第9話 イレギュラー
キサラギは混乱していた。
短い時間にいくつものイレギュラーが次々と起こった。
Noahの運んできた謎の女の子、彼女の記憶を覗いて発狂したモミジ、その影響を受けて暴走したニッコウ、それらを食い止めるためにハルヒトをはじめとした四人と四機が動く。キサラギはどうしていいのかわからずに最初のうちは発狂するモミジに声をかけることしかできず、そこにモミジのことは自分に任せてくれとハルヒトがやってきて、暴走するニッコウを食い止めるようにとハルヒトが棒立ちのキサラギに指示をくれた。多少の不安を残しながらも自分にできることをやろうと決めた。指示を待っていたツキカゲを連れてキサラギは様々な武器を振り回すニッコウと対峙した。モミジの相棒であるニッコウと戦うのにもちろん戸惑いや躊躇はあったから、雑な動きを見せるニッコウの武器を丁寧に一つ一つ壊していき、なるべく本体への損傷を少なくしてニッコウの無力化を実現しようとする。
しかしこの判断が甘かった。
モミジの意識のシャットダウンに成功したハルヒトはわずかに気が緩んでいた。あともう少しで無力化に成功しそうだったニッコウが、地面に散らばったワイヤーブレードの破片を手にしてハルヒトの元に突っ込んでいった。ニッコウとの戦闘中にも薄々は気づいていたことだが、ハルヒトのほうを気にするようにニッコウは動いていた。初めからハルヒトのことをニッコウが狙っていたとすれば、当然こうなることも思慮の内に入れておかなければならなかった。モミジが助かったという安堵が生み出した一瞬の隙を狙われて、キサラギは予測演算すら忘れてナノマシンを総動員してツキカゲと共に駆けた。
胸を貫かれたのは例の女の子だった。
真っ白だった髪も肌もそのすべてが真っ赤に染まっている。
ニッコウと同様に体の崩れ落ちていく女の子に、様子のおかしいハルヒトが頭上高く熱振動ナイフ振り上げていた。
先ほどまでその境遇から自分自身を重ねていた女の子が、あの日、自分の目の前にひょっこりと顔を出した愛しい少年に殺されていくことに、キサラギは強い抵抗感を覚えた。
「やめてください先輩!」
ハルヒトを抱き留めた。
離れろ、邪魔だ、消えろ、優しいハルヒトにいくつものひどい言葉を言われて泣きそうになった。キサラギはそれでも抱き留めた腕をハルヒトから離すことはなかった。モミジの時のように自分の声も行動も何一つハルヒトには届かないのかもしれない。だけど、それでも、
ハルヒトの動きが急に止まった。
もしかしたら自分の思いが届いたのかもしれない。
キサラギは奇跡を信じて恐る恐る顔を上げてみた。
そこには怯えるような瞳がある。ハルヒトが戻ってきたのだとキサラギは思った。キサラギの後頭部にハルヒトの手が添えられるとそのまま添えられた手が彼の胸にキサラギをいざなった。キサラギは戸惑いながらもされるがままに身を委ねた。互いの胸の内にある不安が半分に分かち合われた気がして、そうして永遠にも思える時間をキサラギは過ごしていた。けれど実際のところはそれが一分にも満たない時間であったことはタイマーを見ずとも知っている。
やがて帰還部隊もやってきた。
幻想都市セイレンを囲う絶対の隔壁からバックパックを背負ってやってきた彼らは、ぞろぞろと砂埃をたてて着地した巨大コンテナから降りてくる。まるで宇宙服みたいなぶよぶよの防護服を動かして、いつになく疲労しているクロウの面々に帰還部隊が近づいてくる。背負われているバックパックから四角い箱のようなものを彼らは取り出した。彼らの背負っているバックパックの中には「ボックス」と呼ばれる万能医療器具が入っており、これはそこらの医院にも勝る診察や治療が可能であるという優れた品だ。精神的な異常を発したモミジやぽっかりとした空洞をその胸に空けた女の子を助けるためだけでなく、隔壁外に充満している毒の瘴気の影響をクロウのメンバーが受けていないかを調べるためにボックスは使われる。
「ごめんキサラギ。もう大丈夫だから」
ハルヒトが腕に込めていた力を緩める。
そして、そのまま悲しく微笑みながらキサラギを身からはがす。
「——あ」
キサラギは後ろ髪を引かれるような感慨を抱いた。
このまま抱きしめていて欲しかったという思いと、しかしこのままずっとこうしていて欲しかったという思いがキサラギの胸中に渦を巻いていた。けれどモミジのことも気になった。帰還部隊の一人がモミジの目にライトを当てたり耳のすぐ傍で手を強く叩いてみたりしている。本当に意識を失っているのかを念のために確認しているのだろうが、それでも失った意識をモミジが取り戻すことはない。
いったい彼女の身になにが起こったのだろう。
謎だ。
