第二章 狂気の花

第7話 狂騒

「約束はちゃんとこぎつけたんでしょうねキサラギ」


 モミジの言葉にキサラギはぷいっと視線を逸らす。


「ああもうっ! やっぱりそんな気はしてたのよね」


 モミジがにゃーと叫びながらキサラギの肩を掴んで体を前後に揺らす。キサラギはやめてくださいの一言も言えずになされるがままに体を揺られるが、そろそろツキカゲを通してでも動きを止めてもらおうかと考えると、急いだ様子のハルヒトとゲンブが二人のすぐ近くを風のように通り過ぎていった。


 それに目を奪われたモミジが動きを止めて、


「なにあれ?」


「なんでしょう」


 にやりと笑ったモミジが、


「行ってみようか」


「行ってみましょう」


 キサラギはモミジと一緒になってハルヒトたちの後ろを追いかける。そうして十六脚型アイランドの上に立ったゲンブがその怪力によってこじ開けた装甲の穴を覗き見ると、スモークガラスっぽい外装をした卵形の容れ物がそこにはあって、上に向かってひび割れるように開いたそれは緑色の液体をこぼしながらその中身をはだけさせる。


 まるで作り物のような女の子だとキサラギは思った。


 だって透けるような白い肌と触れたら溶けてしまいそうな白い髪を湛えているし、これで不自然な割れ目とか大きな球体とかが関節の部分に垣間見えれば、ロボットや人形であると何の違和感もなく彼女のことを受け入れることができるだろう。けれどもわずかに拍動する皮膚やうっすらと見える血管が彼女のことを生きている人間だと教えてくれる。それでも彼女が生きている人間であるとキサラギには未だに信じることができない——と、うつむいていた女の子の頭がそのまま軽く揺れたかと思えば、女の子の顔が恐ろしい勢いで上がって途端にキサラギのほうに向けられる。


 目と目が合った。


 これでもかというぐらいに開いた彼女の瞳孔にキサラギは自分の存在が吸い込まれていくような錯覚を覚える。脳内を直接ぶん殴られたような衝撃で体がぐらついた。キサラギはぐらついた体勢のままぽっかりとした装甲の穴に落っこちそうになった。すぐ隣にいた友人のモミジが「危なっ」と言いながらキサラギの体を支えてくれたので結局は落っこちずに済んだ。


「大丈夫かキサラギ?」


 ハルヒトが心配するようにキサラギの顔を覗き込む。


 すぐ近くにハルヒトの顔がある。


 思わぬ嬉しいハプニングに、普段であれば内心で喜んでみせるところだが、そのようなことをしている余裕が今のキサラギにはない。一体何だというのだ。予想だにしていない感情の動きに、体中のナノマシン群がまったく対応しきれていない。そもそもこの暴れ狂う感情の正体がわからないし、ナノマシンに体内から打たせた神経麻酔もどれほどの効果があるのかがわからない。


 それでも次第にキサラギの心は落ち着いていった。


 ハルヒトのかけてくれた言葉にたっぷりと間隔を空けて答えるキサラギは、震えるような声で「大丈夫です」を言ってみせた。


 ハルヒトがその言葉に納得しきれないという顔で、この場からキサラギを遠のけるようにモミジに指示した。その指示に一つ頷いてみせたモミジは、十六脚型アイランドの残骸からキサラギを抱いて跳び下りて、「あんたは働きすぎなのよ」と言いながら砂の大地にキサラギを寝かせてくれた。キサラギは別に寝かされるほど疲れているわけでもないので、すぐに上半身を起こして立ち上がろうとするが、わずかな目眩を覚えたことがあっさりモミジに見透かされて再び寝かされる。


 ニッコウとの鬼ごっこを終えたクビキがその間にハルヒトのいる十六脚型アイランドの残骸の上に降り立ち、例の女の子の扱いを相談し、窮屈な場所からゲンブとスザクを使ってとりあえず彼女を外に出すことに決めたようだった。ハルヒトかクビキかのどちらかの呼吸補助器の予備を着けてもらって、女の子はキサラギの視界に入る距離にキサラギ同様寝かされる。


 その目はすでに閉じていて、先ほどのように目と目が合う心配もなさそうだった。


 キサラギは再び上半身を起こそうとした。


 モミジの制止を振り切って「本当にもう大丈夫です」と言って立ち上がったその時に、二体のスパイダーを処理し終えたミツルギとジンが合流する。


「あ? なんだその小娘は? もしかしてそいつ生きて——」


 ジンがミツルギの言葉を遮るように、


「おい! なんでもうアイランドが倒されてるんだよ。最後に俺がびしっと決めるつもりだったのにまさかまたキサラギか! それともハルヒ——いたっ。なにすんだよミツルギさん!」


