第40話 幸せの選択-Side灯屋-6



「ゆ、うがさん……」



 何がいけなかったのか理解したが、幽雅さんをここまで怒らせてしまった事に酷く動揺して声が掠れてしまう。

 喉が張り付いたみたいに、なかなか声が出てくれない。

 せめて幽雅さんが離れないようにと手を伸ばすが、ガタリと大きな音を立てて幽雅さんは立ち上がって俺から距離を取った。



「ふん!! バーカバーカ! 灯屋君なんか知らん!! しばらく口をきいてやらんからな! バーーーーカ!!」



 そう叫んで幽雅さんは会議室から出て行ってしまった。

 幼児でも、もっと罵倒の語彙が豊富だと思う。

 俺はポカンと口を開けてしばらく固まっていたのだが、騒ぎを聞きつけた他の社員が開いた扉から顔を出した。



「ボス、ドンに何したんですか? 保育園児でもドンより悪口のレパートリーあるでしょ」

「やっぱりドンって育ちが良いのねぇ。うちの三歳の息子の方がもっと罵ってくるわ」

「まあ、ドンもすげぇボスの事好きだしな。悪口も浮かばないんじゃないっすか?」



 口々に言われ、俺はようやく全身の力が抜けたのを感じた。



「いや、うん……今のは完全に俺が悪かったから、後でちゃんと幽雅さんに謝ってきますんで……」

「でもしばらく口をきいて貰えないんでしょ~?」

「あっ、ドン早い! 端末にドンの有給申請が表示されてるし退勤になってるわ」



 俺も慌てて確認すれば、この数分で幽雅さんは明日から二日間休みを取って帰ってしまったらしい。

 ちょうどその二日は現場出動が無い日だ。


 もし明日も現場出動予定であれば幽雅さんは休みを取る事はなかっただろう。

 幽雅さんは上司として部下を守ると言ってくれたし、俺のために呪いを捧げていると言っていた。だからどれだけ怒っていても危険な場面では側にいてくれる。

 そう確信できる時点で、俺は幽雅さんに肉体だけでなく精神面でも守られているのだと実感する。

 幽雅さんが常に側にいてくれるという安心感に今更気付くなんて、本当に俺はバカだ。


 悪鬼探知の能力が無くなる事を、自分には関係ないように何を強がっていたのだろう。

 素直に認めれば良かったんだ。

 俺のためにその能力を役立てて欲しいと、俺と共に傷付く覚悟をしてくれと懇願すれば良かった。


 幽雅さんを大切にしたい気持ちは嘘じゃない。

 好きな人が傷付く姿なんて誰も見たくない。そんなのは当たり前だ。

 でも、俺の本心はそんな生易しいものではなかった。それを認める強さを持てなかった。


 どうせならどちらかが助かるのではなく、一緒に死んで欲しい。

 誰にも渡さない。

 俺が死ぬ時は貴方が死ぬ時だと……そう、伝えるべきだった。



「ボス? 休憩終わりますよ」

「っあ、すぐ行きます」



 俺は慌てて食べ終わった容器を片付けてゴミ箱へ持って行く。

 表面上、俺は何でもないように笑っていたが、じわりじわりと腹の奥から嫌な感じがせり上がって来る。

 最近は忘れかけていたが、幽雅さんと働くようになる前は毎日感じていたやつだ。


 ──あの声が聞こえてくる感覚。


 また、自分の存在が揺らぎそうになる。



 『死ねば悩む必要もなくなるだろう?』

 『誰もお前なんか愛さない』

 『もう十分頑張ったじゃないか』

 『諦めて楽になってしまえ』



 前みたいに無茶な現場を駆けずり回って自分を傷付けたくなる焦燥感が襲う。

 これも自傷癖とでも言うのだろうか。

 必死に俺はその衝動を抑え込む。


 ほんの少し、幽雅さんと心が離れただけでこれだ。

 俺は弱くて脆い。

 全然強くなんか無い。


 それでも、幽雅さんにこれ以上は幻滅されたくない。

 俺にはやるべき事がある。

 そのための準備はある程度できた。


 俺は自分のデスクに戻る前に、人目を避けて外へ出た。

 そして初めて、仕事用ではない……会長のプライベートな番号に電話をかけた。


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