第15話 狂騒
女の子に向かって半狂乱の状態に陥った職員の一人が手に持った銃を乱射する。一発の銃弾が剥き出しの状態の女の子の右ひざを貫いたが、それ以外の銃弾は狙っているんじゃないかというぐらいに女の子をかすめることすらできやしない。女の子は血だまりの地面に生後まもない赤ん坊のように這いつくばり、その目の前にはニッコウが刃物と化した両腕を交差させながら立ちはだかる。ニッコウの立ちはだかる理由は這いつくばる女の子を守るためで、しかしニッコウにだって一つの銃弾もかすることはないからさっきの右ひざを貫いた銃撃は奇跡的なものであったということが証明される。
血だまりに沈む女の子が弱々しく腕を伸ばした。
その手には一見すると銃のように見えるものが握られていて、クロウの一員であればそれは見間違えることのないとてもなじみの深いもので——それは銃型デバイスだった。その細い銃身とウサギのデコレーションのついている丸いグリップを見るにモミジの愛用していたものにそれは違いないし、けれども機甲の開発室にまるで開発分野の違う銃型デバイスまでもが置いているはずもない。であれば、女の子の手に握られた銃型デバイスはおそらく隔壁外での戦闘の折に入手したものである、と、女の子がいったいどこにいたのかは知らないが脱出からここに至るまでの時間を考えるとそう納得ができる。しかしそうなると銃型デバイスの隠し場所が問題となるが、おそらくは彼女の裂かれた胸元の傷を利用してそこから体内に銃型デバイスを隠しもっていたのではないだろうか。
この予想が当たっているのなら、これはおよそ常人の行動ではない。
職員の銃の乱射が弾切れという形で終わりを告げる。
包丁のように可変した腕をさらに可変してニッコウが自分の腕を五本指に戻す。そして銃型デバイスの銃口から取り出した有線を手に持ち、地面を踏み蹴った。狼狽の職員は何度も引き金を引いて目の前に迫ってきたニッコウに絶望の顔を晒しながら有線に繋がれた。
奇声がこだました。
見覚えのある光景だ。
職員の意識がハッキングされてしまったのだろう。
まるでモミジが発狂した時のようで、決して少なくない不快感をキサラギは覚える。
なにやら端末型デバイスをいじっていたクビキが、後ずさりをしながら小声で話す。
「ここはとにかく逃げましょう。装備のないわたくしたちに機甲の相手は荷が重すぎます」
軽く頷いたジンが、
「ニッコウさえいなけりゃ何とかなったかもしれないけど、今はクビキさんの言う通りっすね。この俺がまさか逃げるなんて情けないことをすることになるとは。でもあいつらの敵はとってやらねえと」
同意したキサラギも踵を返して、
——まって。
頭に直接響いたような声に思わず足を止める。
振り向いたキサラギの視界には、見開いた女の子の真っ白な瞳。
体がふらつく。
視界もぼやける。
まただ。
キサラギは歯噛みしながらそう思う。
「おい大丈夫かよ」
ジンがよろめくキサラギの体を支えて声をかけ、それにありがとうとだけ答えたキサラギは手で頭を抑えながら歩きだす。まさか歩いているような場合ではないがしかし、とてもじゃないけど走れる気がしないしそれに歩くことだって精一杯だ。自分のペースに合わせて歩く二人には、まるで罪悪感のような気持ちを抱いてしまうからキサラギは、
「先に行って」
そう言うと、そんなことできるわけがないでしょうとクビキが強めの口調で否定する。しかし銃型デバイスの有線を手に持ったニッコウが、すでに用済みと言わんばかりに亡者のような佇まいの職員から目を離し、眼窩の奥底から不気味に光る赤の視線レーザーをキサラギたち三人に向かってまっすぐにターゲットする。このままでは三人ともニッコウの手にかかって殺されてしまうと思ったが、ニッコウは痙攣するように身を震わせてその動きを不自然に止めた。
「端末処理での電波妨害を仕掛けましたので、機甲の動きはしばらくは静止しています。この間にエレベーターに乗り込みましょう」
先ほどクビキが、端末型デバイスをいじっていたのはこのためだったのだ。
「さっすがクビキさん。それじゃあこっちも機甲と銃型デバイスを用意して、それで反撃開始してあいつに一泡吹かせてやろうぜ。ってなんか前のほうが騒がしいな。なんかあったのか?」
