第六章 届かなかったもの
第23話 勝負
自分の向かっていた指標をほっぽりだして、ハルヒトが急な方向転換で向かった先はキサラギの元だった。
ハルヒトは気づいた。
指標へと向かう際にまるで視線の尾を残すようなキサラギの表情の意味は、ハルヒトが思っているような超人無敵なキサラギの姿の裏に隠された、どこにでもいるようなありふれた少女としてのキサラギの姿であったことを。一見大人びたように見える彼女の無表情の意味は、自分の強さに裏打ちされている自信の表れなどではなく、周囲の慣れぬ環境にあてられて閉ざされてしまった氷漬けの感情であったことを——まあキサラギ本人によるコミュニケーション能力もあったのだろうが、それでもあの別れ際の表情には彼女の少女としての気弱さがあった。だから傍にいようと思った。
そうして駆けつけた家屋の壁に挟まれた路地裏には、ありえないほどの凄惨な光景があった。
真っ二つに裂かれた性別不詳の死体、ワンピースを纏った白髪の少女、その屈んでいる少女の足元に倒れているキサラギの姿——
「——キサラギから離れろ」
さらには腹から血を流しているミツルギの姿も見えた。
「っ! ミツルギさんまで」
間に合わなかったという自責の念はやがて無能な自分に対しての怒りにも変わる。キサラギが辛い目にあっている状況において、自分はなにもしてやれていない。やつあたりにも似た心境でにらんだ目つきはしかし、少女のキサラギを思わせるような「先輩」という言葉によりわけがわからなくなる。混乱が入り混じる。そうして次に告げられた少女の自分はキサラギであるとの発言を聞いて、自分自身に対しての怒りはすっかり忘れてしまいさらに続いた場の不謹慎さも相まった愛の告白には気味の悪さに加えてその自分勝手な思考に嫌悪感が湧く。地べたに転がっている抜き身の拳銃を素早く拾い上げ、やはりこいつは人類の敵であるとの認識を深めた少女に拳銃を向け、
「ああああああああああああああああああああああああああああああ」
頭でもおかしくなったのかと思う。
急に頭を抱えてうずくまった少女を見て、ハルヒトこそ頭を抱えてうずくまりたい気分に陥る。
しかし隔壁を下げるためにも今のうちにも少女を確保しておきたい。そう考えればまたとないチャンスの舞い込んでいる状況が今で、それでもモミジを始めとした仲間の平穏を粉々に打ち砕いた少女を目の前にするとわれ知らずの内に引き金にかかる指に力が入るもので、しかし キサラギを語るくせに多すぎる言葉の数で言い訳のように衝撃的な情報を言い放つ彼女には、まさか同情などできるわけもないのにその必死さや悲哀さを感じることができた。
迷いが生じた。
少女の眉間に向けていた拳銃を下ろし、都市から抜け出そうと提案する少女を通り過ぎ、そして少女の後ろに倒れ込んでいるキサラギの元へと向かう。まだキサラギの呼吸があることを確認し、その出血により気絶しているミツルギを見やり、その時少女の近くに控えていたツキカゲからゲンブに対しての通信が入った。それは少女の言葉を受け入れようとしていた自分に対しての喝にもなった。
「君の気持には応えられない。だって俺にとってのキサラギはたった一人だから」
だけど少女の言葉を否定しきったわけではない。
キサラギの記憶も感情も今まで歩んできた彼女の経験ですらも、それを彼女が持っているということは本当のように思えた。しかしキサラギのすべてがそれらに詰まっているのかと言えば、それで少女のことをキサラギと呼べるのかと言えば、それはなんだか違うことのように思えた。
しかしそうなると、少女の言葉を信じれば、キサラギの存在は消えてしまったことになる。
自分が彼女のためにできたことはいったいなんだったのだろう。
自分にとっての彼女とはどのような存在だったのだろう。
その思考を遮るように告げられた少女の言葉は、
「先輩」
「私の体にナノマシンこそないですが、それでも前と同様のスペックは持っているのです」
「私と勝負をしましょう」
キサラギの着ているコートをはぎ取って、それを着込んだ少女は自分がキサラギであると主張しているようだった。
「なにを——」
いきなりの勝負の提案に驚いて、しかしそれに次ぐ驚きがハルヒトに襲いかかってくる。
「私はちゃんと知っているんですよ。先輩が私に対しての決して少なくない嫉妬心を抱いていたことを」
自分自身が自覚していなかったことをまさにずばりと言い当てられた気分だった。
キサラギに追いつくことができないという疑念は、いつのまにか彼女に対する嫉妬に変わっていたのだ。そのことを歯に衣着せずに言われたらいやでも自分の醜さを晒される気分になるし、しかしそれでもキサラギに抱いていた感情は嫉妬だけではないと思うし、だったら自分の本当の気持ちはどこにあるのだろうか。
失ってしまった。
もう戻らない。
嫉妬だけをキサラギに抱えていたのなら、自分よりも優れた人間のいなくなったという安心感がこれを知った時に生まれるはずだ。
しかしぽっかりとした穴がハルヒトの胸にはある。
この喪失感を生み出した感情の正体はいったいなんだ。
うだうだとした思考を続けるハルヒトに少女はお構いなしに話を続ける。Noahの撃破数を競う勝負形式、Noahを操ることができる能力、自分に対しては嘘をつかないという少女の言葉、ハルヒトはなにをどこまで信じたらいいのかもわからずにとにかく少女の言葉に軽い疑問を挟むことしかできない。都市の隔壁を元に戻すためにも、ハルヒトは少女の機嫌を損なうわけにもいかない。けれども時間が経てば隔壁は勝手に上がっていくのだと、都市に残留している毒は都市のシステムである青の清赦によりどうにかなると、それをさらりと言ってのける少女の言葉の真意を探れば、ハルヒトはこれから行われる勝負の意味がわからなくなる。勝負は都市を救うために行われるのではなく、そして誰か特定の人物を救うためのものですらない。少女がハルヒトに対して嘘をついているのだと考えられればいったいどれだけ頭の中身がすっきりとしたことだろう。
少女が空を見上げた。
ハルヒトも少女につられて空を見る。
とげとげしい毒の空が、どういうわけか優しいクリーム色に溶け合っている。
紫の先にある月の光こそがこの現象の正体で、しかしあと十分程度の時間でこの不可思議な奇跡は淡くも消え去ってしまう。そしてこの時間を勝負のタイムリミットにしようと少女は言った。そしてハルヒトの勝利したあかつきには自分のことを好きにしていいのだと、少女は言った。それは殺すことも自由であるのだと。
ハルヒトは思う。
自分の感情や疑問の答えを探すために自分はこの勝負に挑むのだ。
キサラギに感じていた思い。
少女に対する思い。
ただの少女の気まぐれに過ぎない、そんな勝負のはずなのにハルヒトにはそこにこそ答えが潜んでいる気がしている。
まずは、そうだ。
キサラギに感じていた嫉妬を晴らす。越えられないと思っていた壁を打ち砕く。キサラギのいなくなってしまった今、それを可能にするのは目の前の少女しかいない。都市にいるC班には、上手いこと嘘と真実を織り交ぜて状況に納得させて、ハルヒトは気持ちを正すという意味合いを込めてコートの襟をきれいに正す。
「勝負を始めましょう、——先輩」
随行式支援型機甲探査型のゲンブの機能を一気に目覚めさせる。
勝つ。
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