第8話 伝染
いったいなにが起こっているのかがまったくもってわからない。
突然モミジが叫んだ。
そう思った直後にモミジの相棒機である攻性型のニッコウがワイヤーブレードを構えた。その正面に立っているのがどういうわけかハルヒトであり、ハルヒトは未来演算によりニッコウの動きを予想して、まばたき二回分ぐらいの時間で自分が死ぬことを結果として叩き出した。背筋が凍った。ナノマシンによる身体機能上昇を、筋力の上昇と生体電気の加速だけに三対七の割合でつぎ込んで、ワイヤーに繋がれて伸びてくる熱を帯びた刀身をハルヒトは横っ飛びで転がるように回避した。背面にあったアイランドの残骸が溶けるようなオレンジ色の断面で切り裂かれ、その現象を起こした刀身がニッコウの手元へと弾かれるように戻っていく。背面のブースターを最大の出力で解放させたゲンブをその一瞬の無防備に潜り込ませる。ニッコウの背面を確実に捉えた——つもりでいたのだが、戦闘用に特化されている攻性型のニッコウは、その機動性から武器の保有数まで明らかに探査型のゲンブとはスペックが違う。
ニッコウが跳ねた。
羽交い絞めにしようとするゲンブの腕が空を切る。しかし仮にも探査型であるゲンブがニッコウを見失うことはなく、ゲンブがすぐさま上空を見上げるとそこにあったものは一丁の巨大な斧だった。ニッコウが斧へと変えた右脚を高々と振り上げて、その脚を振り下ろしている真っ只中にゲンブが顔を上げたという形だ。このままではゲンブが破壊されてしまう。しかしハルヒトの距離からではなにもかもが間に合わないし、どのような指示を下そうともゲンブが助かる術はない。
が、ここでニッコウの動きが止まる。
ニッコウ用にチューニングされた妨害電波を、クビキの操る妨害型のスザクが発信してくれたおかげだろう。随行式支援型機甲との対峙なんて、そんな状況考えられているわけもないから、ニッコウに対して有効な妨害電波は一から作り出す必要がある。しかしそれを数秒の内に作り上げたことは、なにもスザクの機体性能にだけ頼ったものではなく大きくクビキ自身の能力も影響しているだろう。
ハルヒトは作り出された小さな隙にすかさずゲンブを離脱させた。それと同時にニッコウは再び可動、乾いた砂が爆ぜるように周囲に散らばり、巨大な斧に穿たれた地面はまるでクレーターのように深く掘られている。この威力を目の当たりにしたハルヒトは、ゲンブにニッコウを羽交い絞めにさせた程度では何の解決にもならなかっただろうと覚った。
「すみません、即席の電波妨害でしたので、一瞬しか動きを止められませんでした」
冷静な判断ができていない。
感情の抑制にもナノマシンを回す。
それでも動揺が消え去ってはくれない。
「いいやナイスだクビキ。それにしてもいったいなにが起こっていやがる。まあいい、キリン!俺たちもやるぞ」
首の座っていない赤ちゃんのように体をだらけさせたニッコウを、キリンを傍に控えさせたミツルギとスザクを前面に配置したクビキが挟撃の形に陣取る。そこに加わろうとハルヒトもゲンブを操りながらニッコウに近づくが、セイリュウを連れてきたジンに行く手を阻まれて、
「待てよハルヒト。お前はあっちを何とかしてこいって。っていうか同じ戦闘用のツキカゲじゃないとニッコウを止めるのは難しいぞ。まあ別に俺がいれば大丈夫だけどな」
ジンの指さす方を見てみればそこにはすっかり大人しくなったモミジと、そんな彼女に何かを必死に話しかけているキサラギがいて、ハルヒトはジンが言わんとするところを理解してゲンブをその場に残して走り出す。暴走するニッコウを止めるためにはつまるところはモミジを何とかすればいいし、今は何もしていないキサラギはモミジを何とかするまでのニッコウの抑止力として扱う。突然の出来事に動揺しているハルヒトに比べて、普段はやんちゃしているジンのほうがよっぽど状況の判断に優れている。と騙されそうになるが、すでにミツルギの指示をジンが受け取っているものと考えるほうが自然だろう。
モミジに近づく。
