第12話 潜入

 そのままミツルギと別れて、ジンたちのいる食堂へと向かうフリをして、その裏ではすでに自分の向かう場所は決まっている。


 カウンセラーの言葉を借りるのであれば、これは当たり前への疑問だ。


 その疑問に対しての納得が欲しい。


 そのためにハルヒトは行動する。


 今までだったら思いつきもしなかった突飛な行動だが、それでも一度抱いてしまった疑問は見る間に好奇心へと早変わりして、自分の体を制御するための脳のリミッターが外れてしまったような気分になってもう行動は止められない。


 ライブラリに侵入する。


 あらゆる情報が電子化されてすべてが0と1で収束された情報統制史実管理装置、それは通称「ライブラリ」と呼ばれてターミナルの最上階に置かれている。情報がデータ化されているからこそ歴史の消失という被害を被ったのだという意見で、紙の媒体が一部採用されて、律義にも本棚だって用意されて、階層の丸々を図書館にしてしまおうという計画が昔に発足された。けれどかさばる時代錯誤な媒体が好まれるわけもなく、それに紙を作り出すリソースだって馬鹿にならないということで、途中で頓挫してしまった計画の名残として情報統制史実管理装置は「ライブラリ」として呼ばれるようになった。


 そこには失われたとされる真の歴史が隠されているかもしれない。


 ハルヒトが抱く疑問は一つで、モミジの意識に介在した時の映像。その正体。輪郭の定まらない「あれ」はいったい何だったのか。常識というよりもその前提に目を向けてみると、いくらかおかしなところはあるのだ。


 まずは毒の存在。


 一口に毒と言ってもその種類は様々で、その中でも何百年も衰えずに脅威を地表に留める種類の毒はあるのだろうか。ハルヒトは少なくとも聞いたことはないし、これほど都市への影響があるのなら、ターミナルの連中が分子構造の解析ぐらい行っていてもおかしくはない。それなのにハルヒト達はただ漠然とした「毒」の一言で、外は人が生きていけない危険で満ち溢れているものだと思い込んでいる。しかもその発生原因は細菌爆弾であるという認識も、どうして歴史の失われてしまった今にそう言えるのかがわからない。


 次にNoahだ。


 戦争が恒久的な戦闘を可能にするために生み出した反物質技術とエントロピー制御の結合結晶は、それはとてつもなく迷惑な話ではあるがNoahが何百年にも渡って活動を続けられる理由であり、しかしエネルギーだけがあっても機能部分は恒久的な活動を良しとしていないから、見境なく人を襲ってしまう暴走状態がNoahの機能エラーによって引き起こされている。まさかこれだけの機甲が鑑賞用のわけもないし、当然、戦争に用いられたものであることはほぼ確定していると言ってもいい。


 後の歴史に影響を及ぼす戦争であれば、一方の戦力に大きな偏りは無かったものと考えられる。それなのにNoahの機種に、ある種の統一性があることは、どこか不自然ではないだろうか。一方がNoahを用いるのであれば、おそらくNoah同様の戦力がもう一方にもあったはずなのに。おかしい。これまでに何百と破壊されてきたNoahは、その外装は白、内部構造に至っても似通った点はものすごく多い。これらが片側の戦力に製造されたものであるのなら、もう一方にこれよりも強力な戦力があったのだと考えられる。


 すると、行き着く先はモミジの意識で見た「あれ」になる。


 もちろん戦いにおいてはかならずしも二分化された戦力が戦うわけでもないし、それが三つ巴以上に四、五のように分かれた戦力が縺れ合う混沌の戦争であったかもしれないのだから、こんなものはただの思い込みにすぎないのかもしれないしむしろその可能性のほうが高いだろう。


 が、それでも知りたいのだ。


 まずハルヒトが目指すべきは、ライブラリのある最上階ではなくて監視カメラ映像を覗いている警備室だ。監視カメラはナノマテリアル外装に溶け込んでいるので発見は困難、ならばカメラの視覚を探すよりもその元から問題を解決したほうが手っ取り早い。ハルヒトは階層エレベーターで警備室のある二十一階を目指し、その間に端末型デバイスを調整し、エレベーター内の監視映像に簡易なハッキングでダミーを流す。


