第22話 愛の証明

「っ! ミツルギさんまで」


 答え合わせをするように後ろを振り向いた私は、やはり自分の中で出した答えが正しかったことを知る。路地裏に投げかける建物の影は、黒のロングコートを着ている彼にも投げかけられる。そのせいで彼の姿は闇に紛れるような形になるし、それに呼吸補助機のせいで半分ほど彼の顔が隠れてしまっているが、それでも嫋やかな目元を凛々しくきりりと据えている彼をまさか都市に来てからずっと彼のことを考えていた私が間違えるわけもない。


「先輩」


 私に対して怒りでも送るような目つきをハルヒトはしていたが、それが混乱の入り混じる驚きの目に変わるのを私は見逃さない。


 この反応はさっき見た。


 自身の名前を呼ばれたミツルギの反応も、まさしく今のハルヒトのような感じだった。そして私がキサラギであることを告げると、ますます混乱したミツルギはその驚きを目を見張るようなものへと変えた。しかしハルヒトはどうだろう。私がキサラギの名を告げてみせると、いったい彼はどのような反応を見せるだろうか。ミツルギと同じ反応であったならと、一旦私は元の私のような不安にさらされる。けれども不安をかき分けるように一歩を踏み出した私は、今までの私とは違ってただ恐れるだけで行動のできないような腰抜けではない。


 私は言う。


「——私はキサラギです」


 ああ、

 ミツルギとなにも変わらない反応だ。


 彼は特別であるという私の考えは否定されてしまったのだろうか。


 しかしまだ私の気持ちは、なにも彼に伝えてはいない。


「先輩、私はあなたを——愛しています」


 ストレート一直線。


 どれだけ恋愛に疎いハルヒトであろうとも私の気持ちに気づかざるを得ないだろう。


 さあこれでどうだとハルヒトの顔をうかがい見れば、——え? え? え?


 なんだその苦虫を嚙み潰したような反応は。


 なんだその死体に群がる蝿を見るような目つきは。


 なんだその私に向けられた拳銃の銃口はああああああああああああああ「ああああああああああああああああああああああああああああああ」


 私は今までなんのためにここまで、私は今までだれのためにここまで、いやだめだ考えろ冷静になれ。突然のことがあまりにも多すぎたからハルヒトだって今の状況についていけていないだけなのだ。ちゃんとした状況説明の抜けこそが私のいけないところだったに違いない。ハルヒトのことを私が先輩として慕ってきた時の記憶はたくさんあるけれど、ハルヒトが私のことを知っていることなんて私の内面を知れるわけでもないからほぼないに決まっていて、それになによりターミナルで過ごしていない私のことをまさかハルヒトは知る由もないのだ。それならばハルヒトの反応にもそれなりに納得がいくと思うし、ハルヒトの今の反応はむしろ当然のことではないかという気もしてくる。だったらちゃんと私のことを知ってもらおうと私はいったいどこからなにを話したものかと思考を巡らせる。ハルヒトに対してはなにも嘘をつかずにありのままの私を知ってもらいたいし、これまでに私が感じてきた膨大な悲しみや苦しみを知ってもらいたい。そうしてこれまでの辛くて苦しい日々を焦がれるほどに愛しいあなたに慰めてもらいたい。


「聞いてください先輩。信じられないかもしれませんが、私は本当にキサラギなんです。その証拠が欲しいのならキサラギしか知らない情報をなんだって私が話してあげますし、そこに転がっている抜け殻にはデバイスでのハッキングの痕はなにもないのです。それにそもそもこの体は一時のかりそめのものだったんですよ。本当の私はもっと別のところにいて、それで技術的な説明は難しいのですが私とこの体とで視覚的な接触を果たすことでこの体のこれまでに感じてきた感情もこれまでに蓄積されてきた記憶も全てが私の、」


「、本当にキサラギの全部が?」


 っ、私に興味を持ってくれた!