 ミツルギがうるせえとジンの頭をはたいて、


「こんなもん大体予想できたろうが。お前はターミナルの帰還部隊に連絡しとけ。わかったな? で、それよりも大事なのはそいつが生きてるのかってことだ。どうなんだクビキ」


 裸の女の子に自らのコートをかけてあげた紳士的なクビキが、女の子の呼吸、脈拍、毒の影響を、手や耳を使う昔ながらの方法によって確認して言った。


「ちゃんと生きていますよ。多少の毒を吸い込んだはずなのですが、その影響もとくに見られず、呼吸、脈拍ともに乱れはありません。体の中にナノマシンは確認できないので、キサラギ嬢のように生まれつき毒への耐性が高いのやもしれません」


「ああ、そういやキサラギの時もこんな感じだったな」


 キサラギは自分の持っている最も古い記憶を掘り起こす。


 それがたったの四年前のことであり、目を覚ましたら随行式支援型機甲探査型ゲンブの四角っぽい顔が目の前にあって、あろうことかそれが「君、大丈夫?」と話しかけてきてこれは夢かな、と思ったらゲンブの後ろからひょっこりと顔を出した少年がいて、まだ名前のなかった少女は自分の名前が名付けられるよりも先に淡い感情を少年に抱いた。紫の瘴気が周囲に漂っていることも、ハルヒトの他にギャラリーがいたことも気にならなかった。


 しばらくはその場で放心していたんだと思う。


 そのまま、少女はたぶんその場にいたであろうミツルギの背に背負われて、隔壁の上に立っている帰還部隊の垂らしたワイヤーでするすると上に昇っていって、そのまま移動ポッドに乗せられて都市中央のターミナルへと連れられた。そこからは様々な機械の立ち並ぶ一室に押し込められて、ベッドに寝かされながら体をいじくりまわされたり、椅子に座らされながら白衣の男に意図のわからない質問をされたりと、とにかくもう無味乾燥とも呼べるつまらない日々をしばらく過ごしていた。


 キサラギという名前がつけられたのはちょうどその時で、何でもクロウの人たちが独自にアンケートを募って、百を超える少女の名前の案を捻り出したそうだ。うんざりするほどの名前の列を見せられて、少女はその中から適当に一つを指さして「キサラギ」になった。個人を表すための記号が名前で、そこに特別な理由などないのだという認識は、この名前を考えてくれたのがハルヒトであると知ったことで、全部が全部ひっくり返った。キサラギという名前が好きになった。


 それからナノマシンの適合検査を終えて、高い適合係数を叩きだして、キサラギはナノマシンをその体に注入。ターミナルを統括するF班の意向により、キサラギは人手不足であるクロウに厳重な監視つきで配属される。これはキサラギにしても願ってもないことで、理想ばかりが募っていくハルヒトと戦闘指導という形で関わることができた。新しいことを一つしてみれば、ハルヒトが不器用にだけど褒めてくれる。そこに応用を加えてみれば、ハルヒトが驚きながら褒めてくれる。ハルヒトが色々な表情を見せてくれる。だからキサラギは彼の背中を追い続けて、いつのまにか追い越して————いつからだろう。ハルヒトがキサラギを褒めることはなくなった。代わりにハルヒトがキサラギによく見せるようになったのは、アイランドを倒した時のあの何とも言えない微妙な表情だった。


 いっぱい頑張った。


 努力を怠ったことはない。


 それなのにまだ足りないのだろうか。


 それとも自分は、なにかとんでもない間違いを犯しているのかもしれない。


 もしも外からやってきたあの女の子が、これからターミナルに連れていかれて新しい人生を歩むというのなら、キサラギのような間違いを犯してほしくはない。少しは肩の力を抜いてみて、周囲を見回してみれば、次々と人が離れていくこともないだろう。このような感慨を抱くということはきっと、自分を重ねた既視感のようなものをキサラギは女の子の瞳を見た瞬間に感じたのかもしれない。女の子のこれからの先行きを思えば、キサラギの体がふらつくぐらいのことはありえそうだ。