店外に設置されているプラスチック製の机やら椅子やらを蹴散らして、警備用ロボットが物々しい機関銃や電気を纏った警棒を手にしてこちらに向かってきている。その後ろには虎の威を借りる何人かのギャラリーがぞろぞろといて、キサラギを支えているジンが「これってまずくないか」と冷や汗交じりに呟いた。その根拠としては女の子の手にしている銃型デバイスで、これも調整次第ではあるのだが、電子回路の張り巡らされたロボットがハッキングされることを恐れてのことだろう。
ジンが叫んだ。
「それ以上そのまるっちい奴を近づけるなよ! 脳処理のハッキングができる銃型デバイスを相手は持ってる!」
と注意を促したジンの言葉を遮るようにクビキが、
「いいえこれはどうにも様子がおかしい——」
紐で縛られたボーンレスハムみたいな体の警備ロボットがおもむろに突き出した機関銃付きの左腕は、血だまりの床に突っ伏している女の子や雪山の寒さに震えるような動作のニッコウに向けられず、さすがに事の成り行きを理解し始めたキサラギたち三人に狙いあやまたずにその銃口が、
「——避けてくださいお二人とも!」
クビキの言葉が言い終わる前にキサラギを抱きかかえたジンが横に跳び、それと同時にフロア内に流れるジャズにも似たBGMを銃弾の斉射される音がかき消した。先ほど女の子にハッキングをされた職員が銃弾の雨の中で踊るように身をよじらせて、そこからキサラギとジンの入り込んだ喫茶店が、派手に音を鳴らしながらその外装をハチの巣へと変えていく。
ひらりと舞い落ちる木っ端を頭にかぶる。
やがては静寂が訪れる。
それは銃の斉射が終わったことを指していて、身を屈めるように頭を抱える隣のジンが「大丈夫か」と心配そうに声をかけてくる。
「大丈夫です」
という一言を告げるキサラギは体内のナノマシンを一気に覚醒させる。
このままではだめだ。
守られていてばかりでは自分のできることを果たしているとは言えない。
ナノマシンを介したアクチュエータを起動、それにより落ち着かない動悸をキサラギは無理くりに抑え込み、そして吹き抜けとなった喫茶店の木壁から緩やかで慎重な動作で顔を出す。これは店外における状況を確認するためで、視界から得た情報を元にして数秒先の未来を演算する。弾切れを起こした警備ロボットはその場で立ち尽くし、その後ろのギャラリーは明らかに正常でないふらついた足取りを見せている。すでに例の白い女の子からのハッキングを受けていると仮定する。キサラギはいくつかの動きのパターンを割り出して、これらを制圧するための労力を導き出す。
理屈としては決して不可能ではないレベル。
しかし、脳処理用の銃型デバイスや随行式支援型機甲のツキカゲがいなくとも、警備ロボットの一機程度ならばキサラギにとって制圧程度は造作もないけれど、今までに戦闘の経験のない「人」の相手となれば話もまた変わってくる。
加減の程度がわからない。
一切の遠慮なくぶっ壊してもいいのが機械で、まさか勢い余って殺すわけにもいかないのが人である。ここはやはり現在の状況を連絡することで、ターミナルの警備の応援を待つことが賢明だろう。が、それでもニッコウが動き出すことを考えれば、いっそ強引にでもこのフロアを抜け出すことが優先される。
ジンがキサラギの横から顔を出す。
「もう大丈夫なのかキサラギ?」
キサラギは店外に目を向けたまま返答する。
「ええ。問題はありません。それよりも救援の要請と、あと、先輩やモミジとの連絡をとることは可能でしょうか? 無事であるのかを確認しだいそちらに向かおうと思っているのですが」
「救援のほうはもうやっといたけど、ハルヒトとモミジに連絡はしてないな。っていうかハルヒトはともかくとしてモミジに連絡したって返信なんてないと思うけど、とにかくまあ連絡はしてみるか。それよりもこの状況はどうする? クビキさんの姿も見えないし、前にいるのは警備ロボットとゾンビたちで、後ろにいるのはよくわかんねえ幼女ときてる。ニッコウももうじき動き出すことを考えると、ロボットとゾンビをどうにかしたほうがいいと思うけど、あのゾンビたちをよく見たか?」
ふらついた足取りの者たちをゾンビと言っているのだろうが、彼らがいったいどうしたのかとよく見てみれば、
「火傷、をしていますね。あとは、」