「ええ! ……いえ、さすがにそのままそっくり全てを私のものとするわけではありません。視覚的な接触なんてものは不確実で不明瞭な部分も多いのですが、それでも全てを百とするのなら九十ほどはすでに私のものとなっています。それにいくつかの不要な部分も捨ててしまいましたしね。ねえ先輩。私は知っているんです。このキサラギという名前は先輩がつけてくださったんですよね。ちゃんと面と向かっていったことはないですが、この名前を先輩がつけてくれたことを知った時はとっても嬉しかったのです。それに他にも先輩に関わることで嬉しいことはたくさんありました。今日のことだって私はよく知っているんです。多くの人がいる雑踏は少し苦手だったけど、それでも先輩と一緒に歩けることが嬉しくて、跳ねるように心が浮ついて、その時の私はこれで満足なんだと何のアクションも起こさずにターミナルへと帰ってしまいました。それからモミジに色々とアドバイスをもらって、ああ、モミジのことは悲しい事故でした。私の持つ膨大な記憶に普通の人間が耐えられるわけもありませんからね。で、ええっと、そうですモミジにもらったアドバイスなのですが、それが先輩と約束を交わしてこいというものだったのです。だから今こそ約束を交わしましょう先輩。お願いです。私はこのままだと都市の人間に捕らえられるどころか無残にも殺されてしまうかもしれないのです。だからどうか私と一緒にこの都市を抜け出しましょう。そうしたら今は話せないことをたくさん語り合いましょう。大丈夫です。絶対に安全とは言えませんがある程度の行き先には見当がついていますので、だからどうか、」


 私はハルヒトに向かってまっすぐに右腕を差し出した。


 その手のひらは上向きで、ハルヒトがこの手を握ってくれることを私は信じた。


 ハルヒトの視線には敵意のようなものはすでになく、私に向けられていたはずの拳銃もいつのまにか下げられている。これは私にとっての期待のできる結果が訪れるのではないかと思うし、彼の視線から察することのできる感情はたぶん、私に対する同情だとか憐れみだとかそういった私の心に寄り添おうとしているものだと思う。


 キサラギの抜け殻を背にした私に、ハルヒトは地面を踏みしめるように近づいてくる。


 ほら、やっぱり。


 そう思った次の瞬間には、ハルヒトの足取りは止まることなく私を通り過ぎてしまった。キサラギの抜け殻に対して膝を屈めたハルヒトは、くしゃくしゃに乱れている抜け殻の髪を軽く撫で、その後、ハルヒトが腹の血の流れているミツルギに目を向けてからすぐさま魂の抜けたような顔をした私に視線をよこす。


「君の気持には応えられない。だって俺にとってのキサラギはたった一人だから」


 ハルヒトはこう言っているのだ。


 キサラギとしての記憶も感情も持ち合わせている私ではなく、そこに倒れているからっぽの器こそがキサラギであるのだと。


 今まで彼が接してきたキサラギの姿とは確かにそこの器の姿に違いなく、それでも見た目だけで結論を見出してしまうような浅はかな人間ではないと、すぐにとはいかなくても最後の最後には私の言っていることを理解してもらえるものだと、そのようにハルヒトのことを期待していたのに、こうもあっさりと結論を下されては言い返す言葉もないではないか。


 観測者として過ごしていたあの頃から感じていたことではあるが、私の詰めの甘さには心底うんざりするし、それでも何が悪いのかがまったくもって見当がつかないことが胸糞悪い。


 理解不能だ。


 目の前がまっくらだ。


 だったらもういい。


 最後の最後で頼りになるものなんて、それこそ知恵もなにもない根性論のようなものだ。


 要は、実力行使だ。


「先輩」


 頭で考えるよりも先に口が動いていた。


「私の体にナノマシンこそないですが、それでも前と同様のスペックは持っているのです」


 私は振り向いてから歩き出し、今は憎さしか残っていない抜け殻の、ボディスーツの上に着ているコートを剥ぎ取る。ハルヒトがなにをしているのかと声をあげるがそれに私は構うことなく剥ぎ取ったコートを着込む。結構大きい。ハルヒトの顔を覗きこむように首を上に傾けて、そうして都市に来る前に使ったNoahを操るための電波を発信。


