない気持ちの悪さがハルヒトの胸中に渦を巻いていた。


 こんなときこそ腕立て伏せだ。


 両手を鉄肌の地面にぺたりとつけて、体をなるべくぴんと伸ばして、トレーニングルームの外から飛んでくる一つの視線に気がついて、——うん? いったい誰だろう。


 視線の飛んできたほうに顔を向けたハルヒトは、トレーニングルームの出入り口付近でさっと身を隠した黒い影を見た。


 ハルヒトは察した。


 やろうとしていた腕立て伏せは中止、リモートコントロールにより生まれた特殊ガラスの切れ目はそこがシミュレーションエリアを抜けるための出口であり、ハルヒトがそこを潜り抜けると同時ぐらいのタイミングで立ち並ぶコンピューター群の電源が落とされる。あと五歩でも進んだところにトレーニングルームの出入り口があって、ハルヒトは顔だけを傾げて身を隠していた黒い影の正体を見る。


 うずくまっていた黒い影は観念したように立ち上がり、ハルヒトの「なにしてるの?」という疑問に対して黒い影は何事かを考えたあとに「タイミングです」と無表情に答えた。


 なんのタイミングなのだろうかと考えるハルヒトは、目の前にいる彼女のスケジュールを思い出し彼女は自分と同じように今日が休日であったことに思い当たる。


 せっかくの休日なのだから、二人そろっての休日なのだから、どこかへと出かけることで親睦を深めることはとてもいいアイデアだと思った。


 だからダメ元で誘ってみた。


「俺と一緒に休日を過ごしてくれませんか」


 自分のほうが先輩にあたるのだからどうして誘うときに思わず敬語がでてしまったのかがわからない。女性を誘うことなんて今までになかったハルヒトだから、もしかしたら自分でもわからないうちに緊張していたのかもしれないし、誘う時の文句といえば敬語であるという謎の固定概念があったのかもしれない。


 記憶を失っている彼女はこくりとうなずいて答えた。


「はい」


 相も変わらず彼女は無表情だった。


 けれど、ハルヒトには、なんだか彼女が嬉しそうにしているように見えたのは、ただの気のせいだったのだろうか。

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