 たったの数秒ではあるが、そう簡単にはバレるものでもない。


 いやらしい電波妨害に高度なハッキングはC班の十八番で、ハルヒトはこの技術を全力で悪用することを決めている。自室に戻っているハルヒトの姿がダミーの映像で映り、本物のハルヒトはまんまと二十一階に降りて廊下を歩き、電波妨害をまき散らしながら監視カメラの映像をフリーズさせてついに人とすれ違うこともなく警備室の前までたどり着いた。


 ロックはIDカードをスライドさせるタイプ、これをハッキングしてこじ開けるとなると時間はかかるし、それまでに電波妨害の効果は切れてしまうだろう。だったらこちらから故意に切ってやればやればいい。ハルヒトは周囲に目を配り、さっきまで無作為にまき散らしていた電波妨害を引っ込めて、そうすると監視映像ではハルヒトの姿が突然現れるような形になるのだが、その瞬間にハルヒトは自分の目をつけた一点に向かってもう一度簡易なハッキングでダミー映像を流す。


 これによりハルヒトの姿は、見紛う事なきサチ司令官の姿へと変じているはずだ。


 それっぽい立ち方もしてみる。


 ちょっとだけ首を傾げて、それでいて背筋はピンと伸ばすのだ。


 横に扉が開いた。


 かしこまった態度で敬礼をしながら出てきた男性職員は、自分の思っていた人物と目の前にいる人物の姿が一致せずに戸惑い、その隙をついてハルヒトは端末型デバイスから延ばした有線でたちまちに男性職員の意識をシャットダウンさせる。中にはもう一人いる。しっかりと仕事をしているアピールのつもりか、椅子に座って何分割にもされたモニターを見ているその背中は竹のようにまっすぐだ。ハルヒトはなんてことない風の足取りで彼の背中に近づいた。男性職員が振り返って言い放つ「異常ありません」のせの部分で白目をむいて椅子から崩れ落ちた。明らかに異常がないわけがないのに、結構普段からいい加減な警備をしていることにハルヒトは心配な気持ちになる。もう自分が引き返せないところにいることもそれと同時に噛みしめる。


 ぐるりと自分を取り囲むように展開されているモニターは、おそらく前後に別れた二人でそのすべてを把握できるように設置されている。つぶさにすべてのモニターをチェックすることは確かに難しいことではあるが決して不可能ではないレベルで、しかしここまでに警備にあまり力を入れていないということはターミナルの弱点は内側にあるということで、それは隔壁とまではいかなくてもそれなりの壁に守られていることと網膜認証や声紋認証などランダムに切り替わる出入口にターミナルは決して少なくない安心感を得ている証拠でもある。


 警備システムに探りをいれる。


 構造を理解。


 プログラムの軸はNoahの応用だ。


 何をするにしてもこれなら容易い。


 端末型デバイスのホログラムキーボードを利用して、一部のコードを書き換えて、ハルヒトはライブラリまでの侵入ルートに限定して警備システムを杜撰なものへと変える。さすがにこれからもずっとこのままというわけにもいかないので、これには一時間というタイムリミットを設けている。これ以上の時間では侵入のリスクが高くなるし、なにより職員の目が覚めてしまう。


 好奇心が背中を押した。


 ハルヒトは誰にも出会わないことを祈りながら警備室を出て周囲をうかがい、目標はクリアされたことを確認してから黙々と中央の階層エレベーターを目指す。ターミナル内に設置された階層エレベーターは十三あって、その内でライブラリへと通じているのは中央のものだけだ。そしてなによりライブラリのある最上階に行こうとするだけで、理由を問わずに上層部へと連絡がいってしまうブログラムが厄介なことに警備システムには仕込まれていた。さすがに上層部以外の立ち入りの禁じられている場所とはいえ、ここまでして立ち入りを拒むような場所であるとも思えない。むしろ知識の宝庫としてそれこそ図書館のように一般開放してしまえばいいのに。そう思うこと自体がまさしく素人考えというやつなのかもしれない。


 しばらく歩いて、やはり誰ともすれ違わない。


 ハルヒトはひたすらにまっすぐ廊下を進んだだけで中央の階層エレベーターにたどり着き、当然、最上階に行くだけで上層部に連絡するような機能は停止させていたので、ごく当たり前の顔をして中央エレベーターに乗り込んだ。上へ上へと昇っていく浮遊感を感じながら、ここまで順調すぎることに何か違和感を覚える。これからとんでもなく不幸なことが起こってしまうような、まるで凪の水面から巨波が立つような不穏をハルヒトは感じていた。


