第18話 終わりの始まり
「くそっ‼」
強い語調の言葉とともに響く打撃音は、ジンの握りしめた拳がエレベーターの壁を叩いたから発せられたものであり、ジンはそのまま歯噛みしてわざと大きな音を立てて座り込む。その様子に目をきょろつかせる若い警備員は、可哀そうに思えるぐらいに怯え、この暗い雰囲気を和ませようとしているのかなにかを話そうと言葉を探っているようだった。そのすえに辿り着いた彼の答えは、
「すいませんでした」
急な謝罪の言葉にジンはヤクザみたいな口調で、
「ああ⁉」
ひいいっと言いながらのけぞった警備員は、壁際に頭をぶつけて許しを請うように言う。
「エレベーターをあなたたちが乗る前に閉めちゃったから、クビキさんはもちろんだけどあなたたちも乗れなくなりそうだったし、それに僕だってなにかができたかもしれないのになにもできなかったのが事実だし」
キサラギは思い詰める彼に、なにかフォローの言葉でも言ってあげようかと思ったが、そういったセンスを欠片ほども持ち合わせていないことに自分で気づいて口をつぐむ。
「別にお前のせいじゃないだろ。というよりもかなりいい判断だったろ。のんびりと俺らを待ってたんじゃその間にニッコウが乗り込んできてたかもしれないしさ。それよりもこのエレベーターはどこに向かってるんだ?」
「ええっと、クビキさんに言われた通りに二十四階に行くようにしていますが、なにか都合が悪いでしょうか」
「いやいや、それで大丈夫だ。それよりもお前の名前とか教えてくれよ」
「僕はケイリと言います。A班所属で、年は二十二です」
「ふうん。俺より一つ年上か。よろしくなケイリ」
「え、あ、はい。……よろしく」
ジンの態度は相手が年上だとわかったところでなんら変わらず、それに戸惑うケイリという名の警備員に一切構うことなくジンが続ける。
「とにかく装備さえ整えばあいつには絶対負けねえ。どうせ殺戮が目的なだけのクソ野郎だし、あいつさえ止めればすべてが終わるんだ」
拳と拳を勢いよく突き合わせながらジンは言う。
それに対してやっとこのことでキサラギも口を開いた。
「そう簡単にはいきませんよ」
頭の上に疑問符を浮かべたジンが「なんでだよ」と出鼻をくじかれたような顔で尋ねてくる。
「フロアでの出来事を考えてみれば、あれは明らかに挟み撃ちを狙ったもので、殺戮だけが目的であればもっと衝動的な動きになるはずです。これには目的の不明さに加えて、事前に作戦を組んで、かつ、それを実行するだけの知恵と行動力があるということの証明です。きっと一筋縄ではいかないし、こちらも相応の作戦や連携を持って挑むべきでしょう」
ああと頷いて納得するジンに対して、キサラギは「でも」と話を続け、
「装備が整えば絶対に負けないということは同意見です」
クビキは、キサラギを庇うために決死の行動に打って出た。そのことに関して責任の所在がすべて自分にあるとは思わないが、それでも感じるところは当然あるに決まっている。クビキが、キサラギを庇わずともあの行動に出た可能性は高かったし、そうだったとしても熱振動ナイフの一本でもあれば、あの状況下で全員を無傷のまま切り抜けられたと断じて言える。結局のところ、モミジが失われたことによりこれ以上の犠牲を増やしたくないと願ったことは、水にふやけた紙切れのようにぽろぽろと崩れ去った。
次に会えば、なんの躊躇もなくあの女の子の命を奪ってみせる。
けれど懸念材料は多くある。
例えば女の子の瞳を見た時の、目眩にも似た感覚についてである。
「あの少女の瞳を見た時にジンは、なにか頭がふらついたりとか、そういうことはなかったですか?」
ジンの視線は一瞬だけ鋼色の天井に向いて、それからすぐにキサラギのほうへと視線を戻して、
「いや、別に」
そうこう言っている間にも目的の場所へとエレベーターはたどり着く。そそくさと立ち上がるジンは声をかける間もなく走り出し、それにコンマ一秒で対応してみせたキサラギは遅れることなくジンの後ろを追走する。その様子を間抜けな表情で見送るケイリが、間抜けな声をだしながら間抜けな足取りで走り出す。この階は例の女の子の魔の手が伸びていないと見え、キサラギが周囲を確認した限りでは特に変わった様子もない。三人の走った際に出てくる硬質な音が廊下中に幾重にも反響して、それらを潜り抜けて、装備の置いてある更衣室の扉を開ける。ケイリを扉の前に立たせて警備をさせて、ジンとは一旦ではあるが分かれたキサラギは自身の自動開閉式のロッカーを開けると、次々と装備を取り出して身に着けていく。すでに着こんでいたボディスーツ、形状記憶素材で編まれたコート、鋭角なデザインの呼吸補助機、これらの節々に熱振動ナイフを始めとした装備類を装着した。