けれどその謎を解くための鍵である女の子は、すでに虫の息となっているし、ともすればもう息を引き取っている可能性だってある。ターミナルを統括するF班が下した判断か、ワイヤーに吊るされた巨大コンテナに、数人の帰還部隊が血まみれの女の子と気を失っているモミジを詰め込んだ。そのまま地面に引きずった跡を残してから、隔壁にすれすれの距離で上昇していくコンテナは遠くキサラギの視界外から消えていく。
その後は、キサラギは毒の抗体を注射されたりメディカルチェックを受けたりする。
他のクロウの者たちも同じことをされている。
都市内に毒を持ち込まれては、シャレにならないぐらいに面倒なことになる。
だからこうして戦闘後のクロウは隔壁を上がる前にこういったことをされる。
そしてハルヒトが診断に引っかかった。
毒の感染ではないものの、その精神状態に大きな揺らぎが見えるとのことだ。
女の子と同様にいち早くハルヒトが、隔壁のすれすれの距離をワイヤーで上昇していく。
「いったいあの子はなんだったのでしょうか?」
雑談交じりに近づいてくるクビキとミツルギとジン。
「上がっていったってことは少なくとも毒には感染してないってことだろ。緊急手術でもするのか死体解剖でもするのか知らないが、もうこっからは俺たちの領分じゃねえよ。難しいことはDとかFの連中に任せておけばいいんだよ」
随行式支援型機甲たちがミツルギたちよりも早く隔壁を昇る中、ジンは腰のベルトにワイヤーを括りつけながらいつもより悲痛な顔をして言う。
「それよりもモミジとハルヒトはどうなったんですかね。最後のほうはハルヒトも大丈夫そうだったけど、モミジのほうはもうなにがなんだかわかんないし」
「だからそれを任せろって言ってんだよ。どうせ俺たちがなにを考えたって結果がでるわけでもないしな。だからキサラギ」
キサラギは突然話を振られて戸惑った。
「自分にできないことをお前も無理に考えなくていい、考えるんだったらちゃんと自分にできる範囲でものを考えろ」
自分にできることはなんだろうかと考える。けれどもそう簡単に答えはみつからない。
「そろそろわたくしたちもターミナルへ帰りましょうか」
「ああそうだな」
やってきた帰還部隊と一緒になって、モミジを含めた四人がついに帰還する。
内側からしか開けることのできない特殊ガラスが二メートル四方に開いていて、帰ってきた全員がそこを潜り抜けると後方で閉じられた特殊ガラスには星の瞬く夜空が映っていた。現在の時刻は午後の八時であることを防護服を脱いだ帰還部隊の雑談から盗み聞いて、隔壁と同じGS合金の素材から作られた床をもうそんな時間だったのかと考えながら歩く。辺りを見回してもハルヒトやモミジの姿がどこにもない。すでにターミナルへと帰っていったのだろうと思い、自分もターミナルに戻ろうとしてポッドに乗り込もうとしたその時に、ジンが「ちょっと待ってくれ」と焦った様子で近づいてきた。
「なんですか?」
「任務終了の報告は、いつものブリーフィングルームでやるから」
「そう。わざわざありがとう」
「いやこっちもありがとうな」
なにかお礼を言われることをしたかなと一瞬思考を巡らせる。
「ハルヒトのことだよ。だってあいつ、キサラギがいなかったらモミジみたいになってたかもしれないし、って言いかたするとモミジになんか悪いけど。でもさ、ハルヒトを助けたのはキサラギなんだってちゃんと言っておきたかったんだ。ほら、ライバルが減ると俺も困るし、あとあと、別に死んだわけじゃないんだからモミジも絶対に元通りになるって。だからまあ心配するなよ。じゃあまた後で会おうぜ」
自分の移動ポッドに走って向かっていくジンはふいにその動きを止めて、
「あと、今日のNoahの撃破数も負けたけど、次はこうはいかないからな」
にかっと笑うジン。
まっすぐで純粋なジンの言葉を受けてキサラギは、いくらか重く沈んでいた心が軽くなったような気がする。ハルヒトが自分のおかげで正気を取り戻したのだと、それが事実かどうかはともかくとしてもジンの視点からはそれが真実なのだ。キサラギは自分にできることがわかった気がする。たぶんだけどハルヒトの心は不安でいっぱいなはずで、少しでも彼の傍にいてあげることでその不安を和らげることができるかもしれない。本当は放っておいてほしいと思っているのかもしれないが、モミジがいつか言っていたように自分には積極性が足りていない。
帰還部隊の乗ってきた小型のモノレールに、キサラギはツキカゲを任せてから多大なGを感じてターミナルを目指す。おかしくなってしまったモミジだってかろうじて生きているかもしれない女の子にだって、なにもできないと嘆いているだけでは本当になにも変わらないままだから、キサラギはターミナルの移動ポッド乗り場に足をつけてこれからミツルギに言われたように自分にできることを実行することにした。
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