第26話 終着点

 少女は尾を引いていく血と脳漿に紛れて、力なく体の側面のほうから身を倒していく。


 ハルヒトは泥の跳ねるような音を聞きながら、ずっと遠くの左のほうに目を動かした。


 C班だ。


 揃いも揃って同じデザインのコートを着て、揃いも揃って同じデザインの呼吸補助器を装着して、しかしその十人ほどに紛れているうちの一人はまったく他の者たちとは違う装備を手に握っていた。人を殺すために作り出された武器である銃の、その中でも炸薬の量がとびっきり多く詰められたモデルであったはずのそれは、ナノマシンによる正確な未来演算に基づいて寸分たがわずに三百メートルほどの距離で少女の頭をぶち抜いた。


 ハルヒトは目の前の光景を見つめることしかできない。


 あれほど憎く感じていた少女が、今はどうしてか可哀そうにも見えてしまった。


 少女の着ている黒のコートの隙間から、可愛らしい青のワンピースがちらりとのぞく。しかしそれもすべてを台無しにするように血の赤が染めていく。ハルヒトを最初に助けた時にはどてっぱらに風穴を開けていたくせに、脳髄に開けられた風穴はなぜか取り返しのつかない重傷となるのか。少女の人外っぷりを人づてに耳にしていたハルヒトは、およそ常識的な枠に目の前の少女を当てはめてはいなかった。


 言ってしまえば、殺しても死なない存在だと思っていた。


 だけど目の前の少女はすでにこと切れているようにしか見えない。


 随行式支援型機甲通信型のセイリュウを連れて、銃を手にしたC班の内の一人が急ぎでこちらに駆け寄ってくる。


 呼吸補助器の上にある彼の目元には見覚えがある。


 ジンだった。


「大丈夫だったかハルヒト⁉」


 ハルヒトは意表を突かれた表情でそれでもなんとか生返事をする。


 キサラギを救う手段が無くなった。


 それを自分のことを心配して行動した仲間のジンのせいにするわけにもいかず、それにハルヒトが思っていただけで実際にキサラギを救うことができたのかはわからない。ジンに続いてやってきたC班の面々は少女が再び起き上がることを危惧しながら死体を運び出し、そして都市の中心にそびえる円筒形のターミナルを目指して今や毒の代わりに都市内を満たし始めている青の結晶の中に消えていく。


 ハルヒトの肩に手を置いたジンが、しみじみとした様子で語り始める。


「敵は討てた。これが供養になるかはわからないけどさ、少なくともクビキさんはよくやりましたねって褒めてくれるんじゃねえかな。それに結局はこうして都市も元通りだ。まあそれ以上に失ったものは多いけどさ、だけどそれは今に始まった話じゃないだろ。俺たちは資源だとか人だとかを失いながら生きていくしかないし、それでもその中で守れたものだってきっとあるってことなんだよこれは、ってだいぶくさいこと言ってるかもな俺」


 照れ隠しのつもりかハルヒトの背中を叩くジンは、へへへと笑いながらなびく首のスカーフを指先でいじる。と、ここで、ジンはハルヒトの右腕の無いことに今さらながらに気がついた。


「ハルヒト、お前腕がっ! 血とかは大丈夫なのかよ。いや、大丈夫なわけないよな。とにかく俺たちも早くターミナルに帰ろうぜ。そしたら治療を受けて、それから勲章とかもらえるかもな。なんにしろ一人であいつに立ち向かったんだからさ。隔壁が上がるまでは俺たちにはなにも手出しができなかったし、改めてやっぱりお前はすげえと思うよ。だけど、いつか俺のほうが強くなるからな。ほら、セイリュウの背中に乗っけてやるからはやく行こうぜ」


「ああ、ありがとう」


 ハルヒトはセイリュウの長い首に片腕だけでしがみつき、そのまま体をゆすられながら何度かセイリュウの硬い背中にあごを打ちつけて移動する。


 痛かった。


 それはぶつかった衝撃を受けたあごだけではなくて、もうキサラギとは二度と会うことができないと自覚した心も同様だった。


 視界には、一面の青がある。


 幻想の青だった。


 いつかは消えゆく青だった。


 ターミナルから持ち出した資料の中には、この都市の平均的な寿命が記されていた。


 それが記された頃は二百年以上も昔で、当時の人たちにしてみれば、それは途方もない未来予想図であり、都市の寿命を知ることなんて、自分たちには何も関係のないことだと高を括っていたに違いない。しかし今を生きるハルヒトたちにはそれはとても重要な案件であり、ハルヒトの生きているうちにその寿命は訪れてしまうことを知った。そこに都市の全体を巻き込むような大掛かりな事件が発生して、その訪れる寿命はもしかしたらすでに風前の灯火に近づいているのかもしれなかった。


 それでも生きていくしかない。


 ジンの言う通りだと思った。


 何かを失いながら、そして何かを失うと知っていながらも生きていく。守っていくのだ。


 失ったはずの右腕が、遅まきながらにじんじんと痛み始める。


「……痛いなあ」


 長い一日が幕を閉じた。


 ハルヒトは願った。


 明日はどうか、誰もが笑って過ごせるような平穏無事な一日でありますように、と。


 そして、

 今日の昼にキサラギと過ごした、なんてことない時間をふと思い出し、もう少しだけ彼女のそばにいればよかったのに、と、自分の意気地なしをちょっとだけ恨んでみせた。

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