彼女はうずくまってなにかをぶつぶつと唱えているようで、その様を見るとハルヒトは胸が締め付けられるように痛くなった。およそ行動としては正常なものとはいえず、今までに接してきた元気で怒りっぽい彼女はすでに目の前にはいない。そしてそんな彼女の前にだらりと寝そべる女の子は、モミジが発狂した際に暴れた影響か、着けていた呼吸補助機が外れている。が、ハルヒトもそこに気づくほど、目ざとく目に映る範囲を観察しているわけではない。
そしてモミジに不器用ながらに話しかけるキサラギが、ハルヒトが近づいてきたことに気づいて素早く顔を向ける。
ハルヒトは驚いた。
明らかに焦っているとわかる表情をキサラギがしている。ここまでわかりやすく感情を顔にだすことは、今までのキサラギであれば考えられないことだった。
「先輩。私、どうしたら。モミジが、話しかけても、全然駄目で、私の声が」
正常な判断すらもキサラギは出来ていないようだった。
ハルヒトだってもちろん今までになく焦っているが、自分よりも焦っている者を見ると不思議と段々落ち着いてきて、これ以上の混乱を与えないためにもハルヒトは優しい口調を努めてキサラギに言う。
「大丈夫。モミジは俺がなんとかするから。キサラギはその間に暴れてるニッコウを抑えといてくれ。できる?」
キサラギが一瞬だけ停止する。体中のナノマシンを感情抑制に回しているのだと思う。そしていくらか落ち着きを取り戻して、キサラギがいつも通りの無表情で肯定の頷きをみせる。戦闘用に調整されている攻性型ニッコウに対抗できるのは、同じく戦闘用に調整されている防性型のツキカゲである。他の面々たちの随行式支援型機甲も戦えないことはないのだが、それでもニッコウを相手取るとなれば相当に手が余る。だからこそキサラギが動いてくれればまさしく百人力と言っても過言ではない。
ミツルギたちの元へと走ったキサラギの背中をハルヒトはちらりと見送って、そして死んでいると言われても信じるような眠り方をする女の子を未知の恐怖として一瞬だけ見つめる。女の子の記憶を探ったモミジはいったいなにを見てしまったのかは見当もつかない。それでもこれからハルヒトがやろうとしていることは、モミジに脳内ハッキングを仕掛けて意識を無理やりにでも奪うことである。その過程においてモミジが見てしまったものをハルヒトが見てしまうことも当然ありえるわけだが、しかし迷っている時間など現在のハルヒトには残されてはいない。こうしている間にも暴走するニッコウによって仲間の誰かが傷ついているかもしれない。ハルヒトはモミジがやっていたように銃型デバイスから針金みたいな有線を取り出し、その先にある端子の外装を取り外すことで注射針のような極細の針を露出させる。
それを、モミジの首元に突き刺した。
余計な情報などすべて無視して、ハルヒトはモミジの意識をシャットダウンさせることだけに尽力する。
いや、するはずだった。
脳内を埋め尽くさんとばかりに氾濫する「記憶の波」がハルヒトの自意識を揺るがしてはとてつもない衝撃となって殴りつけるように襲い来る。わけのわからないイメージがいくつも浮かんでくる。——虫のようにうごめく大量の機械兵——痛覚を無視した血みどろの人間兵——大地を覆う禍々しい瘴気——脳内に響き渡る勝利の布告——輪郭の定まらない謎の——なんだこいつは? 人間はいったいなにと戦っている? 蜘蛛の糸のような自意識が疑問という形でわずかに戻り、その疑問の一切をはねのけたハルヒトは、襲い来る記憶の波に即興で築いたプログラムの防壁で対処しながら着実に目的へと近づいていく。あった。モミジの脳内へと侵入を果たし、築いた防壁がぶっ壊される前にモミジの意識を奪い取り、記憶の波がすんでのところに迫ったところでハッキングを終了させたハルヒトは生を実感する。現実へと帰ってきた時には体中に嫌な汗が噴き出していた。
息も切れている。
インカムから流れてくる騒音は、いったいなにを言っているのかすぐに理解できない。
——そっちにいった?