「私と勝負をしましょう」


 怪訝に眉根を寄せたハルヒトは、


「なにを——」


「私はちゃんと知っているんですよ。先輩が私に対しての決して少なくない嫉妬心を抱いていたことを」


 図星を突かれたのか身をたじろがせるハルヒトは呼吸補助器の裏に隠れている口をつぐんだ。


「先輩がいないところではこういった噂がいろいろと跋扈していたんですよ。人の陰口の対象は、決まって、自分よりもとんでもなく優秀かそれとも劣っている者に行われるもので、その中にはもちろん私も含まれていましたが、それに加えて先輩の話題も少なからず含まれていました。そしてその内容は私と先輩を比べるようなものばかり。それでも真実味のあるようなものも多いですし、今の先輩の反応を見て噂の内容の真偽を確信しました」


「……別に俺はそんなことは思っていない」


「いいんですよ別に。もういいんです。今はなにを思っていようとも。それにこれから始める勝負は、そういった先輩のもやもやした気持ちを解消できるかもしれませんしね」


 耳元で一瞬のノイズを発するインカムは次に都市内で行われている戦況報告を続ける。戦闘状況にあったはずのNoahの突然の奇行がその内容で、まるで管制塔が敷かれたような動きを見せ始めるNoahを次々と都市での戦闘を担当しているC班が姿を見失っている。隔壁外で戦うことに慣れているからいくつもの建物の建てられている都市内での戦いには不慣れなC班、隔壁のコントロールを行う際に得た幻想都市セイレンのマップデータを参照にして下したNoahの操作電波、これらの要因を上手く利用することができればそこまで図体のでかいNoahでなければいくらでも身を隠せるし、それに加えていざという時のために備え付けていたNoahの妨害電波機能も有効に働いている。あとはC班の連携の問題であるが、これに関しては私の持っている共通の通信機器をいじれば虚偽の情報を流し込むことも容易い。


 インカムから流れる情報は、目の前のハルヒトにも伝えられている。


 それを前提として私は語る。


「現在都市内を逃亡中のNoahの排除こそが私たちの勝負内容です。まあ勝負などするまでもなく、排除するべき対象を排除するという当たり前の行為ですからなにも問題はないでしょう。ここで先輩にはこれを追う人たちを、私が逃げ出したと偽って私の捜索にあたらせてください。Noahの撃破数では私を除いてトップの先輩が言うことです。それなりの信頼はあるでしょう。そしてこれからNoahの撃破数で勝敗を決めます」


「そんなことをしている間に都市への被害が出るんじゃないのか」


「元々私がどうやってこの都市へとやってきたのかをお忘れですか? 私にはNoahを操るための電波を発することができますし、被害をどれだけ出すのかも私には思い通りでこのままNoahをこの都市から退かせることだって可能なわけです。だけどこのままNoahを退かせるだけでは私にとっての目的は果たせません。私の目的は先輩なのです。それでも、いや、そうだからこそ、先輩の意思をなるべく尊重するつもりではありますが、私だって何の成果も得られぬままにおずおずと引き下がるわけにもいきません。そこでこの勝負というわけです」


「Noahの撃破数で勝敗が決まるのなら、Noahを操ることのできる君には勝つことなんて無理じゃないか。勝負なんてお題目だけの出来レースのようなものだろうこれは」


「もちろん被害を大きく出さないように指示を下した後は自分に有利になるようにNoahを操るなんて無粋なことはしません。あくまでも私は先輩の知っているキサラギの性能でNoahの撃破に挑みます。私はあなたにだけは嘘はつかない。私に対して多くのことに疑念を抱いているでしょうが、これだけは信じてください」


 ハルヒトは数秒黙り込んだ後にその時間でさえも惜しいと思ったのか迷いがちにこくりと了承を表す頷きをみせる。


「それでは勝敗の決した時の条件を設定します。私の勝ったあかつきには私と一緒にこの都市を出てもらいます。それと前提として、先輩も含めたターミナルの方々は隔壁のことを気になされているようですが、あと一時間もしないうちに隔壁はまた元の形に戻るように設定していますので、これから私が雲隠れしようと命を落とそうとも都市は元の形を取り戻します。都市に蔓延する毒に関しては、この都市に存在している青の清赦という毒の抗体を降り注がせるシステムでどうとでもなるでしょう」


