第四章 追走劇

第14話 ステーキを食べたい


 食堂とはいうが、その大きさや店数からすると、ショッピングモールの一角のレストラン街を思わせる規模がこのフロアにはある。ターミナルの円柱形の構造から円を描くように配置された店の数々は、決して品数が豊富というわけではなくて、店の平均的な四つという品数を精力的に売り出している。要は店の数なんてものは見せかけのハリボテであり、その気になってしまえば店の数は二つか三つぐらいで収まってしまう。


 その見せかけに目を奪われるジンと、その様子を保護者のように見つめるクビキのその後ろを、キサラギは微妙な距離を空けてついていく。キサラギにもクビキにもこれが食べたいという希望は特にないから、店の決定権はすべてジンの判断にゆだねられていて、ジンは店の前を一周半したところでおもむろに足を止めると、


「よし、ここにしよう」


 三百グラムのステーキを売りとしたウエスタン風の店を指さしたジンは、変な空間が上と下に空いている鍵の見当たらない蝶々のような扉を押し開けて、牛柄の毛布の敷かれたカウンター席の一つに迷いなく座る。キサラギもクビキもそれに倣ってカウンター席に腰を落ち着ける。


 カウンターの奥にいるのは店の名物である筋肉店長だ。肩口でびりびりに破けたシャツを自慢の筋肉に密着させた彼は、人当たりがいいのか人を殺したいのかわからない笑顔をみせる。


「いらっしゃい! さあ何グラムにするんだ。右から順に答えな!」


 馬の走っている音を再現したかのようなせわしないBGMを聞きながら、クビキが二百、ジンが四百、キサラギが三百と答えていくと、店内の照明を反射して輝く銀のヘラを筋肉店長が器用に回転させながら「あいよ!」と元気よく答える。この店には焼き加減も味付けもなにも聞かれない。すべては筋肉店長の手のひらの上というわけだ。


 筋肉店長がカウンターの下から肉の塊を取り出すのを見ながら、ジンが、


「ここに来るのも久々だなあ。いや、俺はよく来てるけど、キサラギと一緒に来るのがって意味でさ。一年ぐらい前に俺とハルヒトとモミジとキサラギで来てさ、俺とハルヒトでどっちが肉を多く食えるかで競いあってたらそれよりも多い数をキサラギ頼んで、でも結局は三人とも食べれなくなって皿洗いするはめになってさ。皿洗いになんかモミジも手伝ってくれて、いやあれは大変だったな」


 そういえばそのような話をジンさんから聞いたことがありますね、とクビキが感慨深そうに頷くが、キサラギはこの話をまったく覚えていなくて首を傾げた。おかしいと思う。キサラギの記憶はたったの四年前から始まって、それから些細な出来事であってもキサラギは精密機械のように色んなことを覚えている。たしかに記憶の始まりはぼやけていることも多いが、それ以外のことについての記憶力に関してはけっこうな自信がある。それなのにこんなにも記憶に残りそうなエピソードを自分が忘れていることに、キサラギは自分が自分でないような違和感を覚えてしまう。


 肉の焼ける音がする。


 ハルヒトと食べた串肉を思い出す。


 大丈夫。


 そう自分に言い聞かせて、抜けている部分が他にもないかを記憶から探る。


 

 ——警報が鳴った。



 そのけたたましい音量に誰もが驚き、波のように伝播していくフロア全体のざわめきは、この警報がなにを意味しているのかを理解したことでさらなる混乱をもたらした。それをノイズから始まったアナウンスが一瞬の間だけ打ち消した。


 焦った男の声だった。


『告げる。告げる。えっと、ターミナル内に第一種危険物が出現。各自での武装を許可。第一種危険物の速やかな排除を命じる。特徴を伝える。白い髪に白い肌が特徴の、年の頃は八、九の少女であり、この見た目に惑わされることなくどのような手段をもってしてもこれを排除するように。また、危険物が開発室に侵入した形跡あり。開発室には修理中の随行式支援型機甲が置いてあったことから、可能性として危険物の手中に堕ちたことを留意されたし。さらには監視システムにハッキングの形跡もあることから、システム的な攻撃も可能であると推測されている。情報が更新され次第また新たに放送を流す。今一度繰り返す——』


 一通りの情報を聞いたジンは目を丸くして左右に頭を振る。


「おい、今言ってた見た目って、俺たちが拾ってきたあいつのことじゃねえの?」


 クビキが思案顔で頷いた


「その通りですね。詳しい状況はさっぱりですが、わたくしたちは何か良くないものを引き入れてしまったのかもしれません。とりあえずはアナウンスのおっしゃられていたように、なにか武装で身を固めることを優先しましょう」


「武装っていっても、またブリーフィングルームのあるところまでいかないとなにもないし、あんまり動くとやっぱり危ないんじゃないっすかクビキさん。いやでもなにか装備してたほうが安心するのかな? でもまだ肉食べれてないし」


 鉄板の上で焼かれている肉を未練がましく見つめるジンを、キサラギは咎めるような口調を心がけて一言だけ言う。


「今はそれどころじゃない」


 戸惑いながらも納得した様子のジンが、それじゃあとにかくエレベーターを目指そうと提案したところで異変が起こった。


 フロア内で甲高い悲鳴があがったのだ。


 いったい何事かと店から飛び出した三人は、フロアの中心の円柱の影に目を凝らす。


 影のほうから延びていているのはぐったりとダレている一本の腕である。助けを求めるように地面からわずかに持ち上がる五本の指先は、影から水しぶきのように弾け出る真っ赤な血と同時に力なくぽとりと接地した。実弾の入った銃を職員のうちの何人かが影に向けて構える。キサラギたちに向かって駆けてくる者たちもいる。立ち向かう者と逃げ出した者の違いだ。今までに安全だと思ってきたターミナル内で、突如として舞い降りた悪夢の去来への対応としては断然として後者のほうが正しい判断だと言えるだろう。しかし多くの人間はいまだに立ち尽くしている。状況を理解していない者が多数いるということだ。


 ——銀色の残光が影から躍り出る。


「逃げ、」


 ろ、と腕を前へと突き出したジンが叫び終わるころには、銃を構えていたその腕ごと斬り飛ばされた職員は声帯が張り裂けんばかりの勢いで叫び、欲しいおもちゃを買ってもらえない子供のように地面でのたうち回ってはやがて大振りの一刀に深々と喉元をえぐられる。静寂が訪れて、空気が張り詰めて、それが開放されて、空間が断絶するんじゃないかというぐらいの絶叫がフロア内に響き渡る。嫌でも状況を理解させられた多数の人がまるで蜘蛛の子を散らすように動く。ゆっくりと喉元をえぐられた職員から顔をそむけて、キサラギはこの事態を引き起こした一端の随行式支援型機甲「ニッコウ」に目を向ける。アナウンスで言っていた修理中の機甲とはニッコウのことで、大きな包丁のように可変しているその腕は次々と重力に負けた血玉を滴り落としている。


 ふざけるな。


 ニッコウを操っていいのはモミジだけだ。


 怒り心頭の目つきでキサラギは円柱の影に再び目をやった。


 血だまりを躊躇なく踏み進めて、足形のスタンプを地面に刻みながら、その白い髪と白い肌を所々に赤く染めた女の子が淀むことのない足取りで姿を現す。


 足が止まった。


 顔だけがこちらを向いた。


 口元が動いた。


 女の子は言った。


 ——みつけた。


「ああああああああああああああああああああああ!」

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