第10話 静嵐

 呼吸補助器やら銃型デバイスやらをアタッシュケースに詰め込んで、黒くて長くて分厚い形状記憶素材のコートを更衣室で脱いで、任務完了の報告をするためにブリーフィングルームに急いだ。ミツルギたちがまだ来ていないようなので、一旦ブリーフィングルームの前に立って待ってみる。


 扉が開いた。


 サチ司令官だった。


 うっとうしそうに白い軍服の襟元を緩めながら、


「他の者たちはまだか。……まあいい。はやく入れ」


 キサラギは言われるがままにブリーフィングルームへと入室した。薄暗い部屋の中には大きなモニターが一つあって、胸に穴を空けた女の子がそこには映し出されている。


「キサラギ、お前はこの少女に見覚えはないか? 都市の外から来た者はお前をおいて他にいない。知っていることがあれば些細なことでもいいから話してみろ」


 腰の後ろで手を組みながらキサラギは正直に答える。


「見覚えはありません」


 予想通りの答えに大して表情を崩さないサチ司令官。


「しかしなにも感じるところがなかったわけではないだろう。お前の体内にはチップが埋め込まれていることは承知の通りだろう。これはお前の身体的な状態だけでなく、常にお前の精神状態をモニターしている。あの少女を見た時のお前の精神状態はわかりやすいぐらいに揺れ動いていたぞ。あの時にお前はなにを感じ取った」


 体内に埋め込まれたチップ。


 外からやってきた者なんてすぐに信頼に値するわけもなく、不審な行動がないようにターミナルの人間がいつもキサラギをモニターでチェックしている。プライバシーの侵害であるといえばもちろんそうなのだが、特に後ろめたいこともないのならチップ一つである程度の信頼を得られると考えればそう悪いものでもない。それになんの疑いもかけられることなく成人を迎えることができれば、体内のチップは外されることを約束されている。それまでは大きな波風を立てぬように努めなけらばならず、だからこそ、言ったところで即座にバレるような嘘をつくわけにはいかない。


 だからキサラギは自分の考えを簡潔に話す。


「あの子に自分を重ねたのだと思います」


 あまりに簡潔な物言いに続く言葉があるのかと、すっかり数秒の間を空けてからサチ司令官は人差し指で顎をそっと撫でる。これが物事を思案する時の彼女の癖だということを、何年かの付き合いのうちにキサラギは知っていた。


「外から来た者同士でなにか感じるところがあったというわけか。まああり得ない話でもないか。しかしそれにしてもあの数値は異常だが、まあ今さらお前を疑うこともない。嘘をつくほど器用な人間でないことも知っているしな」


 本音を言うのであれば、キサラギの言葉が真実であるか嘘であるかはチップによる診断ですぐにわかるということなのだろう。しかし自分自身のことなんて今はどうだってよかった。今現在におけるハルヒトやモミジの状況がどうなっているのかを聞きたいし、実際に聞こうとしたところで、入室してきたミツルギを含めた三人とキリンの一機にキサラギの言葉はさえぎられた。


「報告に来ましたよ司令官殿」


 司令官に対してのミツルギのとぼけた口調は特に触れられず、


「こちらでも状況は大体把握している。簡潔な状況報告とお前の視点からの考えを述べろ」


 サチ司令官の前にきれいに整列した三人の横にキサラギも並ぶと、とぼけた口調とは打って変わった姿勢を正したミツルギが、


「了解です。まず事前のNoahの情報に誤りがあり、事前の情報にくらべて十六脚型アイランドがいましたが、キサラギの独断専行がちょいと目立ちますが全てのNoahの殲滅は滞りなく終了。問題はその後で、ハルヒトがアイランドの中に熱源反応を確認して、実際に確認してみたところ卵形の物体を見つけ、その中から緑色の液体とともに例の少女が出てきたとのことです。危険人物であるかの判断のために少女の記憶を覗くように俺が指示し、それを実行したモミジは突然に叫び声をあげるなどの奇行に走ります。その影響で暴走したニッコウをハルヒト以外で対処、モミジの意識を強制的にハッキングでシャットダウンさせたハルヒトも情緒に問題がでましたが後に沈静化しました。状況としてはこんなところですかね? 俺の考えとしては少女が黒で決まりですね。しかし記憶を覗くだけで人を狂わせることができるとはとても思えないので、少女もまた脳処理でのハッキングをモミジにやり返した、とも思いましたがそれだとハルヒトのことがよくわからない。間接的な接触で影響を与えられるものなのかどうかは、ハルヒトがなにを見たのかにも大きく関わってくるでしょうね。まあ少女を調べないとなにも言えない状況だと俺は思いますが」


 サチ司令官はふうむと納得しているんだかしていないんだかよくわからないため息をついた。


「報告ご苦労、今回の報告レポートは書かなくてもいいぞ」


 ミツルギはあからさまに喜んだ。


 その横に立っているジンはこの場での報告が今にも終わりそうな雰囲気を察したのか、ここぞとばかりに天井を目指して片手を上げて、


「サチ司令官! 質問よろしいでしょうか!」


「なんだ?」


「現在のハルヒトとモミジの状況がどうなっているのかを是非ともお聞かせいただきたいのですが!」


 まさにキサラギが先ほどサチ司令官に訊こうとしていたことである。


 サチ司令官は目を眇めて、


「言われなくてもするつもりだった」


 サチ司令官の背中越しのモニターが三つの画面に分割されて、なにも映っていないただ真っ黒な映像が一つには流れていて、天井にくっついている監視カメラの映像が他の二つには高画質で流れている。そこに映し出されているのは椅子に座ってハルヒトが白衣の男に対面している映像と、黒くて幅のある固定ベルトでモミジがベッドに縛り付けられている映像だ。