そっちとはどっちのことで、いったとは「言った」なのか、それとも「行った」なのかもわからない。
振り向いた。
モミジの意識の残滓がもたらしているニッコウの可動という現象は、その狂気を迷うことなく一直線にハルヒトへと向けてきている。ワイヤーブレードの破片を手に持ったニッコウがハルヒトに迫ってきているといったほうが状況としては具体的で、ニッコウの損傷具合からハルヒトの脳処理ハッキング中に起こっていた戦闘が、相当に苛烈なものであったことはわかったし、しかしそれでも疲労困憊している今のハルヒトを殺すための余力は十分に残っていることもわかってしまう。
こんなにもニッコウから集中的に狙われる理由がハルヒトにはいったいなんなのかわからない。
だけどそれを理解する前に、せめてモミジが傷つかないようにと、ハルヒトはモミジから少しでも距離を離すように地面を蹴った。だけどふらついた足がそれを阻害して、結局ハルヒトはまったくその場から動けていなかった。「ハルヒト」だとか「先輩」だとかを叫ぶいくつかの声が聞こえる。それを聞いている間に情けないことに尻もちをついた。
「くそっ」
この悪態を最後にして抗いようもなく自分は死ぬのだとハルヒトは思った。頭痛がひどい。耳鳴りもする。耳のそばを横切っていった風は、都市セイレンには必要なくなった四季の一つである「冬」を運んできた。数秒後の自分の体もこの風のように冷たくなるのだろうかと考える。だけどそうはならなかった。理不尽をにらみつけたハルヒトの目の前には、腕を広げた女の子の小さな背中が立ちふさがった。
女の子がハルヒトのほうに顔だけで振り返って、ぱくぱくと口を動かした直後に発達していない胸をワイヤーブレードの破片により深々と貫かれた。許容量の限界以上に血の入った輸血パックをナイフで勢いよく突き刺したらこんな風になるのではないかという光景、ついに動きを止めて糸が切れたように崩れ落ちるニッコウ、一定時間で電気を与えられているカエルみたいな動作をする女の子、順繰りにハルヒトは目を移す。少女の元から血色の薄かったその唇がさらに色を失くしていることを確認して、ハルヒトはさっきまでその唇が紡いでいた言葉がなんであったのかを痛む頭で思い出す。
確かに彼女はこう言った。
聞こえなかったけど、確かに彼女はこう言ったのだ。
————やっと会えたね。
お前なんて、
「知らない。お前なんて俺は知らない‼ 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い‼」
頭の中にわだかまっている異物の存在がどうやっても拭いきれなくて、自分が叫んでいることにも気づかずにハルヒトは身の内を支配する衝動に身を任せようとする。倒れ伏している目の前のこいつは未だにぴくぴくと動いていて、まだ生きているのならば早いうちに殺しておかなければならない。この頭痛もこの耳鳴りもこの衝動でさえも、こいつさえ殺してしまえばなにもかもがすべて消え去ってくれるのだと本気で信じた。
よろけながらも立ち上がり、ふくろはぎ付近にあるホルダーを手探り、抜き取った熱振動ナイフを高々と振り上げる。
狙うべきは名も知らぬ女の子。
ナイフを振り下ろすだけですべてが終わる。
鋭く尖ったワイヤーブレードの欠片を、空に向かうように背中から生やしている女の子を見下ろし、彼女からだくだくと零れ落ちる血なんてお構いなしに、ハルヒトは鬼気の迫る表情でいざナイフを振り下ろそうとした。
が、横のほうから抱きしめるように、誰かがハルヒトの動きを阻害した
「やめてください先輩!」
うっとうしいことこの上ない。
正直に言って邪魔でしかない。
暴れるように動いてから何度か怒鳴りつけたと思う。それでも自由に動くことができないハルヒトは、いっそのこと邪魔なこいつも一緒に殺してやろうかと考えて————どれだけ恐ろしいことを考えてしまったのかを、ハルヒトはすぐさま自覚して思わず手に持っていたナイフを取りこぼす。暴れたり叫んだりを急に止めたハルヒトに、キサラギが今にも泣いてしまいそうな表情を上目遣いに見せる。
信じられなかった。
さっきまでの自分が本当に自分であるのかを疑った。
相変わらず頭が痛む。
もう自分さえも信じられない状況で、それでもキサラギに抱きしめられている感覚は嘘ではないと、ハルヒトは確かなものに縋るように強く、強くキサラギのことを抱きしめた。
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