「服の下から血が流れてる。服には傷一つついてないのにさ。これっておかしくないか? 火傷にしたって火事が起きてるわけでもないのに…………不気味だよな——っと、クビキさんから連絡だ」
ジンが端末のモニターに目を落としてクビキから送られてきた文書に目を通す。
「なあキサラギ」
「なんですか」
「東のエレベーターをフロアの職員が開けたまま待っているそうだ。——だから走るぞ」
「え?」
ハチの巣へと変わり果てた店の木壁を突き破るジンを、キサラギは目を見張りながらではあるが一拍も遅れずに噴火のように追いかける。これは無理やりにでも目の前の人波を突破するということであり、ジンは警備ロボットが振るった警棒をスライディングで通り過ぎ、キサラギは振るった腕を掴んで引き寄せ警備ロボットのバランスを崩してこかす。後方では徐々に可動を始めたニッコウの脅威。次に熱い痛い苦しいと呻く人並みを、未来演算により少しもかすめることもなく突破する二人。行く道の先には負傷か死亡かをしている職員たちの寝姿があり、それには意識的に目を向けずにキサラギは東のエレベーターへと馳せていく。
Noahとの戦闘は命がけだ。
ターミナルの者たちの中でもC班は特別に死に近いといえる。
もちろんナノマシンによる感情抑制もあるが、今の身近に死のあるこの状況で冷静な対処ができているのは、ある種では異常なことだともいえる。
普通の人であれば恐怖に負ける。
彼らを守ることができないと、ばっさりと切り捨ててしまうことは簡単で、だけど無情で、こういった考えは感傷になって自分の行動に支障をきたすとても邪魔なものだ。そして今までのキサラギであれば、まずこのような考えを持つには至らなかったはずだ。無感情の人形のように扱われている自分をまったくその通りだと思って生きていたが、キサラギは自分を人へと近づけてきたこの場所をわけのわからない謎の輩に汚されることに胸を痛めている。
「お二人とも無事だったようですね」
黒塗りのステッキを腰元で揺らして、クビキが二人に合流した。
「クビキさんも無事でよかったっす。ずいぶん短い別れだったけど会えてよかった。あれ、キサラギはなんか怒ってんのか? まあ、気持ちはわからないでもないけどさ。あいつら好き勝手やりやがるし、そのくせ全然目的はわかんねえし。ああ、あいつらっていっても一人なんだけど。あいつのことをキサラギは知らないのか?」
「質問は後ほどでお願いします。それよりもほら、もうエレベーターが見えてきましたよ」
エレベーター内でボタンを押し続けている若い職員は、こちらを焦るような表情で見てははやくはやくと手をこまねいているが、すぐに一変、喉元を引きつらせた恐怖の表情で押していたボタンとは別のボタンを連打する。
エレベーターのドアが閉まり始める。
それを見るよりも早く後ろを振り向く。
——ニッコウだ。
「なっ」
舞い散る薔薇のように火を噴いた背中のブースター、設置された断頭台のギロチンのように可変した両の腕、目線から放たれるポイントレーザーは撃ち抜くようにキサラギの太腿をマークしている。未来演算により百の結果を導き出せば、百の内の七十八はニッコウの初撃を避けられるが、七十八の内の七十八が次の攻撃を避けるに至らない。来るはずなんてないと安穏と高をくくっている侵入者のために作られた警備ロボットと、来るべき脅威であるNoahに対抗するために作られた随行式支援型機甲とでは、あからさまな性能の違いに目を見張るものがある。
だめだ。
死ぬかと思った。
けれどそうはならずに、キサラギは後ろへと引っ張られてから怒鳴るような声を聞く。
「走ってください!」
次に聞いた音は激しく飛び散る水音で、視界を埋め尽くした色は残酷に過ぎる赤。
目を背ける。
踵を返す。
そして言葉通りにキサラギは走った。
閉まる寸前のエレベーターのドアにすんでのところで滑り込み、それと同時に泣きたいぐらいに悲しくなった。エレベーター内に先に入り込んでいたジンが「クビキ」の名を叫んではへこむほどに強く壁を叩き、縦に伸びている狭い光景には血まみれのクビキがニッコウに組み付いている場面が切り取られ、さらにその奥、そこには、足を引きずるように近づく、人形みたいな女の子がいた。
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