第39話 幸せの選択-Side灯屋-5
俺はそっと車内にあるブランケットを引き寄せて鎮まらない下半身を隠す。気付かれている状態でなんの意味もないが、そのままにしておくこともできない。
幽雅さんは俺の無駄な努力に少しだけ笑ってから距離を取ってくれた。
「確かに狭い密室で二人きりが危ないのは私も理解した。先に戻るから灯屋君はゆっくり来るように」
「はい。幽雅さんも少し髪が乱れてますから気を付けてくださいね」
着衣に乱れがあって一緒に姿を現すなんて事後にしか見えない。
幽雅さんを見送って、俺は素直にたっぷり時間をかけて身支度を整えた。
車の鍵をかけた事を確認してから社屋に入ると、昼休憩特有の賑やかな空気を感じる。フロアへ向かわずに会議室へ入ると幽雅さんが席を準備して待っていてくれた。
会議室を会議以外に使わないのは勿体ないため、会議の事前申請が無い限りは誰でも自由に使える部屋になっている。
他の会議室からもお喋りの声が聞こえてきて明るい雰囲気だ。
俺達は出来立てのオムライスを食べ、舌鼓を打つ。
「ハンバーグ美味いですね。デミグラスソースで煮込まれてるんだ」
「これはかなり当たりだな」
「レギュラーメニューでしたっけ?」
「いや、お試し新商品っぽいな。レギュラー化希望とレビューしておこう」
完食してお茶を飲みながら評価を送信している幽雅さんに、世間話の一つくらいの軽い気持ちで俺は前から言おうと思っていた事を口にした。
「あの、ちょっと聞いておきたい事があるんですけど」
「ん?」
「幽雅さんの呪いも、オバケを感じる力も、全部無くせるとしたら……嬉しいですか?」
机に置いたスマホを覗き込んでいた幽雅さんの動きがピタリと止まり、沈黙が流れた。
さすがにたらればでは反応しにくいのかもしれないと思い、俺は更に説明を続けた。
「まだ亡霊を視たくないって人でしか試した事は無いんですけど、俺の力でそういう能力が消せるって最近わかったんですよね。呪いも能力にまで昇華できているなら同様に消せるはずなので、お知らせしておこうかと……」
幽雅さんならいつものように『凄い』とか『でかした』と言って褒めてくれるかと思っていた。
それに強制という訳ではないのだ。確認して、必要か不要かを判断してもらうだけ。そう、本当にそれだけなのだ。
しかし、ゆっくりと顔を上げて俺を見た幽雅さんの表情は、今まで見た事も無いくらいの怒りを滲ませていた。
何故そんな顔をするのかがわからず、俺はただ静かに息を呑んだ。
鋭く睨み付ける幽雅さんが重く低く言葉を吐く。
「まさか君に侮辱されるとは思わなかった」
「えっ」
侮辱だなんて欠片も考えていなかった俺は、本気でこの反応の意味がわからない。
驚き過ぎて言葉が出ないでいる俺に幽雅さんは更に噛み付いた。
「その質問をしたという事は、私は今すぐにでもいなくなっても構わない程度の存在なのだろう。それもそうだ。今まで君は一人でやってきた。相棒など最初から必要としていなかったものな。私が勝手にやって来て一人で君を守っている気になっていただけだ」
「ちょ、ちょっと、幽雅さん……!」
「君の強さに甘えていた自覚はある。いつまで経っても私は怖がりで一人で立つ事もできない。それでも必要とされる能力を誇りに思っていたし、私にしかできない事だと自信を持っていた。だが、君にとってはそうではなかった……!」
声を荒げないように必死に感情を押し込めているのがわかる。
それでも最後は泣き出しそうな程の悲痛な叫びだった。
オバケが苦手だろうと、その道を選んでいる時点で幽雅さんの中で全ての覚悟が済んでいた。俺はそんな当然の事を見過ごしていた。
悪鬼を感知できる能力を幽雅さんは誇りだと言った。俺はその誇りを捨てろと軽い気持ちで言ったようなものだ。
呪いに関しても、数々の組織に狙われて危険だと言っていても、物語のヒロインみたいにピンチに陥ったのを一度も見た事は無い。
それだけ幽雅さんがしっかりと対応している結果だ。持てるものを使って最大限の自衛をしている。
その上で俺を巻き込みたくないと思いながら、仮でも交際を選んでくれた。その選択は、俺を守るのではなく『共に歩もう』という顕れだったのではないか。
なのに俺は、そんな幽雅さんの強さも覚悟も何もかもを軽んじた。そう思われても仕方のない発言をしたのだ。
確認すれば大丈夫だなんてあり得ない。口にする事自体が間違いだった。
俺はようやく、幽雅さんが言った“侮辱”の意味がわかった。
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