「上からの命令で少女のことは詳しくは話せない。今は治療中であるとだけ言っておこう。そしてハルヒトにはメンタルケアを受けてもらっている。以前と変わるところが見られなければすぐにでも解放されるだろう。問題はモミジなのだが、彼女にはキサラギ同様にチップが埋め込まれることになる」


「それはキサラギ嬢とまったく同じものなのでしょうか?」


 クビキの質問に即答するサチ司令官は、


「少し違う。脈拍を計測し、精神状態を把握することがチップの主な役割で、危険思想などに関わる不穏なワードをチップを埋め込んだ者の口から発せられた場合には、即座にターミナルへと通達することがチップの副次的な役割だ。しかしモミジのチップは後者がより監視性を強め、モミジの会話のすべてを記録してターミナルへと通達する。通達の際には当然どこにいるのかでさえも筒抜けになる。監視カメラでの状況把握もぬかることはない。完全な監視状態だな」


 キサラギの置かれている状況よりもよっぽどプライバシーを侵害される状況にモミジが陥る。そう考えるだけでも胸が張り裂けそうになって、キサラギはサチ司令官に対して一言だけでも物申そうかと思った。


 が、それを予見していたように、サチ司令官はアクセントを強めて「しかし」を言う。


「モミジが普段の精神状態に戻るようであれば、すぐにでもチップは外す。彼女の今の状態がどれだけ異常なものであるかは、最も近くで見ていたお前たちのほうがわかっているだろう。だからこそモミジへの監視を緩めるようなマネはできない。とは言っても治療状態が続くことになるから元からプライバシーもなにもないとは思うがな」


 余計な一言とはこのことだとキサラギは思う。


「面会の情報については追って連絡をする。こちらからの開示できる情報は以上だ。貴様らには任務終了にあたって十六時間の休息が与えられる。心身をともに休ませておくように、解散!」


 重りをつけた釣り糸のように姿勢を正して、四人は目の前のハリボテを倒すみたいな勢いで「デアクエルド」を言ってからブリーフィングルームを後にする。サチ司令官がキサラギの聞きたいことをほとんど言ってくれたし、それにモニターに映されていた映像でハルヒトとモミジの場所も大体わかった。


 ナノマテリアルによる擬似漆喰に囲まれた渡り廊下、キサラギたちの頭上へと降りかかるぼやけた青熱灯の光、四人によるリズムよい靴音とキリンによる間接の駆動音。ふいに晩ご飯の話し始めたジンはあっけらかんとした調子で後頭部に後ろ手を回し、それに同調したクビキはいつもの変わらぬ丁寧語でこれから一緒に食堂へ行きませんかと話し、マイペースを崩さないミツルギは高らかに帰って寝る宣言を告げていそいそとキリンの背にしがみつく。


「キサラギはどうする? まだごはんは食べてないだろ? 一緒に行こうぜ。飯っていうのは大人数で食う方が美味いからな」


 ジンの言葉にキサラギは悩んだ。


 こうやって食事に誘ってくれる人なんて、このターミナル内には五人といない。それなりにお腹だって空いている。それなら食事の誘いを断る理由などないように思えるが、ベッドで今も寝かされたりカウンセリングを受けている二人を思えば、自分だけが楽しく食事をしているなんてとても悪いことのように思えるのだ。しかし考えすぎてしまうキサラギを案じてのこの食事の誘いなのだろうとも思えるから、それに細かいことで愚痴を言うような狭量な二人でないこともよく知っているから、キサラギはこくりと首を頷かせてから一言だけ「行きます」と告げた。


 ジンがガッツポーズを決める。


 自分にできることは、今はない。


 面会についての情報は追って連絡するとサチ司令官が言っていたので、それまでの待ち時間として食堂を利用させてもらう。


「なに食べよっかなあ、やっぱり動いた後はがっつり肉でもいきてえなあ」


 ジンがそんなことを言いながらエレベーター横のボタンを押した。


 エレベーターの待ち時間の間、キサラギは思い出すことがあった。


 約束だ。


 ハルヒトとの約束をこぎつけてきなさいというモミジの言葉は、それこそがモミジとの間に結ばれた二人の約束となっていることに今更ながらに気がついた。その約束を果たした時にこそ、キサラギのよく知るモミジが帰ってくるのかもしれない。そのためにも約束の内容をさっさと決めて行動に移し、以前と何一つ変わらない日々を取り戻す。いや、本当は変わらないといけない。前に進まないといけない。けれど傍にいてほしい人たちがいる。


 失ってからでは遅いのだ。


 ハルヒトに褒めてもらうために強くなろうとした自分はすでに過去、うっかりと指の隙間から大切なものが零れ落ちないようにもっと強くなりたいと思った。どれだけ周囲から怖がられても気味悪がられてもいい。その結果の先に大切なものが離れていってしまっても、永遠に失ってしまうよりはずっといい。


 ——こうやってキサラギと歩いているだけでも結構楽しいしさ。


 だけどやっぱり、一人ぐらいは傍にいて欲しいと思うのは、自分のわがままだろうか。

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