 ハルヒトは寄せていた眉根を離した。


 意外だったのだと思う。


 ハルヒトの勝負に勝った時の条件こそが、先に私の語った内容であると思っていたのだろう。


 この都市を壊滅に追い込もうなんて気は元からさらさらなかったのだから、このまま隔壁を下げたままでいるわけにもいかないことは重々承知していたし、それに人体だけではなくて物質に対しても少なからず影響を与えるこの毒は今や実体のある肉体を得た私にとってもかなり有害なものである。だからこそ自分の暮らす予定地に有害な危険物を残留させる馬鹿はいないし、しかし私の存在というものは常識な判断の行き届かぬものであると、そういった認識がハルヒトの中にはあるらしく、一人の女性として扱われたい私にとってはこれはどうしようもなく過酷な現実であった。


 悲しくなった。


 これを覆すにはどうしたものかと思うと気が遠くなる。


 ふと、空を見上げる。


 毒の霞が当たり前みたいに天幕を覆い隠そうとしているが、その中にぼんやりと浮きだつ淡い黄色がわずかに見える。特殊ガラスの下で生まれ育った都市の人間は知る由もないだろう。私の視線の先を辿るように顔を上げたハルヒトは、そのわずかな異変に気付いて眉をしかめた。そしてこれはいったいなんだと呟いた。私は空を見上げたままハルヒトの呟きに答えた。


「今まではずっと雲に隠れていたのでしょう。月が出たのです。特殊ガラスのモニターに映った月はいくらでも見たことがあるでしょう。そして隔壁の外での景色は常に紫の瘴気に覆われていると思っている。でも違います。強すぎる太陽の光には過敏に反応してその光を遮ってしまう毒ですが、これは太陽の恩恵を途切れさせることが目的でした。しかし太陽の光を蓄積した毒はこの地表に人が生息できるほどの熱を溜めているのです。そしてその溜まった熱を発散するためにも毒が飽和した状態になり、そして弱々しい月の光には特に反応を示さないということもあってこのようにぎりぎりではありますが月の光を地表に届かせることができるのです。まあ数十年単位での現象ではありますし、しかもごく短時間しかこの光景は見られません。時間にして十分といったところでしょうか。しかし丁度いい。この現象が終わるまでの時間を勝負のタイムリミットとしましょう。現在都市に紛れ込んでいる二脚型三体、四脚型一体、六脚型二体、八脚型二体、ああ、八脚型は今一体だけ発見されて間もなく破壊されようとしていますね。これを除いた七体のうちどちらが多く倒せるか。それでは先輩がC班のみなさんに連絡次第、勝負開始といきましょう」


「待ってくれ。まだ俺が勝った時の条件を聞いていない」


 律儀な人だと私は思う。


 そんなものは自分で勝手に決めてしまえばいいのに。


「それではこうしましょう。先輩が勝った時には、私をどうぞ先輩のお好きなようにしてください」


 一歩。


 また一歩とハルヒトの元へと近づいていく私は、かかとを上げてつま先立ちになって、視線だけをこちらによこすハルヒトの耳元に唇を寄せた。


「私を憎く思うのであれば、どうぞご随意に私を殺してしまっても構いません」


 そうだ。


 私自身を勝ち取った時もまた、自分の存在を賭けての大一番だった。


 今度の勝負は愛を勝ち取るための手段のうちで、私がハルヒトの心を勝ったとしても手に入れられるとは限らない。それでも彼の意思をある程度でも尊重して一緒にいることさえできれば、いつかは彼の心を手にするチャンスが訪れるかもしれない。が、私が負けるとなればそのチャンスは二度と訪れない。そんなものは死んだ方がましだ。これ以上待たされるのはもう嫌だ。ハルヒトが耳に着けているインカムに説得するように話しかけ、やがてそれが終わるとコートの襟を正し始める。


「Noahから発信させた妨害電波は消しました」


 ——さあ、

「勝負を始めましょう、——先輩」


 随行式支援型機甲防性型のツキカゲの機能を軒並み覚醒させると、ハルヒトも随行式支援型機甲探査型のゲンブの機能を軒並み覚醒させる。私は視線を交わすこともなくハルヒトと背中合わせに駆け出した。


 勝負が始まった。


 負けることは、許されない。

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