「それではわたくしがこの子を背負っていきましょうか。それともここは女性にお任せしたほうがよろしいのでしょうか? さすがに年若いとはいえわたくしのような男に肌を晒すばかりか、背に背負われるなど彼女のこれからに悪影響があるやもしれませんし。ここはキサラギ嬢かモミジ嬢にお任せいたしましょう」


「いや待てクビキ」


 片手を突きつけられたクビキは、不審な目をミツルギに向けた。まさか、裸の女児を自分で背負いたいのかというそういった不審のまなざしだった。


「なんだその目は。お前の考えてるのとは違うぞクビキ。あのなあ、外から人が来るなんてキサラギの時が初だったし、あんまり気にせずにキサラギをセイレン内に入れちまったが、よくよく考えてみれば結構危険だろ、それ」


「ですがこのような小さな子になにかできるとはとても……」


「小さかろうと、もしも未知の病原体とか危険な思想をその体に持ってたらどうするって話だ」


「しかしそれを判断するにもまずはセイレンに彼女を連れて行かないことにはどうにも、」


「そうだな。だからこそ俺らでこいつの記憶を探っとくんだ」


 脳処理ハッキングの応用でクロウの面々は他人の記憶を覗くことができる。しかしそんなことを許すほど運営のターミナルも人のプライバシーを軽くは見ていない。他人の記憶を無断で探ればもちろん犯罪になるし、それを成すための銃型デバイスの携行にはそもそもターミナルの許可が必要になる。しかし都市外のことであればその行為も犯罪とは関係ないし、女の子が外から来たというのであればまず法が適用されることもない。だがこれからミツルギがやろうとしていることは治外法権だとかそういう問題ではなく、おそらくターミナルからの達示がすでにあっての行為なのだろう。


「なるほど。事前にある程度の情報を彼女から得ておくというわけですね。そういうことでしたら今回はなんの活躍もしていないわたくしがその任を負いましょう」


 キサラギの傍にいたモミジがクビキの言葉を聞くなりずんずんと歩み出た。


「それなら私だってなにもしてないでしょ。私がやる。それとも男女のあれこれ言っといて女の子の記憶を探るのはアリなわけ? ねえ」


 モミジが挑発的な表情をしてみせるとクビキはたじろぐ以外の選択肢を失う。


「そ、それは…………いえ、その通りですね。わたくしとしたことがこれはデリカシーに欠けていたようですね。まったく面目ない。それではモミジ嬢、お願いできますかな。もちろんミツルギ殿がそれでよろしいのであれば、ですが」


 ミツルギがさも面倒くさそうに、


「誰でもいいから早くやって帰ろうぜ。おいジン! お前はセイリュウ使って今までの音声と映像をターミナルに送っとけよ」


 言われたジンも面倒くさそうに顔を歪めたが、すでに吹っ切れたのか無駄に体を大きく動かしてセイリュウに脳波を介することで指示を飛ばしていた。その間にモミジは眠っている女の子に近づいていき、銃型デバイスから有線を手動で取り出して、端子の外装を取り外すことで外気に極細の針を露出させる。モミジは女の子の首元にその針を突き刺すことで、神経系の経路を通して脳にあるいくつもの情報を覗き見ることができる。それを実行している時のモミジは、高度な演算に集中しているのでかなり静かだ。


 それが嵐の前の静けさのようでキサラギはふいに嫌な予感を覚える。


 と言ってもそれが確信に足るようなものでもないし、上手く言語化ができるかと言われたら口下手なキサラギにそんなことができるわけもない。だから事の経緯を何も言わずに見守って、しかし、このことを絶望的なまでにキサラギは後悔する。


 モミジが発狂した。


 急な出来事に誰もが対応できすに立ち尽くしている。


 世話を焼いている時に現れるきゅっと眉間にしわの寄った表情も、なにかろくでもないことを思いついた時のにやりと笑う表情も、白目を剥くように見開いた目と獲物に食らいつく獣のように涎を垂らした口をした今のモミジを見れば、脳内でどれだけ同一人物であるとわかってはいても本当にあの時の表情をしていたモミジと今のモミジが同一人物であるのかを疑いたくなってしまう。モミジの喉から絞り出された奇声がこだまし、それに呼応するように目の光を点滅させたニッコウが不可思議な踊りを始めたかと思えば、ニッコウは腰元にある鋼製の鞘からずるりとワイヤーブレードを抜き放つ。


 個々に立ち尽くしていた面々がさすがに身の危険を感じて動き始める。


 キサラギも動く。


 目指したのはキサラギにとって唯一の友達である、泣き叫ぶような動作をしているモミジの元だ。

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