 しかし引き返す選択肢はない。


 近いうちに起こる問題は、ライブラリを守っている警備の人間だ。


 ハルヒトが警備室で確認したモニターの中ではまったくそれらしい人影は確認できなかったが、それは監視カメラの死角にいる警備の人間が絶対にどこにもいないという証明にはなりえない。やっとたどり着いた最上階で、もしもサーモグラフィなりエコーロケーションなりを使えるゲンブをこの場に連れてこられたらならどれだけよかったかを考えて、しかしカーペットの敷かれている床を歩き、必要最低限に灯されている薄暗い闇を進み、ここに警備の人間がいたのならゲンブの可動音ですぐに自分たちの位置を知られていただろうと思い直した。


 見えてきた。


 五人ほどの成人男性が縦に連なったほどの大きさの扉、それはまるで特別に設えた巨人専用の扉みたいだった。それを下からゆっくりと上へと眺めていくハルヒトは今更ながらに高い位置にある天井に気づき、薄闇の原因は必要最低限に設置された青熱灯ではなくてより高い位置で降り注ぐ光源のせいであったと気づく。青を基調とした警備服を着こんでいる男二人は雑談を交えながら直立不動の姿勢で扉の前に佇んでいて、いったいこの二人を排除するためにはどうしたらいいものかを悩むハルヒトは隠れるところも少ないからと壁の窪みに身を潜めていた。


 ぱっと思いついた策は二つ。


 上層部からライブラリの閲覧を許された人間を演じることで、まんまと血なまぐさい行動を避けてライブラリ内へと侵入する。しかし扉を開くためのハッキングは必要になってくるだろうから、まさか警備の人間が目の前で堂々とハッキングする人間を見逃すわけもない。


 もう一つは武力的な制圧だが、これこそゲンブがいてくれたら楽だし、それに銃型デバイスがあってくれればもっと楽だ。けれどないものねだりほどみっともないこともないので、ハルヒトは体内にあるナノマシン群を温めて動きのシミュレートを開始する。


 と、懐から端末を取り出した警備の一人が通話機能によって誰かと会話して、それから短い時間が経って再び手に持った端末を懐へとしまう。その顔は冷や汗をかきそうなほどに動揺して、次第に呼吸が荒くなって、


「警備室との連絡がつかないらしい」


 もうバレてしまったのかとハルヒトは思う。


「へえ、それだけでそんな焦ってるのかお前? どうせあいつらがサボって寝てるだけじゃねえの?」


 話の内容を掴めていないもう一人は、およそ尋常ならざる気配を放つ相方に怪訝な表情を向ける。


「いや、第一種警報を俺に警備室で鳴らしてこいって言われた」


「はあ⁉ 第一種とか間違いじゃねえのか⁉」


 ハルヒトも驚いた。


 第一種警報は都市セイレンの全体を脅かすほどの緊急事態にこそ、ターミナル内に最大の警戒態勢を促すためにこそ鳴らされる。まさか自分の冒した行動がここまでの規模になろうとは思いもよらず、ハルヒトは事の大きさに無意識のうちに大きく尻込みをしてしまう。


「とりあえずもう俺行くから! ここは任せた」


「お、おい! ————嘘だろ。なにが起こってんだよこれ」


 ハルヒトは隣を過ぎていく警備の姿を見送る。それから呆然として立ち尽くしたもう一人のほうに視線を送って、これから自分の行動を中断するか否かを考えて、それでもここまで来たのなら行くところまで行ってしまえ、と、やはり普段の自分からは考えることのできない大胆不敵な行動を選択した。


 やっぱり自分はおかしくなってしまったのかもしれない。


 覚醒させたナノマシンで身体能力を上昇させて、潜んでいた壁の窪みから疾風のように身を出して、瞬く間にそわそわとした様子の男のすぐ目の前に身をさらす。ハルヒトは男が声を上げる前に拳を振るい警備の男の脳を揺らした。スローモーションのように倒れていく男を、そっと床に触れる前に抱きかかえて、ゆっくりとカーペットの上に寝かせた。


 心の中で「悪いな」と詫びる。

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