次に向かう先は、随行式支援型機甲の置き場でもあるポッド乗り場だ。
キサラギは、更衣室内にあるスライダーを滑り降りる。
移動用のポッドが立ち並ぶ広めの空間に降り立って、随行式支援型機甲の格納されているボックスの前に立って、脳波接続を介すことにより防性型の「ツキカゲ」をボックスから起動させる。そしてキサラギの後ろからアタッシュケースを両手に持ったジンがやってきて、キサラギはどうしてそのような大荷物になるのかという視線を向ける。
「いやあハルヒトの分も一応持っていこうかなって。それよりもそのコートも呼吸補助器もNoahを狩るわけじゃないんだからいらないだろ」
確かにそうだなあと思うキサラギの横で、ジンが通信型の「セイリュウ」をボックスから起動させると、それから「あいつの機甲も起動させてやろう」という意向の下で探査型の「ゲンブ」も起動させようとジンが試みる。しかし脳波パターンの違う人間がゲンブを起動させられるわけもない。
「あれ、なんでだ?」
「当然だと思いますが」
「だけどあいつはニッコウを操作できてるじゃん。それなら俺もできるかと思って」
「……あれは人間業ではないですよ」
例の女の子はモミジの記憶を読み取る作業の中で、接触を果たした彼女の脳からその脳波パターンを解析し、模倣した。文字に起こしてしまえばなんてことのない簡単な作業のように思えるが、これをデバイスを通さずに行ってから実際に随行式支援型機甲を操ってしまうのだから言葉もない。普通であればできるわけもないと切り捨てる推測ではあるが、しかし今回ばかりは騒動の大きさから考えても信憑性の高い推論であろう。キサラギだって脳処理の速度が飛びぬけていることから人間離れしていると揶揄されるが、それでも脳波パターンを短時間で解析するどころかそれを模倣するなんてことはできやしない。
——あの子はいったい何者なんだろう。
キサラギの疑問が頭頂部に昇りつめた時点で、ジンの持っていた端末型デバイスが振動する。
それを手に取り耳に当てるジンは、いつもよりもかしこまった口調で会話を始める。ただの先輩ではなくて、それなりの地位にいる者への対応だ。誰であるかまではさすがにわからないが、ターミナル内での対応はいったいどうなっているのかと尋ねたい。けれどまともな対応もできないような状況での連絡かもしれないなと考えたキサラギは端末での受け答えをしているジンを横目にして、ツキカゲの動作確認を優先した。
神経回路は好調そのもので、各装備類は整備の必要もないと判断。
エネルギー炉にも問題はない。
さあ動かそう。
ツキカゲの右上腕部を脳波コントロールによりぐるぐる回す。そのまままったく右と同じように左上腕部をぐるぐる回す。動きを止める。次は右腿を上げてから左腿を上げるという行為を繰り返し、そのままツキカゲをポッド乗り場で走らせて、キサラギはそれを目で追い異常に気付く。
なんだこれは。
ポッドを射出するためのチューブにも似た通路は、都市の天幕となっている特殊ガラスで作られている。それは風景映像の投影さえなければ奥の方が透けて見えるということであり、つまりはそこからターミナル外の光景を高い位置で見渡せるということであり、時間帯からしてみれば外の明暗の具合は暗に傾いているに決まっている。
これはいい。
むしろ明るかったらおかしい。
だったら問題はどこかというと、これはもう明るい暗いに関わらないことだ。
——隔壁が下がっている。
キサラギは目を見開くばかりで一言も発することができない。
都市を覆いつくそうと侵入してくる紫の瘴気を、キサラギはただ指をくわえて見ていることしかできない。
都市から発せられる誘蛾灯代わりの電波は、隔壁外でうじゃうじゃとひしめきあまねく大量のNoahを引き寄せることになると、キサラギは演算するまでもなく最悪の未来を予想することしかできない。
どうしたらいい。
わからない。
助けてほしかった。
先輩。
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